シュニッツラー、「グストル大尉」を発表(1900)--20世紀の思想と芸術

 シュニッツラーは、名誉心に駆られて決闘を申し込んだが、臆病心にとりつかれて逃げ出した大尉の話を発表した。シュニッツラーは予備軍の将校だったため、すぐに軍法会議にかけられ、免職処分になる。
 この当時のオーストリア=ハンガリー帝国の軍隊では、将校は名誉にかかわる問題は決闘で解決することが求められていた。将校が決闘で一般市民を殺害しても、罪は免じられた。「1900年、仲のよい二人の将校が冗談に決闘の約束をしたところ、仲間の将校たちから実行を強要され、片方が死亡した。同じ年、ささいな侮辱をめぐる決闘に応じなかった将校が降格された」(W・M・ジョンストン『ウィーン精神』上巻、みすず書房、80ページ)。
 「フランツ・ヨーゼフ皇帝は1911年に布告を発し、将校たちは今後、決闘を申し込む義務も、これに応じる義務もなく、重大な理由がある場合を除いて決闘は禁止された」(同、81ページ)。

 

 

アルトゥル・シュニッツラー(Arthur Schnitzler, 1862年5月15日 - 1931年10月21日)は、オーストリアの医師、小説家劇作家アルトゥーア・シュニッツラーとも表記される。ユダヤ系だがキリスト教徒である。

フランス文学の影響下にあった青年ウィーン(若きウィーン、Jung Wien)の一員。憂愁・繊細美を特徴とするといわれるウィーン世紀末文化の雰囲気を基調に、鋭い心理分析と、洗練された印象主義的技法によって恋愛と死を描写した。新ロマン主義の中でも最も有能な人物の一人である。

代表作は、『アナトール』『輪舞』など。

 

 

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