フッサール『論理学研究』読解(006)

■第三章 心理学主義、その論証と通常の反対論に対するその立場
■第一七節 規範的論理学の本質的な理論的土台が心理学に存するかどうかの論争問題
□論理学の土台
 それでは規範学の一つである論理学に、その本質的な理論的な土台を提供する理論学は何かという問題が生まれる。論理学の本質となる理論的な真理は、すでに確立されており、別の学のうちにあるのだろうか。ここで論理学と心理学の関係についての論争が問われるのである。心理学主義は、「論理学にその性格的な特徴を与える諸命題は、それらの理論的内実からみて心理学の領域に属する」(p.70/51)と主張するからだ。

 ミルは「論理学は心理学の一部または一部門である」と主張し、リップスは「論理学は心理学の特殊学科である」と主張する(p.71/51)。心理学は論理学に内実を提供する理論学なのだろうか。
Nach LIPPS scheint es sogar als wäre die Logik der Psychologie als einbloßer Bestandtheil einzuordnen; denn er sagt: „Eben daß die Logik eine ,Sondexdisciplin der Psychologie ist, scheidet beide genügend deutlich voneinander."


■第一八節 心理学主義者の論証
□論理学の土台としての心理学
 この節では、まず心理学主義者の立場から、論理学の土台は心理学であることが主張される。論理学は思考の法則を扱うものであり、思考は心のプロセスであるから、論理学は心理学に含まれるのである。というのも、「論理学的技術学を構築するための理論的土台を供給するのは心理学であり、さらに正確にいえば認識の心理学である」(p.71/52)からである。
das theoretische Fundament für den Aufbau einer logischen Kunstlehre liefert also die Psychologie, und näher die Psychologie der Erkenntnis.


 そのことは論理学の書物をみても明らかだと言えるだろう。そこでは概念、判断、推論、演繹、機能、定義、分類などが語られている。「すべては心理学であり、ただそれが規範的および実用的観点から選択され、整理されているというに過ぎない。純粋論理学をどれほど狭く限定するにしても、心理学的なものを遠ざけておくことはできないだろう」(p.72/52)。
Von Begrif en, Urtheilen, Schlüssen, Decketionen , Inductionen, Definitionen, Klassificationen u. s. w. — alles Psychologie, nur ausgewählt und geordnet nach den normativen und practischen Gesichtspunkten. Man möge der reinen Logik noch so enge Grenzen ziehen, das Psychologische wird man nicht fernhalten können. 

 それだけではない。「真理と誤謬、肯定と否定、一般性と特殊性、理由と帰結など、論理法則を構成する諸概念の中に、すでにそれは潜んでいるのである」(同)。

Es steckt schon in den Begrif en, welche für die logischen Gesetze constitutiv sind, wie z. B. Wahrheit und Falschheit, Bejahung und Verneinung, Allgemeinheit und Besonderheit, Grund und Folge, u dgl.


■第一九節 反対派の通常の論証とその心理学主義的解決
□心理学と論理学の違いの第一の主張-規範性
 このことを前提として、論理学と心理学を区別しようとするならば、前の規範学と理論学の区別を導入するしかなくなる。「心理学は思考作用をありのままに考察し、論理学はそれがいかにあるべきかを考察する」(p.72/53)ということになる。

Die Psychologie, sagt man, betrachtet das Denken, wie es ist, die Logik, wie es sein soll.


 たとえばカントは、心理学が示すのは人間の思考作用についての「偶然的な法則の認識」にすぎず、「論理学の諸規則は偶然的な理性使用ではなく、心理学を一切排除した際にみいだされる必然的な理性使用から取り出されるものでなければならない」(p.73/54) と述べているのである。心理学は偶然的な理性の働きを示し、論理学は必然的な働きを示すものだということになる。

 ヘルバルトもまた論理学と心理学の違いとして、論理学には倫理学と同じように、「規範的性格」(p.73/54)があることを指摘している。

□心理学主義者の第一の反論
 この違いの主張に、心理学主義者は、これは区別にはならないと反論する。心理学主義者は、「必然的な悟性使用もまさに悟性使用であり、従って悟性そのものとともに心理学に含まれる」と主張するだろう(p.73/54)。「あるべき様態の思考は、現にあるがままの思考のたんなる特殊ケースにすぎない」のである(同)。リップスのように、「論理学は思考の自然法則であり、思考の自然学である」(p.74/55)と主張することもできるだろう。

□第二の主張-法則の意味の違い
 また論理学と心理学の違いとして法則の意味が異なることを主張する意見もある。判断や推論はたしかに心理学に属しているが、心理学が目指すのは意識過程の現実の関連や身体との関係についての法則を探すことである。この法則は因果関係のうちに求められるだろう。心理学の法則は因果関係の法則、こうすればああなるという法則なのである。


 これにたいして論理学は異なる法則を目指している。「論理学が問うのは、知的活動の因果的起源や継起ではなく、知的活動の真理内容である。つまり論理学は結果としてえられる判断が真であるためには、知的活動はどのような性質をもち、どのように経過すべきであるかを問うのである」(p.75/55)。


 すなわち論理学は心理的な出来事ではなく、「イデア的な諸関連」(同)に関心をもつ。ジグワルトの語るように、「思考の自然学ではなく、思考の倫理学こそ、論理学者の目標である」(p.76/56)のである。

□心理学主義者の第二の反論
 しかしこれにたいして心理学主義者は、論理学が心理学とまったく異なる課題をもつことを認めながらも、「論理学はまさしく認識の技術学である。しかしだからといって、因果関係の問題を無視できようか」(p.76/56)と反論するだろう。自然の心理的なプロセスを無視するならば、論理学はイデア的な関連を探求することができないだろう。

 そして何をなすべきかとという問いは、目標を実現するためには何をなさざるをえないかという問いに還元されるのであり、これは「目標をどうすれば達成できるかという問いに還元される」(リップス、同)だろう。

□第三の論点-循環論
 論理学と心理学の違いを主張する第三の論点は、ロッツエやナトルプの議論であり、論理学の基礎づけとしての性格を指摘するものである。すべての学問は、論理学の法則に反することを主張することができない。「どの学問も論理学の諸規則と調和することによって学問なのであり、これらの諸規則の妥当性を前提にしているからである」(p.77/57)。だから心理学が論理学を基礎づけると主張するのは循環論である。論理学が心理学を基礎づけ、心理学が論理学を基礎づけるということになるからである。

□心理学主義者の第三の反論
 心理学主義者の反論は簡単なものである。論理学がすべての学の基礎づけをするのだとしても、論理学の命題の正しさはやはり基礎づけられる必要がある。いかなる学もみずから基礎づけを行うことができないのだから、論理学は論理学を基礎づけることができない。論理学が論理学を基礎づけると主張するのは、前の主張とは別の意味で循環論である。

 この心理学主義者の循環論には、フッサールがみずから反論する。「論理法則にしたがって」推論とすることと、「論理法則から推論すること」は違うことである。循環が成立するのは、論理法則から推論する場合だけである。研究者は論理学を引き合いに出さずに、正しい推論を行うことができるのである。この場合には論理法則にしたがっているのであり、循環はないとフッサールは指摘する。