「ナロードニキ主義の経済学的な内容とストルーヴェ氏の著書におけるその批判」--レーニンを読む(004)


■「ナロードニキ主義の経済学的な内容とストルーヴェ氏の著書におけるその批判」(004)--全集第一巻(350-546)
 この論文は1894年の秋にペテルブルクのマルクス主義サークルで発表されたものであり、当時注目を集めていた「合法マルクス主義者」を批判したものである。彼らはナロードニキ主義を批判していたが、階級闘争の理論を無視して、資本主義的な制度を称賛するという方向に進んでいた。


 「合法マルクス主義」はマルクスの理論に依拠するかぎりで、そしてナロードニキ主義を批判するかぎりで、妥当な主張であるが、重要な欠点がある。レーニンの批判する第一の欠点は、それが客観主義的なことであり、唯物論階級闘争の理論も無視することである。「客観主義者は所与の歴史的過程の必然性について語るが、唯物論者は所与の経済的社会構成体と、それによって生み出される敵対的関係とを精密に確認する。客観主義者は所与の一連の事実の必然性を論証しながら、つねにそれらの事実の弁護論者の見地に転落する恐れをもっているが、唯物論者は階級的矛盾を暴露するとともに、そのことによって自分の見地を確定する」(431)のである。


 あるいは「唯物論者は過程の必然性を指摘するだけにとどまらず、どんな経済的社会構成体がこの過程に内容を与えているか、どんな階級がこの必然性を規定しているかを明らかにする」(同)のである。


 さらに理論的な内容の欠点としては、一)「ロシアの資本主義を現在のものとしてではなく、なにか将来のものとしてみる」こと(534)、二)「農民の零落を資本主義のせいにしないで、[マルサス主義の]人口増加のせいにしている」こと(535)、三)資本家が個人的消費を目的としていて、剰余価値の蓄積を目的としていないかのような幼稚な意見」(537)を語ることなどがあげられる。