フッサール『論理学研究』読解(005)

■第一四節 規範学の概念。規範学に統一を与える基準または原理
□規範とは
 規範とは何かという問題を、フッサールはまず「べし」という当為の命題で考えようとする。「軍人は勇敢であるべし」(p.60)という命題が意味しているのは、勇敢な軍人だけが「善い」軍人であるということだ。「彼は軍人である」というのは事実命題であるが、「軍人は勇敢であるべし」ということは、善と悪の概念を含む価値判断の命題である。当為命題「AはBであるべし」は、「BでないAは悪しきAである」あるいは「BであるAのみが善きAである」ことを意味する。これは規範判断なのである。

□根本規範
 ところで善と悪については、さまざまな段階が考えられる。より善いものとあまり善くないものがある。こうした段階を判断することができるのは、根源的な善についての定義である。これを示すのが根本規範である。
 「根本規範は、問題になっている意味での『善いもの』および『より善いもの』の定義の相関者であり、すべての規範化はいかなる基準(基本価値)に基づいて行われるべきであるかを指示する」(p.64/45)ものである。

Die Grundnorm ist das Correlat der Definition des im frag- lichen Sinne „Guten" und „Besseren"; sie giebt an, nach welchem Grundmaße (Grundwerthe) alle Normirung zu vollziehen ist, und stellt somit im eigentlichen Sinne nicht einen normativen Satz dar.


□規範学とは
 規範学とは、こうした根本規範にかかわる学である。フッサールは次のように規定する。


 そのような定義に関して、したがって根本的な一般的価値評価に関して、あい関連する規範命題の全体を学問的に究明するという目標を立てるとすれば、規範学の理念が成立する。したがってどの規範学も、その根本規範により、つまりその学において「善いもの」として妥当すべきものの定義によって、明確に性格づけられる(p.64/46)。

Stellen wir uns das Ziel mit Beziehung auf eine derartige „Definition", also mit Beziehung auf eine fundamentale all gemeine Werthung, die Gesamtheit zusammengehöriger normativer Sätze wissenschaftlich zu erforschen, so erwächst die Idee einer normativen Disciplin.  Jede solche Disciplin ist also eindeutig charakterisirt auch ihre Grundnorm, bezw durch die Definition dessen, was in ihr als das „Gute" gelten soll.

 これにたいしてさまざまな理論的な学においては、こうした規範的なものへの関心が欠如している。こうした理論的な学のさまざまな認識の統一は、理論的な関心によって規定されているのである。

 さまざまな理論学においては、規範化という支配的関心の源泉としての根本的価値評価への、あらゆる研究のこのような中心的関心が欠けている(p.65/46)。

In den theoretischen Disciplinen entfällt hingegen diese centrale Beziehung aller Forschungen auf eine fundamentale Werthhaltung als Quelle eines herrschenden Interesses der Normirung; die Einheit ihrer Forschungen und die Zusamen ordnung ihrer Erkenntnisse wird ausschließlich durch das theoretische Interesse bestimt, welches gerichtet ist auf die Erforschung des sachlich (d. i. theoretisch, vermöge der inneren Gesetzlichkeit der Sachen) Zusamengehörigen und daher in seiner Zusam engehörigkeit auch zusamen zu Erforschenden.

 

■第一五節 規範学と技術学
□規範学と技術学の共通性と違い
 規範学はこのように価値評価を含むために、すでに定義された技術学と共通するところがある。しかし「技術学とは一般的な実用的目的の達成を根本規範とする規範学のあの特殊ケースである。このように明らかにすべての技術学はそれ自身では実用的でない規範学をすっかり包含している」(p.66/47)のである。

■第一六節 規範学の土台としての理論学
□規範学と理論学の関係
 規範学が、理論学と土台とするのは明らかである。「規範学や実用学は一切の規範化から切り離すことのできる理論的内実を所有していなければならず、しかもこの理論的内実それ自身は、すでに限定された理論であれ、あるいはこまだこれから構成されるべき理論学であれ、ともかく何らかの理論的諸学のうちにそれ自身の本来の位置を有している」(p.66/47)。

Es ist nun leicht einzusehen, daß jede normative und a fortiori jede practische Disciplin eine oder mehrere theoretische Disciplinen als Fundamente voraussetzt, in dem Sinne nämlich, daß sie einen von aller Normirung ablösbaren theoretischen Gehalt besitzen muß, der als solcher, in irgend welchen, sei es schon abgegrenzten oder noch zu constituirenden theoretischen Wissenschaften seinen natürlichen Standort hat.


 具体的に考えよう。「AはBであるべし」という規範の命題は、「BであるAのみがCという諸性質を有する」という理論的命題を含んでいる。この理論的な命題には規範の要素は含まれない。ただ事実を示すだけである。しかし同時にその命題が妥当なものとして評価された場合には、これは規範的な意味をもちうるのである。

 たとえば「勇敢であることは、負け戦のときにも狼狽せずに後退戦を戦うことができる」というのは、事実の命題である。しかしこの命題が妥当するとすぐに、それは「負け戦のときにも狼狽せずに後退戦を戦うべし」という規範に変化することができるのである。事実命題と価値命題は、それほど明確に区別できないものなのだ。「わたしは父親である」というのは事実命題である。しかしそれは同時に、「わたしは父親としての義務をはたすべきである」という規範命題を含意するものでもあるのである。