宗教としての儒教--ウェーバー『儒教と道教』を読む(14)

■第五節 儒教の倫理
□宗教としての儒教
 中国には預言者は(道教を除いて)存在しなかった。個人の祈りというものがなかったからである。「儀礼にかなった古典に詳しい役人と、とりわけ皇帝が一切のはいょをし、彼らだけが一切の配慮をなしえた」[1]のである。有力な祭司層も存在しなかった。「いかなる救済説も独自の倫理も、それに自立的で宗教的な力によるいかなる独自の教育も存在しなかった」[2]。

 宗教的な意味をもっていた天地という偉大な神と、神格化された英雄の礼拝は、国事だった。「祭祀は祭司によってではなく、政治的権力の担い手自身によって営まれたのである。国家の命じた俗人宗教は、祖霊の力にたいする信仰との祭祀だけだった」[3]。そして家産官僚制的合理主義は、この状態をそのまま受け入れた。

 というのも儒教的な国家理性からは、人民に宗教が必要だったからである。中国には宗教という概念がなかった。あったのは「教」と「礼」だけである。宗教的なものは、それが呪術的な性格のものでも祭祀的な性格のものでも、すべて現世的なものであり、「正統な儒教的な中国人が祭祀を行ったのは、自身の現世的な運命のため、すなわち長寿と子供の多いことと富のため、ほんのすこしばかりの先祖自身の幸福のためであり、自己の来世の運命のためではなかった」[4]。一二世紀に朱子は、「人格的な神観念と文書の観念を決定的に消滅させた」[5]のだった。

 皇帝にたいするメシア的な希望を除くと、いかなる終末論も救済説も、総じて、超越的な価値と運命にたいするいかなる努力もなかったために、国家的な宗教政策の形態も依然として単純であった。この宗教政策は、一部は、祭祀事業の国営化であり、他の部分は、私人にとってなくてはならない昔から受け継がれた私的な行として営なまれてきた呪術的な祭祀階級を放任することであった」[6]。

 国家の祭祀は謹厳で簡素だった。、供犠と儀式的な祈りと音楽と律動的な舞踊だけだった。エクスタシーも禁欲もなく、瞑想すらなかった。「そうしたものは無秩序と非合理的な興奮の要素とみられた」[7]のである。

 公式的な儒教には、個人の祈りはなかった。「儒教が知っていたのは、儀礼の定式にすぎなかった」[8]のである。さらにプロテスタンティズムのような宗教的な資格の付与における不平等というものを知らなかったし、恩寵の地位などというものも知らなかった。倫理的には人間は原則的に平等とみなされたのである。要求されたことは誰もがなしうるものとされた。人間は善であり、「悪は外から感覚器官を通じて人間のうちに入ったのであり、資質の差異は個々人の調和的発展の差異だった」[9]。そして「各人は、もし良い国家的行政が行われてないとすれば、彼の外的ならびに内的な成功または失敗の理由をおのれみずからのうちに求めねばならなかった」[10]。

 

[1]同、242ページ。Ibid., p.431.
[2]同。
[3]同。
[4]同、245ページ。Ibid., p.433.
[5]同。
[6]同、246ページ。Ibid., p.434.
[7]同、247ページ。Ibid.
[8]同。
[9]同、248ページ。Ibid., p.435.
[10]同。