ウェーバーの誤謬--山本通「ヴェーバーの「儒教とピューリタニズム」論文に関する一考察」(6)

山本通「ヴェーバーの「儒教とピューリタニズム」論文に関する一考察」の六回目。今回も「キリスト教的禁欲の精神」と「資本主義の精神」の因果関係の証明にまつわる問題点が考察されます。

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 「禁欲的」プロテスタントは日常生活全般を規律化した。しかし,彼らの「『規律』というものの中には,道徳的行為についての一切の問題が含まれていた。そして経済行為というものも,もとよりそれらの問題の一つであるにすぎなかった(40)」という点に,我われは注意する必要がある。敬虔なピューリタンは,実際には,信者共同体への奉仕や祈りを含めた生活全体を規律化して,自らの信仰を証し,それによって神に栄光を与えようとしたのであり,経済上の成功・不成功は,彼らにとって重要な問題とは看做されなかった。


 このことは,敬虔なピューリタンが自己審査のために記した信仰日記によって,実証される(41)。まず,18世紀ウェスト・ライディングの敬虔な非国教徒ジョウゼフ・ライダーは,実際に勤勉・誠実に毛織物織元としての仕事を遂行したが,経済的成功が「地獄の底なし穴への墜落を意味する」という恐怖を抱き続けていた。彼にとっては,経営が好調であることは,宗教的義務の遂行に割く時間が失われることを意味するので,かえって危険であった。だから彼は,適度なmoderate 労働こそを理想とした(42)。


 また,17世紀ロンドンの敬虔なピューリタン木工職人ネヘマイア・ウォリントンも,勤勉をあまり良いことだとは看做さなかった。彼は時間の大切さを説いたが,それは長時間働いて利益を得るためではなく,より多くの時間を聖書研究や祈りに割くためであった。そして彼は「早起きして夜遅くまで働き,非常に勤勉で注意深く,あらゆる手段を使ってすべてのビジネスチャンスを捉えようとする人は,勤勉な聖徒ではない。むしろ世俗的に賢い人というべきだ」と明言している(43)。


 さらに,ピューリタンの一翼を担うクエイカーの場合には,指導者たちの教導書の中にも,教団の公式の『質問と忠告』書の中にも,「職業における勤勉」を勧める言説が,そもそも見当たらない。クエイカー派の指導者が教えたのは,誠実と正直,経済活動にける節度,そして簡素な生活と慈善なのであった(44)。


 したがって,ピューリタンが「営利機械」として財産に奉仕しなければならないと自覚したとか,「神の栄光のために財産を維持し,不断の労働によって増加しなければならないという責任感をもった」などというヴェーバーの言説は(45),いずれも史実に反する空論である。ヴェーバーは「禁欲的」プロテスタントの世俗内禁欲が「資本主義の精神」の母体であるという結論を導き出そうと思うあまり,先入観によって曇った目で,実在しない因果関係を史料から読みとってしまったのである。


 「禁欲的」プロテスタントの職業倫理と「資本主義の精神」を結び付ける議論の第三段階を,ヴェーバーはメソディズム運動の指導者ジョン・ウェズリの説教「メソディズム論」の一文を根拠として,主張する。確かにこの説教の中でウェズリは「宗教はどうしても勤労と節約を生み出すことになるし,また,この二つは富をもたらす他はない。しかし,富が増すとともに,高慢や怒り,またあらゆる形で現世への愛着も増してくる。……こうして宗教の形は残るけれども,精神は次第に消えていく」と述べている。


 この発言は,ヴェーバーの第三段階の議論を完璧に実証するものに見える。しかし,これは事実を踏まえた発言なのだろうか。答えは「否」である。ウェズリはカリスマ性のある有能で精力的な伝道者であるばかりでなく,優れた組織者でもあった。彼は信仰復興運度の初期に作ったバンド組織とは別に,20名程度の信者から成る相互監視組織である「クラス・ミーティング」を1742年以後設立して,信者のキリスト教倫理からの逸脱を阻止した。ウェズリ派メソディストの正式会員数は18世紀中ごろから19世紀に至るまで増加を続け, 1861年には50万人名を超えた。19世紀の最初の40年間のメソディスト信者のうちで労働者階級に属する者の割合は,9割に達した。したがってメソディスト派に帰依した信者が階級上昇を果たすという傾向は,一般的ではなかったのだ(46)。


 このような史実を踏まえてみれば,先のウェズリの説教の一文は,メソディズム運動の実情を憂える発言ではなく,単に宗教運動が持つ一般的危険性を想像して指摘したものにすぎなかったことがわかる(47)。ヴェーバーは,自説にとってあまりに好都合な史料を入手したために,その言説の裏付けを確認する作業を怠ったのである。


 以上のように,「資本主義の精神」と「キリスト教的禁欲の精神」という二つのエートスの間には,類似性や適合的親和関係が存在するけれども,ヴェーバーが言うような,後者が前者を生み出したという因果関係は存在しないのである。それでは,「資本主義の精神」はどこから生まれたのだろうか。これに答えるのは難しいが,さしあたって,次のことを指摘しておきたい。ヴェーバーはその原型を理神論者であるベンジャミン・フランクリンの諸著作の中に見た。そこで,フランクリンが理神論者を自認していることを念頭において,理神論の先駆である17世紀末イングランドの「自然宗教」の神学者に眼を向ければ,我われはその「資本主義の精神」の先駆を,ジョン・ウィルキンズやその他の「ニュートン主義者」の説教の中に見つけることが出来るのである(48)。ただし,この問題についての詳しい究明は,別稿に譲りたい。
 以上,我われは,ヴェーバーの「儒教とピューリタニズム」論文およびその前提に関して,我われが継承するべきではない幾つかの論点を指摘し,解説してきた。次には,我われがヴェーバーから(若干の留保を付けつつも)継承するべき貴重な着想,方法,論点を指摘しよう。これはつまり,ヴェーバーの宗教社会学的業績が古典としての価値をもつ理由を析出する作業でもある。

(40)Tawney, R. H., Religion and the Rise of Capitalism, London, 1926,出口勇蔵・越智武臣訳,『宗教と資本主義の興隆』岩波文庫(以下,トーニー『興隆』と略記)下巻,119頁。
(41)Seaver, P., Wallington’s World, Stanford, Ca., U.S.A.1985 ; Jacob M. and Cadane, ‘Missing, Now Found :Weber’s Protestant Capitalist’ in American Historical Review, vol. 108, no. 1, Feb. 2003. なお,これらを紹介したものとして,山本通「M・ヴェーバーの『倫理』テーゼを修正する(下)」『商経論叢』第40巻2号,2004年,を見よ。
(42)Jacob M. and Cadane, op. cit., p. 36.
(43)Seaver, P., op. cit., p. 126.
(44)山本通『近代英国実業家たちの世界:資本主義とクエイカー派』同文舘,1994年,第三章を参照せよ。
(45)ヴェーバー『倫理』,339頁。
(46)Gilbert, A. D., Religion and Society in Industrial England : church, chapel and social change 1740―1914,London, 1976, pp. 30~32.
(47)岸田紀『ジョン・ウェズリ研究』ミネルヴァ書房,1977年,第一章を参照せよ。
(48)山本通「ヴェーバー『倫理』論文における理念型の検討」,前掲,82~83頁。