議会と秘密特権と公共性--連帯の哲学(003)

 ハーバーマスによると、イギリスでは議会の議論の内容が公表されないことが議会の特権として認められていた。一六八一年に初めて投票の公表が承認された。アン女王から即位してから、『大英帝国政情』が議会での議論を発表するようになり、一七一六年から『歴史記録』がこれを担当するようになる。

 しかしこれらは政府の主張を優先させるものであり、『ロンドン・マガジーンズ』が議会での野党の討論について報告し始める。議会はなんども公表禁止令を更新する。このように議会が議論の内容を「発表しない」ことを特権とみなしていたのは、何とも奇妙である。もちろんこれは現在の議員特権と通じるところのある問題ではある。

 しかしこうした事態がいつまでも続くものでもない。一七七一年にウィルクスがロンドン市参事として、「議会の特権を法律的にではないが、事実上無効にすることに成功した」(ハーバーマス『公共性の構造転換』旧版、p.91)。やがて「暗記王」ウッドフォールが下院の廊下でメモもとらずに(これは禁止されていた)、毎週一六段の議会演説を採録できたために、『モーニング・クロニクル』は指導的なロンドンの日刊紙になったという。この記憶力もすごい。今の誰がそのような能力をもち、かつそのような情熱をもてるだろうか。そして今どこに、その新聞を購読したがる公衆がいるだろうか。

 いずれにしてもこの議会の議論の公表は、公共性に新たな通路を作ることになる。「議会討論の公開性は、公論にその影響力を確保し、同一の公衆の部分である議員と選挙民との間の連関を確保する」(p.114)のである。これがあって初めて、選挙民が議員に与える権限が「委任された」ものかどうか、ある選挙区から選ばれた議員が、その選挙区の有権者の意見を「代表する」べきかどうかということが問題になりうるのである。

 

バークが後にこの問題に、イギリスの文脈ではケリをつけるだろう。しかしルソーの思想をつぐフランスでは、革命後なにこれは別の文脈で重要な問題として浮上するだろう。