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ドイツ艦隊法の発布(1900)--20世紀の思想と芸術

ドイツ、イギリスに匹敵する艦隊を建造することを定めた第二次艦隊法を発布。ドイツの帝国主義化が着実に進展。

 

 

艦隊法 - Wikipedia

 

艦隊法(かんたいほう、Flottengesetze)は、ドイツ帝国1898年1900年1908年1912年に成立した4つの法律の総称である。皇帝ヴィルヘルム2世海軍大臣アルフレート・フォン・ティルピッツに擁護されたこれらの法律は、イギリス海軍に対抗できる海軍を建設するというものであった。

ヴィルヘルム2世は、ドイツが彼が呼ぶところの「日のあたる場所」であることを保証する大規模な海軍を欲していた。強大な海軍は、ドイツの植民地や権益の獲得の助けになるであろうと考えたのである。ヴィルヘルム2世は同様に海軍拡張に熱心であったティルピッツの支持も受けていた。

1898年に成立した第1次艦隊法は、防衛のための艦隊建設を目的としたものであった。しかし、1900年成立の第2次艦隊法はイギリスに対抗できる艦隊の建設を宣言するものであった。それは17年で戦艦潜水艦巡洋艦や他のさまざまな艦艇を建造するものであった。1914年の開戦までにドイツ海軍は世界第2位の規模となり、イギリス海軍の60パーセントの戦力を有するようになった。

ドイツ海軍の増強にイギリスは強い警戒感を持ち、対抗して海軍拡張を開始した。これによりイギリスとドイツの間で建艦競争が始まった。これは両国の緊張を増加させ、第一次世界大戦勃発の一因ともなった。

 

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

建艦競争
けんかんきょうそう
Naval Race; Flottenkonkurrenz

1898年のドイツの艦隊建設計画実施に対抗し,それ以後イギリス,ドイツ間に展開された艦隊建造競争。ビスマルク辞職後,新航路政策が L.カプリビ内閣でとられ,ドイツ皇帝ウィルヘルム2世の主導下に帝国主義的な海外進出計画の裏づけとして,強大な海上勢力の建設が着手された。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

 
 
 

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

建艦競争
けんかんきょうそう

第一次世界大戦前の国際対立のなかで、イギリスとドイツが展開した海軍力増強をめぐる競争。当時、大海軍は対外膨張の手段として強国の力のシンボルであった。ドイツは1898年第一次、1900年第二次艦隊法を通じて大洋艦隊の建造に着手した。これに対しイギリスも海軍の大増強でこたえ、とくに1906年には従来のどの戦艦にも勝るドレッドノート型大型戦艦を建造したので、ドイツもこれに倣い、両国の建艦競争は激化の一途をたどり、競争はやがて他の列強にも波及した。巨艦巨砲を競う軍備拡張競争は、それぞれの国民に重い財政負担を強い、戦争の危険も増大した。そこで両国は1908~12年に軍縮交渉を繰り返し、とくにイギリスは建艦のテンポを緩める「海軍休日」を提案したりしたが、結局和解に至らなかった。大戦前夜、両国が保有ないし建造中の戦艦は、イギリスが75、ドイツが40隻で、海軍力でのイギリスの優位は揺るがなかった。[木谷 勤]
 
 
 

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世界大百科事典内の建艦競争の言及

【ウィルヘルム[2世]】より

…皇帝に即位するや宰相ビスマルクを辞任させ,積極的な海外進出(いわゆる〈世界政策〉)に乗り出す。ロシアとの再保障条約の不更新,穀物関税の引上げ,近東への進出(三B政策)などによってロシアやイギリスとの対立を招き,他方,海相ティルピッツのもと大艦隊の建造に着手し,英独建艦競争を引き起こし,イギリスとの対立を深めた。またモロッコ問題でフランスと衝突した。…

【海軍】より

…玄側にあった大砲は180度旋回できる砲塔に移されて艦の中心線に収まり,20世紀初頭には射程も約20kmに達した。各国ともに,軍艦を国家近代化の象徴と見なし,砲の大きさ,速力,装甲の厚さを競い,遅れて海軍建設に乗り出した新興の日本,ドイツ,アメリカもこの建艦競争に参加する。こうした快速の装甲軍艦の威力は,リッサ海戦(1866),黄海海戦(1894)を経て,日本海海戦(1905)で決定的に証明された。…

【ティルピッツ】より

…1897年海軍長官に就任(1911年以降は海軍提督),98年以後1912年までにあいついで艦隊法を成立させ,ドイツ海軍を飛躍的に増強した。このためイギリスとの建艦競争が激化,第1次世界大戦勃発の一因となった。しかし大戦中,イギリスに包囲されてドイツ艦隊の主力はほとんど活動せず,ティルピッツは無制限潜水艦戦の即時実施を要求していれられず,16年辞職した。…

【ドイツ帝国】より

…しかしマルクス主義をとる反体制政党の内部でも,20世紀に入って改良主義や修正主義が強まり,変質が進んでいた。 ウィルヘルム時代にドイツ帝国の外交を方向づけたのは世界政策Weltpolitik,Weltmachtpolitikで,政府は東アジアや中東で積極的膨張政策を展開する一方,そのための手段として大海軍の建設(建艦競争)と陸軍の増強に努めた。しかしこれはイギリスはじめ帝国主義列強との摩擦を増大させ,1904年英仏協商,07年英露協商が成立し,ドイツの孤立が明らかとなった。…