フッサール『論理学研究』読解(008)

■第二三節 心理学主義の第三の帰結とその論駁
□第三の主張
 これまでの二つの心理学主義の主張につづく第三の主張は、「論理学的諸法則は、その認識源泉を心理学的な事実性にうちにもっているのであり、……それらは心理学的な諸事実の規範的な転用である」(p.89/69)というものである。

Hätten die logischen Gesetze ihre Erkenntnisquelle in psychologischen Thatsächlichkeiten, wären sie z. B., wie die Gegenseite gewöhnlich lehrt, normative Wendungen psychologischer Thatsachen, so müßten sie selbst einen psychologischen Gehalt besitzen und zwar in doppeltem Sinne: sie müßten Gesetze für Psychisches sein und zugleich die Existenz von Psychischem voraussetzen, bezw einschließen.



 この主張は、論理学的な法則が二重の意味で「ある心理学的な内実を所有する」ことを主張するものである。第一に論理学的な法則は、心的なものにたいする法則でなければならない。第二に、「心的なものの実在を前提または包含していなければならない」(同)。
 フッサールはこれは二重の誤謬であると指摘する。まず、「論理法則は事実問題を含まない」(p.90/69)ものである。論理法則は「心的生活の事実性につしての法則ではない」(同)。また論理法則には、「表象とか判断ないしその他の認識現象の実在を含んでいない」(同)のである。「論理法則は表象(すなわち表象作用の体験)や判断(すなわち判断作用の体験)など、心的な体験についての法則ではない」(同)のである。

Kein logisches Gesetz implicirt einen „matter of ad", auch nicht die Existenz von Vorstellungen oder Urtheilen oder sonstigen Erkenntnisphänomenen. Kein logisches Gesetz ist —nach seinem echten Sinne — ein Gesetz für Thatsächlichkeiten des psychischen Lebens, also weder für Vorstellungen (d. i. Erlebnisse des Vorstellens), noch für Urtheile (d. i. Erlebnisse des Urtheilens), noch für sonstige psychische Erlebnisse.



□経験法則と論理法則の違い
 こうした主張は、論理法則を経験法則と混同するものである。経験法則はある事実内容を所有しているものである。これは真の意味の法則ではなく「経験によればある状況のもとでは通常しかじかの共存または継起が現れるのであり、またそれらの状況次第で代償さまざまな蓋然性で期待されるということを述べているにすぎない」(p.91-92/71)。

 事実的な実在を含む法則は、経験的な法則であり、それかいかに厳密なものに思えても、たんに蓋然性が高いというにすぎない。それは論理学的な法則のようにイデア的な妥当性を所有することが本来できないものであるとフッサールは指摘する。

□精密科学の真理の性格
 たしかに物理学の法則は精密な法則のようにみえる。しかしこれは「理想化的な虚構idealisirende Fictionen」(p.92/72)にすぎない。科学者は「洞察的な思考によって経験的な個別性と一般性の領域から、必当然的な蓋然性をひきだし、これらの蓋然性を、真の法則的な性格を所有する精密な思想に還元する」(同)にすぎないのである。

 こうして確立された体系は、「事象的には事物に根拠をもつイデア的可能性として妥当しうるに過ぎ」ない(p.93/72)。だからニュートン万有引力の法則は、「広範な帰納と検証によって支援されているが、今日では自然科学者は誰も、それを絶対的に妥当な法則と解していない」(p.83/63) のである。
 
 だからライプニッツの区別を使うと、論理学の法則は「理性の真理」であり、「他の可能性はすべて排除し、それ自身は洞察的に認識された法則性として内容的にも基礎づけの面でも一切の事実から純粋に隔離されている唯一無二の真理」なのである(p.93/73)。

■第二四節 つづき
 結論をまとめと、「真理は事実ではない。すなわち時間的に規定されたものではない」(p.96/76)のである。たしかに事実について真理を語ることは可能である。あるものが存在する、ある状態が存立する、ある変化が起こると語ることはできる。これらの事実の真理はしかし、理性の真理である論理学の真理とは別の性質のものである。

 「真理そのものは一切の時間性を超越している」(同)のである。「真理に時間的存在を、生成または消滅を期するのは無意味である」。真理を語る論理学的な法則がイデア的なものとして定義された以上、これは当然の結論であろう。