サイモンの意思決定論の要約(小野伸一)

組織経営の古典的著作を読む (Ⅱ)

~ハーバート・A・サイモン『経営行動』~

 

財政金融委員会調査室 小野伸一

http://www.sangiin.go.jp/japanese/annai/chousa/keizai_prism/backnumber/h25pdf/201311502.pdf

 

(1) 事実と価値の区別、 科学としての意思決定論の確立

サイモンによれば、意思決定には、 事実的な要素と、価値的な要素(倫理的、べき論的な要素) が含まれる。 また、 意思決定にはその前提(プレミス) があるが、 この前提にも事実的なものと価値的・倫理的なものがあり、 例えば目標(ゴール)は、サイモンによれば、意思決定に対するインプットとして提供される価値前提である (図表1)。 筆者なりに例を挙げれば、 ある事象が将来的に必ず起こるとは断言できない (将来的に地震予知が可能となるとは断言できない、将来的に日本人の平均寿命が90歳を超えるとは断言できないなど) ということは事実的な前提であり、 ある事象が将来的に起こるべきだ (日本人の出生率は現在より高まるべきだ、 日本の財政赤字は現在より削減されるべきだなど)ということは価値的な前提である。

事実的な要素については、 客観的、 経験的にその正しさがわかるが、 価値的な要素については、 人によってその正しさは異なることとなる。 サイモンによれば、 価値的な要素について、 価値判断が正しいと認めるための制度として正当化されるものとしては、 現代国家の立法府などの民主的な制度がある。 そこでは、 截然とは区別できないにせよ、 一般に価値判断は立法府が担い、 時事的な部分を行政府が担うこととなる。やはり筆者なりに例を挙げれば、臓器移植を積極的に行うべきかどうかというのは価値的な判断であり、 一般に立法府が担うこととなり(日本では2010年に臓器移植推進のための改正法が成立した)、実際の移植はこの法律を踏まえて各医療機関などが協力して行うこととなる。

以上のように、サイモンの大きな特徴は、意思決定に焦点を合わせるとともに、 意思決定における事実的な要素と価値的な要素を区別したことである。 事実的な要素の正当性は、 それが事実と一致することによって実証される、 すなわち科学的に証明することができるのに対し、 価値的な要素の正当性は、 人間が認可、 裁可することによって認められる、 すなわち人によって判断が異なってくるという違いがある。 そしてこのような区別を明らかにすることで、 サイモンは、 意思決定という経営課題を科学的に分析し説明する道を拓いたのである。 さらにサイモンは、意思決定の説明に当たって、人間の「限定合理性6」や「満足化7」 という概念を使ったのであるが (2. (2) 参照)、 これが現実をうまく説明するものであることが認められたことで、 その意思決定論は一つの体系的な実践科学と しての地位を確立する こ と と なった8。

 

(2) 人間の合理性の制約

ところで、組織における意思決定、行動選択は、一人の経営者だけが行うわけではなく、 さまざまなレベルで行われるのであり、 ヒエラルキー構造になっている。すなわち、あるレベルでの選択、行動により目的が達成されると、そのすぐ上のレベルで、 これを手段としてさらに選択、 行動がなされ、 目的が達成され、 さらにこれを手段としてその上のレベルで・・・というように選択と行動が繰り返されることとなる (図表2)。 このような組織における人間の選択と行動は、 緩やかに結びつき、 全体としてみれば合理性が意図されているもの、 すなわち他よりも望ましい選択肢を選択し、 行動しようと意図されているものになっていく。 しかし、 個々の人間の認知能力には制約があるために、 人間の合理性には制約がついている9。

制約がつくとはどういうことであろうか。 これは、 サイモンによれば以下のように説明することができる。 人間が一人で受け止められる情報には限界があり、 数多くの代替的選択肢のすべてを列挙して評価することは困難である。 したがって、 結果の (完全な) 予測も困難で、 その時々で実行可能な行動は限られているのであり、 このような中では客観的に合理的な行動をとることはできない。 そこで人間は、 所与の心理的環境の範囲内で、 また所与の諸前提の範囲内で判断することとなる。つまり、すべての代替的選択肢ではなく、 自分自身でとることのできる (妥当性が高いと考える) 代替的選択肢の中から選択することとなるのであり、 これが制約がつくということの意味である。

そして、 このような制約は、 組織に属する人間と属さない人間では、 その意味合いは異なってくると考えられる。 すなわち、 個々人の合理性には制約があっても、組織に属することにより、組織はこのような個人に対し選択に必要な環境を与えることができ、合理性を高めることができると考えられるのである。

 

8 サイモンは、 「本書は組織の解剖学と生理学を扱っており、 組織の病気の処方をしよ う とはしていない。本書のフィールドは、組織の医学というよりは組織の生物学である」 と述べている。そして、組織の解剖学は、意思決定機能の分配と割当の中に見出され、組織の生理学は、組織が、そのメンバーの各々の意思決定の前提を提供することによって、当該意思決定に影響を与えるプロセスの中に見出されると指摘している。 サイモンはさらに、 本書は、 経営の諸原則 (プリンシプル) を述べるものではなく、分析のフレームワークを明らかにし、考慮されるべき諸要因を明らかにするものであるとも指摘している。サイモンがこのような立ち位置で組織を分析することにより、経営学は(単なる主義主張ではなく)科学として認められるようになったといえる。

9 サイモンに従えば、 代替的選択肢の比較検討というプロセスを経ずに決め打ち的に選択、 行動するようなことは合理的とはいえないことになる。また、代替的選択肢の検討は、合理性の制約により完全を期すことは難しいのであるが、可能な限り行うことにより、結果的に意思決定の合理性を高めることが可能となると考えられる。これはおそらく、組織においてのみならず、組織に属さない個人の選択、 行動においても同様であろう。

 

サイモンは、 組織は人間の合理性の達成の土台となるものであり、 合理的な個人とは、 組織され制度化された個人であると考えた10。 そしてそこでは、 個々人の意思決定と行動は、 組織の中での調整プロセスを経て、 組織全体の計画へと統合(インテグレート) されることとなるとサイモンは述べている11。

(3) 経営人vs経済人、 直感の意味

以上のような組織における人間の行動を経営人(アドミニストレーター)の行動というとすれば、それは、経済学でいう経済人(エコノミック・マン)の行動とは対照的なものである。 すなわち、 経済人の行動とは、 すべての代替的選択肢の中から最善の選択肢を選ぶ行動、 最大化を図る行動のことであるが、経営人の行動とは、 人間の注意 (アテンション) に制約がある中で、 知覚された世界の中で扱 う こ と が可能ないく つかの選択肢の中から満足化を図る行動である (図表3)。 そしてサイモンによれば、 基本的によい経営行動というのは、考えられる選択肢の中から、 能率的な、 すなわち最小の費用で最大の成果を上げるような選択を行うことである(能率については4. (1)参照)。

このよ う なサイモンの見方は、 経済人とは対照的な経営人という概念を導入しつつ、 希少な資源で最大の成果を狙う経済学の定式化のアナロジーで考えようとするものであるように思われる。科学としての経済学と同様の思考様式で、サイモンは、 限られた手段で経営目的を最大限に達成するためにはいかに行動すればよいかが経営の科学的テーマとなると考えたのである。 なお、 サイモンによれば、 経営行動における代替的選択肢は必ずしも所与ではないのであり、この点、 選択肢が基本的に所与である経済人の理論とは異なるとされている。経営人は、代替的選択肢を創造したり、設計したりしなくてはならないこともあるのである。

ところで、このような経営人の選択は、分析・熟考するというよりも、「刺激に対する反応」 に近いレベルで行われることも多いであろう。 ある意味、直観的な判断ということになるが、 サイモンは直感を軽視してはならないと指摘している。 もちろん単なる感情に動かされた直感による意思決定は適切なものとはいえないが、 一般に熟達した経営者の直感は、 学習および経験の産物といえるのであり、 直感的な判断を分析的な判断と対比させて、 前者は非合理で、 後者の方が望ましいものであると考えることは間違っている。 そもそも有能な管理者に、 直観か分析か、 いずれのアプローチをとろ うかなどと考えている余裕はないのであり、 事実前提と価値前提に依拠しつつ、 おのずと意思決定されているものであろう。 これは、 いわば形式知 (言葉や数式などで表現できる知)と暗黙知 (言葉にならない知) のような関係にあるものといってよいかもしれないが、 いずれにせよサイモンが、 これらはどちらも重要で、 非科学的なものではない (科学的テーマとなりうるもの) と考えていることは、 押さえておくべきポイントであるように思われる12。