「ソシアビリテ」という用語は二宮宏之の手によって日本の歴史学界で知名度を得た。しかしこの言葉を歴史学に導入した近代史家モーリス・アギュロンのことは、わが国ではフランス史の専門家を除くとあまり知られていない。

モーリス・アギュロンは1926年12月20日、南仏ガール県に生まれた。1946年にリヨンの高校を卒業し、パリの高等師範学校エコール・ノルマル・シュペリウール)へ入学。1950年に高等教員資格(アグレガシオン)を取得した。

同時にアギュロンはフランス共産党に入党し、政治活動に没頭する。マルクス主義者としてエルネスト・ラブルース教授の指導下で研究をつづけ、第二共和政下の南仏における社会運動について論文を発表した。

ア ギュロンの博論は1966年、「南仏的なる社会的結合関係(La Sociabilité méridionale)」という表題で出版された。人間同士が結びあう社交関係のあり方を意味する「ソシアビリテ(社会的結合関係)」という概念を歴史 学に導入した記念碑的なこの論文で、アギュロンはアンシャン・レジーム下の南仏における悔悛苦行兄弟団とフリーメイソンという代表的なアソシアシオン(自 発的社交結社)の活動を検討した。

1969年にはパリ大学ソルボンヌ校より国家博士号を取得。これによりマルセイユにあるプロヴァンス大学教授となった。72年にはパリ大学パンテオン=ソルボンヌ校教授、86年にはフランス知識人界の最高権威の一つであるコレージュ・ド・フランスの教授となった。

この間、アギュロンは政治文化史に接近する。フランス共和国の象徴「マリアンヌ」の表象をテーマに、『闘うマリアンヌ:1789~1880』(1979年)、『権力を握ったマリアンヌ:1880~1914』(1989年)、『マリアンヌの変容:1914~現代』の通称「マリアンヌ三部作」を上梓したのである。これをもってアギュロンは「アナール学派」のメンバーに位置づけられることもある。

ア ギュロンが生涯の最後に取り組んだテーマはシャルル・ド・ゴールである。アギュロンはよき共産主義者である前によき共和主義者であり、また愛国者だった。 2014年5月28日死去。時代とともに生きた歴史家だった。アギュロンの遺したテーマは今もなおアクチュアルであり続けているのだ。