「井筒俊彦全集」目次

 

目次「井筒俊彦全集」(慶應義塾大学出版会)
            
      ※緑色の文字=『著作集』未収録作品 / 青色の文字=新資料(単行本未収録)
            
第1巻     
アラビア哲学  1935年-1948年   【2013年9月刊行 】
      
      

ぴろそぴあはいこおん―philosophia haikon
松原秀治氏訳 ドーザ『言語地理学』に就いて
ハイドン編「回教の現在と将来」
ガブリエリ「現代アラビア文学の主流」
ザマフシャリーの倫理観?―『黄金の頸飾』の研究
ザマフシャリーの倫理観?―『黄金の頸飾』の研究
アラビア文化の性格―アラビア人の眼
『アラビア思想史』自序
イブヌ・マスカワイヒの社会的倫理説(『アラビア思想史』第二部第四章)
東印度に於ける回教法制(概説)
回教神秘主義哲学者 イブヌ・ル・アラビーの存在論
トルコ語
アラビア語
ヒンドスターニー語
タミル語
回教に於ける啓示と理性
マホメット
イスラム思想史
アラビア科学・技術
ロシアの内面的生活―十九世紀文学の精神史的展望
アラビヤ哲学―回教哲学
    
エラノス会議での講演風景(1979年夏)「井筒俊彦全集」(慶應義塾大学出版会)
エラノス会議での講演風景

(1979年夏)
 
      
      ――ああ僕も地平線が見える。だけど、僕は海が恋しいんだ。おおタラッタ。タラッタ。
(ぴろそぴあはいこおん)     
            
            
            
第2巻     
神秘哲学
    
1949年-1951年   【2013年11月刊行 】
      
      

詩と宗教的実存―クロオデル論
神秘哲学(底本は一九七八年版)
アラビア語入門』序文
神秘主義のエロス的形態―聖ベルナール論
      
      ――言詮不普及! それが神秘家の我々にたいする最後の言葉である。さればかかる体験の内実が哲学の対象となり得ぬことはいうまでもない。人間的ロゴスが思惟となり言語となって発動するところ、そこに甫めて哲学は成立するのであるから。
(『神秘哲学』)     
            
            
            
第3巻     
ロシア的人間
    
1951年-1953年     【2014年1月刊行 】
      
      

露西亜文学
マホメット
トルストイに於ける意識の矛盾性について
ロシア的人間―近代ロシア文学
クローデルの詩的存在論
      

 
      
      ――人類全体の宗教的救済ということを窮極の念願とするドストイェフスキーにとっては神秘家であれ癲癇患者であれ、「永遠の今」の直視を許されたごく少数の特殊な人達だけが救われても、そういう体験を得られない他の数千万の大衆がそのまま後に取り残されるなら、何にもならないのだ。
(『ロシア的人間』)     
            
            
            
第4巻     
イスラーム思想史
    
1954年-1975年     【2014年3月刊行 】
      
      

『研究社世界文学辞典』執筆項目(アラビア文学・トルコ文学・ペルシア文学)
『愛のロゴスとパトス』訳者序
マホメットコーラン  
コーラン』はしがき  
コーラン』解説  
記号活動としての言語 
コーラン千夜一夜物語 
レバノンから ベイルートにて 
カナダ・モントリオールにて
ボストンにて
コーラン』改訳の序  
改訳『コーラン』後記  
哲学的意味論  
コーラン翻訳後日談  
東西文化の交流  
回教哲学所感―コルバン著「イスラーム哲学史」邦訳出版の機会に  
禅における言語的意味の問題  
イスラーム思想史―神学・神秘主義・哲学
      

 
      ――ビザンチンキリスト教の神学が、古代ギリシャ的哲学精神が、ゾロアスタ教的二元論が、シリアの秀徹した理性が、ヘレニズム的グノーシス神秘主義が、目もあやに錯綜しつつ新しい思想を織り出して行く。しかも一方、沙漠精神を代表するコーランは一字一句が聖なる神の言葉として厳然としてそれらの思想潮流の前に立ちはだかる。
(『イスラーム思想史』)     
            
            
            
第5巻     
存在顕現の形而上学  1978年-1980年     【2014年5月刊行 】
      

 

イスラーム古典叢書』監修者のことば
東西の哲学〔今道友信との対談〕 
モッラー・サドラー『存在認識の道―存在と本質について』解説  
『ルーミー語録』解説
『ロシア的人間』後書―新版発刊にさいして
『神秘哲学』新版前書き
対話と非対話―禅問答についての一考察
追憶
 
イスラーム世界とは何か〔岩村忍との対談〕
イスラーム生誕』はしがき
イスラームとは何か
本質直観―イスラーム哲学断章
国際会議・学際会議
道程
慶應国際シンポジウム所感
武者修行
正師を求めて
イスラーム哲学の原像
師と朋友

 

 
    

慶應国際シンポジウム「地球社会への展望」にて(1979年12月)「井筒俊彦全集」(慶應義塾大学出版会)

慶應国際シンポジウム
「地球社会への展望」にて
(1979年12月)
      ――「地球社会化」についての現代の我々の考えのなかに、「自己」をめぐる東洋哲学的視野を導入することは……我々自身の奥底にひそむ文化的ディアレクティークのエネルギーを活性化するための、きわめて有効で有意義な道なのではなかろうかと私は考えます。
(人間存在の現代的状況と東洋哲学)     
            
            
            
第6巻     
意識と本質
    
1980年-1981年  【2014年7月刊行 】
      
      

意識と本質
『意識と本質―精神的東洋を索めて』後記
神秘主義の根本構造―『イスラーム哲学の原点』をめぐって〔上田閑照・大沼忠弘との鼎談〕
イスラームの二つの顔―時局的関心の次元を超え、イスラームという宗教・文化の精神を把握するための方途を説く
転変を重ねて
第一級の国際人〔『鈴木大拙全集』への推薦文〕 
序詞〔『イスラーム神秘主義におけるペルソナの理念』〕
『みすず』読書アンケート(一九八〇年)への回答
イスラーム文明の現代的意義〔伊東俊太郎との対談〕
      
      ――神のコトバ――より正確には、神であるコトバ……
(意識と本質)     
            
            
            
第7巻     
イスラーム文化
    
1981年-1983年  【2014年9月刊行予定 】
      
      イスラーム文化―その根底にあるもの
『みすず』読書アンケート(一九八一年)への回答
イラン・イスラムの黙示録
追憶―西脇順三郎に学ぶ
デリダ現象
幻影の人―池田彌三郎を憶う
行脚漂泊の師 ムーサー
「読む」と「書く」
コーランを読む
      
      ――コトバは透明なガラスではない。本来的に不透明なコトバが、自らの創造力でリアリティを描き出す、ただそれだけ。こういう形でのコトバの展開が、すなわち存在の自己形成なのである。
(「読む」と「書く」)     
            
            
            
第8巻     
意味の深みへ
    
1983年-1985年  【2014年11月刊行予定 】
      
      

ユング心理学と東洋思想〔J・ヒルマン、河合隼雄との鼎談〕
西脇先生と言語学と私
デリダのなかの「ユダヤ人」
『みすず』読書アンケート(一九八三年)への回答
語学開眼
シーア派イスラーム
文化と言語アラヤ識
「書く」―デリダエクリチュール論に因んで
単数・複数意識
スーフィズムと言語哲学
スーフィズムとミスティシズム〔H・ランドルトとの対談〕
渾沌―無と有のあいだ
文学と思想の深層〔遠藤周作との対談〕
中央公論』と私
意味分節理論と空海
言語哲学としての真言
『意味の深みへ』あとがき
      
      ――人間のコトバを語る神、コトバを通じて人間の言語的実存の中心部にじかに踏みこんでくる神。そこにセム的人格神の異常な人間性が成立する、と私は思います。
(文学と思想の深層)     
            
            
            
第9巻     
コスモスとアンチコスモス  1985年-1989年  【2015年1月刊行予定 】
      
      

事事無礙・理理無礙―存在解体のあと
三田時代―サルトル哲学との出合い
『叡知の台座』まえがき
創造不断―東洋的時間意識の元型
イスマイル派「暗殺団」
エリアーデ哀悼―「インド体験」をめぐって
「開かれた精神」の思想家〔『プロティノス全集』への推薦文〕
西谷啓治著作集』への推薦文
気づく―詩と哲学の起点
『みすず』読書アンケート(一九八六年)への回答
コスモスとアンチコスモス【講演の音声CD付】
風景
『図書』「私の三冊」への回答
いま、なぜ「西田哲学」か
中世ユダヤ哲学史における啓示と理性
下村先生の「主著」〔『下村寅太郎著作集』への推薦文〕
禅的意識のフィールド構造
マホメット』「学術文庫」版まえがき
『コスモスとアンチコスモス』後記
    
著者の蔵書サイン「井筒俊彦全集」(慶應義塾大学出版会)
 

 

 
      
      ――「有」が窮極においては「無」であり、経験世界で我々の出会うすべてのものが、実は「無」を内に抱く存在者(「無」的「有」)であり、要するに絶対無分節者がそのまま意味的に分節されたものであることを我々が悟る時、そこに自由への「開け」ができる。
(コスモスとアンチコスモス)     
            
            
            
第10巻     
意識の形而上学
    
1988年-1993年  【2015年3月刊行予定 】
      
      

言語現象としての「啓示」
アヴィセンナ・ガーザーリー・アヴェロエス「崩落」論争
思想と芸術〔安岡章太郎との対談〕
中公文庫『ロシア的人間』後記
編纂の立場から〔岩波講座『東洋思想』〕
東洋思想
TAT TVAM ASI (汝はそれなり)
テクスト「読み」の時代
マーヤー的世界認識
『エラノス叢書』の発刊に際して
中公文庫版『イスラーム生誕』後記
意味論序説―『民話の思想』の解説をかねて
『超越のことば』あとがき
マーク・テイラー『さまよう』推薦文
『著作集』刊行にあたって
「二十世紀日本の読書遍歴」への回答
意識の形而上学―『大乗起信論』の哲学
二十世紀末の闇と光〔司馬遼太郎との対談〕 
      
      ――要するに、存在には裏側があるということだ。存在の裏側、存在の深層領域。そこにこそ存在の秘儀がある。
(『エラノス叢書』の発刊に際して)     
            
            
            
第11巻     
意味の構造
    
1992年  【2015年5月刊行予定 】
      
      

意味の構造
附録・牧野信也による解説
      
      ――『コーラン』の諸概念を『コーラン』自身によって他のいかなるテクストにも依拠することなく、解釈するということ。いわば『コーラン』を構成する鍵概念を、『コーラン』自身に解き明かさせる、ということなのである。
(『意味の構造』)     
            
            
            
第12巻     
アラビア語入門(横組み)
    
  【2015年7月刊行予定 】
      
      

アラビア語入門
ヒンドスターニー語
アラビア語 ほか
      
      ――アラビア語……それは譬えてみれば、丁度、精巧を極めた、そして無限に複雑な機械を持つ時計のようなものである。
(『アラビア語入門』)     
            
            
            
別巻     
補遺・目録・年譜・索引