道教と儒教--ウェーバー『儒教と道教』を読む(16)

■第六章 異端学説
□隠退
 儒教は民間宗教と対立したが、これを合理化することはできず放置した。中国ではこうした民間宗教が国家の正式な教義である儒教と対立しながら生き延びた。その第一のありかたは隠退であった。現世からの隠退だけが「思索と神秘的な感覚とのための余暇と気力を作りだした」[1]のである。


 これは救済願望と結びついていた。「古代の隠者たちの救済目的は、たんに一、長寿法的、二、呪術的傾向のものにすぎない」[2]。これが徹底されると、「絶対的な世事への無関心」[3]が生まれる。そして「肉体を投げ捨てる」こと、「生きていないかのようにふるまうこと」[4]が求められる。

道教
 老子道教は、儒教の中庸を批判し、虚無や無為や不言を理想とした。これは神秘主義である。「儒教の教義によれば、礼、つまり儀式の規則と祭儀は中の産出のための手段である。神秘家たちの見解によれば、そうしたものはまったく無価値だった。あたかも無心であるかのようにふるまい、そうすることによって心を官能から解放すること、それが独力で道士の力に至りうる精神的態度であった」[5]。


 「道」の概念は儒教的なものだった。「宇宙の永遠の秩序であり、同時にまたこの運行そのものであった」[6]。老子はこの道を「神秘主義者の典型的な神追求に関連させた。それは唯一の不変な、それゆえに絶対的に価値のあるものであり、秩序であるとともに、産出的な実在根拠でも、あらゆる存在の永遠な原型の総体でもある」[7]。


 これは神的な唯一者であり、人間は無為においてのみ、これとかかわることができると考えるのである。孔子とその弟子もこの道の観念を受け入れていた。しかし彼らは神秘主義者にはならなかった。これを追求すると、現世内的な価値は無意味なものとなってしまう。「世俗的な徳は、自身の救済から逸らせるものとして、所詮は危険だった」[8]。


 儒教的な徳は、「道という神秘的な原理との神秘的な合一の達成にとって、益がない」[9]のである。老子にとっては「儒教的な徳によって維持される世界は、もっとも低い段階にあった」[10]。


 この老子の理想は、儒教からは「利己主義」にみえる。「この老子の救済神秘主義は、徹底的に実行されるならば、ただ自己の救済だけを求めえた」[11]のであり、他人には範例として示しうるだけだった。それは「原則的な非政治的態度」[12]を論理的に帰結するのである。

□肉欲についての老子儒教の教え
 儒教でも、肉欲だけにこだわる人は君子たりえない小人とみさなれた。しかし儒教ではそれを「裕福な生活状態の創造と、上からの教育によってこのあさましい状態が引き上げられるのを期待した。というのも、徳そのものは誰でも手に入れることができるものだったからである」[13]。


 これにたいして神秘主義である老子にとっては、神秘的な悟りをえた人と世俗の人の違いは、「カリスマ的な素質の違い」[14]であった。ここにすべての神秘主義に内在する救済貴族主義と恩寵個別主義が、すなわち人間の宗教的な資格の違いが現れる。

荘子による儒教批判
 荘子老子の主張をさらに根底的にして、儒教の好むものを「癖」として次のように批判した。
 悟性癖は、外的なものを好む性癖である。
 理性癖は、音響(言葉)への性癖である。
 人間愛(仁)は、日常の徳の修練の混乱のことである。
 義務遂行癖(義)は、自然法則(道の全能)に背くことである。
 規則(礼)癖は、外面性への性癖である。
 音楽は、悪習への性癖である。
 神聖癖は、技巧の弄しすぎ癖である。
 知識(智)癖は、詮索への癖である[15]。
 儒教では、礼、智、仁、義を重視したので、荘子はこれをターゲットにしたのである。

道教の倫理
 道教儒教よりも伝統主義的だった。「完全に呪術的な傾向のある救済技術からは、これ以外のことは期待できなかった。この球剤技術を行う呪術師は、伝統と伝来の神々の畏怖に、じかにその経済的な生存全体をかけて、関係していたからである」[16]。


 道教から、世俗内的あるいは世俗外的な合理的な生活方法に到達する道はなかった。「むしろ道教の呪術は、このような合理的な生活方法論の成立にたいするもっとも容易ならぬ障害の一つ」[17]だった。儒教は正と不正の対比のもとに、君子の良心に期待したが、道教は浄と不浄の対比のもとに、命令の履行による個人的な利益を期待した。さらに道教徒は、「不死と来世の罰と報いに関心をもっていたが、儒教徒と同じように、現在の中に生きることを志向していた」[18]のである。

 


[1]同、297ページ。Ibid., p.463.
[2]同。
[3]同、298ページ。Ibid., p.464.
[4]同、299ページ。Ibid., p.465.
[5]同。
[6]同、302ページ。Ibid., p.467.
[7]同。
[8]同、304ページ。Ibid., p.468.
[9]同、306ページ。Ibid.
[10]同、304ページ。Ibid., p.468.
[11]同、307ページ。Ibid., p.470.
[12]同。
[13]同、311ページ。Ibid., p.472.
[14]同。
[15]同、315ページ。Ibid., p.474.
[16]同、336ページ。Ibid., p.489.
[17]同、337ページ。Ibid., p.490.
[18]同。