『自主管理の時代』(ピエール・ロザンバロン)レジュメ


『自主管理の時代』(ピエール・ロザンバロン) - simply2complicated

 

2009-10-27

『自主管理の時代』(ピエール・ロザンバロン)Add Star

Rosanvallon, P. (1976), L'age de l'autogestion : ou la politique au poste de commandement, Paris, Seuil.


【第一章 自主管理――新しい言葉と新しい理念

1.社会運動としての自主管理

・自主管理は、資本主義の改良(社会民主主義)か、それとも人民民主主義体制(ソ連型の官僚国家社会主義)かといった二者択一を否定して、自由な社会主義の探求を保障する唯一の政治的立場を意味するものとなった。(3)


5.今後の作業のための五つの柱

ユートピア思想=厳密なモデルの提案+それを実現していくかという問題の欠如

・これとは逆に、自主管理は具体的であろうとしているのである。したがって自主管理は、ブルジョワ民主主義人民民主主義のどこがうまくいかないのかという原因の分析にこそ基礎を置いているのである。(以上14)

・自主管理=社会主義の政治次元での復権、民主現実主義、社会全体における様々の権力手段の社会化、目標かつ戦略、自律的な生産様式の発展(14-5)


第一部 政治の経済学

【第二章 政治の復権としての自主管理】

社会主義は19世紀の楽観的な実証主義の中で生まれたのだが、この実証主義の影響から社会主義運動の全体を解放することこそ、今日最も緊急を要する仕事だと思われる。

・オリジナルな社会主義政治理論の創造が必要(政治の終焉という空想的展望と、「現実的」な戦術的権力主義の両方を回避する)(以上20)


1.ユートピア思想とテクノクラシー

・「政治」=権力と社会的に組織された力の行使(22)←→テイラーの「one best way」(24)

・サン・シモン『産業家への教義問答集』(1832年)――「産業主義という概念は様々の利害関係に注目するものである。したがってそれは当然、自由主義やその他の感覚的な内容しかもたない概念よりはるかに望ましいものである。というのは、利害のほうが感覚よりもはるかに流動的でないからである」(23)


2.マルクス主義と権力の問題

・『共産党宣言』(1848年)――権力の問題を権力の奪取の問題に限定→権力の奪取は自動的に権力の消滅を導く(25)

レーニン『国家と革命』――共産主義民主主義を消滅させるのは、政治権力が、社会の全域にまで拡大した市民社会の中に解体し、生産者としての人間と市民としての人間への分離によって生じた疎外に、終止符をうつからなのである。

・「社会の生活規律の違反である逸脱行為の社会的原因を我々は知っている。それは大衆を貧困と悲惨にさらす搾取である。この主要な原因が取り除かれると、逸脱行為は必ず消滅しはじめるであろう」(以上27)

・現実の共産主義の悲劇は、理念しかもたず、共産主義実現のための理論的かつ政治的手段を鍛えることがなかったことにある。ところが理論が沈黙していた領域で、実践は恐るべきものとなったのだ。つまり白紙のまま残されていたマルクス主義政治理論を書きあげたのは、ボルシェヴィキの実践とその精神主義だったのである。(28)


3.市民社会と政治社会

資本主義の誕生とともに、政治の問題は政治社会と市民社会の関係の問題となる。社会の政治社会と市民社会への分離は資本主義の発達と一体をなしていたから、この問題はまだ新しい問題である。市民社会とは、経済と社会の関係の分野であり、労働と生産の領域であり、また家族や地域の生活といった私的な関係の領域でもある。政治社会とは、公的関係、政治機関、国家の領域である。一方には、労働者消費者余暇を過ごす人々(homme)がおり、他方には、公民(citoyen)がいる。(32)

・私たちは、19世紀の社会主義論は、政治理論を真に改革することなしに、ロック、ルソーヘーゲルから次々と理論を借りてきたのでなかったのかと考えている。(34)

マルクスヘーゲル法哲学批判』――「ヘーゲルは国家から出発し、人間を主観化された国家とする。民主主義は人間から出発し、国家を客観化された人間とする」――結論的にいえば、マルクスは、ルソーによってヘーゲルを逆転させたのである。(35)

マルクスの政治思想における二つの契機

・一つは政治社会の民主化としての共産主義であり、他方は市民社会の再獲得としての共産主義である。しかしこの二つの契機は、理論的な統一を決して見いださなかった。この意味でマルクス主義にはオリジナルな政治理論が存在しないといえるのだ。マルクスは、この相矛盾する二つの遺産を乗り越えることができなかった。一方では、搾取が終わると市民社会の中に政治社会が溶解するとして国家の死滅が宣言され、他方では、今日私たちが人民民主主義国家と呼ぶプロレタリア民主主義国家の理論が主張されるのである。マルクスがなしたことはこの二つの景気を時代順に並べることだった。つまりプロレタリア国家の時代は過渡期であり、共産主義は国家の死滅の時代であると。(37)

社会主義運動とマルクス主義運動はすべてこの二つの軸の間を動揺し続けることになる。その両極端を代表するのがラサールプルードンである。

プルードンは足で立った自由主義の後継者である。(中略)プルードンにとって社会主義の目的は、国家を社会の中に吸収することであり、現実の社会が自分自身の主人になることであり、また国家がある種の「社会の公務員」にまで縮小することである。プルードンは、国家のイニシアティブによって社会を変革しようとする人々に不信感を抱いていた。(中略)プルードン社会主義社会とは、自由な連合が織りなす社会であり、相互扶助協同組合による自足的な網の目のうような社会であり、またみずからの統一性を自分以外のより高い次元の権威に求めることのない契約社会のことである。(以上38)

・これとは逆にラサールは、19世紀中葉のドイツ社会主義の父として、国家的社会主義理論(Socialisme d'Etat)の推進者となる。彼はヘーゲル国家の正当な後継者である。(中略)ラサールにとって、生産を組織し、これを管理し、社会正義を保障するのは国家なのである。(38-9)

・一言でいえば、彼[マルクス]は、プルードンに依拠してラサールを批判し、ラサールに依拠してプルードンを批判したと要約することができるだろう。マルクスプルードンに対しては、国家の破壊のためには国家機関を奪取しなければならないとして、プルードンが国家権力の奪取に関心を寄せていないことを批判している。ラサールに対しては、国家から出発する社会変革の不十分さを批判しているのである。(プルードン批判は『哲学の貧困』、ラサール批判は『ゴータ綱領批判』を参照)(39)

プルードンに源泉をもつ評議会主義と、ラサールと結びついている人民民主主義との間にあって、社会主義は新しい政治理論をひとつとして生み出さなかった。というのは実践的に勝利を収めたのはラサール主義――その改良主義的変形においても革命主義的変形においても――だったのを認めないわけにはいかないからである。したがって、自主管理をプルードンの後継者とみなし、ラサールの後継者である国家的社会主義に対置させたところで、理論が少しでも前進するわけではないのである。(39-40)

社会主義のオリジナルな政治理論の創造の問題

グラムシーー社会主義政治理論のこの欠落を自覚した最初の社会主義者でありマルクス主義

グラムシの最も重要な作業は国家の死滅というマルクス主義テーゼと、政治領域の複雑性と自立性という事実とを調和させる試みとして要約することができる。(以上40)

グラムシにとって、広い意味での国家、統合国家というのは、鎧を着た脅威のヘゲモニーである権力機関としての国家(支配機能)プラス社会的合意の組織者としての国家(指導機能)なのである。

・「国家とは、支配階級がその支配の維持を正当化するためのみならず、支配される者の積極的合意を獲得するための活動の総体である」

グラムシは国家を、市民社会と政治社会との間の均衡および有機的統一体として特徴づける。(中略)ヘーゲルマルクスにとって市民社会とは、社会の社会経済的構造を意味していた。つまり、労働、家庭生活、人間関係、文化などの社会的関係と経済的関係を意味していたのである。しかしグラムシにとって市民社会とは、「支配的グループが社会全体に行使するヘゲモニー機能に対応しており、通俗的には民間諸機関といわれるものの全体」なのである。この市民社会は、マルクス主義でいう狭い意味での政治社会=国家と対立するものである。グラムシ市民社会は、学校、教会、マスメディアなど社会的な合意を組織するイデオロギー的および文化的機関を意味していた。それゆえグラムシ市民社会は、上部構造に所属しているが、マルクス市民社会は社会の下部構造に属しているのである。こうしてグラムシは、マルクスレーニンとは全く異なった意味での国家の死滅を考えることができたのである。つまりマルクスにとって国家の死滅とは、物の管理への移行であり、社会活動を欲求の領域に、つまり生産の領域に還元することだったのだが、グラムシにとってそれは、彼のいう政治社会、つまり威嚇への依存の消滅であって、国家の一部の死滅でしかない。国家の倫理的な側面として理解された市民社会は残り、指導の機能は続くのである。こうしてグラムシは、政治社会の死滅という古典的なマルクス主義テーゼと、社会的調整の場である市民社会ならびに権利国家の維持とを、その有するすべての特殊性を保持させたままで、調和させることができたのである。(41-2)

グラムシが発見したものーーもはや搾取を基礎とせず、また権力の消滅という空想にも属せず、オリジナルな意味での自由主義として定義される社会――(マルクスヘーゲルの意味での)市民社会の優位性が、不可避的に権利国家を伴わなければならないような社会(42)

・国家の死滅というマルクス主義の概念は、逆説的だが、その実証主義の故に、権力と国家に関する自由主義の枠組みの内側に位置していたのである。グラムシは、「政治技術の社会学への矮小化」を克服しようと努力しながら、権利国家という自由主義理論に再会したのだった。(42-3)

マルクスにおいては、法的な権利は国家とともに消滅し、ただ自然の権利だけが十分なものとして残り続けるのに(これは実際には道徳と呼ぶべきだろう)、グラムシの場合は、法的な権利が必要なものとして残り続ける(43)

・私たちは、未完に終わったグラムシのこの考察を推進しなければならない。私たちの仮説は、自主管理とは結局は政治的自由主義の新しい形態ではないだろうかということだ。(44)


4.自由主義と自主管理

自由主義はそもそも、市民社会が支配的な存在となった社会における権利国家の政治理論として定義されたのだが、その時期が経済自由主義が発展し支配していた19世紀初頭であったために、経済自由主義による影響の犠牲となっている。これは決して偶然ではない。というのはブルジョワ階級は、自分たちの経済的な意図を政治的自由主義のもつ進歩的で確固としたイメージの背後にかくすことをみずからの利益としていたからである。(45)

・権利国家というのは最小限国家やレッセ・フェール国家と同じではない。自由国家(政治的自由主義)というのは、逆に非常に活動的にもなりうるのだが、その活動は市民社会の尊厳を守るための権利問題に集中するのである。(46)

・かつてすべての人が所有者になりえた社会、したがって所有が個人財産と一致していた社会においては正当化されえた私的所有の原理は、今日のように生産と交換の手段が巨大な規模に達した社会では時代遅れになっているのである。この観点からみると、ロックの自由主義を現代化するということは、もはや私的所有の原理を守ることではなくて、これとは逆に、生産と交換手段の社会化の原則を社会の基礎にとして置くということに、論理的にはなるはずである。このことは「鉱山鉱山労働者の手に」といったスローガンに見られるように、社会主義を「自由社会」とみなした一部の労働運動がきわめて直感的に感じ取っていたことである。

・財産についての自由主義者の主張は、市民社会が権力より優位な存在であるという政治的宣言だったのである。自由主義者は何よりも反国家権力の原理を発展させたのである。(以上48)


5.新しいタイプの政治としての自主管理

・私たちは一方でえは、資本主義のもとで絶対的な商品支配によって歪曲された市民社会という現実、他方では社会の全域に触手を伸ばしてはいるが無力であい、超集権化されてはいるが効率的ではない国家の存在という二重の現実に直面しているのである。1970年代のフランス社会は、中央集権化されたブルジョワ社会だと言えるだろう。ジスカール・デスタンの「進んだ自由主義」というプロジェは、市民社会内の狭い意味での私的な領域の自立化に限られている。それは倫理の解放という一点以外には何もない。その他の領域、たとえば労働者の生活や地域の生活など日常生活を形成している領域に関しては、自由な社会としての特徴は何も提案されてはいない。現代の自由主義は、社会的平等と生産・交換手段の社会化なしには実現しえないというのに。(50-1)

・自主管理社会主義のプロジェの目的は、したがって二重である。まず第一は、国家官僚主義と商品支配によって破壊された市民社会を真に再建することでなければならない。(中略)第二に自主管理のプロジェは、国家の活動の再検討をつうじて、国家の規模を縮小させなければならない。国家は、今まで市民社会から奪いつづけてきたものを市民社会に返還しなければならない。(中略)しかしそのことは国家の役割の変更、つまり社会の後見人および経済秩序の守護者としての国家から、社会的調整の基軸としての国家に変革しなければならないことをも意味している。(51)

・政治社会の発展並びに国家の一定の権限を、地方自治体に分権化すること、その他の諸権限を市民社会に返還することなどは、したがって一貫した一つの運動なのである。自主管理はこうして、古典的な自由主義と国家的社会主義の双方を乗り越えるのである。国家的社会主義は、政治社会発展の必要性と権力の国家への集中とを混同している。他方の古典的自由主義においては、(外交と軍事をのぞいて)大部分の国家権限の市民社会への返還は、一定の政治問題の解決なしには考えられない。(52)

・自主管理はマルクス主義からブルジョワ社会批判を継承し、自由主義から国家権限の縮小と市民社会の尊厳という原理を継承している。ただし、自主管理は、特定の国家機能の消滅とは矛盾しない独自の政治社会の発展ならびに市民社会の再建という課題を提起することによって、はじめてマルクス主義と古典的自由主義の双方を乗り越えることができるのである。

・ところで一部の自由主義的なマルキストたち、とりわけ東側諸国の自由主義マルキストたちは、政治的自由主義よりもむしろ経済自由主義を要求している。これが決して彼らの理論にとってはパラドックスでないことがおわかりだろう。自主管理はこれとは正反対のことを要求する。つまり、中央集権的計画かと同じように古くさくなった経済自由主義ではなくて、政治的自由主義を要求するのである。この点はユーゴスラヴィアでのさまざまな論争の中心課題であり続けてきた。ユーゴスラヴィアの制度がもつ重大な難点の一つは、経済的には大きな自由を与えられた自主管理社会の建設を、共産主義者同盟共産党)だけによって政治が表明される社会の中で試みている点にあるのである。(※Praxis誌、1973年第14半期号、Liberalisme et Socialisme、Praxis誌は1975年に発禁処分となった)(以上53)


【第三章 自主管理と民主主義エントロピー

【第四章 実験社会としての自主管理】

第二部 経済政治学

【第五章 権力諸手段の社会化】

6.組織および情報諸手段の社会化

【第六章 計画の自主管理】

1.計画と市場に関する論争

2.政治行為としての計画化

3.計画の自主管理――集権化と分権化


【第七章 真の脱産業社会】

1.政治と経済

社会主義を、なんらかの「社会主義的生産様式」として規定することは、結局のところ、生産力主義のイデオロギーと、文明のきわめて限られた一時期を特徴づけている労働のイデオロギーとのとりこであり続けることを意味する。労働は資本主義になってはじめて社会の真のレゾン・デートル(存在理由)となったのであって、それ以前は生存の諸条件のうちの一つでしかなかった。(183)

社会主義は、19世紀の資本主義の遺産の逆転としてしかうちたてられない。それは、経済的存在である前に、何よりもまず政治的存在なのである。経済は重要なものだが、社会生活のすべてではない。むしろ経済をその本来の地位に戻さなければならない。このためには、すべての人間活動を労働に還元したり、経済領域を生産領域と同一視したり、すべての物とサーヴィスとを商品にしてしまってはならない。社会主義とは、経済的生産様式である前に、社会組織の一形態なのである。そこでは経済の占める領域を拡大するのではなくて、逆に制限しなければならないのである。(185)


2.欲求の経済から社会関係の経済

・欲求という概念は同じ系列にある充足の概念とともに、曖昧かつ混乱したものである。人間とは欲求を「与えられている」存在であると定義する ことは、幸福を、人間と自然との関係をあらわす欲求の充足として定義することであり、この上に自然人類学を確立しようと試みることである。これではとても経済運 営の役には立たない(満足に関する調査を実際に役立てることの不可能性よく知られている。その調査結果は設問のし方によって大幅に変わる)。欲求の観念 は、生存の観念(最低の心理的欲求の充足)と豊富の観念(欲求の抑制)との間でゆれ動いているのである。したがって「自然な欲求」という観念は何の意味も もたない。(187-8)

資本主義は、不平等を基礎とした経済構造と同時に均質的な生産を担う大衆的社会構造との双方を起訴として運動している。自主管理社会においては、個人および集団の独自の欲求を実現するのは、差別の権利である。それは文化の独自性、地域の特殊性、個人のオリジナリティなどによって表現される。(196)

社会主義社会は、経済領域の制限の理論であるとともに欲求を基礎とする経済理論の放棄とを前提している。欲求の経済理論は、市場調査専門家によってであれ歴史の意味の啓蒙家によってであれ、人間と社会の自然な本質の名のもとに、幸福の組織化という全体主義の危険を不断に生み出すのである。(196-7)


3.脱産業社会の経済

・真の意味の脱産業社会とは、機械のおかげで労働を消滅させる神秘的な豊富社会ではなくて、社会生活における生産活動の役割を意識的に縮小していく社会のことである。(198-9)

・社会活動のさまざまの領域の自立化は、非常に異なった生産平面にもとづく活動網の構築のための条件である。(202)

・問題は社会活動の異なった諸形態(産業生産、個人的生産、創造活動、ソーシャル・リレーションその他)への社会の総時間の分配、ならびに生産された財の分配という二つの意味を再検討することであr。今日の選択は、不平等な構造をもつ生産力主義的な扶助社会か、平等な社会構造のもとでの全般化された社会活動への参加という脱産業社会か、というところにある。この問題は、百万の失業者だけの問題ではなく、同時に、高齢者の役割や社会活動、賃金を得ていない婦人の社会的地位などにもかかわっている。(203)

60年代完全雇用理念にかわって(それはあまりにも視野の狭い概念である)、経済的に平等な社会における全面的活動の理念を用いなければならない。

・私たちは、社会を再配置することなしに経済を 再配置できないし、社会諸関係の変更なしに生産設備の変革はできないのである。現下の危機によって必要とされるこの産業転換の運動は、二重の制約のもとに 置かれている。一つは、現在の生産主義的な構造という遺産であり、もう一つは国際貿易による制約である。(以上204)