ウェーバー『儒教と道教』を読む(1)

これからしばらくウェーバーの『世界宗教の経済倫理』を読んでみることにしよう。

まず第一部の『儒教道教』から。

 

 

■第一部 中国の宗教倫理
■第一章 都市、君侯、神
□中国についての問題提起
 ウェーバーは、西洋においてのみ、資本主義が本来の姿で開花した理由を、すでに『ぷたの倫理と資本主義の精神』において、西洋のプロテスタンティズムという宗教の倫理と関係づけていた。そのときに問題となるのは、西洋以外の諸地域では、資本主義はなぜ西洋におけるような形で開花しなかったのかということである。


 この疑問につき動かされたウェーバーは、西洋以外の文明、とくに四大文明のうちの中国、インド、パレスチナユダヤ)の宗教倫理について、とくに資本主義的に経済と倫理との関連に重点を置きながら考察し、それを西洋と比較しようとするのである。『宗教社会学論集』で、プロテスタンティズムの倫理の考察につづいて、ウェーバーは『世界宗教の経済倫理』という巨大な考察を展開した。その第一部が、中国を対象とした『儒教道教』である。

 この書物の第一章第一節で、ウェーバーはまず中国について、西洋と比較して中国には次の二つの特異な状況が存在することを指摘する。


 第一に、貴金属の所有量がきわめて著しく増加し、それが貨幣経済を発展させた。しかしそれは伝統主義を打破するのではなく、それが明確に「伝統主義の強化」(Steigerung des Traditionalismus) へと進んだ。そのため資本主義的な現象は発生しなかった。

 第二に、「人口の巨大な増加」(kolossale Vermehrung der Bevorkerung)が発生したが、それが経済の資本主義的形成に刺激を与えることはなく、経済の停滞的な形態(stationarer Form der Wirtschfat)と結びついた[1]。


 このようにウェーバー貨幣経済化と人口の増加という、西洋では資本主義の展開を促進した二つの条件が、中国では資本主義を展開させず、反対に「伝統主義の強化」と「経済の停滞的な形態」をもらたしことに注目する。それがどうして発生したのか、このことがこの書物を動かしている中心的な疑問である。

Wir stehen nun vor den beiden eigentümlichen Tatsachen: 1. daß die sehr starke Vermehrung des Edelmetallbesitzes zwar unverkennbar eine gewisse Verstärkung der Entwicklung zur Geldwirtschaft herbeigeführt hat, insbesondere in den Finanzen, – daß sie aber nicht mit einer Durchbrechung, sondern mit einer unverkennbaren Steigerung des Traditionalismus Hand in Hand ging, kapitalistische Erscheinungen aber, soviel ersichtlich, in keinem irgendwie greifbaren Maß herbeigeführt hat. Ferner: 2. daß eine kolossale Vermehrung der Bevölkerung (über deren Umfang noch zu sprechen sein wird) eingetreten ist, ebenfalls ohne daß dafür eine kapitalistische Formung der Wirtschaft den Anreiz gegeben oder aber ihrerseits durch sie Impulse erhalten hätte, vielmehr gleichfalls verknüpft mit (mindestens!) stationärer Form der Wirtschaft. Das bedarf der Erklärung.

[1]ウェーバー儒教道教』木全徳雄訳、創文社、15ページ。Max Weber, Gesammelte Aufsate zur Religionssoziologie II, J.C.B. Mohr, p.290.