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橋本努「二一世紀最初の政治思想――ヒンメルファーブとシュトラウス」

 

 

「二一世紀最初の政治思想――ヒンメルファーブとシュトラウス

『創文』2006年6月号(No.487)所収

橋本努

 

橋本努「二一世紀最初の政治思想――ヒンメルファーブとシュトラウス」

 

二 〇〇三年四月、アメリカ政府は「大量破壊兵器の脅威を取り除くために」と称してイラクフセイン政権を倒す軍事行動に出た。フセイン政権はその約一か月後 に崩壊したものの、その後統治の空白状態が生じたイラクではテロ行為がいまなお相次いでいる。ウィキペディアの情報によると、二〇〇六年四月三〇日現在、 イラク戦争で命を落とした人の数は、イラクの民間人:約一〇万千人、アメリカ軍兵士:二千四百一人(負傷者は一万七千六百五十七人)、アメリカ以外の国の 兵士:二百十七人、イラク以外の民間人:五百六十八人、と報告されている。大量破壊兵器の存在が事前に確証されなかったことを省みれば、この戦争は最初か ら誤りであったことは明白であろう。ところが人間の過ちは、それを糊塗するためにさらなる過ちを導くものだ。最近になって新聞各社は、アメリカが今度はイ ラクの隣国イランを空爆する計画があることを伝えている(二〇〇六年二月)。独裁政権の保有する核兵器を破壊するために、アメリカは次なる軍事行動を厭わ ないというのである。アフガニスタンイラクに続いて、イランもまたアメリカの軍事力によって民主化されるとすれば、これはアメリカ帝国の出現と言うべき であろう。テロ事件後のアメリカの軍事的対応をもって「第4次世界大戦」と呼ぶ人もいるが、はたしてその企てはいかなる世界秩序を帰結するのであろうか。

  この問題を考えるとき、私たちは「新保守主義ネオコン)」のイデオロギー的検討を迫られる。アメリカが好戦的な態度でもって世界覇権を目指す背後には、 新保守主義を信奉する人たちの強力な政治勢力があるからである。歴史的にみると、この思想は一九六〇年代後半のアメリカにおいて形成され、七〇年代以降、 次第に影響力を増してきた。そして現在、新保守主義の思想は、共和党と民主党の両党を横断しつつ、アメリカのエリートたちに固有の信念となりつつある。ア メリカにおける新保守主義は、今日では「アカデミアの集会所からペンタゴンの集会所まで、ほとんどすべてのレベルの文化に浸透」しており、「新保守主義者 たちは、自分たちが考えていることを、電波を通じて大衆へ、またカクテルを通じて政府高官へ、それぞれ伝えるために必要な手段を財政的にも専門的にも蓄積 してきた」(『ニューヨーク・タイムズ』)。このいわば「エリート・ゲリラ戦術」とでも呼ぶべき思想がイラク攻撃を鼓舞したとすれば、私たちはその威力を深刻に受けとめねばならないだろう。

と ころが現代の思想状況を俯瞰してみるとき、どうも人々は、新保守主義の思想を軽く受けとめているようにみえて仕方ない。例えば新保守主義は、テロ事件後に 台頭してきた短視眼的軍事主義ではないかとみなされている。あるいは、一部の政治家たちの陰謀にすぎないとも言われる。またこの思想は、「新自由主義=市 場万能主義の思想に、軍事主義を加えたもの」とみなされることもある。だがこうした理解はいずれも誤りだ。新保守主義の思想は抗いがたい実効性をもつがゆ えに、真正面から批判されず、かえって茶化されてしまうのではないだろうか。私たちがこの思想を冷笑的にしか受けとめないとすれば、それは恐れるべき無思 考性を露呈しよう。新保守主義の思想は、すでに主要な先進国において支配的となりつつある。この思想は将来の日本を方向づけるイデオロギーとしても有力で ある[1]。私たちはこの思想に対して、いかなる態度を採りうるのだろうか。アメリカ主導の帝国形成に対する思想的批判は、新保守主義に対する根源的な検討を必要としている。

保守主義の思想といえば、日本ではレオ・シュトラウスの邦訳書、例えば『自然権と歴史』、『古典的政治的合理主義の再生』、『ホッブズの政治哲学』などと ともに知られていよう。しかしシュトラウス新保守主義の関係を検討した研究論文は、実はまだ著されていない。また新保守主義ゴッドファーザーとよばれ るI・クリストルの著作は、一冊[しか]翻訳されておらず、ブッシュ政権の福祉政策の思想的バイブルとされる『貧 困と思いやり』の著者、ガートルード・ヒンメルファーブの著作群も依然として翻訳がない。このうち、I・クリストルは骨のない思想家であると無視するとし ても、ヒンメルファーブとシュトラウスは、現代の新保守主義を代表する思想家である。二人はいわゆるアメリカニズムの価値観を否定して、独自の思想体系を 紡ぎ出すことに成功している。ヒンメルファーブは国内政策の理念、シュトラウスは対外政策の理念をそれぞれ代表しており、新保守主義は現在、この二人の思 想を中核としてさまざまな知を綜合しつつある。例えば、ベルやリプセットに影響を受けた現代の公共哲学、サンデルやエッツィオーニやテイラーなどの共同体 主義、デュルケームに影響を受けた社会学諸派新自由主義を道徳的観点から包摂する「第三の道」派、経済成長による福祉の底上げを期待する経済プラグマ ティズム、マルクス主義から批判的実在論を経てアリストテレス主義に向かった現代の左派、等々の潮流である。

ま た新保守主義の思想は、これをハンナ・アーレントの正当な継承として理解することもできる。アーレントはドイツからの亡命知識人として、二〇世紀中葉の ニューヨークを舞台に活躍した左派の思想家である。その思想は現時点からみると、マルクス主義から新保守主義への思想的転換を用意した。例えば、ナチス・ ドイツとソビエト共産主義をともに「全体主義」として批判したアーレントの思想は、冷戦期における反共主義と呼応して、新保守主義者たちに受け入れられて いる。さらに次のようなアーレントの主張は、すべて新保守主義の理念に継承されている。すなわち、アメリカ独立革命こそ近代における最も正当な平和的革命 であるとする見解、「権力からの自由」よりも「正当な権力を創生すること」への関心、体系的書物の執筆よりも演劇的- 政治的なパフォーマンス(活動)を評価する態度、教育における人種分離政策の支持、生命を配慮する福祉国家を非公共的なものとして批判する見解、エリート たちの高貴な精神にもとづく支配体制の確立、等々である。アーレントの思想は、共産主義とアメリカのリベラル文化の両方に対抗する拠点として、新保守主義 の揺籃期を守ったと言うことができよう。

  こうして、さまざまな諸学を綜合する新保守主義は、まさに現代のアメリカ帝国を突き動かす理念的な動因となっており、二一世紀最初の政治思想と呼ぶにふさ わしい。例えばシュトラウスの場合、彼は同時代の流行政治学、すなわち実証主義の政治科学にはまったく背を向けて、ひたすら哲学の地底に身を潜めてきた。 シュトラウスナチス・ドイツを逃れてアメリカに亡命したユダヤ系の政治哲学者である。彼は、三八歳(現在の筆者の年齢)でアメリカに渡り、ニュー・ス クールで一〇年間、シカゴ大学で二〇年間それぞれ教えている。とくにシカゴ大学では五〇年代と六〇年代において、アメリカのエリート教養教育の確立に努め てきた。シュトラウスの講義は訓古学的なテキスト読解に徹していたが、しかし彼の下で学んだ弟子たちは、その後シュトラウス学派を形成し、アメリカの学界 と政治界に大きな影響力を及ぼしていった[2]。 例えば、ブッシュ政権国防省次官を務めたウォルフォヴィッツは、学部時代はコーネル大学アラン・ブルームの下で学び、大学院ではシカゴ大学のレオ・ シュトラウスに師事している。ウォルフォヴィッツイラク攻撃を推進した張本人である。二〇世紀半ばの静謐なシュトラウスの思想が、二一世紀になってウォ ルフォヴィッツのような弟子たちを通じてイラク攻撃を導いたとすれば、これは現代思想上の一大スキャンダルと言わねばならない。

な るほどシュトラウス本人は、世界民主化のための戦争を正当化するようなことを述べていない。しかしシュトラウスは次の二つの点で、イラク攻撃への支持理由 を与えたと言えるのではないか。第一に、「もしシュトラウスであれば、イラク攻撃に賛成したか」と問うとき、その答えはおそらく「公式にはノーコメント、 非公式にはイエス」となるであろう。第二に、「シュトラウスを読んでその思想に共鳴した人は、イラク攻撃に賛成するか」と問うとき、その答えは「イエス」 となる蓋然性が高いだろう。シュトラウスは、たんに古典哲学に造詣の深い文人なのではない。もし私たちが彼をそのように尊敬するとすれば、それはシュトラ ウスに対して失礼であるだけでなく、彼の哲学に対する無理解を露呈するだけである。というのもシュトラウスは、自らの思想を「公儀」と「秘儀」に分けてお り、彼の企てる古典哲学への回帰は公儀にすぎないからである。例えば、シュトラウスの主著とされる『自然権と歴史』は、近代思想における美徳の衰退を批判 して、古典古代の哲学的生に回帰することを「公民的な生き方」として理想視する。しかしこの著作全体は、シュトラウスの「入門書=公儀」にすぎない。新保 守主義のコアとなる思想を理解するためには、その秘儀を別の著作から読み解かねばならない。

 ではシュトラウスの秘儀とは何か。私には一つの読みがある。しかしその読解は別の機会(『RATIO』第2号に予定)に譲るとして、以下では新保守主義のもう一人の思想家、ヒンメルファーブについて紹介したい。

ヒンメルファーブはI・クリストルの妻であり、ニューヨーク市立大学で教鞭をとってきた著名な歴史思想家である。思想家としては夫のクリストルよりも数段高く評価されてしかるべきであろう。彼女はこれまで、次のような著作を著してきた。『アクトン卿』(1952)、 『ヴィクトリア時代の精神』(1968)、『自由と自由主義:J・S・ミルの場合』(1974)、『貧困の概念:初期産業時代のイギリス』(1984)、 『貧困と思いやり:後期ヴィクトリア時代の道徳的想像力』(1991)、『脱道徳化の時代:ヴィクトリア時代の道徳から道徳的諸価値へ』(1995)、 『一つの国家、二つの文化』(1999)、『近代へ至る複数の道』(2004)、などである。いずれも水準の高い著作であり、とりわけ『貧困の概念』はか なりの大著で、歴史研究の古典となっている。私たちは彼女の思想を検討することなしに、新保守主義の思想を乗り越えることはできないであろう。ヒンメル ファーブは例えばハイエクと同様に、アクトンやミルの思想を研究しつつ、イギリス啓蒙思想の伝統に深く身を置いてきた。しかしハイエクとは異なり、彼女は 福祉国家の新たな理念をイギリス思想史のなかに見出している。例えばアダム・スミスやシャフツベリーにおいて「同感」とならぶ重要な道徳感情とされる「思 いやり(compassion)」を、一九世紀後半の後期ヴィクトリア期の慈善運動へと結びつけ、これを現代の福祉政策のビジョンに生かしている。クリン トン政権における「新しいパターナリズム」政策(市民としての社会奉仕義務を課す福祉給付)や、ブッシュ政権における「チャリタブル・チョイス」政策(福 祉プログラムの宗教団体への委託)は、このヒンメルファーブの描く「思いやり」概念を思想的基礎とするものであろう。ここで「思いやり」とは、極端に貧し い逆境生活を強いられている人々の状態に手を差し伸べる際の感情であり、共に苦しむという「共苦」の感情である。「受苦の連帯感情」といってもいい。こう した意義深い思想理念を掘り起こして、これを現実の政策に結びつけていく点にヒンメルファーブの魅力がある。

 二一世紀の政治思想は、すでにヒンメルファーブとシュトラウスによって開始されている。私たちはこの二人によって、時代の駆動因を得ているように思われる。

 

(はしもと・つとむ/北海道大学大学院経済学研究科助教授/経済・政治思想)

 

 

 

[1] 「二〇、三〇代国会議員調査にみる:日本が『ネオコン』化する」『AERA』二〇〇三年六月十六日号、を参照。

[2] シュトラウス学派は学界と政界に二百人程度いるのではないかと言われている。ワシントン で活躍するシュトラウス主義者として、例えば、ジョン・アグレスト(国家人道寄付機関の議長)、ウィリアム・アレン(合衆国市民権委員会の議長)、ジョセ フ・ベセッテ(法統計機関の長官)、マーク・ブリッツ(合衆国情報機関の副長官)、デビッド・エプステイン(国防省勤務)、チャールズ・フェアバンクス (国務省の人権補佐官)、ロバート・ゴールドウィン(フォード会長の特別顧問)などがいる。