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レーニンの1895年のアジテーション文書(1)--レーニンを読む(005)

 

■レーニンの1895年のアジテーション文書
レーニンは1895年2月18日か19日にペテルブルクで開催されたロシアの諸都市の社会民主主義代表者会議に、ペテルブルク代表として出席した。
 4月25日には、「労働解放」団と相談の上で、西ヨーロッパの労働運動の調査のために出国。スイスでプレハーノフに会う。また国外で論集『ラボートニク』を刊行することで話しがまとまる。今後しばらくはレーニンの文章は、これに掲載されることが多い。スイスに3週間ほど滞在。
 5月にはパリに滞在。ラファルグと知り合いになる。
 7月にベルリンの図書館で文献調査。リーブネクヒトと会う。
 9月に帰国する。多数のマルクス主義文献を二重底の旅行鞄に隠して持ち込む。
 秋のうちにペテルブルクで「労働者階級解放闘争同盟」を設立。

■「ソーントン工場の労働者に与える」(004)--大月版全集(P.67-72)
 新たに設立した「闘争同盟」が、ソーントン工場で500名の織物労働者を組織してストライキを開始。工場主が、商品の販売が思わしくないために、織物工の賃金率を引き下げる措置を採用したためである。レーニンは後に『ラボートニク』に発表されるこのパンフレットでは、工場の他の労働者にたいして、工場主が「すでに織物工のために作ってやったのと同じ未来を、工場の全部の職場の労働者のためにもそろそろ用意しようとしている」(68)と指摘し、「われわれの織物工のまわりに一致団結しよう。われわれの共通の要求を掲げよう」(同)と呼び掛ける。

■「工場で労働者から徴収される罰金にかんする法律の説明」(005)--大月版全集第二巻(p.13-57)
 このパンフレットでレーニンは、労働者にたいして工場主が罰金を課すことについて規制した法律を解説し、この法律を盾にとって工場主に抵抗する方法などを、労働者に教えている。さらに政府は労働者を守るためではく、工場主を守るるためにこの法律を作っていることを明らかにする。「法律は、疎漏な労働者から工場主を守るだけであって、あまりにも貪欲な工場主から労働者を守ってくれない」(32)と指摘し、この法律の規定を利用して工場主に抵抗するだけでなく、「法律のさだめた不等な制度と闘争する」(57)ことが必要であり、そのためにも「賃金をめぐって、また、もっとよい生活条件をもとめて工場主と闘争するために一つに団結すること」(55)を訴える。
 この訴えによって、ロシアの労働運動は団結して政治闘争に進み始めることになる。レーニンたちはこの路線を推進するために、社会民主党の設立が必要であることを痛感し、そのためにも非合法の新聞『ラボーチェ・デーロ』の創刊が決定された。