社会の登場と変貌--連帯の哲学(008)


 ハーバーマスは社会の登場と変貌を総括して次のように指摘している。
 歴史的には市民的な公共性は、「国家から分離された社会との連関の中で成立してきた。生活の再生産が一面において私的形態をとり、多面では私的領域の総体として公共的重要性を帯びてくるにつれて、〈社会〉は独立の活動圏として成立しえたのである」(ハーバーマス『公共性の構造転換』旧版、p.169)。こうして私人相互の交渉の一般的な規則が、公共の関心事となったのである。

 やがて私人たちは公権力とこの関心事をめぐって対決するようになる。そのとき、私的な素性の市民的な公共性が、「その政治的機能をふるうようになる」(p.170)。「衆として集合した私人たちは、私生活圏としての社会を政治的に公認することを公然と主題にした」のである。

 ところが一九世紀の中頃に、財産処分権と私的自律の基盤を欠く集団であるプロレタリアートが登場し、この集団は「私生活圏としての社会の存続にいかなる関心も抱きえない」(同)ことが予想されるようになる。

 「この無産者集団が市民的公衆の代わりに公共性の主規則を彼らの公共的議論の主題として取り上げるならば、もはや社会生活の再生産の私的取得の形態だけでなく、社会生活の再生産そのものが一般の関心事となる」(同)。このとき、「生産手段の社会化」というマルクスの構想によって、「政治的社会」の問題は解決されるはずである。そして公共性が真の意味で実現されるはずだった。そのとき公権力はその意味を失う。国家は廃絶されるのである。

 「いかなる階級も階級対立もないような事態になったときにのみ、社会進化はもはや政治革命であることをやめる」(マルクス、同)のである。その後に「市民と人間の同一性が現れる」(p.171)ことになるだろう。マルクスか「ユダヤ人問題」で提起した問題は、こうして解決されるはずだった。