中国の教育の特徴と君子像--ウェーバー『儒教と道教』を読む(13)

□中国の教育の特徴
 中国の教育の第一の特徴は、漢字の多さにたいして、発音される音は非常に限られていることから生まれた。声調を使っても、同音異義語は区別が困難だった。そのために教養は語り言葉ではなく、書き言葉において実現された。「通例の詩作言語は書き物と比較して、結局は下位のものと考えられ、話すことではなく、筆書と筆書の軽差作品を受け入れる読書が、本来的な軽し価値のあるものとされ、君子にふさわしいものとされた」[15]。

 ギリシアでは対話の形で表現すれば十分と考えられたが、「文芸的文化のもっとも立派な花は、聾唖のようにその絹の豪華さを守った」[16]のである。「あらゆる空想とあらゆる感情は、書かれた文字の静寂に美のうちに逃げ込んだ」[17]のだった。


 これは思考が象形文字という「はるかに強く具象的なもののうちにはまり込んだ状態を維持し、ロゴスと定義すること、推論するとの力は、中国人には開発されなかった」[18]という結果を招いた。


 また算数が小学校で教えられなかった。計算は軽蔑されたのである。「教育のある商人は、算数をやっと帳場の中で初めて学んだ」[19]のである。


 ただし中国の教育は世俗的な性格のものであり、「文献的な試験は、まったく政治的な事柄だった」[20]のである。宗教者は教育に関与しなかった。これはキリスト教とも、ユダヤ教とも、イスラーム教とも明確に異なる特徴である。教育が俗人を対象にし、立派な俗人に仕立て上げることを目的としたのは、ほかには古代ギリシアの教育があるだけだった。

 中国では学校では文献学的な修練だけを重視し、「数学にも、自然科学にも、地理学にも、言語学にも、学校は携わらなかった」[21]のである。哲学の中心的な学である論理学もまったく無視された。弁論もまた無視された。裁判でも弁論はなく、書類の提出と口頭の尋問があるだけだった。

 


□君子の理想像
 中国の君子の理想像は、陰陽の二元論に基づくものだった。神と鬼の対立は、善なる魂と悪なる魂の対立であり、これは個々の人間のうちにある陽の気と陰の気の対立として考えられた。教育の課題は、人々のうちの陽の気を発展させることだと考えられた。

 「人間のうちに潜む鬼霊的な力に対して、陽の気が完全に優位を獲得した人間は、聖霊を支配する力、古代の観念によれば呪術的な力をもつからである。ところが善なる霊は、秩序と美、つまり世の調和を守護する聖霊である。そのためこの調和の似姿にまで自己を完成することが、かの呪術的な力を獲得する最高の、しかも唯一の手段とする」[22]。このように君子の理想像は、「完全に自己完成に達した人間のこと」[23]である。


 この理想が実現されたかどうかは、試験で最高の資格を獲得することで証明された。あらゆる貴人の理想は、現実の政治とは無縁に、「言葉の洒落、気取った文体、古典的慣用句の引用、純文学的な洗練された精神性」[24]であった。他方では彼がカリスマをそなえていることは、彼の行政が調和的に、「自然や人間の落ち着かない霊どもによる攪乱なしに経過したこと」[25]で証明しなければならなかった。

□文人の敵
 文人たちの主要な敵は、まず官職を独占していた有力な家族の人々であるが、かれらは「家産制の要素と文字学の優越に妥協しなければならなかった」[26]。第二の敵は、「資本主義的な買官者たち」であった。第三の敵は、「専門官吏に対する行政庁の合理主義的な関心」[27]であった。この関心を象徴するのが王安石であるが、改革は失敗し、伝統が勝利を収める。唯一の最大の敵はスルタン制とそれを支える宦官政治だった。それは「儒教徒からもっとも深い不信をもって注視された後宮の勢力」[28]であった。


 これは中国史を貫く大きな対立軸である。「精力的な支配者は、宦官と平民的な成り上がり者との助けで、文人という身分的に高貴な教養をもつ階層との結びつきを振り捨てようとした」[29]のである。しかし大きな変事が起こると、つねに伝統が勝利する。文人とは「伝統や固定的生活態度の監視人」[30]だからである。

 

[15]同、208ページ。Ibid., p.413.
[16]同。
[17]同。
[18]同、209ページ。Ibid.
[19]同、210ページ。Ibid., p.414.
[20]同。
[21]同、211ページ。Ibid., p.415.
[22]同、218ページ。Ibid., p.420.
[23]同。
[24]同、219ページ。Ibid., p.421.
[25]同。
[26]同、226ページ。Ibid., p.427.
[27]同。
[28]同、227ページ。Ibid.
[29]同。
[30]同。Ibid., p.428.