カントの政治哲学の二つの道筋--連帯の哲学(007)
■カントの政治哲学の二つの道筋
カントの政治哲学には二つの道がある。一つは公式的なものであり、「自然強制のみから自然に出現する世界市民的秩序という構成を使用し、これを前提条件として、次に法哲学が政治的行動を倫理的行動のように導きだすことができる」(ハーバーマス『公共性の構造転換』旧版、p.157)。この構想では法律の支配は公開性によって、すなわち公共性によって保証される。そして公共性の機能力は法治状態一般の自然基盤としてすでに前提されている。最初の法的な秩序が存在していることになる。
もう一つの道筋は歴史哲学的なものである。この構想では法治状態はまだ実現されておらず、政治によってこれに到達しなければならない。この構想では自然的強制と倫理的な政治との両者から世界市民的秩序が出現することになる。政治的に行動は法律の制定を目的とするが、それは集団的に統治された意志が存在することを前提としている。それはまた公開性によって保証されるのである。そのためには「公共性は政治と倫理を特殊な意味において媒介しなければならない。すなわち公共性の中で、万人の経験的諸目的の叡智的統合が成立し、倫理性から合法性が出現してこなければならないのである」(同)。
そこでは「歴史哲学は注目すべき形で自分自身をその理論の中に取り込むことになる」(p.158)。「歴史哲学自身が啓蒙の一要素になる」(同)のである。「歴史哲学がそれ自身の政治的ないとと効果をもみずからの理論の中にとりこむことになる」(同)。自己実現的な予言がそこで成立することになるだろう。