フッサール『論理学研究』読解(004)

■第一一節 規範学および技術学としての論理学または学問論
学問と学問論
 この節でいよいよ、これまで学問論という形式的な言葉で語られていた学が論理学であることが明らかにされる。いくつかの重要な定義が登場するので確認しておこう。

-学問とは。「学問とはある一定の目標に向けられ、したがってまたその目標を基準して評価されるべき精神の創造物である」(45)。
. Ob eine Wissenschaft in Wahrheit Wissenschaft, eine Methode in Wahrheit Methode ist, das hängt davon ab, ob sie dem Ziele gemäß ist, dem sie zu strebt.


-学問論とは。学問論を定義するならば、それは「ある学問が真に学問であるかどうか」を問う学であり、「真の学問、妥当な学問そのものに何が属しているか」を問う学であり、「何が学問の理念に適合しているか」を問う学であろう。しかしフッサールはこれらの三つの学問論の定義と呼べるものをあげた後に、それを究明するのが「論理学である」(同)と語るのである。この論理学が非常に広い意味で定義されていること、学問論と同じことを意味しているのは、明らかである。

-規範学とは。フッサールは規範学の役割を「経験的に与えられている諸学が学問の理念に適合しているかどうか、またどこまでその理念に接近し、どの点でそれに違反しているかを、それによって測る」(45)ことと語り、この定義によって論理学を規範学と規定する。


-規範学の本質は何か。規範学と対比されるのは歴史科学である。歴史科学の役割は、「各時代の具体的な文化的産物としての諸学を、それらの類型的諸特徴や共通性に基づいて把握し、そしてそれらを時代的状況から説明しようと試みる」(同)学である。


 これに対して規範学の本質は、規範的根本基準(何らかの理念や最高目標)がどのようなものであるかを規定する特徴を示す一般的な命題を基礎づけることにある。
 ただし規範学は、そのための普遍的な標識を与えるものではなく、特殊標識だけを与えるものである。そのことによって論理学は技術学となる。

-技術学の役割は何か。規範学はこうした特殊標識を示すことで、「根本規範が目的であったり、目的になりえたりする場合には、規範学の課題をそのまま拡張することで規範学から技術学が生まれる」(46)のである。ここで規範学と技術学をつなぐのが目的論であることに注意しよう。規範は「べし」という。技術はその「べし」を実現する方法を示すのである。技術がたんなる技や技巧ではないのは、それが目的として定められた規範を背後に控えているからである。


-学問の技術学
 学問論は次のような規則を立てる場合に、学問の技術学になる。
 -妥当な諸方法の実現を左右し、しかもわれわれの方に支配される諸条件を探求する
 -真理を方法的に把握するにはどうすべきであるかを示す
 -諸学を適切に限定し構築するにはどうすべきであるかを示す
 -諸学を促進するさまざまな方法を考案しまたは応用するにはどうすべきであるかを示す
 -すべての関係において誤りを防ぐにはどうすべきであるかを示す


■第一二節 以上に関連した論理学の諸定義
論理学の定義について
 フッサールは、普通に使われる論理学の定義は、「判断作用の技術学」「推論作用の技術学」「認識の技術学」「思考の技術学」などであることを確認した後に、これらはどれも狭すぎることを指摘する。

Die Definition der Logik als einer Kunstlehre ist von Alters her sehr beliebt, doch lassen die näheren Bestimmungen in der Regel zu wünschen übrig. Definitionen wie Kunstlehre des Urtheilens, des Schließens, der Erkenntnis, des Denkens (Part depenser) sind miß deutlich und jedenfalls zu enge.

 

このうちでもっとも広義にみえるのは最後の「思考の技術学」だろうが、これが実際に語っているのは「正しい判断の技術学」ということだろうが、それでは「学問的認識の目的が導出されえない」(47)のである。
Daß diese Definition aber zu enge ist, geht nun daraus hervor, daß aus ihr der Zweck der Wissenschaftlichen Erkenntnis nicht ableitbar ist.


 シュライエルマッハーのように「論理学を学問的認識の技術学」(47)と定義するならば、フッサールの学問論としての論理学の定義に近くなるだろう。

Näher der Wahrheit steht sicherlich SCHLEIERMACRER'S Definition der Logik als Kunstlehre von der wissenschaftlichen Erkenntnis.

しかしこの定義に含まれていない次の規定が重要である。それは「諸学の境界を決定し、それらを構築する際の基準となる諸規則を立てるものも、その技術学の任務であり、しかもその反面、この目的が学問的認識の目的を包含している」という規定であり、これを定義のうちで明確に語るべきだというのである。
SCHLEIERMACRER'S Definition nicht ganz deut lich zumAusdruck,daß es dieser Kunstlehre auch obliege, die Regeln aufzustellen, denen gemass Wissenschaften abzugrenzen und aufzubauen sind, während umgekehrt dieser Zweck den der wissenschaftlichen Erkenntnis einschließt.


 このようにフッサールは論理学の定義を大幅に拡張して、学問の学問論であり、規範学であり、技術学であると規定する。『論理学研究』の内容が、アリストテレス的以来伝承され、カントがもはや改良の余地がないと称えた推論の正しさを規定する一般的な論理学とはかなり異なるのはそのためなのである。第二巻からは、そうした規範学の技術的な内容が詳細に考察されることになる。ただしフッサールにも、フレーゲにならって、記号論理学の体系を確立しようとする野心はあったようである。

■第二章 規範学の土台としての理論学
■第一三節 論理学の実用的性格をめぐる論争
論理学をめぐる本質的な論争
 フッサールは、論理学をめぐってさまざまな論争が展開されたが、もっとも重要な論争は「論理学を技術学とする定義がいったい論理学の本質的性格を言い当てているかどうか」(51)を問題とする論争であることを指摘する。これは次のように言い換えられる。

 「固有の学科としての論理学の権利を基礎づけるのは実用的な観点のみであって、理論的観点からみれば、論理学が諸認識に関して集めるものはすべて、一方ではその他の周知の諸学に、しかも主に心理学のうちに根源的な郷土権を要求すべき純粋理論的諸命題のうちに存立し、他方ではこれら理論的諸命題に基づく諸規則のうちに存立するであろうか」(51)。

Es fragt sich m a. W. ob es nur der practische Gesichtspunkt ist, welcher das Recht der Logik als einer eigenen wissenschaftlichen Disciplin begründe, während von theoretischem Standpunkte aus all das, was die Logik an Erkenntnissen sammle, einerseits in rein theoretischen Sätzen bestehe, die in sonst bekannten theoretischen Wissenschaften, hauptsächlich aber in der Psychologie ihr ursprüngliches Heimathsrecht beanspruchen müssen, und andererseits in Regeln, die auf diese theoretischen Sätze gegründet sind.


 この論争は論理学の心理主義をめぐる論争である。フッサールは「技術学と理解されるすべての論理学の基礎には、一つの固有の理論学が、すなわち純粋論理学がある」(58)と主張するが、反対派は「論理学的技術の中で確認される一切の理論的諸学説は、その他の周知の理論的諸学へ編入できると信じている」(同)からである。

カントの論理学
 カントは、「悟性はどのような性質であり、またどのように考える」を述べる心理学的諸法則と、「悟性は思考する際にどのようになすべきであるか」を述べる必然的諸規則としての論理学的諸法則を区別した(57)。しかしフッサールはカントの論理学は心理主義的な論理学とも両立しうること、「極端な経験論がカントの見解と立派に両立しうること」(52)は明らかだとフッサールは指摘する。

 カントは認識の二つの源泉として感性と悟性を権利上では対等に扱い、論理学と感性論を「心情の根本的源泉」に含まれる二つの理論として併置した。そして論理学を「悟性の諸規則一般の学」と呼び、感性論を「感性の諸規則一般の学」と呼んだのである。