レーニンの1895年のアジテーション文書(2)--レーニンを読む(006)


■「わが大臣たちは何を考えているのか」(006)--大月版全集第二巻(p.73-76)
 この文章は『ラボーチェ・デーロ』の創刊号に掲載されたものであり、内務大臣が宗務院検事局長に送った書簡で、日曜学校にオルグが送れ込まれていると指摘したことを明らかにした。大臣は学生たちにマルクス主義の理論が教えられることを恐れているのである。


 レーニンはこれを逆手にとって、政府が恐れているのは労働者が知識をもつことであると指摘する。そして「知識をもたなければ労働者は身を守る手段がなく、知識をもてば力となる」(76)と指摘する。

■「中学校経営と懲治中学校」(007)--大月版全集第二巻(p.58-65)
 ナロードニキたちは、「資本主義の道から去り、生産を〈ミール化〉しなければならない」(58)と主張していた。そのための一つの手段としてナロードニキのユジャコフ氏は、「全人民的義務中等教育計画」という副題のついた論文「啓蒙ユートピア」を発表した。レーニンはこの計画が実現された場合には、ロシアの農民の半ばがこの学校に入れられ、その生徒から徴兵が行われる可能性が高いことを指摘する。


 レーニンは、ときおりマルクス主義者の記述を掲載することのあったサマラの地方紙にこの論文を掲載し、このユートピアが実現されるならば、「自由雇用労働は駆逐され、無償の義務教育に席を譲る」(64)ことになるだろうと指摘する。

■「フリードリヒ・エンゲルス」(008)--大月版全集第二巻(P.3-12)
 エンゲルスは1895年8月5日にロンドンで死去した。レーニンはその死を悼んで、この文章を『ラボートニク』第一号と第二号の掲載した。この文章でレーニンは、「エンゲルスは、プロレタリアートが苦難する階級であるだけにとどまらないこと、プロレタリアートが置かれている恥ずべき経済的地位そのものが、逆らい難い力で彼等を前へ推し進め、自己の終局的解放のために戦わせるということを、最初に語った人であった」(7)と称賛する。


 レーニンはエンゲルスの功績をたたえるために、彼のいくつかの仕事を高く評価しながら紹介する。まずエンゲルスの『イギリスにおける労働者階級の状態』は、「資本主義とブルジョワジーにたいするおそるべき告発状であった」(7)と称賛する。さらにエンゲルスは「もっとも一般的な科学上の問題で、過去および現在の各種の現象を、唯物史観マルクスの経済理論との精神に即して説き明かした」(9)ことを指摘する。そして「マルクスの死後は、エンゲルスは一人で、ひきつづきヨーロッパの社会主義者の相談役また指導者であった」(11)と指摘しながら、ヨーロッパの社会主義者たちはエンゲルスから多くのことを学んだと語っている。

 

 レーニンのマルクス主義は、自然の唯物論を含めて、エンゲルスから継承したところが多いことを指摘しておこう。