ベルクソンの「笑い」(1900年)--20世紀の思想と芸術

1900年にコレージュ・ド・フランスの教授に就任したベルクソンは「笑い」をこの年に刊行。笑いは社会的な制裁だと考える。哲学者が笑いについて考察するのはユニークであり、もちだす実例も面白く、大きな評判になった。

 

引用はhttp://semi.natura-humana.net/2006/ss/warai.htmlから。

 

「人間的事物の生ける継続の中に、我々が時に、侵入者のように見つけ出すこわばったか
らくり仕掛けは、我々にとって全く特殊な利害を有している。それは生の一つの放心のよ
うなものだからである。もし事件が絶えずその自らの行程に注意深くありえていたならば、
奇遇もなければ、めぐり合いもなく、どうどうめぐりもないであろう。すべてが前へ前へ
と展開して、どこまでも進歩してゆくことであろう。そして、もし人たちがいつも生に対
して注意深くあったとしたならば、もし我々がいつも他人とまた我々自身と絶えず接触を
保っていたならば、決して我々の中にばねや操り糸によって出来するように見えるものは
何もないであろう。おかしみは人が物に似てくる人のもつあの面であり、全く特殊な一種
のこわばりによって、ピンからキリまでの機会仕掛け、自動現象、つまり生のない運動を
真似する人間的出来事のあの様相である。だから、それは焦眉の共生を促す個人的あるい
は集団的の不完全性を現すものである。笑いはこの矯正そのものである。笑は人間ならび
に事件の或る特殊な放心を指摘し阻止する一種の社会的身振りである」