五代より宋に至る産業の発展-- 横山俊雄「中国に於ける紙幣の発展」(2)

横山論文の二回目。産業と農業の発展が貨幣経済を刺激し、金属貨幣では足りなくなり、紙幣を生みだすことになります。

 

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第二章  五代より宋に至る産業の発展と鉄銭の発生

第一章では交子が発生する条件の一つと して信用を考え、 信用の高い金融機関の成立とその発展をみてきた。 この章では産業の発展が鉄銭が産み出しこれが交子を発生させる引き金となったことを述べる。

第一章で唐末に既に銭荒が甚だしかったこ とを説明 したが、   唐が亡び五代の分裂時代に入ると、 各国は富国強兵のため産業の発展や特産品の開発を競った。宋代に於ける産業の基礎は五代にできた。 表 (1)

貨幣の不足は産業発展を阻害したため、 銅産地をもたぬ四川等では鉄銭が造られ、 各国は自国の銅銭を守るために鉄銭を造った。 各国は銅銭を自国内にとどめ、さ らに特産品の輸出で銅銭の流入を図り、 国外への支払いはなるべく鉄銭でしようとした。 産業の発展と鉄銭の発行は同時に起こったのである。

 

 

(1) 農業の発展

産業が発展する基礎は農業の発展がまず他の先駆けとなる場合が多く 、 中国に於いても同様であった。 唐の末から農業が発展した理由は唐の前半期に於ける土地の国有化が崩れ、 土地の占有が認められたことにある。

土地を占有した農民は、 土地より利をあげようとする努力と農業技術の向上により、 2毛作あるいは2年3毛作や、 さらに新品種の採用などにより、穀物の収量が増加し都市人口を養えるようになった。

唐の税法改正は租税を金納とし、 自給自足の農民に現金収入を強いることになり、 このため農民は穀物を販売しさらに換金作物の栽培もまた盛んとなった。

(註5)

特産品の一例として、 たとえば茶の生産は寒冷地を除き、 この時代全国に広がった。 農業以外の例であるが呉越の磁器工業さらにコークスを使った製鉄も行われた。宋に於ける産業の基礎は五代にできた。   (註6)   (註7)   (表1)

宋に入ると農業も分業化され、 穀物を買う農民が増え、 また今まで自家用であった織布も手工業品として換金するようになり、 農村に商人が入ってきた。 これにともない農村にも多彩な商品の並ぶ市場が表われた。   (註8)

農村に貨幣経済が流入し、 農民も自給自足の時代から貨幣の必要な時代がやってきた。 大地主は富強となり都市に出て商工業に乗り出すようになる。

 

 

(2) 都市の発展

農業の発展は都市に於ける食料の供給源となるとともに、 農村は人口の供給源でもあった。 都市の側からみると農村の都市化が進んだともいえる。

都市もまた大きく変化した。唐の都市制度は五代のあいだに崩壊し、より自由な宋の都市が生まれた。

唐代の都市は 「坊」 、   「市」 に区切られた、 厳正で静かな政治都市であったが、五代の間に 「坊制」   「市政」 が崩れ、 宋代の都市では商業には営業の自由ができた。すなわち唐時代の都市が日没とともに「坊門」 ・ 「市門」が閉じられ、店舗も市に限られていた。 これとは異なり、 宋代になると店舗の場所も自由、 営業時間もまた自由であった。 唐の門閥貴族制度の崩壊は宋の文治政策とあいまって都市に庶民的な奢侈と繁栄がもたらされた。

宋代の大都市の華やかさ は東京夢華録等の文献に記録されている。 東京夢華録は、 深夜までにぎわう食べ物屋のある町並み、 大小5 0余軒の芝居小屋のある界隈、 大衆市場の品々、 豪勢な酒楼などを活写している。

 

宋一代、 つねに発布され続けた奢侈禁止令をみるだけでも都市の繁栄のさまがうかがえる。   (註9)

また中小都市は唐以来だんだんと発達し鎮、市、町、村となり、下位のものを吸収しながら大きくなった。   (註10)

地方都市も宋時代に入ると数も増え、 州都あるいは商工業都市さらに港湾都市などと して栄えた。

産業の変化、 都市の変化、 貨幣の変化はお互いに関連して進行した。

 

 

(3)まとめ

農業以外の産業は取り上げなかったが、 他の多くの産業の発展は都市の発展とさらに深く関連している。

以上述べたような、 農業地帯まで巻き込んだ貨幣経済の発達は銭荒 (貨幣の甚だしい不足) を深刻にした。 この銭荒を和らげようとして、五代は鉄銭を産んだこの鉄銭が交子を発生させ、 さらに交子を発展させたのである。

一章、二章を纏めると、古来中国には信用の高い金融機関があり、そのうえ劣悪な貨幣事情のもとで各種産業の大発展がおこった。 これが次の時代に紙幣を発明させたのであろう。

それではどのような段階を経て紙幣に到達したのであろうか。