フレーゲ「算術の基礎」の抄訳

算術の基礎

 

算術の基礎

数の概念に対する論理数学的探究


1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50



序文

 「数1は何か」とか「記号1は何を意味するのか」という問いに対して、大抵の場合、人は「一つのものだ」と答える。このとき、よく注意して

「数1は一つのものである(die Zahl Eins is ein Ding)」


という命題が定義ではないこと、なぜなら、片方の側には [dieという] 定冠詞があり、もう片方の側には [einという] 不定冠詞があるのだか ら、この命題は数1が複数ある物のうちの一つであるということを述べるだけで、それがどのような物であるかは述べていないからだ、ということを理解するな ら、おそらく人は、数1と呼びたいものとして何物かを選択するよう迫られるだろう。しかし、この [数1という] 名前の下に何を理解するかを、各人に自 由に選ぶ権利があるとすると、数1に関する同じ命題が、人によって異なる意味を持つことになってしまう。それでは、そういう命題は共通の内容を持たないと いうことになるだろう。ひょっとすると、先の問いを拒否して次のように指摘する人もいるかもしれない。「算術におけるaという文字についても、その意味 (Bedeutung)を述べることはできないだろう。仮に、aはある数を意味すると言う人がいたら、その人は「数1は一つのものである」という定義にお ける間違いと同じ間違いを犯すことになる。」さて、aについてのこの問いを拒否することは全く正当である。aは何ら特定の確定的な数を意味していない。そ うではなく、aは諸命題の一般性を表現することに貢献しているのである。もし a + a - a = a におけるaに、任意の、ただし全てのaに対して同一の数を代入すれば、常に真となる等式が得られる。このような意味において、文字aは使用される。しかし 数1の場合は、状況は本質的に異なる。1 + 1 = 2 という等式において、1に二度同じ対象、例えば月を代入できるだろうか?むしろ、最初の1と二番目の1には、何か違うものを代入しなければならないように 思われる。1 + 1 = 2 の場合、まさに a + a - a = a の場合のような間違いが生じているに違いないとすれば、それはなぜなのか?算術を行なうには、文字aだけでは不足で、異なる数字の間の関係を一般的に表現 するためには、b,cなどの文字も必要になる。従って、もし記号1が文字aと類似の仕方で命題に一般性を与えることに役立つとすれば、記号1もまた十分で はありえないと考えるべきである。しかし、数1は、一定の性質――例えば、2乗しても変わらない――を持った確定的な対象として現れてはいないだろうか。 この意味では、aは一つも性質を持っていない。というのも、aについて言われる性質は、諸々の数に共通の性質であるのに対し、12 = 1 は月について何も言明しておらず、また太陽についてもサハラ砂漠についてもテネリファ山についても何も言明していないからだ。それでは、このような言明の意義(Sinn)は何でありうるだろうか[1]?
 このような問いに対して、多分、大抵の数学者は満足の行く答えを用意していないだろう。彼らにとって最も身近で単純な [数1という] 対象が、これほ ど不明確な状態にあるということは、数学にとって恥ずべきことではないか? [数1でさえこうなのだから、] ましてや数一般が何であるかを述べることな どできないだろう。もし、重要な学問の基礎になっている概念が諸々の困難を提示しているとすれば、その概念をより精確に探究し、諸困難を克服することは避 けて通れない課題である。特に、算術という建築全体の基礎への洞察に欠陥がある限りは、負数、分数、複素数などの数を完全に明らかにすることなどおぼつか ないであろう。
 もっとも、多くの人は、これが労苦に値する仕事だとは思わないだろう。彼らによれば、この [正の整数のような] 概念は、初等的な教科書で十分扱われ ており、それで十分片付いている。こんな単純なことについてこれ以上何かが学べるなど、誰が信じるだろう!正の整数という概念は、いかなる困難からも無縁 であるため、子供にとっても学問的に十分扱うことが可能なのだから、それ以上熟考したり、他の人がどのように考えてきたかということを知る必要はない、と いうのが一般的な考えである。だが、こういう考えの持ち主には、そもそも学問をするための第一の前提条件、つまり「無知の知」が欠落している。その結果、 すでにヘルバルト1が より正しいことを説いていたにも関わらず、人々は未だにいい加減な見解に満足している。こんなふうに、既に手に入れたはずの認識が何度でも失われる恐れが あり、人々が [自分たちの知識の] 豊かさにうぬぼれて、多くの仕事の成果を習得する必要を感じないために、それらの仕事が無駄になってしまうというの は悲しむべき、また意気消沈することである。私の仕事も例外ではなく、忘れられる危険に曝されていることは、十分承知している。計算が集積的・機械的思考 だと言われる場合、私はあの見解のいい加減さに直面する2。 そもそも、そのような思考が存在するという想定が疑わしいのだ。集積的な表象という方がまだありえそうだが、しかしそんなものは計算にとっては意味がな い。思考は本質的にどこでも同じものである。対象に応じて異なる思考法則の種類は問題にならない。相違があるのはただ、 [思考が] 心理的影響や外的な 補助手段(言語や数詞など)からどの程度、独立性と純粋性を保っているか、という点のみに存する。そしてさらに、例えば、概念という建物の精巧さに存す る。まさにこの点に関して、数学は全ての学問を凌駕している。哲学でさえ数学にはかなわない。
 この本を読む人は、n から n + 1 への推論など、一見すると数学に特有と思われる推論も、実は一般的な論理法則に基づいていること、 [従って] 集積的思考のための特別な法則など不要で あることを知るだろう。確かに、オウムが喋るように、数字を機械的に使うことはできる。しかし、それを思考と呼ぶことはまずできまい。数字を機械的に使え るようになるのは、実際の思考によって数学の記号言語が発達し、いわば人の代わりにその言語が考えるほどになった後のことである。だがこのことは、数が特 別な機械的方法によって――砂山が石英から構成されるように――構成されていることの証明にはならない。私の考えでは、学問の主要な研究対象および学問自 身を貶めることを助長するような見解に反対することは、数学者の利益になるだろう。ところが、数学者の間にさえこの見解と非常によく似た発言を耳にするの だ。だが反対に、数概念は、最も単純な算術的概念であるにも関わらず、他の学問の大抵の概念よりも精巧な構造を持つことを認めねばならないだろう。
 さて、正の整数に関しては、本質的に何の困難も存在せず、一般的に意見の一致を見ているという例の迷妄を打破するためには、本書で考察する諸問題につい ての哲学者や数学者の諸見解に論評を加えるのがよい方法ではないかと思う。そうすることで、いかに一致が少なく、逆に、全く対立する発言が現れている実情 が分かるだろう。例えば、ある者は「諸単位は互いに等しい」と言い、またある者は違うと言い、どちらの主張にも簡単には斥けられない根拠があるという具合 だ。本書において、私は、より厳密な探究への欲求を呼び覚ましたいと思う。同時に、他の人々の見解を前もって吟味しておくことで、私自身の理解への地なら しをしておきたい。それによって、他のやり方では目標に到達できないということ、および、私の意見が、多くの同じぐらい正当化できる意見の1つなどではな いことをあらかじめ納得してもらえるだろう。そして私は、この [数とは何かという] 問いに対して、少なくともその核心において最終的な決着を付けたい と願っている。
 確かに、本書における私の論述は、多くの数学者が適当と思う以上に哲学的なものである。しかし、数概念に対する根元的な探究は、常にいくらか哲学的なものにならざるをえない。この課題は、数学と哲学に共通のものだからだ。
 数学と哲学の共同作業が、両方の側からかなり開始されているにも関わらず、未だ望ましい、本来可能なほどには盛んでないとすれば、その理由は、私の見る ところ、論理学にまで侵入してしまった心理学的な考察法が、哲学において優勢であることだ。数学はこの傾向と何ら接点を持っていないので、多くの数学者 が、この哲学的考察法に反感を抱くのも当然である。例えばシュトリッカー3が 「数の表象は筋感覚に依存する運動性のものだ」と言ったとしても、数学者はその表象の中に数を再認することができず、そのような命題からは何も始まらない ことを知っている。筋感覚を基礎として作られた算術は確かに多感なものであろうが、その基礎同様、全くぼやけたものになるだろう。そんなものは算術ではな い! 算術は感覚とは何の関係もない。同様に、過去の感覚印象の痕跡が合流してできた心像とも、何の関係もない。これら全ての形成物が持つゆらぎや不確定さは、 数学的概念と数学的対象の持つ確定性や固定性の対極にある。確かに、数学的思考を行なう際に現れる表象とその変化を観察することは有益かもしれない。だ が、心理学が算術の基礎付けに何かしらの貢献をなすことなどありえない。本来の数学者にとっては、こういう心像やその生成変化はどうでもよいのである。 シュトリッカー自身も、「百」という語を見ても100という記号以外は思い浮かばないと言っている。他の人は、文字Cや、あるいはもっと別のものを想像す るかもしれない。このことから、私たちにとって、心像は物事の本質にとって――ちょうど黒板やチョークがそうであるように――どうでもよい偶然的なもので あるということ、つまり、そもそも心像は、百という数の表象と呼ぶに値しないということが判明する。物事の本質をそのような表象に求めてはならないのだ! 表象がどのように生起するかという記述を定義とみなしてはならず、また、ある命題が意識に現れることに対する精神的・身体的条件の言明を証明とみなしては ならない。そして、ある命題が思考されるということをその真理性と取り違えてはならない。私の考えでは、人は、私が目を閉じても太陽がなくならないよう に、私が考えるのをやめてもある命題が真でなくなることはないという事実を想起せねばならない。さもなければ、ピタゴラスの定理の証明において、私たちの 脳に含まれる燐の含有量について考えねばならない破目に陥ったり、天文学者は次のような反論をされることで、自分の推論が忘れ去られた遠い昔まで遡らなく てはならないことを怖れるようになるだろう。「君は今、2 ・ 2 = 4 と計算している。しかし数の表象は進化、つまり歴史を持っている! 昔はそこまで進んでいたかどうか怪しいものだ。いかにして君は、過去においてもこの命題が既に成立していたと知っているのか? 当時の生物は 2 ・ 2 = 5 という命題を持っていたこともありえないか? そしてその命題から、生存競争における自然淘汰によって 2 ・ 2 = 4 という命題が進化してきた。さらに未来では、恐らく同じ道を辿って 2 ・ 2 = 3 という命題へ進化を遂げるよう決められているのではないか?」だが物には尺度が、つまり限度というものがあるのだ!(Est modus in rebus sunt certi denique fines!) 確かに、事物の生成を探索しその生成から事物の本質を認識しようとする歴史的な考察法も大いに正当性を持っている。だが同時に限界もある。もしあらゆる物 が絶え間ない流転の中に投げ込まれ、固定的なもの、永遠なものが持続しないとしたら、世界の認識可能性は途絶え、全てが混乱の中へ飲み込まれてしまう。  [心理主義においては] 概念はまるで葉が木に生い茂るように個々人の心の中に発生し、その発生を研究し人間の心の本性から心理学的に説明しようとするこ とで概念の本質を知ることができると考えられている。しかしこの考えは、全てを主観的なものの中に引き込み、突き詰めれば真理を捨て去ることになる。概念 史と呼ばれるものは、私たちの概念認識の歴史か、または語の意味の歴史である。多くの場合、何世紀にもわたって持続しうる巨大な精神的活動を通じて初め て、概念を純粋な形で認識し、概念を隠していた無関係な覆いを私たちの精神の眼から取り去ることができるのである。この活動が未完と思われるのに、それを 無用とみなして、子供部屋へ行き、あるいは考えうる人類最古の未開段階へ逆戻りして、J. St ミルのように胡椒入りケーキや小石を使った算術を発見するとしたら、それに対して何と言うべきだろうか! ケーキの美味しさに不足しているのはただ、数概念に対する特別な意味を付け加えることだけである。だがこうしたやり方は理性的なやり方とは正反対であり、 少なくともこれ以上考えられないほど非数学的なやり方である。数学者がこうしたことについて何も知りたがらないのは当然のことである! 人々が概念の源泉に近づいていると信じているところで、その実見ているのは、概念の特別な純粋性などではなく、霧がかかったように全てが曖昧で混沌とした 状況なのである。それはちょうど、アメリカについて知るために、インドと勘違いしていた海岸を朧げな光の中に見出したときのコロンブスの状況まで逆行しよ うとするようなものである。もちろん、このような喩えは何も証明しないが、私の考えを明確にしてくれると期待している。確かに、発見の歴史がさらなる研究 の準備として役立つ場合は多々ある。しかし歴史が研究そのものを押しのけてその座を奪うことは許されない。
 数学者にとっては、こうした考えと戦う必要はほとんどないであろう。だが私は哲学者に対しても、今問題になっている論点をできる限り解決してやろうと考 えたため、数学への心理学の侵入を撃退するためにすぎないとはいえ、私自身心理学と僅かながら関係を持たざるをえなかった。
 それにまた、数学の教科書にまで心理学への傾倒が見られる始末である。 [論理的に] 定義を与えなければならないと感じながらそれができないとき、人 は、少なくとも当該の概念や対象に到達する方法ぐらいは記述したいと思うものだ。 [それゆえ、人は数学に心理学的な説明を持ち込んでしまう。] こうし たケースは、その後の展開においてそうした [心理学的な] 説明に二度と立ち戻ることがないということから容易に見分けることができる。教育という目的 のためには、ある事柄についての手引きは全く正当なものである。ただ、手引きと定義は常に明確に区別せねばなるまい。本職の数学者でさえ、証明根拠と証明 遂行のための内的または外的な諸条件を混同することがあるのだ。これについてはE.シュレーダー4が 「ただ一つの公理」という論文の中で面白い例を挙げている。それは次のようなものだ。「ここで考えられている原理は記号の固有性と呼んでよいものである。 私たちが [数式を] 展開したり推論を行なう全ての場合において、記号は私たちの記憶中に――紙の上にはより一層はっきりと――残っているということの 確かさを、この原理が私たちに与えるのである」などなど。
 数学は心理学からの援助は全て断らなければならないが、論理学とは密接な関係を持つことはほとんど否定できない。それどころか私は、数学と論理学を明確 に区別することはできないという見解に賛成なのである。証明遂行の正確さや定義の正当性についてのあらゆる探究は論理的でなくてはならないということまで は、一般にも認められるだろう。一方、数学にとってもこの問題は無視することのできないものである。というのも、この問いに答えることによってのみ、数学 に必要な確実性が獲得されるからだ。
 またこの方向においても、確かに私は通常の探究の範囲を踏み越えている。類似の探究をする場合、ほとんどの数学者は当面の必要を満たせば満足する。定義 が証明に寄与し、矛盾に陥ることがなく、一見かけ離れた事柄の間の関連性が認識され、それによって高次の秩序と規則性が与えられたならば、その定義には十 分な確実性が与えられたとされるのが [数学においては] 常であり、それ以上定義の論理的な正当性が問われることは滅多にない。確かにこの方法には、目 的から完全に逸れてしまうことがまずないという長所がある。また私も、定義はその生産性、つまりそれによって証明を遂行する可能性によって実証されねばな らないと考えている。ただし注意しなければならないのは、もし定義が矛盾に突き当たらないということによって事後的にだけ正当化される場合は、たとえその 推論連鎖に隙間がなかったとしても、その証明遂行の厳密さは見せかけに過ぎないということである。このような仕方で人が今まで得てきたものは常に、せいぜ い経験的な確実性でしかないのであり、最終的には、体系全体を崩壊させてしまうような矛盾に突き当たることもあるということを、本来理解しておかなければ ならない。それゆえ私は、大抵の数学者が必要と考える以上に一般的な論理的基礎にまで遡らねばならないと考える。
 この探究における原理として、私は以下の三つを堅持したいと思う。

  • 心理的なものを論理的なものから、主観的なものを客観的なものから区別すること。
  • 語の意味(Bedeutung)は文という関連(Satzzusammenhang)において問われなければならない。決して語を孤立させて問うてはならない。 [文脈原理]
  • 概念と対象との間の区別を常に念頭に置かなくてはならない。

 第一の原理を守るために、私は「表象(Vorstellung)」という語を心理的な意味で用いる。表象は概念や対象とは異なるものである。第二の原理 を無視すると、個々人の心の内的な像や作用を語の意味とみなし、それゆえほとんど必然的に第一原理に抵触することになる[2]。 第三の点については、もし概念を、変化させずに、対象に変化させることができると考えるならば、それはまやかしに過ぎない。以上のことから、分数や負数な どについて一般に流布している形式的理論を維持することは不可能だということが明らかになる。私の考える改良については、本書では示唆することしかできな い。ただ言えることは、これら全ての場合においても、正の整数の場合と同じように、等式の意義を確定することが重要である。
 私の成果は、少なくとも主要な点においては、私の論拠を検討してくれる労を厭わない数学者の賛同を得られると思う。私の成果はまだ未決定であるが、しか し、個別のものについてはおそらく既に、少なくとも近似的には表明されていたかもしれない。しかし本書では、互いに連関した形において表明されたという点 において、新しいものである。私は時として、ある点では私の考えに非常に近づいていた叙述が、他の点では大きく隔たっていくことに驚いたものである。
 この本の哲学者による受容は、その立場によって異なるであろう。恐らく最も酷い受容の仕方をするのが、本来の推論方法として帰納法しか認めようとせず、 しかも帰納法さえ推論方法としてではなく習慣としてのみ認めようとするあの経験主義者たちであろう。ひょっとするとこの機会に自らの認識論の基礎を考え直 そうとする哲学者もいるかもしれない。私の定義が不自然であると反論したい人には、ここでの問題はそれが自然か不自然かということではなく、事柄の核心を 突いているかどうか、そして論理的に反論の余地があるかどうか、ということなのだという点に注意を促したい。
 偏見のない吟味を行なうことで、哲学者も本書に幾らかの有用性を見出してくれるよう、切に期待する次第である。



第1節 数学では最近、証明の厳密性と概念の明確な理解を目指す努力が認められる。


 数学はユークリッドの厳密性からしばらく遠ざかった後、今や再びその厳密性に立ち返り、それを完全に越えようと努力している。算術では、その方法と概念 の多くがインドに起源を持つというだけで、主にギリシア人が作り上げた幾何学よりもいい加減な思考方法が伝統的であった。こうした思考方法は、高度な解析 が考え出されても助長されただけであった。というのも、一方においては、解析の理論の厳密な扱いには、重大な、ほとんど克服しがたい困難が立ちはだかった からであり、また他方では、その克服に払う努力に見合う成果は得られないと思われたからである。だがその後の展開が一層はっきりと示しているように、数学 においては、多くの成功した応用例に支えられた、単なる教訓的な確信だけでは不十分なのである。昔は自明だとみなされていた多くのことについて、今では証 明が要求されている。妥当性(Giltigkeit)の境界線は、多くの場合、証明を通して確定されたのである。関数、連続性、極限、無限といった概念に ついての一層明確な規定が必要だということが示された。負数や無理数は数学において昔から受容されていたが、これらの正当性もより厳密な吟味を受けなけれ ばならない。
 そのようなわけで、厳密に証明し、妥当性の境界線を正確に引き、それを可能にするために概念を明確に把握しようとする努力が、至る所で見られるのである。



第2節 吟味は最終的には基数概念まで及ばなくてはならない。証明の目的。


 この方向をさらに推し進めると、基数概念および正の整数について成立する最も単純な諸命題へと行き着く。これらの命題は算術全体の基礎を形成するもので ある。確かに、 5 + 7 = 12 のような数式や加法の結合律 [ x + (y + z) = (x + y) + z ] のような法則は、日々無数の適用を受けることで何度も確証されているのだから、わざわざ証明を要求してその正しさを疑おうとすることは、ほとんど笑う べきことのように思われよう。だが証明が可能な場合はいつでも、帰納による実証よりも証明を優先させるということは、数学の本質に根拠を持つことなのであ る。ユークリッドが証明した多くの定理は、ことさら証明してみせなくとも誰にでもその正しさが認められるようなものだった。ユークリッドの厳密性にすら満 足しなかったことによって、人々は平行線公理に関わる探究へと導かれたのだ。
 そのようにして、最高の厳密性を目指ざすこの運動は、当初感じられた必要性を何度も越えていったのであり、その広がりと規模はますます成長している。
 証明の目的は、命題の真理性を疑いの余地のないところまで高めることだけでなく、真理同士の間の依存性についての洞察をもたらすことにもある。岩塊を動 かそうとしても無駄だったことから、それがびくともしないことを確信した後でも、一体何がその岩塊を確固として支えているのかを問うことができる。この探 究が進めば進むほど、全てがより少数の原初的真理(Urwahrheit)へと還元されることになる[3]。 そしてこの単純化は、それだけでも追求に値する目標なのである。人々が極めて単純な場合に本能的に行なってきたことを意識化し、それから普遍的に妥当する ものを切り離すことによって、概念形成や基礎付けの一般的な方法が得られるという期待も、もしかしたら叶えられるかもしれない。



第3節 この探究の哲学的動機:数の法則は分析的真理か綜合的真理か、ア・プリオリかア・ポステリオリかという争点。これらの表現の意味。


 私は、本探究に対する [数学的動機以外に] 哲学的動機も持っている。それは、算術的真理の本性が、ア・プリオリなものかア・ポステリオリなものか、 分析的なものか綜合的なものか、という問いに本書で答えねばならないということである。というのも、たとえこの概念自身が哲学に属するものだとしても、数 学の助けなしでは上記の問いに判断を下すことはできないと信じるからである。もちろん、この判断は、この問いにどのような意義(Sinn)が与えられるか ということに依存する。
 まず命題の内容が獲得され、その後にもっと複雑な別の方法で厳密な証明が導かれ、それによってしばしば妥当性の諸条件もより正確に認識されるということ も、決して珍しいことではない。だから、いかにして判断の内容へ到達するか、という問いと、どこから主張の正当化を得るか、という問いは一般に区別されな ければならない。
 ア・プリオリとア・ポステリオリ、分析的と綜合的という区別は、私の理解によれば5、 判断の内容ではなく、判断を下すことの正当化に関係するものである。正当化を欠く場合には、先の区別の可能性もなくなる。だからア・プリオリな誤謬という のは、青い概念と全く同様に無意味(Unding)である。もし人がある命題を私の言う意味でア・ポステリオリとか分析的と呼ぶ場合、その人は、命題の内 容を意識の内に形成することを可能にする心理的、生理的、物理的な状態について判断するわけでも、他の人がいかにして同じ命題を誤まって真とみなすように なったのかということについて判断するわけでもない。そうではなく、真とみなすことの正当化が、最も基礎的な根拠として何に基づいているのか、ということ を判断するのである。
 その判断によって、先の問いは心理学の領域から引き離され、数学的真理 [の正当化が何の根拠に基づいているのか] が問題になる場合には、数学にこの 仕事が割り当てられることになる。すると重要なことは、証明を見つけ、それを辿って原初的真理にまで遡ることである。もしその過程で一般的な論理法則と定 義にしか出会わなかったなら、手にしているのは分析的真理である。ただしその場合、例えば定義の許容可能性(Zulässigkeit)が基づくような命 題も考慮に入れることが前提とされる。一方、一般的に論理的ではなく、特定の知識領域に関係する真理を利用しなくては証明を導くことができなければ、手に している命題は綜合的である。ある真理がア・ポステリオリであるために要求される条件は、その証明が事実――つまり、ある特定の対象についての言明を含 む、一般性を欠いた証明不可能な真理――に訴えなくては導けないことである。これに対し、もし証明を、それ自身は証明が可能でも必要でもない一般的法則か ら完全に導くことが可能なら、その真理はア・プリオリである6



第4節 本書の課題。


 前節のような哲学的問いから出発しようとも、それとは関わりなく数学の領域自体において生じたのと同じ要求に、 [結局は] 到達することになる。その 要求とは、少しでも可能な余地があるのなら、算術の基本命題をより強い厳密性をもって証明せよ、というものである。なぜなら、念には念を入れて推論連鎖の 隙間を回避することによってのみ、当の証明がいかなる原初的真理に基づいているかを確言できるからであり、また、それらの原初的真理を知ることによっての み、先の問いに答えることができるからである。
 さて、もしこの要求を満たそうとするならば、たちまち次のような諸命題に突き当たる。それは、その中に現れる諸概念をより単純なものに分解するか、ある いは、より一般的なものに還元することに成功しない限り証明することのできない諸命題である。ところで、こうした概念として何よりまず 名前が挙がるのは基数であり、これは定義されるか、それとも定義不可能なものとして承認されなければならない。それを行なうことが本書の課題である7。 算術法則の本性についての決定は、この解決に依存するであろう。
 この問いそのものに取り組む前に、回答のためのヒントとなりえる幾つかのことを述べておきたい。つまり、別の観点から算術の基本命題が分析的であること を支持する根拠が判明すれば、それらの根拠はまた、算術の基本命題の証明可能性と基数概念の定義可能性をも支持する。一方、これらの [算術的]真理が ア・ポステリオリであることを支持する根拠は、これとは逆の効果を及ぼすだろう。それゆえ、まずはこの争点を暫定的にだが解明することに取り組みたいと思 う。



I. 算術命題の本性についての何人かの論者の見解

数式は証明可能か?



第5節 カントはこの点を否定するが、ハンケルは正当にもそれは逆説的だと言う。


 2 + 3 = 5 のような特定の数を扱う数式は、全ての整数について当てはまる一般法則から区別しなければならない。
 何人かの哲学者8は、数式を、証明不可能で公理のように直接的に明らかなものだとみなす。カント9は数式を証明不可能で綜合的なものだと説明するが、一般性を欠きその数が無数にあることから公理と呼ぶことは避けている。ハンケル10[4]は正当にも、無限に多くの証明不可能な原初的真理を想定することは不適切であり、逆説的であると言う。実際、この想定は、理性が第一の基礎に基づく見通しの良さを要求するということに反するのである。それにそもそも、

135,664 + 37,863 = 173,527


という数式は直接的に明らかであろうか? そんなことはない! カントが数式の綜合的性質を擁護するために持ち出すのもまさにこの点である。しかしこの点はむしろ、その証明不可能性に対して不利に働くのである。なぜな ら、直接的に明らかでないのだから、いったい証明以外のどのような方法によって数式を認識すると言うのか? カントは指や点の直観を援用しようとするが、それによって自らの思惑に反してこれらの命題を経験的命題であると思わせてしまう危険に陥っている。なぜな ら、37863本の指はどう考えても純粋直観ではないからである。10本の指でさえ互いの配置次第で様々な直観を惹起しうるのだから、「直観」という言葉 も適切ではないと思われる。そもそも私たちは135,664本の指の直観を持っているのか? 135,664本の指の直観と、さらに37,863本の指と173,527本の指の直観を持っていれば、上の等式の正当性は――証明はできなくとも――少 なくとも指については明らかでなくてはならない。しかしそんなことはありえないのである。
 カントは明らかに小さい数しか念頭に置いていなかった。すると、数式は大きい数を扱う場合には証明可能で、小さい数を扱う場合には直接的に明らか、とい うことかもしれない。しかし大きい数と小さい数の間に特に明確な境界を引けそうにない以上、両者の間に根本的な区別を設けることは望ましくない。もし例え ば10を扱う等式からは証明可能であったとすれば、次のように問うことは正当であろう。「なぜ5や2や1からではなく、10からなのか?」



第6節 2 + 2 = 4 についてのライプニッツの証明には隙間がある。a + b についてのグラスマンの定義には欠陥がある。


 実際、他の哲学者や数学者は、 [カントと反対に] 数式の証明可能性を主張した。例えばライプニッツは次のように言う11
 「2たす2が4であるということは、たとえ4が3たす1を表すということを前提したとしても、決して直接的な真理ではない。これは証明可能であり、その手順は以下の通りである。

定義: 1) 2は1たす1である。
  2) 3は2たす1である。
  3) 4は3たす1である。
公理: 等しいものを入れ換えても等式は成立する。
証明: 2 + 2 = 2 + 1 + 1 (定義1)
      = 3 + 1   (定義2)
      = 4      (定義3)
それゆえ公理より: 2 + 2 = 4 」


 この証明は、一見、定義と設定された公理だけから成り立っているように見える。またこの公理も、ライプニッツ自身が他の箇所で12そ うしたように、定義に変換することが可能であろう。1,2,3,4については、この定義に含まれている以外のことは何一つ知る必要はないように思われる。 しかしより詳細に観察すると、括弧の省略によって隠されている一つの隙間が発見される。すなわち、この証明はより正確には次のように書かなくてはならな い。

  2 + 2 = 2 + (1 + 1)
  (2 + 1) + 1 = 3 + 1 = 4
ここで欠けている命題は  
  2 + (1 + 1) = (2 + 1) + 1
であり、この命題は  
  a + (b + c) = (a + b) + c
   


の特殊例の一つなのである。この法則を前提すれば加法のあらゆる式が証明できることは、誰にでも簡単に分かる。この場合、あらゆる数は直前の数から定義さ れねばならない。実際のところ、例えば437,986という数をライプニッツの方法を使う以上に適切に与えられるとは、私には思えない。 [ライプニッツ の方法なら、] たとえ私たちがその数の表象を持っていなくても、数を手に入れて自由に使うことができる。数の無限集合は、この定義によって、数1と、1 だけ増加させる行為へと還元される。そして無限に多い数式はどれも、 [上で行なった証明のように] 少数の一般命題から証明できるのである。
 これはまた、グラスマン[5]とハンケルの意見でもある。前者は、

a + (b + 1) = (a + b) + 1


 という法則をある定義によって得ようとする。そのために彼は次のように言う13
 「もし a と b が基本列の任意の項であるならば、その和である a + b は、

a + (b + e) = (a + b) + e


を満たすような基本列の項として理解される。」
 ここで e は正の単位を意味するとされる。この説明に対しては二通りの反論がありうる。まず第一に、和がそれ自身によって説明されている。a + b が何を意味すべきかを知らない人は、a + (b + e) という表現も当然理解しない。しかしこの反論はもしかしたら――もちろんこれはグラスマンの言うところには反するのだが――説明されるべきなのは和ではな く加法なのだと言うことによって斥けられるかもしれない。しかしそれでもなお、第二の反論が可能である。それは、要求されるような種類の基本列の項が全く 存在しないか、あるいは複数存在する場合は、a + b が空記号になってしまう、というものだ。グラスマンは、このような場合が起こらないということを証明せずに、単純に前提しているだけであり、それゆえ、彼 の説明の厳密性はみせかけのものに過ぎない。



第7節 個々の数の定義は観察された事実を主張し、その定義から計算が帰結するというミルの見解は無根拠である。


 数式が綜合的か分析的か、ア・ポステリオリかア・プリオリかは、その数式の証明が基礎とする一般的法則に応じて決まると考えるべきであろう。だがジョ ン・スチュアート・ミルの考えはこれとは逆である。確かに、彼も最初はライプニッツのように学問を定義に基礎づけようとしているように見える14。というのも、彼も個々の数についてライプニッツのように説明するからである。しかし、全ての知識は経験的であるという彼の先入見が、せっかくの正しい考えをすぐに台無しにしてしまう。彼の説くところによれば15、これらの定義は論理的な意味に おいて定義ではないし、これらは表現の意味を定めるだけでなく、それによって観察された事実を主張するという。777,864という数の定義において主張 されるという観察された事実、あるいはミルは物理的な事実とも言うが、それは一体何なのか? 私たちの眼前に広がる豊かな物理的事実のうち、数3の定義において主張されるべき事実としてミルはただ一つのものしか選ばない。彼によればそれは、○○○ という印象を私たちの感覚に与える一方、○○ ○のように二つの部分に分離することもできるような対象の組み合わせが存在する、ということである。いやいや、世界中の全てのものが鋲と釘で固定されてい なかったのは、何と幸運なことだろう。もしそうなっていたら、私たちはこのような分離を行うことができず、従って2 + 1 は3ではなくなってしまうところだった! 数0や1の基礎となっている物理的事実までミルが描写してくれなかったのは、実に残念である!
 ミルはさらに続ける。「この命題が正しいと認められた後では、同様の全ての部分を3と呼ぶ。」この言葉から分かるように、時計が3回鐘を鳴らしたときに 「3回鳴った」と言ったり、甘い、酸っぱい、苦いを三つの味覚と呼ぶことは実は正しいことではない。同様に、「方程式の三つの解法」という表現も認められ ない。なぜなら、解法について人が○○○のような感覚的印象を持つことなどありえないからである。
 さてミルは言う。「計算は定義そのものからは帰結しない。それは観察された事実から帰結する。」 しかし、ライプニッツは先に [第6節で] 述べた2 + 2 = 4 という命題の証明の一体どの個所で、ミルが言及する事実を引き合いに出すべきだったのか? ミルは 5 + 2 = 7 という命題について、ライプニッツの命題と完全に対応する証明を与えるが16、例の隙間を埋めることを怠っている。括弧の省略によって生じる隙間が厳として存在しているにも関わらず、ライプニッツと同様、ミルもそれに気付いていないのだ。
 もし個々の数の定義が本当に特定の物理的事実を主張しているとしたら、9桁の計算を行える人が持つ物理的知識の豊富さに対して、どれだけ感嘆の念を抱い ても抱きすぎることはない。しかしもしかすると、ミルの見解は、全ての物理的事実が個々に観察されねばならない、ということではなく、全ての事実を含む一 般的法則が一つだけ帰納によって導き出せればそれで十分、ということかもしれない。しかしそのような法則を述べることは、やろうとしても不可能なことであ る。「分割することのできる物の集まりが存在する」と言うだけでは不十分である。なぜなら、それだけでは例えば数1,000,000の定義に必要な大きさ の、そしてそれだけの種類を持った集まりが存在することを述べたことにはならないからである。しかも、分割の仕方も厳密に与えられていない。ミルの見解は 必然的に、個々の数に対して特定の事実が観察されねばならないという要求に帰着することになる。なぜなら、一般的法則においては、数1,000,000の 固有性――これこそ定義に不可欠なもの――が失われてしまうからである。実際、ミルに従えば、物の集まりを分解するための、他の数の仕方とは異なる固有の 仕方こそが観察されなければ、1,000,000 = 999,999 + 1 と定めることは許されないであろう。



第8節 この定義を正当化するためにミルの言うような事実を観察することは不要である。


 ミルは、彼によって選ばれた事実が観察されるまでは、2 = 1 + 1、3 = 2 + 1、4 = 3 + 1などの定義をしてはならない、と考えているようである。確かに、(2 + 1) にいかなる意義も 結び付けられていない場合は、3を(2 + 1)の定義とすることは許されない。しかし、この定義のために例の集まりとその分離を観察する必要があるかどうかは疑わしい。このやり方では0の定義をど うするのか不明だからである。なぜなら、未だかつて0個の小石を見たり触ったりしたことのある者はいないのだから。ミルならきっと、0は無意義なもの、ただの慣用句にすぎないと説明するだろう。その場合、0を使った計算は空虚な記号を使った単なるゲームとなり、どうしたらそこから理性的なものが生じるのか、私たちはただ驚くほかないであろう。だがこの計算が真面目な意味を持つのなら、記号0自身もまた、完全に無意義ではありえない。そしてこのことは、たとえミルによって選ばれた事実が観察されなくても、(2 + 1)も0と同様の仕方で意義を持ちうるという可能性を示唆している。実際、18桁の数の定義において、ミルの言う事実が観察されるなどと、誰が主張するだろう? そして、そのような巨大な数記号がそれでも意義を持つということを、誰が否定するだろう?
 あるいは、物理的事実が必要とされるのは10ぐらいまでの小さな数に対してだけで、それよりも大きい数はこれらの数を合成することで得られると考える人 がいるかもしれない。だが、もし11を10と1から、11に対応する集まりを見なくても定義だけから作ることができるなら、同じように2を1と1から作る ことができないとする理由は何もない。11を使った計算がこの数に特徴的な事実から帰結しないとすれば、どうして、2を使った計算が、ある集まりとそれに 特有の分離の観察に基づかねばならないと考えるのか?
 ひょっとすると、次のような疑問を持つ人がいるかもしれない。「仮に、私たちが感覚によって全く物を区別できない、あるいは3つまでしか区別できないと したら、算術はいかにして成立しうるのか?」 確かに、そのような状態に陥ったら、算術の命題を認識してそれを応用することには支障をきたすだろう。しかし、その真理性までが損なわれるだろうか?  [そんなことはない。] もし、ある命題の内容を意識するために観察を必要とするという理由でその命題を経験的命題と呼ぶとき、その場合の「経験的」とい う語は「ア・プリオリ」と対立する意味で使われているのではない。その場合は命題の内容にしか関係しない心理的意味について語られているのであって、それが真であるか否かは問題になっていない。この意味ではミュンヒハウゼン[6]の法螺話でさえ経験的である――それを創作するためには確かに多くの観察が必要だったのだから。



第9節 ミルの自然法則。ミルは算術的真理を自然法則と呼ぶことで、算術的真理をその適用と混同している。


これまでの考察により、数式は個々の数の定義のみから、若干の一般的法則を用いて導出可能であること、および、数の定義は観察された事実を主張するのでも なければ、その正当化のために前提することもない、ということが確からしくなった。従って問題となるのは、一般的法則の本性を認識することである。
 ミル17は、 彼によって選ばれた 5 + 2 = 7 という数式の証明のために、「部分から合成されるものは、当の部分のそのまた部分から合成されるものと等しい」という命題を利用しようとする。ミルはこれ を、一般には「相等しいものの和は等しい」という形で知られる命題の、より特徴的な表現であると言う。彼はこれを帰納的真理(inductive Wahrheit)または最高次の自然法則と呼ぶ。彼の叙述のいい加減さは、この命題が必要不可欠と彼自身が言う証明の箇所で、全くこの命題が援用されな いところによく表れている。それにも関わらず、彼の帰納的真理はライプニッツの公理「等しいものを互いに置き換えても、等式はなお成立する」の代わりを務 めねばならないと思われる。しかし、算術的真理を自然法則と呼ぶことを可能にするために、ミルは、ライプニッツの公理にはない意義を勝手に読み取ってい る。例えば彼は、1 = 1 という等式は偽である、なぜなら、1ポンドのものが別の1ポンドのものと、常に正確に同じ重さを持つことはないからだ、と言う18。しかし、1 = 1 という命題は、決してそのような事実を主張するものでもない。
 ミルは、+という記号を、物理的な物体や堆積の部分が全体に対して持つ関係を表現する、と理解する。だがそれは誤りだ。 5 + 2 = 7 が意味するのは、5単位の液体に2単位の液体を注げば、7単位の液体を得られる、ということではない。それはこの命題の一つの適用であり、化学反応によっ て体積の変化が生じない場合にのみ認められる適用に過ぎない。ミルは、算術的命題に対してなされうる適用――それはしばしば物理的で、観察された事実を前 提とする――と、純粋な算術的命題そのものを、一貫して混同している。プラス記号は、確かにその適用の多くにおいて、堆積の形成と対応するが、それがプラ ス記号の意味ではない。なぜなら、別の適用、例えば計算を出来事に関連付ける場合においては、堆積や集合、物理的実体がその部分に対して持つ関係について語ることはできないからである。確かにこの場合でも、部分について語ることはできる。しかしそのとき人は、「部分」という語を物理的あるいは幾何学的な意味で はなく、ちょうど国家元首の殺人は殺人全般の一部であると言うときのように、論理的な意味で使っているのである。この場合は、論理的な従属関係が存在して いる。だから、加法もまた一般に物理的関係には対応しない。従ってまた、一般的な加法法則も自然法則ではありえないのである。



第10節 加法法則が帰納的真理であることに反対する理由: 1. 数は互いに同質ではない。2. 私たちはまだ、数に共通の諸性質を定義によって得ていない。3. 反対に、恐らく帰納の方が算術に基礎付けられる。


 しかし、もしかしたらそれでもなお、加法法則は帰納的真理かもしれない。どうすればそう考えられるのか? 加法法則を一般化するために、いかなる事実を根底に置くべきなのか? 恐らく、数式以外にはありえまい。すると、数式を根底に置くことで、個々の数の定義から得られた利点は再び失われ、私たちは、数式を基礎付ける別の方法を 探さねばならないだろう。これ自体決して些細な懸念ではないが、仮にこの不利を無視するとしても、なお帰納のための基礎には不都合が見出せる。なぜならこの場合、帰納の基礎には、普通なら基礎付けの方法に信頼性を与えてくれる一様性が欠けているからである。既にライプニッツ19が、フィラレート[7]の「数の様々な様態は、多い少ないの違いでしかありえません。ですから、それは延長の様態と同様、単純な様態なのです」という主張に対して、 [テオフィルの口を借りて] 次のように答えている。
 「そのことは時間や直線についてなら妥当します。けれども図形についてはいささかも妥当しないし、数についてはなおさらです。数は大きさにおいて異なる のみならず、似てもいないのです。偶数は二等分可能ですが、奇数はそうはいきません。3と6は三角数、4と9は平方数、8は立法数、等々。そしてこのよう な事態が生じるのは、図形よりも数の場合の方がいっそう頻繁です。等しくない二つの図形が互いに完全に似ていることは可能でも、二つの数においてはありえ ないのですから。」
 確かに私たちは慣習的に、異なる数を多くの点で同質なものと見なす。しかしその根拠は、単に、全ての数に適用できる一般命題を幾つか知っているからに過ぎない。ところが今の私たちは、一般命題は未だ一つとして承認されていないという立場に立たねばならないのである。実 際のところ、私たちの場合に対応するような帰納的推論のための実例を見つけ出すことは困難であろう。他の場合であれば、「空間内の任意の場所と任意の時点 は、それ自身として、他の場所や時点と同じである」という命題が役に立つ。条件さえ同じであれば、場所と時点が異なっても同じ結果が生じなければならな い。しかし数の場合はそうではない。なぜなら、数は非空間的・非時間的なものだからだ。数列における位置は、空間における場所と違って、どこでも同等とい うわけではないのである。
 数はまた、例えば動物種の個体とも異なる振舞いをする。個体は事柄の本性によって一定の序列を持っているが、数は特有の仕方で形成され、その固有性―― 特に0, 1, 2において顕著に現れる――を持っている。他の場合に、ある種に関する命題を帰納によって基礎付ける場合、普通は、種に共通の性質の多くが種概念の定義の みから既に知られているものである。翻って数の場合、それ自体は最初に証明する必要のない共通の性質を2、3個見つけるだけでも難しい。
 最も簡単なのは、私たちの場合を次の場合と比較することもしれない。鉱山のボーリング孔の中を降っていくと、深さに応じて規則的に温度が上昇することに 気付いたとする。そしてこれまでに、非常に様々な岩盤の層が見つかったとする。これらの観察からだけでは、より深い層の状態について何一つ推論できないこ と、また、温度上昇の規則性が以後も続くか否かは不明のままであらざるをえないことは明らかである。確かに、「際限のない掘削によって見出されるもの」と いう概念には、これまで観察されたものだけでなく、より深いところにあるものも属している。しかしこの概念はここではほとんど役に立たない。同様に数の場 合でも、「際限なく1づつ加えることによって得られるもの」という概念に全ての数が属するということは、ほとんど役に立たない。この二つの場合の違いを、 地層はただ発見されるだけなのに対し、数は際限なく加えることによってまさに創造され、全ての本質が確定される、という点に見出すことができる。これはつ まり、ある数――例えば8――が1づつ増加させることで得られる仕方から、その全ての性質が導出可能であるということでしかない。結局のところこれは、数 の性質がその定義から導けることを認めるということであり、ここから、数の一般法則を全ての数に共通の成立の仕方から証明するという可能性が開かれ、一 方、個々の数に固有の性質は、それが際限なく1づつ加えられることによって形成される特有の仕方から導かれることになるであろう。それゆえまた、地層の場 合にも、それが存在する深さだけから確定されること、つまり地層の位置関係は、まさに深さだけから推論できるのであって、帰納を使う必要はないのである。 そして深さだけからでは確定されないことは、帰納によっても知ることはできないのである。
 帰納を単なる慣習とみなさないのであれば、おそらく、帰納という方法自身が算術の一般命題によってしか正当化できないだろう。つまり、習慣は真理を保証 する力を全く持たない。客観的な基準に従った学問的な方法は、あるときは、唯一の確証に高い蓋然性が基礎付けられると見なし、またあるときは、幾千回もの 的中でさえ無価値なものと見なすが、他方、慣習は、印象の数や強化、判断に対して影響を及ぼす権利を全く持たない主観的状態によって確定されるものであ る。帰納はある命題を蓋然的以上には確証できないのだから、帰納は蓋然性の理論に依拠せねばならない。しかし、どうすれば蓋然性の理論が算術的法則を前提 せずに展開可能なのか、予測がつかないのである。



第11節 ライプニッツの「生得的」


これに対し、ライプニッツ20は、 算術において見出されるような必然的真理は、その証明が事例に依存しない、従って感覚的な証拠に依存しない諸原理を持たねばならない、と考えている。ただ し、感覚がなければそのような原理について考えることなど誰にも思いつかなかっただろう、とも言っているが。「算術全体は私たちに生得的に与えられたもの であり、仮想的な仕方で私たちの中にある。」 「生得的」という表現をライプニッツがどように考えているかは、他の箇所21か ら明らかになる。いわく、「人が学ぶ全てのものが生得的であるわけではない、というのは正しくない。数の真理は [生得的に] 私たちの中にあるが、にも かかわらず人はそれを学ぶ。証明という方法によって学ぶときは真理をその源泉から引き出すことによって学び(これは数の真理が生得的だということを示して いる)、あるいは・・・」





算術の法則は綜合的ア・プリオリか、それとも分析的か?




第12節 カント。バウマン。リプシッツ。ハンケル。認識根拠としての内的直観


分析的と綜合的の対立を受け入れるなら、四つの組み合わせが生じる。だがこのうちの一つ、つまり

     分析的ア・ポステリオリ

は除外される。よって、ミルとともにア・ポステリオリを支持した場合には一つの選択肢も残されていないので、私たちは次の二つの可能性

     綜合的ア・プリオリ

および

     分析的

だけを引き続き検討すればいい。このうち、前者を支持するのがカントである。この場合、恐らく、最終的な認識根拠として純粋直観を持ち出す以外の道は残さ れていないだろう。もっともこの場合、それが空間的直観か時間的直観か、あるいはそうでなければどのような種類の直観かを言うことは困難なのだが。バウマ ン22[8]は、理由は少し異なるが、カントに賛成する。またリプシッツ23によっても[9]、基数が数え方に依存しないことや、加数の交換可能性と結合可能性を主張する命題は内的直観をその根拠とする。ハンケル24は 実数論の基礎を、彼が公理(notiones communes)という性格を帰する三つの基本命題に基礎付ける。「これらの基本命題は解明によって完全に明らかになり、量についての純粋直観によって あらゆる量領域について適用される。そしてその性格を損なうことなしに定義に変換することができる。それには、量の加法とは、これらの基本命題を満たす一 つの演算である、と言えばよい。」 この最後の主張には不明瞭な点がある。もしかすると定義を行うことは可能かもしれないが、基本命題の代わりにはなりえない。というのも、定義の適用におい ては常に、基数は量であるのか、普段基数の加法と呼ばれているものがこの定義における加法であるのか、という問題が生じるからである。そしてこれらの問い に答えるためには、基数についての先の命題を既に知っていなくてはなるまい。さらに、「量の純粋直観」という表現が困難を引き起こす。量と呼ばれるもの全 てについてよく考えれば、次のようなものが思い浮かぶ。長さ、面積、体積、角度、曲率、質量、速度、力、光度、直流電流の強さ、等々。これらのものをどう すれば量概念の下に従属させられるかは、理解可能である。しかし「量の直観」や、ましてや「量の純粋直観」という表現は、適切なものとは認められない。私 は100,000の直観でさえ許容できないし、ましてや数一般とか量一般の直観など到底許せない。他に根拠を挙げられないとき、人はあまりに安易に純粋直 観に頼ってしまう。しかしその場合は、「直観」という語の意味を完全に見失ってはならない。
 カントは『論理学』(ハルテンシュタイン編 第8巻 p.88)で「直観」という語を次のように定義する。
 「直観は一つの個別的表象であり、概念は一般的表象または反省的表象である。」
 ここでは感性との関係は全く触れられていないが、しかし「超越論的感性論」では一緒に考えられており、その結びつきがなければ直観はア・プリオリな綜合 的判断に対する認識原理として役に立ちえない。『純粋理性批判』(ハルテンシュタイン編 第3巻 p.55)においては次のように述べられている。
 「感性を介して私たちに諸対象が与えられ、感性だけが私たちに直観をもたらす」
 それゆえ、『論理学』において「直観」という語が持つ意味は、「超越論的感性論」におけるそれよりも広いのである。もしかするとこの論理的な意味なら、 人は100,000を直観と呼ぶことができるかもしれない。なぜならこれは一般的概念ではないからである。しかし「直観」という語をこの意味で解釈する と、直観が算術法則の基礎づけに役立つことは不可能になってしまうのだ。



第13節 算術と幾何学の違い


 一般に、算術の幾何学に対する親近性を過大評価しない方がいいだろう。私は既に [第10節で]  この過大評価に反対するライプニッツの文章を引用しておいた。幾何学における点は、それ単独で考えられた場合、他のいかなる点とも全く区別されえない。 直線や平面の場合も同様である。複数の点、直線、平面が一つの直観において同時に把握されて初めて、それらは区別される。もし幾何学において一般命題が直 観から獲得されるなら、そのことは、直観された点、直線、平面が、本来全く特殊なものではなく、それゆえその種類全体の代表者とみなされうるということか ら説明可能である。だが数の場合は事情が異なる。というのも、それぞれの数はその固有性を持っているからである。ある特定の数がどのような点で他の全ての 数を代表できるか、また逆に、特殊性がどのような場合に現れるかは、簡単に言えることではない。



第14節 それぞれの支配領域における諸真理の比較


 それぞれの支配領域において諸真理を比較することも、算術法則が経験的かつ綜合的な本性を持つことに反対する議論を与えてくれる。
 経験的命題は、物理的または心理的現実に対して成立し、幾何学的真理は、現実であれ想像力の産物であれ、空間的に直観されるものの領域を支配する。高熱 による恐ろしい幻覚や、伝説や詩歌の非常に大胆な虚構――動物が人語を話し、星の動きを止め、石から人間を作り、人間から木に変え、沼から自分の髪を使っ て脱出する方法を教える――は、それらが直観されるものである限り、幾何学の諸公理から制約を受けている。四次元空間や正の曲率などを想定することで[10]、 概念的思考だけが、ある仕方でこの諸公理から離れることができる。こうした考察は決して無駄ではないが、直観という大地からは完全に遊離することになる。 こうした考察において直観を援用しようとしても、それは常にユークリッド空間の直観、つまり私たちが有する諸図形の唯一の空間の直観になってしまう。しか もそのときは、あるがままの直観ではなく、他の何かを象徴するものとして受け取られるのである。例えば、真っ直ぐとか平らと呼ばれるものは、曲がったもの として直観される。それでも、この概念的思考に対しては、あれやこれやの幾何学的公理についてその逆を想定しうるのであり、かつ、直観に反するこうした想 定から推論を行なっても矛盾に陥ることはない。この可能性が示すのは、幾何学の公理は互いに独立で、また論理の原初的法則からも独立であり、従って綜合的 だということである[11]。 同じことが数の学問の根本命題にも当てはまるだろうか? 根本命題の一つでも否定しようとしたら混乱に陥るのではないか? それでも思考は可能だろうか? 算術の基礎は、いかなる経験的知識の基礎よりも深いところに――幾何学の基礎さえ凌駕する深みにあるのではないか? 算術的真理は、数えられるものの領域を支配する。これは最も広範な領域である。なぜなら、現実や直観されるものだけでなく、思考可能な全てのものを含む領 域だからである。それゆえ、数の法則は思考の法則と最も密接に結びついていなくてはならないのではないか?



第15節 ライプニッツとSt.ジェヴォンズの見解


 ライプニッツの言葉は、数の法則の本性が分析的であることに有利に働くようにしか解釈できない。これは、彼にとってア・プリオリなものと分析的なものは一致することからも予想できたことである。それゆえ彼は25、代数はその長所を、もっと高度な技術、すなわち真の論理から借用していると言う。また別の箇所では26、必然的真理と偶然的真理を通約可能な量と通約不可能な量と比較して、必然的真理の場合は証明や同一性への還元が可能であると述べている。だがこの言葉はその重要性を失っている。というのも、ライプニッツは全ての真理は証明可能だとみなす傾向があったからである27。「あらゆる真理は名辞の概念から導かれるア・プリオリな証明を持つ。私たちの力では、常にその分析に到達できるとは限らないとしても。」もちろんそれでも再び、通約可能性と通約不可能性を比較することによって、偶然的真理と必然的真理の間に、少なくとも私たちにとっては越えることのできない壁が作られるのだが。
 W.スタンレイ・ジェヴォンズ28は[12]、数の法則の本性は分析的であるということを、非常にはっきりとこう述べている。「数とはただ論理的な区別に過ぎず、代数は高度に発展した論理学である」



第16節 こうした見解に反対して、ミルは「言葉の巧妙な操作」とけなす。知覚可能なものを意味しないからといって、記号が空虚なものになるわけではない。


 しかしまた、この見解も幾つかの難点を持つ。空高く屹立し、細かく枝分かれし、そして常に成長を続ける数の科学というこの大樹が、果たして単なる同一性 に根ざすものだろうか? そして、いかにすれば論理学の空虚な形式が、そのような [豊かな] 内容を自ずから獲得するだろうか?
 ミルは次のよう考える。「私たちが言語の巧妙な操作によって諸事実を発見し、自然の隠された過程を明るみに出すことができるという教説は、まともな人間には理解しがたいことであり、それを信じるためには既に哲学において進歩していなくてはならない。」
 もし人が巧妙な操作の際に何も考えないのならば、確かにミルの言う通りである。ミルがここで反対しているのは、ほとんど誰も擁護しそうにない形式主義で ある。語や数学の記号を使う者なら誰でも、それらが何かを意味することを要求するし、空虚な記号から有意義なものが生じることを期待する者などいない。 もっとも、記号によって感覚的に知覚可能なものや直観されるものを理解していなくとも、数学者は長い計算を行うことができる。しかし、だからといって、そ の計算で用いられる記号が無意義なものになるわけではない。記号の内容が記号を介してしか把握可能でないとしても、やはり、記号の内容と記号自身は区別さ れるのである。人は、同じものに異なる記号が割り当てられることもありえた、ということを自覚している。記号において感覚可能なものとされる内容をいかに して論理的に扱うか、そして物理学への応用をしようとするとき、諸現象への移行がどのようになされねばならないか、この二点を知っていれば十分である。し かし、そうした応用において、命題の本来の意義は見出されない。なぜなら、そういう場合、命題の一般性の大部分が失われ、別の応用の際には別のもので置き 換えられる個別的なものが入り込んでいるからである。



第17節 帰納の不十分さ。数の諸法則は分析的判断であるという予想。その有用性はどこにあるのか。分析的判断の尊重。


 演繹に対するミルの悪口雑言にも関わらず、帰納によって基礎付けられる諸法則は不十分であることは否定できない。そうした法則からは、個々の法則の中に は含まれていない新しい諸命題が導出されねばならない。新しい諸命題は、法則を全部集めれば、ある仕方で既にその中に隠れているのだが、だからといって、 法則から命題を展開し、それ自身として提示する仕事が免除されるわけではない。この点を認めると、次のような可能性が開ける。すなわち、ある推論系列を直 接に事実に結びつける代わりに、事実は取りあえず保留しておいて、その事実の内容を条件として携行することが可能になる。思考系列における全ての事実を条 件によって置換することで、 [推論の] 成果を [事実と置換して得た] 諸条件の系列に依存する形で得ることになるだろう。こうして得られた真理は、 思考だけによって。あるいはミルの言い方によるなら、言葉の巧妙な操作によって基礎付けられるだろう。数の法則がこの種の真理であることも、ありえないこ とではない。もしそうなら、数の法則は、たとえ思考だけから発見されなくとも、分析的判断である。なぜなら、ここでは発見の方法は問題ではなく、重要なのは証明根拠の種類だからである。あるいはライプニッツが言うように29、 「ここで問題なのは、異なる人において互いに異なるような、私たちの発見の叙述ではなく、真理の、常に同一であるような連結と自然的秩序であるからであ る。」 それから最後に、そのようにして基礎付けられた法則に含まれる諸条件が満たされるかどうかを、観察によって決定しなければなるまい。このような手続きで最 終的に到達する結論は、推論系列を観察された事実に直接結びつけることによって到達する結論と同じかもしれない。だが多くの場合、ここで示唆した種類の手 続きの方が望ましい。なぜならこの手続きは、まさに当面の事実だけに適用可能というわけではない一般命題へと通じるからである。その場合、算術の諸真理が 論理学の諸真理に対して持つ関係は、ちょうど幾何学の定理が公理に対して持つ関係と似たものになるだろう。どの算術的真理も、それ自身のうちに、将来使う ための推論系列全体を圧縮して含み、その有用性は 、もはや個々の推論を行う必要がなくなり、全系列の成果を即座に表明できることにある30。算術の理論の目覚しい発展とその多用な応用を見れば、分析的判断について蔓延している過小評価と純粋論理学が不毛であるというでっちあげは維持しえないものである。
 以上のことは、ここで最初に述べられた見解というわけではないが、もしこれを細部にわたって厳密に、僅かの疑念すら残さないよう実行することができたなら、その成果は決して無価値なものではあるまいと、私は考えている。




Ⅱ. 基数の一般概念に関する何人かの論者の見解



第18節 基数の一般概念を探究することの必要性


 さて、算術の本来の諸対象に向う際、私たちは3, 4といった個々の数を基数の一般概念から区別する。今や私たちは既に、個々の数はライプニッツやミル、グラスマンらの方法で、1とそれに1加算することか ら導出することが最良であること、および、1と1加算することが未説明のままでは、この説明はまだ不十分であることを確認した。私たちはまた、これらの定 義から数式を導出するためには一般命題を必要とすることを見た。そのような法則は、まさにその一般性のゆえに、個々の数の定義からは導出できず、基数の一般概念からしか導き出すことはできない。これから私たちは、この概念について厳密な考察を行なう。その際、おそらく、1とそれに1加算することについても論じる必要があるだろうし、従ってまた、個々の数の定義も完全なものにすることが期待されるべきであろう。



第19節 基数の定義は幾何学的であってはならない。


 ここで私がすぐに反対しておきたいのは、数を長さや面積の比例数として、幾何学的に把握しようとする試みである。人々は明らかに、 [算術と幾何学の] 初期段階から両者を密接に結び付けておけば、幾何学に対して算術を様々に応用することが容易になると考えていた。
 ニュートン31が数ということで考えようとしたのは、諸単位の集合というよりはむしろ、各々の量と、単位とみなされる同種の別の量との間の抽象的な比である。確 かに、彼の定義によれば、分数や無理数を含む広義の数を適切に記述することができる。しかしその場合は、量の概念と量の比の概念が前提されることになる。 従って、 [この二つの概念を定義する必要があるため] 狭義の数、すなわち基数の説明は不要にはならないであろう。なぜなら、ユークリッドは二つの長さ の比の相等性を定義するために同数倍という概念を必要としたが[13]、 結局のところ、同数倍は数の同一性に帰着するからである。もっとも、長さの比の相等性を数概念を使わずに [純粋に幾何学的に] 定義することは可能なの かもしれない。だがたとえそれが可能だとしても、その幾何学的に定義された数が日常生活における数といかなる関係にあるのかは不明確なままである。そうす ると、日常生活における数は、完全に学問からは対象外とされることになろう。しかし、たとえ応用それ自体が学問の仕事ではないとしても、学問は数の個々の 応用についての糸口を与えなければならないと要求することはできる。日常行われる計算もまた、そのやり方の基礎は学問において見出されなければならない。 するとここで一つの疑問が生じる。それは、方程式の解の個数、あるいは、ある数に対して素であり、かつ、それよりも小さい数、あるいはそれと同じような幾 つもの数を考慮に入れた場合、果たして算術それ自身は幾何学的な数の概念でやっていくことができるだろうか、という疑問である。反対に、「いくつ?」とい う疑問の答えとなりうる数 [=正の整数] は、ある長さの中にいくつの単位が含まれているかを確定することもできる。負数、分数、無理数を使った計算 は、自然数を使った計算に還元可能である。だがニュートンはもしかしたら、数がその間の比として定義されるところの量という概念に、幾何学的な量だけでな く集合も含めて理解しようとしたのかもしれない。だがそうであっても、彼の説明は私たちの目的のためには使うことができない。なぜなら、「ある集合を確定 する数」と「ある集合が集合単位に対して持つ比」という表現では、後者が前者よりも重要な情報を与えてくれるわけではないからである。



第20節 数は定義可能か? ハンケル。ライプニッツ


すると、第一の問いはこうなるだろう。「数は定義可能か?」 ハンケル32はこれを否定して言う。「ある対象を1回、2回、3回・・・と思考したり措定したりすることが意味するものは[14]、 この措定という概念が原理的に単純であるため定義不可能である。」 しかしここで重要なのは措定ではなくむしろ1回、2回、3回の方である。もしこれが定義可能だとすれば、措定の定義不可能性についてそれほど悩む必要はな いであろう。ライプニッツは、数を十全な観念、つまりその中に現れる全てのものが再び明確に現れるほど明確な観念に、少なくとも近いものとみなす傾向があ る[15]。
 もし全体として基数を定義不可能なものとみなす傾向が優勢なら、その理由はきっと、事柄自体から推測された反対理由が存在することよりも、基数を定義する試みが失敗したからであろう。




基数は外的な物の性質であるか?




第21節 M.カントールとE.シュレーダーの見解


 少なくとも私たちは、私たちの諸概念の下に基数の概念を位置付けることを試みよう! 言語において数[詞]は大抵の場合、固い、重い、赤いなど外的な物の性質を述べる語と同様、形容詞の形で付加語的な結合の中に現れる。すると当然、個々の 数もこのように [物の性質として] 把握しなければならないのか、それゆえ基数概念は、例えば色概念と同列に [一階の概念として] 扱うことができる のか否か、という疑問が生じてくる[16]。
 M.カントールが[17]、数学は外世界の諸対象の考察から出発する限りにおいて、経験科学であると言うとき33、彼はこの見解を保持していると思われる。それによれば、数は諸対象からの抽象によってのみ生じるとされる。
 シュレーダー34[18]、 諸単位を一で模写して現実から数を引き出すことによって、数を作ろうとする。これを彼は数の抽象と呼ぶ。この模写において諸単位は、色や形など他の全ての 物の性質を度外視することによって、頻度という観点からのみ表現される。ここにおいて、頻度は基数の別の表現でしかなくなる。従ってシュレーダーは、頻度 あるいは基数を、色や形と同列に位置づけ、これを物の性質であると考えている。



第22節 バウマンはこれに反論して言う:外的な物はいかなる厳密な単位も表さない。見かけ上、基数は私たちの把握に依存する。


バウマン35は、 数は外的な物から抽出された概念であるという考えを棄却する。「なぜなら、外的な物は私たちにとっていかなる厳密な単位も表さないからである。つまり、外 的な物は私たちにとって境界付けられた集団とか知覚可能な点を表すが、しかしそれら自身を再び多と見なす自由が、私たちにはある。」 実際、単に把握の仕方によるだけでは、私が物の色や堅さを僅かなりとも変えることはできないのに対し、イリアスを一つの詩と見なすか、24巻として、ある いは多数の行としてみなすかは、私の自由である。1000枚の葉について語ることと、木の緑の葉について語ることとは、全く意義が異なるのではないか? 私たちは緑色を一枚一枚の葉の性質として帰属させるが、1000という数についてはそうしない。私たちは、木の全ての葉(Blatt)を、群葉 (Laub)という名の下にまとめて把握することができる[19]。 群葉もまた緑色であるが、しかし1000ではない。では一体、1000という性質は何に帰属するのか? 個別の葉にも、葉の総体にもほとんど帰属しないように思われる。もしかすると、実は外的世界の物には全く帰属しないのではないか? 私が誰かに一つの小石を与えて、その重さを決めろと言えば、私は彼に探究の対象を完全に与えたことになる。しかし、トランプを一束わたして、その基数を決 めろと言った場合、私が知りたいのがトランプの枚数なのか、ゲームの試合数なのか、それとも例えばスカートゲームの得点数なのか、彼にはまだ分からない。 トランプの束を渡しただけでは、まだ探究の対象を完全に与えたことにはならないのである。私はさらに、カードなのか、ゲームなのか、得点なのかを付け加え なくてはならない。また、この場合、互いに異なる色が並存するように、異なる数が並存すると言うこともできない。私は一言も発さずに個々の有色の表面を指 すことができるが、同じように個々の数を指すことはできない。もし私が、ある対象について緑と言う権利も赤と言う権利も同等に持っているとすれば、それは この対象が、本当は緑色の担い手ではない証拠である。緑でしかない表面において初めて、緑色の本当の担い手が得られる。これと同様に、私が異なる数を帰属 させうる対象もまた、数の本当の担い手ではない。
 色と基数の本質的な相違は、青色は、私たちの意志とは独立に、ある表面に帰属するという点にある。青色とは、ある種の光線を反射し、それ以外の光線は多 かれ少なかれ吸収するという能力であり、それが私たちの把握によって少しでも変わることはない。これと反対に、トランプの束に対して基数1、あるいは 100、あるいは別の数がそれ自身において帰属するとは言えない。せいぜい言えることは、基数は、私たちの恣意的な把握方法との関連において帰属を持つと いうことであり、その場合でも、トランプの束に基数を単純に述語として帰属できるとは言えないであろう。私たちが何を完全な1ゲームと呼ぶかは、明らかに 恣意的な規約であり、トランプの束はそれには何も関係しない。しかしこのような洞察を行うことによって、完全な2ゲームと呼びうるものを発見することもあ るかもしれない。 [しかしたとえそうだとしても] 何をもって完全な1ゲームと呼ぶかを知らない人は、恐らくこの2とは別の何らかの基数を、その束に見 つけ出してしまうだろう。



第23節 数は物の集積の性質であるというミルの見解は、保持できないものである。


 数が性質として何に帰属するかという問いに対して、ミルは次のように答える36。「数の名前は、我々がその名前で呼ぶ物の集積に帰属する性質を表示する。そしてこの性質は、集積が構成されたり部分へ分解されうる、唯一の特徴的な仕方である。」
 この引用において、まず「唯一の特徴的な仕方(die charakteristische Weise)」という表現におけるdieという定冠詞は誤りである。なぜなら、集積を分解する仕方は複数あり、一つの仕方が特徴的であるとは言えないから である。例えば一つの藁束を分解するには、全ての藁を切断したり、それぞれの藁を解いたり、二つの束に分けたり、色々な仕方がある。そもそも、100粒の 砂から成る砂山と100本の藁からなる藁束は、同じように構成されたものだろうか? [そうではない。] しかしそれでも、両者の数は同じである。「一本 の藁」という表現の中の「一本の」という数詞は、この藁が細胞や分子からいかに構成されているかを表現してはいない。さらに難しいのは数0の場合である。 そもそも、数えられるためには、藁は一つの束を形成せねばならないのか? 「ドイツ帝国における盲人の数」という表現が意義を持つためには、彼らが一つの集会に参加する必要があるのだろうか? 1000粒の小麦は、蒔かれた後ではもう1000粒の小麦の粒ではなくなるのだろうか? 定理の証明や出来事についても、本当はその集積が存在するのか? [しないであろう。] しかしそれでもまた、これらも数えることができる。出来事が同時 に起きようとも、数千年の間隔を置いて起きようとも、それは数える際にはどちらでもいいことである。



第24節 数の幅広い適用可能性。ミル。ロック。ライプニッツの非物体的で形而上学的な図形。もし数が感覚的なものであれば、数が非感覚的なものに付与されることはありえないであろう。


 ここにおいて私たちは、数を色や固さと同列に扱えない、もう一つの理由に到達する。それが数の、はるかに大きな適用可能性である。
 ミルの考えによれば37、部分から構成されているものは、当の部分のまた部分から構成されているという真理は、全ての自然現象について妥当する。なぜなら、自然現象は全て数えられるからである。しかし数えられるものなら、もっとたくさんあるのではないか? ロックは言う38。「数は人間にも、天使にも、行為にも、思考にも、およそ実在するか表象可能な全てのものに適用できる。」 ライプニッツ39、 数は非物体的なものには適用不可能であるというスコラ学者の見解を棄却し、数は、いわば、何らかの物の統合から生じた非物体的な図形である――例えば、 神、天使、人間、運動が統合されたときは4になる――と言う。それゆえ彼によれば、数は完全に一般的なものであり、形而上学に属することになる。また別の 箇所ではこう言われている40。「力と能力を持たないものは、重さを量れない。部分を持たないものは、それゆえ計量単位を持たない。しかし、数を許容しないものは存在しない。ゆえに、数はいわば形而上学的図形である。」
 実際、外的な物から抽象された性質が、意義を変えることなく出来事や表象や概念に転用できるとしたら、驚くべきことである。それはまるで、可溶性の出来事や、青い表象、塩辛い概念、頑丈な判断について語ろうとするようなものであろう。
 その本性において感覚的なものが非感覚的なものに現れるというのは、馬鹿げた話である。私たちが青い平面を見るとき、私たちは「青い」という語に対応す る固有の印象をもつ。そして別の青い平面を見るときにも、その印象を再認する。同様に、三角形を見たときにも「3」という語に感覚的なものが対応すると仮 定するなら、私たちは三つの概念においてその感覚的なものを再び見出さなくてはならない。すると、非感覚的なものが、それ自身において感覚的なものを持つ ことになる。確かに、「三角形の」という語には一種の感覚的なものが対応する、ということは認められる。しかしその場合は、この語を全体として受け取らな ければならない。私たちはその中に3を直接見るわけではない。そうではなく、私たちが見るのは、それに精神的活動が結びつきうる何かであり、この精神的活 動が、数3の現れる判断へとつながるのである。そもそも私たちは、例えばアリストテレスの三段論法の格の個数を何によって知覚するというのか? 例えば眼で見てか? 私たちが見るのはせいぜい、格を示すある種の記号であって、格自体ではない。もし格自体が見えないなら、いかにしてその個数を見るのか? しかしあるいは、記号が見えれば十分ではないか、その数は格の数と等しいのだから、と考える人がいるかもしれない。だが、いかにしてそのことを知っている のか? そのためにはやはり、後者の数が別の仕方で前もって規定されている必要がる。あるいは「三段論法の格の数は4である」という命題は、単に「三段論法の格の 記号の数は4である」の別表現なのだろうか? そうではない! 記号については何も述べられているはずがない。記号の性質が同時に表示されたものの性質を示すのでなければ、記号について何かを知ろうとする人間などいな い。同一のものが異なる記号を持っていたとしても論理的誤りにはならないのだから、記号の数が表示されるものの数と一致する必要すらないのである。



第25節 ミルは2と3を物理的に区別する。バークリーによれば、数は現実に物の中にあるのではなく、心によって創造されるものである。


 ミルにとって数は物理的なものであるが、ロックとライプニッツにとっては、それはただ観念の中に存在するものである。確かに、ミルの言うように42、二つのリンゴは三つのリンゴと物理的に異なるし、二頭の馬は一頭の馬と物理的に異なる。二頭の馬は一頭の馬とは異なる、可視的で可触的な現象である。しかしこのことから、2であることと3であることは物理的に異なると結論できるだろうか? 組の長靴は、二個の長靴と同様、可視的で可触的な現象である。この場合、数の違いは物理的な違いに対応していない。なぜなら、二個と組は、決して [数として] 同じではないからである――おかしなことに、ミルは同じだと信じているようだが。結局のところ、二つの概念を三つの概念から物理的に区別することがいかにして可能なのか?
 そこでバークリーは次のように言う43。 「注意しなければならないが、数は物自身の中に実在する固定的なものでははない。数は全く心の産物であり、心が一つの観念かあるいは諸観念の結合を考察し て、それに名前を与えようとし、一つの単位として通用させるときに生み出されるものである。心が観念を様々に結合させるのに応じて単位も変化し、単位の変 化に応じて数もまた変化する。数とは単位の集まりに過ぎないのである。ある窓=1。多くの窓を持つある家=1。そして多くの家々が一つの都市を形成す る。」





数は主観的なものか?





第26節 リプシッツの数形成についての記述は不適切であり、概念規定の代用にはなりえない。数は心理学の対象ではなく、客観的なものである。


 こうした思考過程において、人は簡単に、数を主観的なものだとみなしてしまう。私たちの中に数が現れる仕方が、その本質に解明を与えられると思われるのだ。そのようにして人は心理学的探究へと向かうことになる。恐らくはこの意味で、リプシッツは次のように言う44。  「何らかの物について展望を得ようとする者は、確定的な物から始め、そして常に一つの新しい物を前の物に付け加えていくだろう。」 このやり方は、数形成よりもむしろ、私たちが例えば星座の直観を得る仕方により適切だと思われる。展望を得ようという意図は、数形成にとって本質的ではな い。なぜなら、群れは、何頭から成るかが分かった方がより明瞭になるとは、ほとんど言うことはできないであろうから。
 数判断を下すことに先行する内的過程のこのような記述は、たとえそれがより適切なものであろうとも、本来の概念規定の代わりにはなりえない。こうした記 述は、算術命題の証明のために引き合いに出すことはできないであろう。私たちはそれを通して数の本性を知るのではない。なぜなら数は、例えば北海と同じ く、心理学の対象でもなければ心的過程の産物でもないからである。地球上の海洋のどの部分を境界付けて、そこに「北海」という名前を付与するかは、私たち の恣意に依存するが、しかしそのことは、北海の客観性を損なうものではない。それは、この海を心理学的な方法で探究しようとする理由にはならない。そして 数もまた客観的なものである。「北海の面積は10,000平方マイルだ」と言うとき、人は「北海」や「10,000」という語で自分の内的な状態や過程を 指示しているのではなく、私たちの表象やその他諸々から独立の、全く客観的なことを主張しているのである。例えば私たちが、北海の境界をもう一度引きなお したり、「10,000」という語で他のものを理解しようとしたとしても、以前に正しかったのと同一の内容が偽になるわけではない。そうではなく、真な内 容の代わりにもしかすると偽な内容が押し込まれるのであって、それによって前者の真理性が破棄されることにはならないであろう。
 植物学者が花の葉の数を述べるときに言おうとすることは、花の色を述べるときと同様、全く事実的な何かである。どちらも同様に私たちの恣意には依存しな い。ゆえに、基数と色の間にはある種の類似性がある。しかしそれは、外的な物において感覚的に知覚可能という点にはなく、両者が客観的であるという点にあ る。
 私は、客観的なものを、手でつかめるもの、空間的なもの、現実的なものから区別する。地軸や太陽系の質量の中心は客観的であるが、地球それ自身のように 現実的だとは言いたくない。人はしばしば赤道を思考上の線(gedachte Linie)だと言う。しかしそれを考え出された線(erdachte Linie)と呼ぶことは誤りであろう。赤道は思考によって生み出された心的過程の産物ではなく、ただ思考によって認識され、把握されるというに過ぎな い。もし仮に認識されることが生起することであるなら、私たちは、この生起と称されることに時間的に先行する時期においては、赤道について何も肯定的なこ とを言えなくなるだろう。
 カントによれば、空間は現象に属する。空間が他の理性的存在には私たちとは全く別様に現れるということは、あり得るかもしれない。いやそれ以前に、空間 が異なる二人の人間の間で別様に現れているか否かを知ることさえ、私たちにはできない。なぜなら私たちは、ある人間の空間現象を、他の人間のそれと比較す るために並置するすることはできないからである。しかしそれでもなお、空間には何か客観的なものが含まれている。全ての人間が、行為を通じてでしかないに せよ、同じ幾何学的公理を認めており、また、世界の中で進むべき道を知るためにはそうせざるを得ないのである。空間において客観的であるものは、法則的な もの、概念的なもの、判断可能なものであり、これらは言葉で表現できるものである。純粋に直感的なものは伝達不可能である。この点を明確にするために、二 人の理性存在を仮定しよう[20]。 彼らが直観できるのは、ある直線上に三つの点がある、ある平面に四つの点がある、などの射影的性質や関係だけである。一方には点として直観されるものが他 方には平面として現れ、その逆も成り立つとしよう。一方にとって点の結合線であるものが、他方にとっては平面の交線である、といった具合に、常に双対的な 関係が成立するのである。さて、彼らは全く問題なく互いに意思疎通を行うことができ、自分たちの直観の相違には気付かないだろう。なぜなら射影幾何学にお いては、どの定理にも別の定理が双対的に対応するからである。直観に現れるものについての評価の食い違いは、確実な目印にはならないであろう。全ての幾何 学的命題に関して、二人の真偽判断は完全に一致し、彼らはただ、直観における言葉を異なった仕方で置き換えるだけであろう。例えば「点」という語に一方は この直観を、他方はあの直観を、というように。それゆえ私たちは少なくとも、彼らにとってこの語は何か客観的なものを意味すると言えるのである。しかし、 その意味を彼らの直観の特殊なものと理解してはならない。そしてこの意味において、地軸もまた客観的である。
 人は通常、「白い」という語である種の感覚を考える。それは当然、全く主観的なものである。しかし既に日常の言語使用においても、客観的な意義がたびた び現れているように、私には思われる。「雪が白い」と言うとき、人は、普通の日光の下である種の感覚について認識される客観的性質を表現しようとする。雪 に色付きの光線が当てられるときは、人は判断の際にその点を考慮に入れて、次のように言うだろう。「雪は今は赤く見えるが、しかしそれは本当は白いの だ。」 色盲の人間でも、色を感覚的には区別していないにも関わらず、赤や緑について語ることができる。彼はその違いを、他人が区別するという事実、あるいは ひょっとしたら物理的実験に基づいて認識するのである。このように色彩語は、私たちが他人のそれと一致することを知りえない主観的な感覚を表示しないこと もしばしばである。というのも、呼び名が同じだとしても、主観的感覚の一致は決して保証されないからである。そうではなく、色彩語はしばしば、客観的性質 を表示しているのである。このように、客観性ということで私は、感覚、直観、表象、以前の感覚の記憶から内的像を描くこと、こうしたことから独立のものを 理解している。だがそれは、理性からは独立でない。なぜなら、理性から独立の場合、物はどのようになるのか、という問いに答えることは、判断せずに判断す ること、毛皮を濡らさずに洗うことを意味するからである。



第27節 数は、シュレーミルヒが考えるような、系列における対象の位置の表象ではない。


ゆえに私は、数を系列における対象の位置の表象だと言うシュレーミルヒ45[21]にも賛同できない46。 仮に数が表象であるなら、算術は心理学であろう。天文学が心理学でないのと同様、算術も心理学ではない。天文学の対象が惑星の表象ではなく惑星そのもので あるように、算術の対象もまた表象ではない。もし2が表象であるなら、それはまずもって私の表象でしかない。他人の表象は、他人が持つという時点で、私の とは別物である。すると、2というのは何百万もあることになりかねない。人は、私の2、君の2、ある2、全ての2、というように、区別して語らねばなるま い。潜在的表象とか無意識的表象というものを認めるなら、無意識的な2もまた認められることになる。このような2は、後に再び意識されることになる。人間 が成長するにつれて、常に新しい2が生まれ出る。そしてそれらの2が数千年の間に変化して、2 × 2 = 5 にならないと、誰が言い切れるだろうか。だがそれほど多くの2があったとしても、通常考えられているように、無限に多くの2があるかどうかはなお疑わしい。ひょっとすると1010は空虚な記号に過ぎず、それで名指せるような表象はいかなる存在者の中にも存在しないのかもしれない。
 このように数が表象であるという考えをさらに推し進めてみると、それがいかに奇妙な結論へ向かうかということが分かる。かくして私たちが達する結論は、 数はミル流の小石やクッキーの堆積のような空間的で物理的なものではなく、また表象のような主観的なものでもなく、非感覚的で客観的なものだ、というもの である。客観性の根拠は、私たちの心の作用である感覚印象の中にはありえない。感覚印象は全く主観的である。そうではなく、私が見る限り、その根拠は、た だ理性においてのみあるのだ。
 最も精密な [数学という] 学問が、あまりに不正確で手探り状態の心理学に依拠すべきだとしたら、それは不思議なことであろう。



第28節 トーメの命名


 若干の論者は、基数を集合、多数性、複数性として説明する。この説明の欠点の一つは、数0と1が基数概念から除外されることである。こうした表現はとて も不明確であり、「堆積」、「集団」、「集積」にかなり近い意味になる――その場合は空間的な集まりが考えられている――場合もあれば、単に不明確なだけ で、ほとんど「基数」と同義で使われる場合もある。基数概念の分析は、ゆえに、このような説明には見出せない。トーメは[22]、数を形成するために、異なる対象集合には異なる名前を与えることを要請する47。 その際考えられていることは、明らかに、対象集合のより明確な規定であり、命名はそのための外的な記号にすぎない。すると、この規定がいかなる種類のもの であるか、それが問題である。人が「三つの星」、「三つの指」、「七つの星」に対して、共通の構成要素を認識できない名前を導入しようとしたら、数の観念 が生じないことは明白である。そもそも重要なことは、名前が与えられることではなく、数に相当するものをそれ自体として指示することである。そのために必 要なことは、それをその特殊性において認識することである。
 また、次の相違にも注意すべきである。若干の論者は、数を物や対象の集合だと呼ぶ。また別の論者は、ユークリッドのように48、数を単位の集合として説明する。この「単位」という表現は、別個に検討が必要である。



第29節 「monas」と「単位」という表現の多義性。単位を数えられる対象とするE.シュレーダーの説明は、役に立たないと思われる。「一つの」という形容詞はより詳しい規定を含んでおらず、述語としては寄与しえない。


 ユークリッドが『原論』第7巻の冒頭で与えている定義において、彼は「monas」という語を、あるときは数えられる対象を、あるときはそのような対象の性質を、またあるときは数1を表示していると思われる。私たちはどんな場合でも「単位」という訳語を当てはめているが、しかしそれはただ、この訳語自身が様々な意味に理解されるからに過ぎない。
 シュレーダーは「数えられるあらゆる物は単位と呼ばれる」と言う49。 だが、なぜ物を最初に単位という概念の下に持ち込み、単純に「数は物の集合である」と説明しないのかが疑問だ。これによって、私たちは再び、先の論点に立 ち戻ることになろう。まず、言語形式に従って「一つ」を性質語とみなし、「一つの都市」を「賢い人間」と同様に把握することで、人は物を単位と呼ぶことに より詳しい規定を見出そうとするかもしれない。こうして単位は「一つの」という性質が帰属する対象となり、単位(Einheit)の「一つの(Ein)」 に対する関係は、「賢者(Weiser)」の形容詞「賢い」に対する関係と似たものとなる。数が物の性質であるという主張に対しては、先に幾つかの理由を 挙げて反論したが、ここではさらに若干特殊な理由が加わる。まずすぐに目に付く理由は、あらゆる物がこの性質を持っているということであろう。すると、な ぜことさらある一つの物にこの性質を付与するのか、その理由は理解できまい。あるものが賢くないという可能性を通してのみ、ソロンは賢いという主張は意味 を獲得する。概念の外延が増大すれば、その内包は減少する。もし外延が全てを包括するものであれば、内包は完全になくなるに違いない。ある対象をより詳し く規定することに全く寄与し得ないような性質語を、いかにして言語が作り出すのか、容易には考えつかない。
 仮に「一人の人間」が「賢い人間」と同様に把握されるべきだとしたら、「一人の」という語は述語としても用いることができて、「ソロンは賢かった」と同 じように「ソロンは一人であった」とか「ソロンは一者であった」と言うこともできると考えなければなるまい。だが、こうした表現が可能な場合であっても、 それ単独では理解不可能である。この表現は、例えば文脈から「賢者」という語が補完される場合は、「ソロンは一人の賢者であった」ということを意味しう る。しかし「一人の」は単独では述語たりえない50。 このことは複数形の場合にさらに顕著に示される。「ソロンは賢かった」と「タレスは賢かった」は「ソロンとタレスは賢かった」にまとめることができるが、 「ソロンとタレスは一人であった」と言うことはできない。もし「一人の」と「賢い」がともにソロンとタレスの性質であったならば、この不可能性を説明する ことができない。



第30節 ライプニッツとバウマンの定義の試みによれば、単位という概念は全く曖昧になってしまうと思われる。


 これに関連して言うと、今まで「一つの」という性質の定義を与えることのできた者はいなかった。ライプニッツが「一つのものとは、私たちが知性の一つの働きによって統合するものだ」と言うとき51、彼は「一つの」をそれ自身によって説明している。しかも私たちはまた、多も知性の一つの働きによって統合できるのではないか? ライプニッツもこの点を同じ箇所で認めている。バウマンも同様に「一つのものとは、私たちが一つのものとして把握するものだ」と言い52、 さらにこう続ける。「私たちが点として措定しようとするもの、あるいは、これ以上分割しようとは思わないもの、これらを私たちは一つのものと見なす。しか し私たちはまた、外的直観――純粋直観であれ経験直観であれ――のあらゆる一を多と見なすこともできる。表象はいずれも、それが他の表象から境界付けられ ていれば、一つのものである。しかしそうした表象は、再び分割して多として区別可能である。」 こうして、概念の実質的な境界はいずれも曖昧になってしまい、全ては私たちの把握の仕方次第ということになる。私たちは再び問おう。もし把握の仕方次第で 一つのものであったり、なかったりしうるのなら、何らかの対象に「一つの」という性質を付与することはいかなる意義を持ちうるのか? その名誉を最高の確定性と厳密性に求める学問が、どうしてこのような曖昧な概念に基礎を置くことができようか?



第31節 バウマンの未分割性と境界性という徴候。単位の観念はあらゆる対象から与えられるものではない。(ロック)


 さてバウマンは53、 一の概念は内観に基づくとしながら、まさに先に引用した箇所で、徴候として未分割性と境界性を挙げている。もしそれが正しいなら、動物もある種の単位の表 象を持ちうることが予想されよう。仮に犬が月を見て、極めて不明確であるにせよ単位の表象を持つとしても、それは私たちが「一つの」という語で表示するも のと同じだろうか? ありえまい! なるほど確かに犬は、他の犬、主人、遊びに使う小石などの個々の対象を区別するし、それらの対象は犬にとって、私たちと同様に境界付けられ、自存する、未 分割なものとして現れている。確かに犬は、自分が多くの犬と対峙しているのか、ただ一匹の犬と対峙しているのか、その違いを感知するだろう。しかしそれは ミルが物理的と呼んだ違いである。 [第25節を 参照。] 特に問題となるのは、例えば犬が、一匹の自分より大きな犬から噛みつかれたときと、一匹の猫を追いまわすときに、私たちが「一匹の」という語で 表現する共通の何かを、どれほど不明瞭であれ、とにかく意識するか否か、という点であろう。私には、これはありそうもないと思われる。そこで私は次のよう に結論する。単位の観念は、ロックが言うように54あ らゆる外的対象と内的観念から知性に与えられるものではなく、高度な精神の力によって認識されるものであり、その力が私たちを動物から区別するのである。 それゆえ、私たちも動物も等しく感知する未分割性や境界性といった物の性質は、単位の概念にとって本質的ではありえない。



第32節 それでも言語は未分割性と境界性の関連を示唆する。ただしその場合、意義にずれが生じる。


 それでもやはり、[単位の概念と未分割性および境界性という徴候の] ある種の関連を推測することは可能である。 [ドイツ語では] 「一つの(Ein)」から「一体の(einig)」が派生するため、言語によってそういう関連が示唆されるわけである。内部における相 違が周囲との相違に比して目立たなくなればなるほど、また内的な関連が周囲との関連より優勢になればなるほど、個別の対象として認識しやすくなるものが存 在する。そのため「一体の」は、あるものを把握する際に、周囲から引き離しそれ単独で考察するよう仕向ける性質を意味する。
 フランス語の「一体の(uni)」が「平らな」や「滑らかな」を意味するとすれば、それはこのように説明できる。また「単位(Einheit)」という 語も、国の政治的な統一体(Einheit)や芸術作品の統一性(Einheit)について語る場合は、似たような仕方で使われる55。 しかしこの意味では、「Einheit」という語は「一つの」よりは「一体の」とか「統一的な」という語に属する。というのも、「地球は一つの衛星を持 つ」と言う場合、周囲から境界付けられ、自存し、分割されていない衛星について説明しようとしているのではなく、金星や火星、木星に現れるものと対比して 語ろうとしているからである。境界性と未分割性に関しては、木星の衛星も地球の衛星と十分比べられるだろうし、その意味では、全く同様に統一的なのであ る。



原註

1 『全集』(ハルテンシュタイン編)第10巻1号「教育大学における講義」第252節 註2:「数2とは二つの物のことではなく、2という性質である」など。

2 K.フィッシャー『論理学体系および形而上学あるいは学問論』第2版 第94節。

3 『表象の結合についての研究』(ウィーン 1883)。

4 『算術および幾何学の教科書』。

5 もちろん「私の理解」といっても、新しい意義を持ち込もうというのではなく、ただ上述の論者、とりわけカントが意味していたことを的確に捉えようとしているだけである。

6 そもそも、一般的真理というものの存在を認めるなら、このような原初的法則が存在することもまた認めねばなるまい。なぜなら、法則に基づくのでなければ、 個々の事実からだけでは何も帰結しないからである。帰納そのものでさえ、この帰納という方法が、真理、または少なくともその真理らしさを基礎づける法則で あるという一般的命題に基づいている。この点を否定する者にとって、帰納はもはや心理的現象、つまり人々がある命題が真理であると信じ込むための方法でし かなく、そうして出来上がった信念をさらに帰納によって正当化することなど、どうあがいても無理な話であろう。

7 それゆえ、以下で議論の対象とするのは、特に注意しない限り、「いくつ?」という問いの答えとなる正の整数のみである。

8 ホッブス、ロック、ニュートン。バウマンの『時間、空間および数学の理論』第1巻 pp.241-242, p.365, p.475を参照。

9 『純粋理性批判』(ハルテンシュタイン編 第3巻)p.157

10 「複素数とその関数についての講義」p.53

11 『人間知性新論』第4部第7章第10節 p.363を参照。

12 Non inelegans specimen demonstrandi in abstractis. Erdm. S. 94.

13 『高等学校のための数学の教科書』(シュテッティン、1860)第1部「算術」p.4。

14 『演繹と帰納の論理の体系』(J. シーエル訳)第3巻第24章第5節

15 前掲書、第2巻第6節第2節

16 前掲書、第3巻第24節第5節

17 前掲書、第3巻第24節第5節

18 前掲書、第2巻 第6章 第3節

19 バウマン、前掲書、第2巻 p.39。 [ またライプニッツ『人間知性新論』第2部第16章第5節 p.243も参照。 フィラレートの発言はロックに由来する。ロック『人間知性論』第2巻第16章第5節。]

20 バウマン、前掲書、第2巻 pp.13-14。 p.195, pp.208-209も参照。

21 バウマン、前掲書、第2巻 pp.38。 p.212も参照。

21 バウマン、前掲書、第2巻 pp.669。 p.212も参照。

22 『解析学の教科書』第1巻 p.1。

22 『複素数体系の理論』 pp.54-55。

23 『解析学の教科書』第1巻 p.1。

24 『複素数体系の理論』 pp.54-55。

25 バウマン、前掲書、第2巻 p.56。 p.424も参照。

26 バウマン、前掲書、第2巻 p.57。 p.83も参照。

27 バウマン、前掲書、第2巻 p.57。 p.55も参照。

28 『科学の諸原理』ロンドン 1879、p.156

29 『人間知性新論』第4部 第7章 第9節 p.360を参照。

30 注目すべきことに、ミルもまた、前掲書第2巻第4章第4節において、同じ見解を表明しているように思われる。彼の健全な感覚が、時として、経験的なものを 優先する先入見を斥けて顔をのぞかせる。しかし、この先入見のために彼は算術の物理的応用を算術そのものと混同し、何度となく全てが誤りに陥ってしまう。 彼は、前件が真でない場合でも仮言的判断は真でありうることを知らないように思われる。

31 バウマン、前掲書、第1巻 p.475。

32 『複素数体系の理論』 p.1。

33 『初等算術の基本性質』p.2, 第4節。 [原文では書名が「初等数学(Elementarmathematik)」と誤記されています。正しくは「初等算術 (Elementararithmetik)」] 同様にリプシッツの『解析学の教科書』(ボン 1877) p.1。

34 『算術および幾何学の教科書』(ライプツィヒ 1873) p.6, 10, 11

35 前掲書、第11巻 p.669

36 前掲書、第3巻 第24章 第5節

37 前掲書、第3巻 第24章 第5節

38 バウマン、前掲書、第1巻 p.409

39 同書、第11巻 p.56

40 同書、第2巻 p.2

41 前掲書、第3巻 第24章 第5節

42 厳密に言えば、それらがそもそも現象である限りにおいて、と付け加えなければならない。ある人がドイツとアメリカに一頭づつ馬を持っていれば(そしてそれ 以外には持っていなければ)、その人は二頭の馬を持っていることになる。しかしこれらの馬は現象を形成しておらず、そう言えるのは、各馬それ自身としてだ けである。

43 バウマン、前掲書、第11巻 p.428

44 『解析学の教科書』第1巻 p.1。私は、リプシッツが内的過程を念頭に置いていると理解している。

45 『代数解析学の教科書』p.1

46 これに対し、また、同じ数が生じるときには常に同じ位置の表象が現れなくてはならないが、それは明らかに誤りである、という反論が可能である。彼が表象と いうことで客観的観念を理解しようとするなら、以下に書くことは正しくないだろう。しかし、その場合、位置の表象と位置それ自身との間にどんな違いがある というのだろう?
 主観的な意味での表象には、心理学的な結合法則が関係している。その表象は感覚的で画像的な性質を持つ。客観的な意味での表象は、論理学に属し、本質的 に非感覚的である。とはいえ、客観的表象を意味する語はしばしば主観的表象も伴っている。だが主観的表象がその意味なのではない。主観的表象は、しばしば 人によって明らかに異なっているが、客観的表象は万人にとって同じものである。客観的表象は対象と概念に分類できる。私は、混乱を避けるため、「表象」と いう語を主観的な意味でのみ用いる。カントはこの語に両方の意味を結びつけたために、自分の学説に極めて主観的・観念論的な色合いを与え、真の見解を分か りづらいものにしてしまった。ここで行った区別は、心理学と論理学の区別と同様、正当なものである。これらの区別は常に十分厳密に行ってもらいたい!

47 『解析関数の基本理論』p.1

48

49

訳註

[1] よく知られているようにフレーゲはSinnとBedeutungを区別しますが、『算術の基礎』の段階では、まだこの区別に至っていません。後にフレーゲはこのように書いています。 『算術の基礎』を書いたとき、私はまだ意義と意味の区別をしていなかった。
  (G.フレーゲ「概念と対象について」[1891]『フレーゲ著作集 第4巻』p.198)  本訳文では、一応両者を「意義/意味」と区別して訳しますが、あまり違いを気にしなくていいでしょう。(ただし「in einem Sinn」など慣用句にSinnが使われる場合は、「ある意味」のようにSinnも「意味」と訳します。)

[2] ここでフレーゲが言うように、文脈原理を守らないことから即座に心理主義的意味論が帰結するかというと、そういう保証はないでしょう。フレーゲも具体的な論証は示していません。(むしろ意味の物化へ傾く危険の方が大きいのではないかと、個人的には思います。)しかも、第26節心理主義批判において、文脈原理は全く使用されません。だから、文脈原理を立てなくとも、フレーゲ流の心理主義批判は遂行可能です。
 フレーゲが文脈原理を立てた理由は他にあります。それは、中世以来の「項論理学(term logic)」の単純な意味論を批判し、新たな意味論を構築するためです。 文脈原理については、第62節第73節も参照。

[3] 原初的真理は、現在の数学における公理(axiom)とはかなり性格が異なります。数学の公理系を作る場合、どのような命題を公理として立てるかについ て、作成者はある程度の自由裁量を持っています。しかし原初的真理は、そのように人間が勝手に決めてよいものではなく、人間の認識とは独立に客観的に決定 されている存在者です。
 また、フレーゲの言う「証明」も、通常の数学の証明とはかなり違います。通常の証明は、既に真理性が確定している命題からまだ真理性の確定していない命 題を導出するために行なわれます。つまりその役割は新しい命題の真理性を人間が認めるための手段です。しかし、フレーゲが証明に求めるのは、むしろ定理間 の論理的関係を明らかにすることです。

[4] ハンケル(Hermann Hankel, 1839-1873)はドイツの数学者。クロネッカー、ワイエルシュトラウスらに学んだ後、1867年エアランゲン大学正教授。

[5] グラスマン(Hermann Günter Grassmann, 1809-1877)はドイツの数学者。1844年に広延論(Ausdehnungslehre)と呼ばれる新しい代数を展開しましたたが、ハミルトンの 四元数と同じく、当時は認められませんでした。しかし彼の考えは現在の線型代数多様体論の先駆とみなされています。

[6] ミュンヒハウゼン(Karl Friedrich Hieronymus Freiherr von Münchhausen, 1720-1797)はドイツの貴族で、軍人、冒険家。月面旅行など途方もない身の上話を集めて出版されたのが『法螺男爵の冒険』。

[7] フィラレートは、ライプニッツの『人間知性新論』に登場する架空の人物。この『新論』はフィラレートとテオフィルの対話篇として進行します。引用の箇所 は、フィラレートがロックの主張を代弁し、それに対してテオフィルがライプニッツの主張(同時にフレーゲの主張でもある)を代弁して反論する、というとこ ろです。

[8] バウマン(Johan Julius Baumann, 1837-1916)はドイツの哲学者。H.ロッツェに学びゲッティンゲン大学で教授。観念的実在論を説き、私たちの思惟や直観の問題はア・プリオリだ が、現実の中にはそれに対応する何物かがある、としました。フレーゲが過去の哲学者に言及するときは、彼の『空間・時間・数学の理論』(第1巻 1868, 第2巻 1869)に拠るところが多いです。

[9] リプシッツ(Rudolph Otto Sigismund Lipschitz, 1832-1903)はドイツの数学者。ディリクレの教えを受け、クラインを育てました。リプシッツ連続は彼の名前に由来します。

[10] 非ユークリッド幾何学が念頭に置かれています。

[11] この一文からも分かるとおり、フレーゲ幾何学の命題は論理学に還元することのできないア・プリオリな綜合的真理に基づくというカント的な見解を、生涯を通して保持しました。従って、彼の論理主義のプログラムも、幾何学には適用されません。

[12] ジェヴォンズ(William Stanley Jevons, 1835-82)はイギリスの経済学者、論理学者。オーエンズ大学とロンドン大学で教授。経済学者としては、イギリスにおける限界効用説の創唱者であり、 数学的手法を経済学に導入しました。論理学においてはG.ブールの記号論理学の思想を継承し、その数学的外観からの解放に努めました。帰納は演繹の単なる 反対命題であるという考えを展開しました。

[13] 以下を参照。 第1の量と第3の量の同数倍が第2の量と第4の量の同数倍に対して、何倍されようと、同順にとられたとき、それぞれ共に大きいか、共に等しいか、または共に小さいとき、第1の量は第2の量に対して第3の量が第4の量に対すると同じ比にあるといわれる。
(『ユークリッド原論』(中村幸四郎他訳 共立出版 1975)第5巻定義5、p.91) [14] 措定はSetzungの訳語で、他に「定立」とも訳されます。語源はギリシア語のテシス(thesis)で、その一般的な意味はほぼ「テーゼ」と同じです。つまり、ある事柄を本当であると主張すること、客観的に存在する事柄であると想定し、承認すること、です。
 この語は、フィヒテヘーゲルが特有の意味で使って以来大きく意味が変遷したため、理解の難しい語ですが、ここでは上に述べた一般的意味で解して問題ないでしょう。

[15] 例えば以下を参照。 しかし、判明な概念に入っているすべてのものもさらに判明に認識される時、即ち分析が最後まで為された時には、認識は十全である(adaequata)。そういう認識の完全な例を人間が呈示できるかどうか私には分からない。しかし、数の概念はそれにかなり近付いている。
(「認識、真理、観念についての省察」『ライプニッツ著作集』第8巻(下村寅太郎他訳 工作舎 1990)p.28) [16] 固い、赤い、重いなど、物の性質である概念は一階の概念と呼ばれます。一階の概念を述べる述語は一階の述語です。この節で批判されているカントールシュレーダーは、数概念を一階の概念と考えます。
 これに対しフレーゲは数概念を二階の概念であると定義します。二階の概念とは、物ではなく、概念の性質である概念のことです(または「集合の集合」と言っても同じです。集合と概念は同じものですから)。なぜフレーゲがそう考えるかは、後の節で詳細に述べられます。

[17] カントール(Moritz Benedikt Cantor, 1829-1920)は、ドイツの数学史家。ハイデルベルク大学教授。集合論の創始者G.カントールとは別人。

[18] シュレーダー(Ernst Schröder, 1841-1902)は、ドイツの数学者、論理学者。ブール、ジェヴォンズらの論理計算の体系を整備し大成しました。これがブール=シュレーダーの体系と 呼ばれます。真理表の考案、量化記号の導入による述語論理の創始、関係論理学の創始など、その業績は多岐にわたります。
 シュレーダーは『概念記法』を「記号法が分かりづらい」、「フレーゲの目的は既に達成済みのことであり、無意味な仕事である」など酷評していたため、フレーゲはその後一連の論文で、しばしば、ブールやシュレーダーと自らの立場の相違を強調しようとしています。

[19] 「群葉」というのは、いかにも苦しい造語ですが、他にいい訳語も思いつきません。著作集から訳語を借りました。Blattが一枚の葉を指すときに使われる のに対し、Laubは集合的に多数の葉をまとめて指す語です。従ってBlattには複数形がありますが、Laubにはありません。

[20] 以下が名高い「逆転スペクトル」による心理主義批判です。このフレーゲの議論の不備については、『大全』I巻を参照。幾何学の定理ではなく、色の名前を 使った同型の議論については、野矢茂樹『哲学の謎』を、フレーゲ心理主義批判を継承して決定的な批判を与えたウィトゲンシュタインの議論については、「心理主義批判の解説」を参照。

[21]

[22]


著:G.フレーゲ
訳:ミック
作成日:2003/08/07
最終更新日:2006/02/13 本翻訳は、この版権表示を残す限り、訳者に対して許可をとったり使用料を支払ったりすることなしに、商業目的を含むあらゆる形で自由に複製・配布することができます。

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「論理学研究」考

 

論理学研究』における知覚論の二つの解釈 - 東京大学文学部・大学院 ...

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論理学研究』における知覚論の二つの解釈. 葛谷 潤. 知覚の持つ志向性の分析は、『 論理学研究』(以下『論研』)における大きなテー. マの一つである。本稿の目的は、『論研 』におけるフッサールの知覚論に対して、. 対立する二つの解釈の可能性が存在すること

 

  • フッサール『論理学研究』における「独白」概念の検討

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    フッサール論理学研究』における「独白」概念の検討. 鈴木崇志1. 0. 問題設定. ふだん 発せられる独白 einsame Rede には、ある種の寂しさ Einsamkeit が分かちが. たく 結びついている。独白するということは、他者との関係が途切れているという. ことを暗に  ...

論理学研究』における自我と反省作用の関係について

www.toyo.ac.jp/file/kiyo/pdf/45/muto.pdf

我々のフッサール現象学研究において問題にするのは、時間意識、還元の理論や反省 の方. 法論、それらと自我の関連について ... してこの小論は、そのような重大な問いの 萌芽段階におけるフッサールの『論理学研究』(以. 下『論研』と略記)における自我概念と  .

 

 

フッサールの心理主義批判

wwwlib.cgu.ac.jp/cguwww/06/17/017-01.pdf
 
アッサールの心理主義批判. く目 次)ー】序論. 2 『算術の哲学』 における心理主義的論者の背景. 3' 『論理学研究』 第ー巻の心理主義批判. 4. 形相的心理学と しての現象学の形成. 5】 超越論的現象学の着想の萌芽 .
 
葛谷潤
本稿の目的は、『論理学研究』(以下『論研』)においてフッサールが自らの意味
概念およびそれに関連する諸概念について述べている諸論点の持つ意義を、主

 

 

フッサール「危機」論文、原文

 

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D i e   K r i s i s
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Der äußere Anlaß zum Entstehen von Husserls letzter großer Arbeit «Die Krisis der europäischen Wissenschaften und die transzendentale Phänomenologie» war eine Einladung des Wiener Kulturbundes zu einem Vortrag, den er unter dem Titel «Die Philosophie in der Krisis der europäischen Menschheit» am 7. und 10. Mai 1935 hielt. Dieser Vortrag erhielt später den oben genannten Titel. Am «Krisis-Komplex» arbeitete Husserl von 1934 bis zu seinem Tode. Der Text des Wiener Vortrags wurde 1954 von Walter Biemel in den Husserliana VI zum ersten Mal veröffentlicht.


I
___________

Ich will in diesem Vortrage den Versuch wagen, dem so viel verhandelten Thema der europäischen Krisis ein neues Interesse dadurch abzugewinnen, daß ich die geschichtsphilosophische Idee (oder den teleologischen Sinn) des europäischen Menschentums entwickle. Indem ich dabei die wesentliche Funktion aufweise, welche in diesem Sinn die Philosophie und ihre Verzweigungen als unsere Wissenschaften zu üben haben, wird auch die europäische Krisis eine neue Erleuchtung gewinnen.

     Knüpfen wir an Allbekanntes an, an den Unterschied zwischen der naturwissenschaftlichen Medizin und der sogenannten «Naturheilkunde». Entspringt diese im allgemeinen Volksleben aus naiver Empirie und Tradition, so die naturwissenschaftliche Medizin aus der Verwertung von Einsichten rein theoretischer Wissenschaften, denen der menschlichen Leiblichkeit, zunächst der Anatomie und Physiologie. Diese aber beruhen selbst wieder auf den allgemein erklärenden Grundwissenschaften von der Natur überhaupt, auf Physik und Chemie.

     Wenden wir nun den Blick von der menschlichen Leiblichkeit auf die menschliche Geistigkeit, das Thema der sogenannten Geisteswissenschaften. In ihnen geht das theoretische Interesse ausschließlich auf Menschen als Personen und ihr personales Leben und Leisten sowie korrelativ auf Leistungsgebilde. Personales Leben ist, als Ich und Wir vergemeinschaftet in einem Gemeinschaftshorizont leben. Und zwar in Gemeinschaften verschiedener einfacher oder aufgestufter Gestalten, wie Familie, Nation, Übernation. Das Wort Leben hat hier nicht physiologischen Sinn, es bedeutet zwecktätiges, geistige Gebilde leistendes Leben: im weitesten Sinn kulturschaffend in der Einheit einer Geschichtlichkeit. Das alles ist Thema mannigfaltiger Geisteswissenschaften. Offenbar besteht nun der Unterschied zwischen kraftvollem Gedeihen und Verkümmern, also, wie man auch sagen kann, von Gesundheit und Krankheit, auch für Gemeinschaften, für Völker, für Staaten. Demnach liegt die Frage nicht so fern: Wie kommt es, daß es in dieser Hinsicht nie zu einer wissenschaftlichen Medizin, einer Medizin der Nationen und übernationalen Gemeinschaften gekommen ist? Die europäischen Nationen sind krank, Europa selbst ist, sagt man, in einer Krisis. An so etwas wie Naturheilkundigen fehlt es hier durchaus nicht. Wir werden ja geradezu überschwemmt von einer Flut naiver und überschwenglicher Reformvorschläge. Aber warum versagen die so reich entwickelten Geisteswissenschaften hier den Dienst, den die Naturwissenschaften in ihrer Sphäre vortrefflich üben?

     Die mit dem Geiste der modernen Wissenschaften Vertrauten werden um eine Antwort nicht verlegen sein. Die Größe der Naturwissenschaften besteht darin, daß sie sich mit einer anschaulichen Empirie nicht beruhigen, da für sie alle Naturbeschreibung nur methodischer Durchgang sein will zur exakten, letztlich der physikalisch-chemischen Erklärung. Sie meinen: «Bloß beschreibende» Wissenschaften binden uns an die Endlichkeiten der irdischen Umwelt. Die mathematisch-exakte Naturwissenschaft aber umspannt mit ihrer Methode die Unendlichkeiten in ihren Wirklichkeiten und realen Möglichkeiten. Sie versteht das Anschaulich-Gegebene als bloß subjektiv relative Erscheinung und lehrt, die übersubjektive (die «objektive») Natur selbst in systematischer Approximation nach ihrem unbedingt Allgemeinen an Elementen und Gesetzen zu erforschen. In eins damit lehrt sie alle anschaulich vorgegebenen Konkretionen, ob Menschen, ob Tiere, <ob> Himmelskörper, aus dem letztlich Seienden zu erklären, nämlich von den jeweiligen faktisch gegebenen Erscheinungen aus die künftigen Möglichkeiten und Wahrscheinlichkeiten in einem Umfang und einer Genauigkeit zu induzieren, die alle anschaulich gebundene Empirie übersteigt. Die Folge der konsequenten Ausbildung der exakten Wissenschaften in der Neuzeit war eine wahre Revolution in der technischen Naturbeherrschung.

     Ganz anders ist leider (im Sinn der uns schon ganz verständlich gewordenen Auffassung), und zwar aus inneren Gründen, die methodische Lage in den Geisteswissenschaften. Die menschliche Geistigkeit ist ja auf die menschliche Physis gegründet, jedes einzeln-menschliche Seelenleben ist fundiert in der Körperlichkeit, also auch jede Gemeinschaft in den Körpern der einzelnen Menschen, welche Glieder dieser Gemeinschaft sind. Wenn also für die geisteswissenschaftlichen Phänomene eine wirklich exakte Erklärung möglich werden soll und demnach eine ähnlich weitreichende wissenschaftliche Praxis als wie in der Natursphäre, so müßten die Geisteswissenschaftler nicht bloß den Geist als Geist betrachten, sondern auf die körperlichen Unterlagen zurückgehen und mittels der exakten Physik und Chemie ihre Erklärungen durchführen. Das scheitert aber (und daran kann sich für alle irgend absehbare Zeit nichts ändern) an der Komplikation der nötigen psychophysisch-exakten Forschung schon hinsichtlich der einzelnen Menschen und erst recht der großen historischen Gemeinschaften. Wäre die Welt ein Bau von zwei sozusagen gleichberechtigten Realitätssphären, Natur und Geist, keine vor der anderen methodisch und sachlich bevorzugt, dann wäre die Situation eine andere. Aber nur die Natur ist für sich schon wie eine geschlossene Welt zu behandeln, nur die Naturwissenschaft kann in ungebrochener Konsequenz von allem Geistigen abstrahieren und Natur rein als Natur erforschen. Andererseits führt vice versa eine solche konsequente Abstraktion von der Natur für den rein für Geistiges interessierten Geisteswissenschaftler nicht zu einer in sich geschlossenen, einer rein geistig zusammenhängenden «Welt», die das Thema einer reinen und universalen Geisteswissenschaft werden könnte, als Parallele der reinen Naturwissenschaft. Denn die animalische Geistigkeit, die der menschlichen und tierischen «Seelen», auf die alle sonstige Geistigkeit zurückführt, ist einzelweise in Körperlichkeit kausal fundiert. So versteht es sich, daß der rein für Geistiges als solches interessierte Geisteswissenschaftler nicht über Deskriptives, nicht über eine Geisteshistorie hinauskommt, also an die anschaulichen Endlichkeiten gebunden bleibt. Jedes Beispiel zeigt es. Z.B. ein Historiker kann doch nicht altgriechische Geschichte behandeln, ohne die physische Geographie Altgriechenlands, nicht seine Architektur, ohne die Körperlichkeit der Bauten mitzunehmen usw. usw. Das scheint ganz einleuchtend.

     Aber wie, wenn die ganze in dieser Darstellung sich bekundende Denkweise auf verhängnisvollen Vorurteilen beruhte und in ihren Auswirkungen selbst mitschuldig wäre an der europäischen Erkrankung? In der Tat, so ist meine Überzeugung, und ich hoffe damit auch verständlich zu machen, daß hier auch eine wesentliche Quelle liegt für die Selbstverständlichkeit, mit der der moderne Wissenschaftler die Möglichkeit der Begründung einer rein in sich geschlossenen und allgemeinen Wissenschaft vom Geiste nicht einmal für erwägenswert hält und somit glattweg leugnet.

     Im Interesse unseres Europa-Problems liegt es, hierauf ein wenig einzugehen und die obige im ersten Augenblick einleuchtende Argumentation zu entwurzeln. Der Historiker, der Geistes-, der Kulturforscher jeder Sphäre hat freilich beständig in seinen Phänomenen auch physische Natur, in unserem Beispiel die Natur Altgriechenlands. Aber diese Natur ist nicht die Natur im naturwissenschaftlichen Sinne, sondern das, was den alten Griechen als Natur galt, als natürliche Wirklichkeit umweltlich vor Augen stand. Voller gesprochen: die historische Umwelt der Griechen ist nicht die objektive Welt in unserem Sinn sondern ihre «Weltvorstellung», d.i. ihre eigene subjektive Geltung mit all den darin ihnen geltenden Wirklichkeiten, darunter z.B. den Göttern, den Dämonen usw.

     Umwelt ist ein Begriff, der ausschließlich in der geistigen Sphäre seine Stelle hat. Daß wir in unserer jeweiligen Umwelt leben, der all unser Sorgen und Mühen gilt, das bezeichnet eine rein in der Geistigkeit sich abspielende Tatsache. Unsere Umwelt ist ein geistiges Gebilde in uns und unserem historischen Leben. Es liegt hier also kein Grund für den, der den Geist als Geist zum Thema macht, für sie eine andere als eine rein geistige Erklärung zu fordern. Und so gilt es überhaupt: umweltliche Natur als in sich Geistesfremdes anzusehen und demzufolge Geisteswissenschaft durch Naturwissenschaft unterbauen und so vermeintlich exakt machen zu wollen, ist ein Widersinn.

     Es wird offenbar auch ganz vergessen, daß Naturwissenschaft (wie alle Wissenschaft überhaupt) ein Titel ist für geistige Leistungen, nämlich die der zusammenarbeitenden Naturwissenschaftler; als das gehören sie wie alle geistigen Vorkommnisse doch mit zum Umkreis dessen, was geisteswissenschaftlich erklärt werden soll. Ist es nun nicht widersinnig und ein Zirkel, das historische Ereignis «Naturwissenschaft» naturwissenschaftlich erklären zu wollen, erklären durch Hereinziehung der Naturwissenschaft und ihrer Naturgesetze, die als geistige Leistung selbst zum Problem gehören?

     Vom Naturalismus geblendet (wie sehr sie selbst ihn verbal bekämpfen mögen), haben die Geisteswissenschaftler es ganz und gar versäumt, auch nur das Problem einer universellen und reinen Geisteswissenschaft zu stellen und nach einer Wesenslehre des Geistes rein als Geistes zu fragen, die dem unbedingt Allgemeinen der Geistigkeit nach Elementen und Gesetzen nachgeht; dies aber zu dem Zwecke, um von daher wissenschaftliche Erklärungen in einem absolut abschließenden Sinn zu gewinnen.

     Die bisherigen geistesphilosophischen Überlegungen geben uns die rechte Einstellung, um unser Thema des geistigen Europa als ein rein geisteswissenschaftliches Problem zu erfassen und zu behandeln, zunächst also geistesgeschichtlich. Wie schon in den einleitenden Worten vorausgesagt, soll eine merkwürdige, nur unserem Europa gleichsam eingeborene Teleologie auf diesem Wege sichtlich werden, und zwar als ganz innig zusammenhängend mit dem Aufbruch oder Einbruch der Philosophie und ihrer Verzweigungen, der Wissenschaften im altgriechischen Geiste. Wir ahnen schon, daß es sich dabei um eine Aufklärung der tiefsten Gründe für den Ursprung des verhängnisvollen Naturalismus handeln wird, oder auch, wie sich als gleichwertig zeigen wird, des neuzeitlichen Dualismus der Weltinterpretation. Schließlich soll damit der eigentliche Sinn der Krisis des europäischen Menschentums an den Tag kommen.

     Wir stellen die Frage: Wie charakterisiert sich die geistige Gestalt Europas? Also Europa nicht geographisch, landkartenmäßig verstanden, als ob danach der Umkreis der hier territorial zusammenlebenden Menschen als europäisches Menschentum umgrenzt werden sollte. Im geistigen Sinn gehören offenbar die englischen Dominions, die Vereinigten Staaten usw. zu Europa, nicht aber die Eskimos oder Indianer der Jahrmarktsmenagerien oder die Zigeuner, die dauernd in Europa herumvagabundieren. Es handelt sich hier offenbar unter dem Titel Europa um die Einheit eines geistigen Lebens, Wirkens, Schaffens: mit all den Zwecken, Interessen, Sorgen und Mühen, mit den Zweckgebilden, mit den Anstalten, den Organisationen. Darin wirken die einzelnen Menschen in mannigfachen Sozietäten verschiedener Stufen, in Familien, in Stämmen, Nationen, alle innerlich geistig verbunden und, wie ich sagte, in der Einheit einer geistigen Gestalt. Den Personen, Personenverbänden und all ihren Kulturleistungen soll damit ein allverbindender Charakter erteilt sein.

     «Die geistige Gestalt Europas» - was ist das? Die der Geschichte Europas (des geistigen Europas) immanente philosophische Idee aufzuweisen, oder, was dasselbe ist, die ihr immanente Teleologie, die sich vom Gesichtspunkt der universalen Menschheit überhaupt kenntlich macht als der Durchbruch und Entwicklungsanfang einer neuen Menschheitsepoche, der Epoche der Menschheit, die nunmehr bloß leben will und leben kann in der freien Gestaltung ihres Daseins, ihres historischen Lebens aus Ideen der Vernunft, aus unendlichen Aufgaben.

     Jede geistige Gestalt steht wesensmäßig in einem universalen historischen Raum oder in einer besonderen Einheit historischer Zeit nach Koexistenz und Sukzession, sie hat ihre Geschichte. Gehen wir also den historischen Zusammenhängen nach, und, wie es notwendig ist, von uns und unserer Nation aus, so führt uns die historische.Kontinuität immer weiter von unserer zu Nachbarnationen und so von Nationen zu Nationen, von Zeiten zu Zeiten. Im Altertum schließlich von den Römern zu den Griechen, zu den Ägyptern, Persern usw.; da ist offenbar kein Ende. Wir geraten in die Urzeit hinein, und es wird uns nicht erspart sein, zu dem bedeutenden und gedankenreichen Werk von Menghin zu greifen, zur «Weltgeschichte der Steinzeit». Bei solchem Vorgehen erscheint die Menschheit als ein einziges, durch nur geistige Bezüge verbundenes Menschen- und Völkerleben, mit einer Fülle von Menschheits- und Kulturtypen, aber fließend ineinanderströmend. Es ist wie ein Meer, in welchem die Menschen, die Völker die flüchtig sich gestaltenden, wandelnden und wieder verschwindenden Wellen sind, die einen darin reicher, komplizierter gekräuselt, die anderen primitiver.

     Indessen bei konsequenter innengewandter Betrachtung merken wir neue, eigenartige Verbundenheiten und Unterschiede. Die europäischen Nationen mögen noch so sehr verfeindet sein, sie haben doch eine besondere innere Verwandtschaft im Geiste, durch sie alle hindurchgehend, die nationalen Differenzen übergreifend. Es ist so etwas wie eine Geschwisterlichkeit, die uns in diesem Kreise das Bewußtsein einer Heimatlichkeit gibt. Dies tritt sofort hervor, sowie wir uns z.B. in die indische Geschichtlichkeit mit ihren vielen Völkern und Kulturgebilden einfühlen. In diesem Kreis besteht wieder Einheit einer familienhaften Verwandtschaft, aber einer uns fremden. Andererseits erleben die indischen Menschen uns als Fremde und nur einander als Heimgenossen. Indessen dieser sich in vielen Stufen relativierende Wesensunterschied von Heimatlichkeit und Fremdheit, eine Grundkategorie aller Geschichtlichkeit, kann nicht genügen. Die historische Menschheit gliedert sich nicht in immerfort gleicher Weise gemäß dieser Kategorie. Wir erspüren das gerade an unserem Europa. Es liegt darin etwas Einzigartiges, das auch allen anderen Menschheitsgruppen an uns empfindlich ist als etwas, das, abgesehen von allen Erwägungen der Nützlichkeit, ein Motiv für sie wird, sich im ungebrochenen Willen zu geistiger Selbsterhaltung doch immer zu europäisieren, während wir, wenn wir uns recht verstehen, uns zum Beispiel nie indianisieren werden. Ich meine, wir fühlen es (und bei aller Unklarheit hat dieses Gefühl wohl sein Recht), da unserem europäischen Menschentum eine Entelechie eingeboren ist, die den europäischen Gestaltenwandel durchherrscht und ihm den Sinn einer Entwicklung auf eine ideale Lebens- und Seinsgestalt als einen ewigen Pol verleiht. Nicht als ob es sich hier um eine der bekannten Zielstrebigkeiten handelte, die dem physischen Reich der organischen Wesen ihren Charakter geben, also um so etwas wie biologische Entwicklung von einer Keimgestalt in Stufen bis zur Reife mit nachfolgendem Altern und Absterben. Es gibt wesensmäßig keine Zoologie der Völker. Sie sind geistige Einheiten, sie haben, und insbesondere die Übernationalität Europa hat keine je erreichte und erreichbare reife Gestalt als Gestalt einer geregelten Wiederholung. Seelisches Menschentum ist nie fertig gewesen und wird es nie werden und kann sich nie wiederholen. Das geistige Telos des europäischen Menschentums, in welchem das besondere Telos der Sondernationen und der einzelnen Menschen beschlossen ist, liegt im Unendlichen, es ist eine unendliche Idee, auf die im Verborgenen das gesamte geistige Werden sozusagen hinaus will. Sowie es in der Entwicklung als Telos bewußt geworden ist, wird es notwendig auch praktisch als Willensziel, und damit ist eine neue, höhere Entwicklungsstufe eingeleitet, die unter Leitung von Normen, normativen Ideen steht.

     All das will aber nicht eine spekulative Interpretation unserer Geschichtlichkeit sein, sondern Ausdruck einer in vorurteilsloser Besinnung aufsteigenden lebendigen Vorahnung. Diese aber gibt uns eine intentionale Leitung, um in der europäischen Geschichte höchst bedeutsame Zusammenhänge zu sehen, in deren Verfolgung uns das Vorgeahnte zu bewährter Gewißheit wird. Vorahnung ist der gefühlsmäßige Wegweiser für alle Entdeckungen.

     Gehen wir an die Ausführung. Das geistige Europa hat eine Geburtsstätte. Ich meine damit nicht geographisch in einem Land, obschon auch das zutrifft, sondern eine geistige Geburtsstätte in einer Nation, bzw. in einzelnen Menschen und menschlichen Gruppen dieser Nation. Es ist die altgriechische Nation im 7. und 6. Jahrhundert v. Chr. In ihr erwächst eine neuartige Einstellung einzelner zur Umwelt. Und in ihrer Konsequenz vollzieht sich der Durchbruch einer völlig neuen Art geistiger Gebilde, rasch anwachsend zu einer systematisch geschlossenen Kulturgestalt; die Griechen nannten sie Philosophie. Richtig übersetzt, in dem ursprünglichen Sinn, besagt das nichts anderes als universale Wissenschaft, Wissenschaft vom Weltall, von der Alleinheit alles Seienden. Sehr bald beginnt das Interesse am All, und damit die Frage nach dem allumfassenden Werden und Sein im Werden, sich nach den allgemeinen Formen und Regionen des Seins zu besondern, und so verzweigt sich die Philosophie, die Eine Wissenschaft, in mannigfache Sonderwissenschaften.

     Im Durchbruch der Philosophie dieses Sinnes, in welchem also alle Wissenschaften mitbeschlossen sind, sehe ich, wie paradox das auch klingen mag, das Urphänomen des geistigen Europas. Durch die näheren Erläuterungen wird, so knapp sie auch gehalten sein müssen, der Schein der Paradoxie sich bald beheben.

     Philosophie, Wissenschaft, ist der Titel für eine spezielle Klasse von Kulturgebilden. Die historische Bewegung, welche die Stilform europäischer Übernationalität angenommen hat, geht auf eine im Unendlichen liegende Normgestalt hin, aber nicht auf eine solche, die in einer bloßen morphologischen Außenbetrachtung am Gestaltenwandel ablesbar wäre. Das ständige Gerichtetsein auf Norm ist dem intentionalen Leben einzelner Personen von daher den Nationen und ihren besonderen Sozietäten und schließlich dem Organismus der europäisch verbundenen Nationen innerlich einwohnend; freilich nicht allen Personen, also nicht voll entwickelt in den durch intersubjektive Akte konstituierten Personalitäten höherer Stufe, aber ihnen doch einwohnend in Form eines notwendigen Ganges der Entwicklung und Ausbreitung des Geistes allgemeingültiger Normen. Dies aber hat zugleich die Bedeutung der fortschreitenden Umbildung des gesamten Menschentums von den in kleinen und kleinsten Kreisen wirksam gewordenen Ideenbildungen her. Ideen, in einzelnen Personen erzeugte Sinngebilde der wundersamen neuen Art, intentionale Unendlichkeiten in sich zu bergen sind nicht wie reale Dinge im Raum, die, in das Feld menschlicher Erfahrung tretend, darum noch nicht für den Menschen als Person etwas bedeuten. Mit der ersten Konzeption von Ideen wird der Mensch allmählich zu einem neuen Menschen. Sein geistiges Sein tritt in die Bewegung einer fortschreitenden Neubildung. Diese Bewegung verläuft von Anfang an kommunikativ, erweckt einen neuen Stil personalen Daseins in seinem Lebenskreis, im Nachverstehen ein entsprechend neues Werden. Es verbreitet sich in ihr zunächst (und in weiterer Folge auch über sie hinaus) ein besonderes Menschentum, das, in der Endlichkeit lebend, auf Pole der Unendlichkeit hinlebt. Eben damit erwächst eine neue Weise der Vergemeinschaftung und eine neue Gestalt fortdauernder Gemeinschaft, deren geistiges, durch Ideenliebe, Ideenerzeugung und ideale Lebensnormierung vergemeinschaftetes Leben in sich den Zukunftshorizont der Unendlichkeit trägt: den einer Unendlichkeit sich erneuernder Generationen aus dem Ideengeiste. Das also vollzieht sich zunächst im geistigen Raum einer einzigen, der griechischen Nation, als Entwicklung der Philosophie und der philosophischen Gemeinschaften. In eins damit erwächst zunächst in dieser Nation ein allgemeiner Kulturgeist, das ganze Menschentum in seinen Bann ziehend, und ist so eine fortschreitende Verwandlung in Form einer neuen Historizität.

     Dieser Rohaufriß wird Fülle und bessere Verständlichkeit gewinnen, wenn wir dem historischen Ursprung des philosophischen und wissenschaftlichen Menschentums nachgehen und von da aus den Sinn von Europa und daran die neue Art der Geschichtlichkeit aufklären, die sich mit dieser Entwicklungsart von der allgemeinen Geschichte abhebt.

     Erhellen wir zunächst die merkwürdige Eigenart der Philosophie, entfaltet in immer neuen spezialen Wissenschaften. Kontrastieren wir sie mit sonstigen, schon in der vorwissenschaftlichen Menschheit vorhandenen Kulturformen, mit den Handwerken, mit der Bodenkultur, der Wohnkultur usw. Sie alle bezeichnen Klassen von Kulturerzeugnissen mit zugehörigen Methoden für deren sicher gelingende Erzeugung. Im übrigen haben sie ein vorübergehendes Dasein in der Umwelt. Andererseits haben wissenschaftliche Erwerbe, nachdem für sie die Methode sicher gelingender Erzeugung gewonnen ist, eine ganz andere Seinsart, eine ganz andere Zeitlichkeit. Sie verbrauchen sich nicht, sie sind unvergänglich; wiederholtes Erzeugen schafft nicht Gleiches, höchstens gleich Brauchbares, es erzeugt in beliebig vielen Erzeugungen derselben Person und beliebig vieler Personen identisch das Selbe, identisch nach Sinn und Geltung. Miteinander in aktueller Wechselverständigung verbundene Personen können nicht anders als das von den jeweiligen Genossen in gleicher Erzeugung Erzeugte als identisch das Selbe erfahren mit dem der eigenen Erzeugung. Mit einem Worte: was wissenschaftliches Tun erwirbt, ist nicht Reales sondern Ideales.

     Aber noch mehr, was so erworben ist als geltend, als Wahrheit, ist als Material dienlich für die mögliche Erzeugung von Idealitäten höherer Stufe, und so immer von neuem. Im entwickelten theoretischen Interesse erhält nun jedes im voraus den Sinn eines bloß relativen Endzieles, es wird Durchgang zu immer neuen, immer höherstufigen Zielen in einer als universales Arbeitsfeld, als «Gebiet» der Wissenschaft vorgezeichneten Unendlichkeit. Wissenschaft bezeichnet also die Idee einer Unendlichkeit von Aufgaben, von denen jederzeit eine Endlichkeit schon erledigt und als bleibende Geltung aufbewahrt ist. Diese bildet zugleich den Fond von Prämissen für einen unendlichen Aufgabenhorizont als Einheit einer allumgreifenden Aufgabe.

     Aber noch ein Wichtiges ist hier ergänzend zu bemerken. In der Wissenschaft bedeutet die Idealität der einzelnen Arbeitserzeugnisse, der Wahrheiten, nicht die bloße Wiederholbarkeit unter Identifikation des Sinnes und der Bewährung: die Idee der Wahrheit im Sinne der Wissenschaft setzt sich ab (davon werden wir noch zu sprechen haben) von der Wahrheit des vorwissenschaftlichen Lebens. Sie will unbedingte Wahrheit sein. - Darin liegt eine Unendlichkeit, die, jeder faktischen Bewährung und Wahrheit den Charakter einer nur relativen, einer bloßen Annäherung gibt, eben bezogen auf den unendlichen Horizont in dem die Wahrheit an sich sozusagen als unendlich ferner Punkt gilt. Korrelativ liegt dann diese Unendlichkeit auch in dem im wissenschaftlichen Sinn «wirklich Seienden», sowie abermals in der «Allgemein»-Gültigkeit für «jedermann» als das Subjekt je zu leistender Begründungen; er ist nun nicht mehr jedermann in dem endlichen Sinne des vorwissenschaftlichen Lebens.

     Nach dieser Charakteristik der eigentümlichen wissenschaftlichen Idealität mit den in ihrem Sinn vielfältig implizierten idealen Unendlichkeiten tritt uns im historischen Umblick der Kontrast hervor, den wir im Satz aussprechen: Keine sonstige Kulturgestalt im historischen Horizont vor der Philosophie ist in solchem Sinne Ideenkultur und kennt unendliche Aufgaben, kennt solche Universa von Idealitäten, die als ganze und nach allen Einzelheiten sowie nach deren Erzeugungsmethoden sinngemäß die Unendlichkeit in sich tragen.

     Außerwissenschaftliche, von der Wissenschaft noch nicht berührte Kultur ist Aufgabe und Leistung des Menschen in der Endlichkeit. Der offen endlose Horizont, in dem er lebt, ist nicht erschlossen, seine Zwecke und sein Wirken, sein Handel und Wandel, seine personale, seine gruppenmäßige, seine nationale, seine mythische Motivation, alles bewegt sich in endlich überschaubarer Umweltlichkeit. Da gibt es keine unendlichen Aufgaben, keine idealen Erwerbe, deren Unendlichkeit selbst das Arbeitsfeld ist, und zwar so, daß es für die Arbeitenden bewußtseinsmäßig die Seinsweise eines solchen unendlichen Aufgabenfeldes hat.

     Aber mit dem Auftreten der griechischen Philosophie und ihrer ersten Durchformung in konsequenter Idealisierung des neuen Unendlichkeitssinnes vollzieht sich in dieser Hinsicht eine fortgehende Umwandlung, die schließlich alle Ideen der Endlichkeit und damit die gesamte Geisteskultur und deren Menschentum in ihren Bannkreis zieht. Für uns Europäer gibt es daher außerhalb der philosophisch-wissenschaftlichen Sphäre noch vielerlei unendliche Ideen (wenn dieser Ausdruck gestattet ist), aber sie haben die analogen Charaktere der Unendlichkeit (unendlicher Aufgaben, Ziele, Bewährungen, Wahrheiten, «wahrer Werte», «echter Güter», «absolut» gültiger Normen) erst der Umbildung des Menschentums durch die Philosophie und ihre Idealitäten zu verdanken. Wissenschaftliche Kultur unter Ideen der Unendlichkeit bedeutet also eine Revolutionierung der gesamten Kultur, eine Revolutionierung in der ganzen Weise des Menschentums als Kulturschaffenden. Sie bedeutet auch eine Revolutionierung der Geschichtlichkeit, die nun Geschichte des Entwerdens des endlichen Menschentums im Werden zum Menschentum unendlicher Aufgaben ist.

     Hier begegnen wir einem naheliegenden Einwand, daß die Philosophie, die Wissenschaft der Griechen doch nichts für sie Auszeichnendes und mit ihnen erst in die Welt Gekommenes sei. Erzählen sie doch selbst von den weisen Ägyptern, Babyloniern usw. und lernten sie doch tatsächlich vieles von ihnen. Heute besitzen wir eine Fülle von Arbeiten über die indischen, chinesischen etc. Philosophien, wobei dieselben mit der griechischen auf eine Ebene gestellt und bloß als verschiedene historische Ausgestaltungen innerhalb einer und derselben Kulturidee gefaßt werden. Natürlich fehlt es nicht an einem Gemeinsamen. Indessen man darf sich vom bloß morphologisch Allgemeinen nicht die intentionalen Tiefen verdecken lassen und blind werden für die allerwesentlichsten prinzipiellen Unterschiede.

     Allem voran ist schon die Einstellung der beiderseitigen «Philosophen», ihre universale Interessenrichtung, eine grundverschiedene. Man mag hier und dort ein weltumgreifendes Interesse konstatieren, das beiderseits, also auch bei der indischen, chinesischen und ähnlichen «Philosophien» zu universalen Welterkenntnissen führt, überall in der Weise eines berufsartigen Lebensinteresses sich auswirkend und in verständlicher Motivation zu Berufsgemeinschaften führend, in denen von Generation zu Generation die allgemeinen Ergebnisse sich fortpflanzen bzw. sich fortbilden. Aber nur bei den Griechen haben wir ein universales («kosmologisches») Lebensinteresse in der wesentlich neuartigen Gestalt einer rein «theoretischen» Einstellung, und als Gemeinschaftsform, in der es sich aus inneren Gründen auswirkt, die entsprechende wesentlich neuartige der Philosophen, der Wissenschaftler (der Mathematiker, der Astronomen usw.). Es sind die Männer, die nicht vereinzelt sondern miteinander und füreinander, also in interpersonal verbundener Gemeinschaftsarbeit, Theoria und nichts als Theoria erstreben und erwirken, deren Wachstum und stetige Vervollkommnung mit der Verbreitung des Kreises der Mitarbeitenden und der Abfolge der Forschergenerationen schließlich in den Willen aufgenommen wird mit dem Sinn einer unendlichen und allgemeinsamen Aufgabe. Die theoretische Einstellung hat bei den Griechen ihren historischen Ursprung.

     Einstellung, allgemein gesprochen, besagt einen habituell festen Stil des Willenslebens in damit vorgezeichneten Willensrichtungen oder Interessen, in den Endzwecken, den Kulturleistungen, deren gesamter Stil also damit bestimmt ist. In diesem bleibenden Stil als Normalform verläuft das jeweilig bestimmte Leben. Es wechselt die konkreten Kulturgehalte in einer relativ geschlossenen Geschichtlichkeit. In irgendeiner Einstellung lebt die Menschheit (bzw. eine geschlossene Gemeinschaft wie Nation Stamm usw.) in ihrer historischen Lage immer. Ihr Leben hat immer einen Normalstil und eine beständige Historizität oder Entwicklung in diesem.

     Also bezieht sich die theoretische Einstellung in ihrer Neuartigkeit zurück auf eine vorgängige, eine früher normale Einstellung, sie charakterisiert sich als Umstellung. In universaler Betrachtung der Geschichtlichkeit menschlichen Daseins in allen seinen Gemeinschaftsformen und in ihren historischen Stufen zeigt es sich nun, daß wesensmäßig eine gewisse Einstellung die an sich erste ist, bzw. daß ein gewisser normaler Stil menschlichen Daseins (in formaler Allgemeinheit gesprochen) eine erste Historizität bezeichnet, innerhalb deren der jeweils faktische Normalstil des kulturschaffenden Daseins bei allem Aufsteigen oder Herabsinken oder Stagnieren formal derselbe bleibt. Wir sprechen in dieser Hinsicht von der natürlichen, urwüchsigen Einstellung, von der des ursprünglich natürlichen Lebens, von der ersten ursprünglich natürlichen Form von Kulturen: höheren und niederen, ungehemmt sich entwickelnden oder stagnierenden. Alle anderen Einstellungen sind demnach auf diese natürliche zurückbezogen als Umstellungen. Konkreter gesprochen, es müssen in einer der historisch faktischen Menschheiten natürlicher Einstellung aus der konkret gewordenen inneren und äußeren Situation derselben an einer Zeitstelle Motive entspringen, die zunächst einzelne Menschen und Gruppen innerhalb derselben zu einer Umstellung motivieren.

     Wie ist nun die wesensmäßig ursprüngliche Einstellung, die historische Grundweise des menschlichen Daseins zu charakterisieren? Wir antworten: Menschen leben selbstverständlich aus generativen Gründen immer in Gemeinschaften, in Familie, Stamm, Nation, diese wieder in sich selbst reicher oder ärmer gegliedert in Sondersozialitäten. Das natürliche Leben charakterisiert sich nun als naiv geradehin in die Welt Hineinleben, in die Welt, die als universaler Horizont immerfort in gewisser Weise bewußt da ist, aber dabei nicht thematisch ist. Thematisch ist, worauf man gerichtet ist. Waches Leben ist immer auf dies oder jenes Gerichtetsein, gerichtet darauf als auf Zweck oder Mittel, als Relevantes oder Irrelevantes, auf Interessantes oder Gleichgültiges, auf Privates oder Öffentliches, auf das alltäglich Erforderliche oder auf ein einbrechendes Neues. Das alles liegt im Welthorizont, es bedarf aber besonderer Motive, damit der in solchem Weltleben Begriffene sich umstellt und dazu kommt, sie selbst irgendwie zum Thema zu machen, für sie ein bleibendes Interesse zu fassen.

     Hier bedarf es aber näherer Ausführungen. Die einzelnen Menschen, die sich umstellen, haben als Menschen ihrer universalen Lebensgemeinschaft (ihrer Nation) auch weiterhin ihre natürlichen Interessen, jeder seine individuellen; sie können sie durch keine Umstellung einfach verlieren, das hieße für jeden, aufhören zu sein, der er ist, als der er von Geburt an geworden ist. Unter allen Umständen kann also die Umstellung nur eine zeitweilige sein; eine habituell für das ganze weitere Leben fortgeltende Dauer kann sie nur haben in der Form einer unbedingten Willensentschließung, in periodischen, aber innerlich vereinheitlichten Zeitweiligkeiten immer dieselbe Einstellung wiederaufzunehmen und ihre neue Art von Interessen durch diese die Diskretionen intentional überbrückende Kontinuität hindurch als geltende und zu verwirklichende durchzuhalten und sie in entsprechenden Kulturgebilden zu realisieren.

     Wir kennen ähnliches in den schon im natürlich ursprünglichen Kulturleben auftretenden Berufen mit ihren periodischen, das sonstige Leben und seine konkrete Zeitlichkeit durchsetzenden Berufszeitlichkeiten (den Dienststunden des Beamten etc.).

     Es sind nun zwei Fälle möglich. Entweder die Interessen der neuen Einstellung wollen den natürlichen Lebensinteressen oder, was im Wesentlichen dasselbe ist, der natürlichen Praxis dienen, dann ist die neue Einstellung selbst eine praktische. Diese kann nun einen ähnlichen Sinn haben wie die praktische Einstellung des Politikers, der als nationaler Funktionär auf das allgemeine Wohl gerichtet ist, also in seiner der Praxis aller (und mittelbar auch der eigenen) dienen will. Das gehört freilich noch in den Bereich der natürlichen Einstellung, die sich ja wesensmäßig für verschiedene Typen von Gemeinschaftsgliedern differenziert und in der Tat eine andere ist für <die> die Gemeinschaft Regierenden als für die «Bürger» - beides natürlich in einem allerweitesten Sinne genommen. Die Analogie aber macht jedenfalls verständlich, daß die Universalität einer praktischen Einstellung, jetzt einer auf die ganze Welt gehenden, keineswegs besagen muß ein Interessiertsein und Sichbeschäftigen mit allen Einzelheiten und Sonderganzheiten innerhalb der Welt, was freilich undenkbar wäre.

     Gegenüber der höherstufigen praktischen Einstellung besteht aber noch eine andere wesensmäßige Möglichkeit der Änderung der allgemeinen natürlichen Einstellung (die wir alsbald kennenlernen werden am Typus der religiös-mythischen Einstellung), nämlich die theoretische Einstellung - so ist sie freilich nur im voraus genannt, weil in ihr in einer notwendigen Entwicklung die philosophische Theoria erwächst und zum Eigenzweck oder zum Interessenfeld wird. Die theoretische Einstellung, obzwar wiederum eine Berufseinstellung, ist ganz und gar unpraktisch. Sie beruht also auf einer willentlichen Epoché von aller natürlichen und damit auch höherstufigen, der Natürlichkeit dienenden Praxis im Rahmen ihres eigenen Berufslebens.

     Doch sei sogleich gesagt, daß damit noch von keiner endgültigen «Abschnürung» des theoretischen Lebens vom praktischen die Rede ist, bzw. von einem Zerfallen des konkreten Lebens des Theoretikers in zwei zusammenhangslose sich durchsetzende Lebenskontinuitäten, was sozial gesprochen also die Bedeutung hätte des Entstehens zweier geistig zusammenhangsloser Kultursphären. Denn es ist noch eine dritte Form der universalen Einstellung möglich (gegenüber der in der natürlichen fundierten religiös-mythischen Einstellung und andererseits der theoretischen Einstellung), nämlich die im Übergang von theoretischer zu praktischer Einstellung sich vollziehende Synthesis der beiderseitigen Interessen, derart, daß die in geschlossener Einheitlichkeit und unter Epoché von aller Praxis erwachsende Theoria (die universale Wissenschaft) dazu berufen wird (und in theoretischer Einsicht selbst ihren Beruf erweist), in einer neuen Weise der Menschheit, der in konkretem Dasein zunächst und immer auch natürlich lebenden, zu dienen. Das geschieht in Form einer neuartigen Praxis, der der universalen Kritik alles Lebens und aller Lebensziele, aller aus dem Leben der Menschheit schon erwachsenen Kulturgebilde und Kultursysteme, und damit auch einer Kritik der Menschheit selbst und der sie ausdrücklich und unausdrücklich leitenden Werte; und in weiterer Folge eine Praxis, die darauf aus ist, durch die universale wissenschaftliche Vernunft die Menschheit nach Wahrheitsnormen aller Formen zu erhöhen, sie zu einem von Grund aus neuen Menschentum zu wandeln, befähigt zu einer absoluten Selbstverantwortung aufgrund absoluter theoretischer Einsichten. Doch vor dieser Synthesis der theoretischen Universalität und der universal interessierten Praxis steht offenbar eine andere Synthesis von Theorie und Praxis - nämlich die der Verwertung beschränkter Ergebnisse der Theorie, beschränkter, die Universalität des theoretischen Interesses in Spezialisierung fallen lassender Spezialwissenschaften auf die Praxis des natürlichen Lebens. Hier verbinden sich also ursprünglich-natürliche Einstellung und theoretische in Verendlichung.

     Für das tiefere Verständnis der griechisch-europäischen Wissenschaft (universal gesprochen: der Philosophie) in ihrem prinzipiellen Unterschied von den gleichbewerteten orientalischen «Philosophien» ist es nun notwendig, die praktisch-universale Einstellung, wie sie vor der europäischen Wissenschaft sich jene Philosophien schuf, näher zu betrachten und sie als religiös-mythische aufzuklären. Es ist eine bekannte Tatsache, aber auch eine wesensmäßig einsehbare Notwendigkeit, daß religiös-mythische Motive und eine religiös-mythische Praxis zu jedem natürlich lebenden Menschentum - vor Einbruch und Auswirkung der griechischen Philosophie und damit einer wissenschaftlichen Weltbetrachtung - mitgehören. Mythisch-religiöse Einstellung besteht nun darin, daß die Welt als Totalität thematisch, und zwar praktisch thematisch wird; die Welt, d.h. hier natürlich die in der betreffenden Menschheit (etwa Nation) konkret-traditional geltende, also mythisch apperzipierte. Hier gehören vorweg und zunächst nicht nur Menschen und Tiere und sonstige untermenschliche und untertierische Wesen zur mythisch-natürlichen Einstellung sondern auch übermenschliche. Der sie als Allheit umspannende Blick ist praktisch, nicht als ob der Mensch, der doch im natürlichen Dahinleben nur für besondere Realitäten aktuell interessiert ist, je dazu kommen könnte, daß für ihn alles plötzlich in gleicher Weise und zusammen praktisch relevant würde. Aber sofern die ganze Welt als von mythischen Mächten durchherrschte gilt und von der Art, wie sie dabei walten, unmittelbar oder mittelbar das menschliche Schicksal abhängt, wird eine universal-mythische Weltbetrachtung von der Praxis möglicherweise angeregt und ist dann selbst eine praktisch interessierte. Motiviert zu dieser religiös-mythischen Einstellung sind verständlicherweise Priester einer die religiös-mythischen Interessen und ihre Tradition in Einheitlichkeit verwaltenden Priesterschaft. In ihr entsteht und verbreitet sich das sprachlich festgeprägte «Wissen» von den mythischen Mächten (in einem weitesten Sinne personal gedachten). Es nimmt wie von selbst die Form mystischer Spekulation an, die, als naiv überzeugende Interpretation auftretend, den Mythos selbst umbildet. Dabei ist selbstverständlich der Blick ständig mitgerichtet auf die von den mythischen Mächten beherrschte sonstige Welt und das, was ihr zugehört an menschlichen und untermenschlichen Wesen (die übrigens auch, in ihrem eigenwesentlichen Sein ungefestigt, dem Einströmen von mythischen Momenten offen stehen), auf die Weisen, wie sie die Geschehnisse dieser Welt regieren, wie sie selbst sich zu einer einheitlich obersten Machtordnung zusammenfügen müssen, wie sie in einzelnen Funktionen und Funktionären schaffend, verrichtend, Schicksal verhängend eingreifen. All dieses spekulative Wissen hat aber den Zweck, dem Menschen in seinen menschlichen Zwecken zu dienen, auf daß er sein Weltleben möglichst glücklich gestalten, es vor Krankheit, vor jederlei Schicksal, vor Not und Tod behüten kann. Begreiflicherweise können in dieser mythisch-praktischen Weltbetrachtung und Welterkenntnis auch mancherlei nachmals wissenschaftlich auszuwertende Erkenntnisse von der tatsächlichen Welt, der Welt aus wissenschaftlicher Erfahrungserkenntnis, auftreten. Aber in ihrem eigenen Sinnzusammenhang sind sie und bleiben sie mythisch-praktische, und es ist verkehrt, es ist eine Sinnesverfälschung, wenn man, in den von Griechenland geschaffenen und neuzeitlich fortgebildeten wissenschaftlichen Denkweisen erzogen, schon von indischer und chinesischer Philosophie und Wissenschaft (Astronomie, Mathematik) spricht, also Indien, Babylonien, China europäisch interpretiert.

     Scharf hebt sich nun von der universalen, aber mythisch-praktischen Einstellung die in jedem bisherigen Sinne unpraktische «theoretische» Einstellung ab, die des qaumazein, auf das die Großen der ersten Kulminationsperiode der griechischen Philosophie, Plato und Aristoteles, den Ursprung der Philosophie zurückführen. Es ergreift den Menschen die Leidenschaft einer Weltbetrachtung und Welterkenntnis, die sich von allen praktischen Interessen abkehrt und im abgeschlossenen Kreis ihrer Erkenntnistätigkeiten und der ihnen gewidmeten Zeiten nichts anderes erwirkt und erstrebt als reine Theoria. Mit anderen Worten: der Mensch wird zum unbeteiligten Zuschauer, Überschauer der Welt, er wird zum Philosophen; oder vielmehr von da aus gewinnt sein Leben Empfänglichkeit für nur in dieser Einstellung mögliche Motivationen für neuartige Denkziele und Methoden, in denen schließlich Philosophie und er selbst zum Philosophen wird.

     Natürlich hat der Einbruch der theoretischen Einstellung, wie alles historisch Gewordene, seine faktische Motivation im konkreten Zusammenhang geschichtlichen Geschehens. Es gilt also in dieser Hinsicht, aufzuklären, wie aus der Art und dem Lebenshorizont des griechischen Menschentums im 7. Jahrhundert in seinem Verkehr mit den großen und schon hochkultivierten Nationen ihrer Umwelt jenes qaumazein sich einstellen und zunächst in Einzelnen habituell werden konnte. Wir gehen darauf nicht näher ein; wichtiger ist für uns, den Motivationsweg, den der Sinngebung und Sinnschöpfung zu verstehen, der von der bloßen Umstellung, bzw. vom bloßen qaumazein aus zur Theoria führt - ein historisches Faktum, das doch sein Wesensmäßiges haben muß. Es gilt, die Verwandlung von der ursprünglichen Theoria, von der völlig «uninteressierten» (in der Epoché von allem praktischen Interesse erfolgenden) Weltschau (Welterkenntnis aus bloßer universaler Schau) zur Theoria eigentlicher Wissenschaft aufzuklären, beide vermittelt durch die Kontrastierung von doxa und episthmh. Das einsetzende theoretische Interesse als jenes qaumazein ist offenbar eine Abwandlung der Neugier, die im natürlichen Leben ihre ursprüngliche Stelle hat, als Einbruch in den Gang des «ernsten Lebens», als Auswirkung der ursprünglich ausgebildeten Lebensinteressen oder als spielerische Umschau, wenn die geradezu aktuellen Lebensbedürfnisse befriedigt oder die Berufsstunden abgelaufen sind. Die Neugier (hier nicht als habituelles «Laster») ist auch eine Abwandlung, ein Interesse, das sich der Lebensinteressen enthoben, sie fallen gelassen hat.

     So eingestellt, betrachtet er vor allem die Mannigfaltigkeit der Nationen, die eigenen und die fremden, jede mit ihrer eigenen Umwelt, die ihr mit ihren Traditionen, ihren Göttern, Dämonen, ihren mythischen Potenzen als die schlechthin selbstverständliche wirkliche Welt gilt. In diesem erstaunlichen Kontrast kommt der Unterschied von Weltvorstellung und wirklicher Welt auf und entspringt die neue Frage nach der Wahrheit; also nicht der traditionell gebundenen Alltagswahrheit sondern einer für alle von der Traditionalität nicht mehr Geblendeten identischen allgültigen Wahrheit, einer Wahrheit an sich. Zur theoretischen Einstellung des Philosophen gehört es also, daß er ständig und im voraus entschiedener ist, sein künftiges Leben immerfort und im Sinne eines universalen Lebens der Aufgabe der Theoria zu widmen, theoretische Erkenntnis auf theoretische Erkenntnis in infinitum zu bauen.

     In vereinzelten Persönlichkeiten, wie Thales etc., erwächst damit ein neues Menschentum; Menschen, die das philosophische Leben, Philosophie als eine neuartige Kulturgestalt berufsmäßig schaffen. Begreiflicherweise erwächst alsbald eine entsprechend neuartige Vergemeinschaftung. Diese idealen Gebilde der Theoria sind ohne weiteres im Nachverstehen und Nacherzeugen mitgelebt und mitübernommen. Ohne weiteres führen sie zum Miteinanderarbeiten, sich wechselseitig durch Kritik Helfen. Auch die Außenstehenden, die Nichtphilosophen, werden aufmerksam auf das sonderliche Tun und Treiben. Nachverstehend werden sie entweder nun selbst zu Philosophen oder, wenn sie sonst berufsmäßig zu sehr gebunden sind, zu Mitlernenden. So breitet sich die Philosophie in doppelter Weise aus, als sich weitende Berufsgemeinschaft der Philosophen und als eine sich mitweitende Gemeinschaftsbewegung der Bildung. Hier liegt aber auch der Ursprung der nachmals so schicksalsvollen inneren Spaltung der Volkseinheit in Gebildete und Ungebildete. Offenbar hat aber diese Ausbreitungstendenz nicht ihre Schranken in der heimatlichen Nation. Anders als alle anderen Kulturwerke ist sie keine an den Boden der nationalen Tradition gebundene Interessenbewegung. Auch Fremd-Nationale lernen nachverstehen und nehmen überhaupt Anteil an der gewaltigen Kulturverwandlung, die von der Philosophie ausstrahlt. Doch eben dieses muß noch charakterisiert werden.

     Es geht von der in den Formen der Forschung und Bildung sich ausbreitenden Philosophie eine doppelte geistige Wirkung aus. Einerseits ist das Wesentlichste der theoretischen Einstellung des philosophischen Menschen die eigentümliche Universalität der kritischen Haltung, die entschlossen ist, keine vorgegebene Meinung, keine Tradition fraglos hinzunehmen, um sogleich für das ganze traditionell vorgegebene Universum nach dem an sich Wahren, einer Idealität, zu fragen. Das ist aber nicht nur eine neue Erkenntnishaltung. Vermöge der Forderung, die gesamte Empirie idealen Normen, nämlich denen der unbedingten Wahrheit zu unterwerfen, ergibt sich daraus alsbald eine weitgreifende Wandlung der gesamten Praxis des menschlichen Daseins, also des ganzen Kulturlebens; sie soll sich nicht mehr von der naiven Alltagsempirie und Tradition sondern von der objektiven Wahrheit normieren lassen. So wird ideale Wahrheit zu einem absoluten Wert, der in der Bildungsbewegung und in der ständigen Auswirkung in der Kindererziehung eine universal gewandelte Praxis mit sich führt. Überlegen wir etwas näher die Art dieser Umwandlung, so verstehen wir sofort das Unvermeidliche: Wird die allgemeine Idee der Wahrheit an sich zur universalen Norm aller im menschlichen Leben auftretenden relativen Wahrheiten, der wirklichen und vermutlichen Situationswahrheiten, so betrifft das auch alle traditionellen Normen, die des Rechts, der Schönheit, der Zweckmäßigkeit, der herrschenden Personenwerte, Werte von personalen Charakteren etc.

     Es erwächst also ein besonderes Menschentum und ein besonderer Lebensberuf korrelativ mit der Leistung einer neuen Kultur. Philosophische Welterkenntnis schafft nicht nur diese besondersartigen Ergebnisse sondern eine menschliche Haltung, die alsbald eingreift in das ganze übrige praktische Leben, mit allen seinen Forderungen und Zwecken, den Zwecken der historischen Tradition, in die man hineinerzogen ist und die von daher gelten. Es bildet sich eine neue und innige Gemeinschaft, wir könnten sagen, eine Gemeinschaft rein idealer Interessen, zwischen den Menschen, aus Menschen, die der Philosophie leben, verbunden in der Hingabe an die Ideen, die nicht nur allen nützen sondern allen identisch zueigen sind. Notwendigerweise bildet sich ein Gemeinschaftswirken besonderer Art heraus, das des Miteinander- und Füreinanderarbeitens, einander hilfreich Kritikleistens, aus dem die reine und unbedingte Wahrheitsgeltung als Gemeingut erwächst. Dazu kommt nun die notwendige Tendenz der Fortpflanzung des Interesses durch Nachverstehen dessen, was da gewollt und geleistet wird; also eine Tendenz der Einbeziehung immer neuer noch unphilosophischer Personen in die Gemeinschaft der Philosophierenden. So zunächst innerhalb der heimatlichen Nation. Die Ausbreitung kann nicht ausschließlich als die der berufsmäßigen wissenschaftlichen Forschung erfolgen, sie erfolgt, über den berufsmäßigen Kreis hinaus weit um sich, als Bewegung der Bildung.

     Verbreitet sich nun die Bildungsbewegung über immer weitere Volkskreise, und naturgemäß die höheren, herrschenden, von der Lebenssorge weniger aufgebrauchten, was ergeben sich für Folgen? Offenbar führt das nicht einfach zu einer homogenen Verwandlung des normalen, im ganzen befriedigenden staatlich-nationalen Lebens, sondern mit Wahrscheinlichkeit zu großen inneren Spaltungen, in denen dasselbe und das Ganze der nationalen Kultur in einen Umbruch hineingerät. Die in der Tradition konservativ Befriedigten und der philosophische Menschenkreis werden einander bekämpfen, und sicherlich wird der Kampf sich in der politischen Machtsphäre abspielen. Schon in den Anfängen der Philosophie beginnt die Verfolgung. Die Menschen, die auf jene Ideen hinleben, werden geächtet. Und doch: Ideen sind stärker als alle empirischen Mächte.

     Hier ist auch weiter in Rechnung zu ziehen, daß die Philosophie, aus universaler kritischer Einstellung gegen alle und jede traditionale Vorgegebenheit erwachsen, in ihrer Ausbreitung durch keine nationalen Schranken gehemmt ist. Nur die Fähigkeit zu einer universalen kritischen Einstellung, die freilich auch ihre Voraussetzungen hat in einer gewissen Höhe der vorwissenschaftlichen Kultur, muß vorhanden sein. So kann sich der Umbruch der nationalen Kultur fortpflanzen, zunächst indem die fortschreitende universale Wissenschaft zu einem Gemeingut für die zunächst einander fremden Nationen wird und die Einheit einer wissenschaftlichen Gemeinschaft und Bildungsgemeinschaft durch die Mehrheit der Nationen hindurchgeht.

     Noch ein Wichtiges muß herangezogen werden, das Verhalten der Philosophie zu den Traditionen betreffend. Nämlich zwei Möglichkeiten sind hier zu beachten. Entweder das traditional Geltende wird ganz verworfen, oder sein Inhalt wird philosophisch übernommen und damit auch im Geiste philosophischer Idealität neu geformt. Ein ausgezeichneter Fall ist hier der der Religion. Dahin möchte ich die «polytheistischen Religionen» nicht rechnen. Götter im Plural, mythische Mächte jeder Art, sind umweltliche Objekte von derselben Wirklichkeit wie Tier oder Mensch. Im Begriffe Gott ist der Singular wesentlich. Ihm gehört aber von menschlicher Seite zu, daß seine Seinsgeltung und Wertgeltung als absolute innere Bindung erfahren wird. Hier erfolgt nun die naheliegende Verschmelzung dieser Absolutheit mit derjenigen der philosophischen Idealität. Im allgemeinen Idealisierungsprozeß, der von der Philosophie ausgeht, wird Gott sozusagen logifiziert, ja zum Träger des absoluten Logos. Das Logische möchte ich übrigens schon darin sehen, daß sich die Religion theologisch auf die Glaubensevidenz beruft, als eine eigene und tiefste Art der Begründung wahren Seins. Nationale Götter aber sind fraglos da, als reale Tatsachen der Umwelt. Man stellt vor der Philosophie keine erkenntniskritischen Fragen, keine Fragen der Evidenz.

     Im wesentlichen, obschon etwas schematisch, ist nun schon die historische Motivation gezeichnet, die es verständlich macht, wie von ein paar griechischen Sonderlingen aus eine Umwandlung des menschlichen Daseins und seines gesamten Kulturlebens in Gang gebracht werden konnte, zunächst in ihrer eigenen und den nächst benachbarten Nationen. Aber es ist nun auch sichtlich, daß von hier aus eine Übernationalität völlig neuer Art entspringen konnte. Ich meine natürlich die geistige Gestalt Europas. Es ist nun nicht mehr ein Nebeneinander verschiedener,.nur durch Handel- und Machtkämpfe sich beeinflussender Nationen, sondern: Ein neuer, von Philosophie und ihren Sonderwissenschaften herstammender Geist freier Kritik und Normierung auf unendliche Aufgaben hin durchherrscht das Menschentum, schafft neue, unendliche Ideale! Es sind solche für die einzelnen Menschen in ihren Nationen, solche für die Nationen selbst. Aber schließlich sind es auch unendliche Ideale für die sich ausbreitende Synthese der Nationen, in welcher jede dieser Nationen gerade dadurch, daß sie ihre eigene ideale Aufgabe im Geiste der Unendlichkeit anstrebt, ihr Bestes den mitvereinten Nationen schenkt. In diesem Schenken und Empfangen steigt das übernationale Ganze mit all seinen aufgestuften Sozietäten empor, erfüllt von dem Geiste einer überschwenglichen in vielfacher Unendlichkeit gegliederten, und doch einzigen unendlichen Aufgabe. In dieser ideal gerichteten Allsozietät bleibt die Philosophie selbst in leitender Funktion und in ihrer besonderen unendlichen Aufgabe; in der Funktion freier und universaler theoretischer Besinnung, die auch alle Ideale und das Allideal mit umfaßt: also das Universum aller Normen. Ständig hat Philosophie in einer europäischen Menschheit ihre Funktion als die archontische der ganzen Menschheit zu üben.


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     Aber nun müssen die sicherlich sehr aufdringlichen Mißverständnisse und Bedenken zu Worte kommen, welche, wie mir scheinen will, von den modischen Vorurteilen und ihren Phraseologien ihre suggestive Kraft schöpfen.

     Ist, was hier vorgetragen worden, nicht eine in unserer Zeit gerade sehr wenig angebrachte Ehrenrettung des Rationalismus, der Aufklärerei, des in weltfremder Theorie sich verlierenden Intellektualismus, mit seinen notwendigen üblen Folgen, der hohlen Bildungssucht, des intellektualistischen Snobismus? Heißt das hier nicht wieder zurücklenken wollen in die schicksalsvolle Irrung, daß Wissenschaft den Menschen weise macht, daß sie dazu berufen sei, ein echtes, den Schicksalen überlegenes und sich befriedigendes Menschentum zu schaffen? Wer wird solche Gedanken heute noch ernst nehmen?

     Dieser Einwand hat sicherlich für den europäischen Entwicklungsstand des 17. bis Ende des 19. Jahrhunderts sein relatives Recht. Aber den eigenen Sinn meiner Darstellung trifft er nicht. Es möchte mir scheinen, daß ich, der vermeintliche Reaktionär, weit radikaler bin und weit mehr revolutionär als die sich heutzutage in Worten so radikal Gebärdenden.

     Auch ich bin dessen gewiß, daß die europäische Krisis in einem sich verirrenden Rationalismus wurzelt. Aber nicht das darf die Meinung sein, als ob die Rationalität als solche von Übel oder im ganzen der menschheitlichen Existenz nur von untergeordneter Bedeutung sei. Rationalität: in jenem hohen und echten Sinne, von dem wir allein sprechen, als dem urtümlich griechischen, der in der klassischen Periode der griechischen Philosophie zum Ideal geworden war, bedurfte freilich noch vieler selbstbesinnlicher Klärungen, ist aber berufen, in reifer Weise Entwicklung zu leiten. Andererseits geben wir gerne zu (und der Deutsche Idealismus ist uns in dieser Einsicht längst vorangegangen), daß die Entwicklungsgestalt der ratio als Rationalismus der Aufklärungsperiode eine Verirrung, obschon immerhin eine begreifliche Verirrung war.

     Vernunft ist ein weiter Titel. Nach der guten alten Definition ist der Mensch das vernünftige Lebewesen, und in diesem weiten Sinne ist auch der Papua Mensch und nicht Tier. Er hat seine Zwecke und handelt besinnlich, die praktischen Möglichkeiten überlegend. Die erwachsenden Werke und Methoden gehen in die Tradition ein, immer wieder in ihrer Rationalität verständlich. Aber so wie der Mensch und selbst der Papua eine neue Stufe der Animalität, gegenüber dem Tier nämlich, darstellt, so stellt in der Menschlichkeit und ihrer Vernunft die philosophische Vernunft eine neue Stufe dar. Die Stufe menschlichen Daseins und der idealen Normen für unendliche Aufgaben, die Stufe des Daseins sub specie aeterni, ist aber nur möglich in der absoluten Universalität, eben der von vornherein in der Idee der Philosophie beschlossenen. Die universale Philosophie mit allen einzelnen Wissenschaften macht zwar eine Teilerscheinung der europäischen Kultur aus. Es liegt aber im Sinne meiner ganzen Darstellung, daß dieser Teil sozusagen das fungierende Gehirn ist, von dessen normalem Funktionieren die echte, gesunde europäische Geistigkeit abhängt. Das Menschentum der höheren Menschlichkeit oder Vernunft erfordert also eine echte Philosophie.

     Aber hier liegt nun der Gefahrenpunkt! «Philosophie» - da müssen wir wohl scheiden Philosophie als historisches Faktum einer jeweiligen Zeit und Philosophie als Idee, Idee einer unendlichen Aufgabe. Die jeweils historisch wirkliche Philosophie ist der mehr oder minder gelungene Versuch, die leitende Idee der Unendlichkeit und dabei sogar Allheit der Wahrheiten zu verwirklichen. Praktische Ideale, nämlich erschaut als ewige Pole, von denen man in seinem ganzen Leben nicht abirren kann, ohne Reue, ohne sich untreu und damit unselig zu werden, sind in dieser Schau keineswegs schon klar und bestimmt, sie sind antizipiert in einer vieldeutigen Allgemeinheit. Die Bestimmtheit ergibt sich erst im konkreten Zugreifen und mindestens relativ gelingenden Tun. Da droht beständig das Verfallen in Einseitigkeiten und voreilige Befriedigungen, die sich in nachkommenden Widersprüchen rächen. Daher der Kontrast zwischen den großen Ansprüchen der philosophischen Systeme, während sie doch miteinander unverträglich sind. Dazu kommt die Notwendigkeit und doch wieder Gefährlichkeit der Spezialisierung.

     So kann einseitige Rationalität allerdings zum Übel werden. Man kann auch sagen: Es gehört zum Wesen der Vernunft, daß die Philosophen ihre unendliche Aufgabe zunächst nur in einer absolut notwendigen Einseitigkeit verstehen und bearbeiten können. Darin liegt an sich keine Verkehrtheit, kein Irrtum, sondern, wie gesagt, der für sie gerade und notwendige Weg läßt sie erst eine Seite der Aufgabe ergreifen, zunächst ohne zu merken, daß die ganze unendliche Aufgabe, die Allheit des Seienden theoretisch zu erkennen, noch andere Seiten hat. Meldet sich in Unklarheiten und Widersprüchen die Unzulänglichkeit, so motiviert dies einen Ansatz für eine universale Besinnung. Der Philosoph muß also immer darauf aus sein, sich des wahren und vollen Sinnes der Philosophie, der Allheit ihrer Unendlichkeitshorizonte zu bemächtigen. Keine Erkenntnislinie, keine einzelne Wahrheit darf verabsolutiert und isoliert werden. Nur in diesem höchsten Selbstbewußtsein, das selbst zu einem der Zweige der unendlichen Aufgabe wird, kann Philosophie ihre Funktion, sich selbst und dadurch echtes Menschentum auf die Bahn zu bringen, erfüllen. Daß dem aber so ist, auch das gehört wiederum mit zum Erkenntnisbereich der Philosophie in der Stufe höchster Selbstbesinnung. Nur durch diese ständige Reflexivität ist eine Philosophie universale Erkenntnis.

     Ich sagte: der Weg der Philosophie geht über die Naivität. Hier ist nun die Stelle der Kritik des so hoch gerühmten Irrationalismus, bzw. die Stelle, die Naivität desjenigen Rationalismus zu enthüllen, der für die philosophische Rationalität schlechthin genommen wird, aber freilich für die Philosophie der gesamten Neuzeit seit der Renaissance charakteristisch ist und sich für den wirklichen, also universalen Rationalismus hält. In dieser als Anfang unvermeidlichen Naivität also stecken alle und in den Anfängen schon im Altertum zur Entwicklung gekommenen Wissenschaften. Genauer gesprochen: Der allgemeinste Titel dieser.Naivität heißt Objektivismus, ausgestaltet in den verschiedenen Typen des Naturalismus, der Naturalisierung des Geistes. Alte und neue Philosophien waren und bleiben naiv objektivistisch. Gerechterweise muß aber beigefügt werden, daß der von Kant ausgehende Deutsche Idealismus schon leidenschaftlich bemüht war, die schon sehr empfindlich gewordene Naivität zu überwinden, ohne daß er wirklich die für die neue Gestalt der Philosophie und des europäischen Menschentums entscheidende Stufe der höheren Reflexivität zu erreichen vermochte.

     Nur in rohen Andeutungen kann ich das Gesagte verständlich machen. Der natürliche Mensch (nehmen wir an, der vorphilosophischen Periode) ist in all seinem Sorgen und Tun weltlich gerichtet. Sein Lebens- und Wirkungsfeld ist die sich raumzeitlich um ihn herum ausbreitende Umwelt, der er sich selbst zurechnet. Das bleibt in der theoretischen Einstellung, die zunächst nichts anderes sein kann als die des unbeteiligten Zuschauers über die sich dabei entmythisierende Welt, erhalten. Die Philosophie sieht in der Welt das Universum des Seienden und Welt wird zur objektiven Welt gegenüber den Weltvorstellungen - den national- und einzelsubjektiv wechselnden, die Wahrheit wird also zur objektiven Wahrheit. So fängt die Philosophie als Kosmologie an, sie ist zunächst, wie selbstverständlich, in ihrem theoretischen Interesse auf die körperliche Natur gerichtet, da ja alles raumzeitlich Gegebene jedenfalls mindestens dem Untergrund nach, die Daseinsformel der Körperlichkeit hat. Menschen, Tiere sind nicht bloß Körper, aber in der umweltlichen Blickrichtung erscheinen sie als etwas körperlich Seiendes, somit als in die universale Raumzeitlichkeit eingeordnete Realitäten. So haben alle seelischen Vorkommnisse, die des jeweiligen Ich, wie Erfahren, Denken, Wollen, eine gewisse Objektivität. Das Gemeinschaftsleben, das der Familien, Völker u.dgl., scheint sich dann aufzulösen in das einzelner Individuen, als psychophysischer Objekte; die geistige Verbundenheit durch psychophysische Kausalität entbehrt einer rein geistigen Kontinuität, überall greift die physische Natur ein.

     Der historische Gang der Entwicklung ist durch diese Einstellung auf die Umwelt bestimmt vorgezeichnet. Schon der flüchtigste Blick auf die in der Umwelt vorfindliche Körperlichkeit zeigt, daß die Natur ein homogenes allverbundenes Ganzes ist, sozusagen eine Welt für sich, umfangen von der homogenen Raumzeitlichkeit, geteilt in einzelne Dinge, alle einander gleich als res extensae und einander kausal bestimmend. Sehr schnell wird ein erster und größter Entdeckungsschritt getan: Die Überwindung der Endlichkeit der schon als objektives An-sich gedachten Natur, eine Endlichkeit trotz der offenen Endlosigkeit. Die Unendlichkeit wird entdeckt, und zuerst in Form der Idealisierung der Größen, der Maße, der Zahlen, der Figuren, der Geraden, Pole, Flächen usw. Die Natur, der Raum, die Zeit werden ins Unendliche idealiter erstreckbar und ins Unendliche idealiter teilbar. Aus der Feldmeßkunst wird die Geometrie, aus der Zahlenkunst die Arithmetik, aus der Alltagsmechanik die mathematische Mechanik usw. Nun verwandelt sich, ohne daß ausdrücklich eine Hypothese daraus gemacht wird, die anschauliche Natur und Welt in eine mathematische Welt, die Welt der mathematischen Naturwissenschaften. Das Altertum ging voran, und mit seiner Mathematik vollzog sich zugleich die erste Entdeckung unendlicher Ideale und unendlicher Aufgaben. Das wird für alle späteren Zeiten zum Leitstern der Wissenschaften.

     Wie wirkte nun der berauschende Erfolg dieser Entdeckung der physischen Unendlichkeit auf die wissenschaftliche Bemächtigung der Geistessphäre? In der umweltlichen Einstellung, in der ständig objektivistischen, erschien alles Geistige wie der physischen Körperlichkeit aufgelegt. So lag eine Übertragung der naturwissenschaftlichen Denkweise nahe. Daher finden wir schon in den Anfängen Demokrit'schen Materialismus und Determinismus. Aber die größten Geister schreckten doch davor und auch vor jeder Psychophysik neueren Stils zurück. Seit Sokrates wird der Mensch in seiner spezifischen Menschlichkeit, als Person zum Thema, der Mensch im geistigen Gemeinschaftsleben. Der Mensch bleibt in die objektive Welt eingeordnet, sie wird aber schon zum großen Thema für Plato,und Aristoteles. Hier wird eine merkwürdige Spaltung fühlbar, das Menschliche gehört zum Universum der objektiven Tatsachen, aber als Personen, als Ich, haben die Menschen Ziele, Zwecke, haben sie Normen der Tradition, Normen der Wahrheit - ewige Normen. Erlahmte die Entwicklung im Altertum, so war sie doch nicht verloren. Machen wir den Sprung zur sogenannten Neuzeit. Mit einer glühenden Begeisterung wird die unendliche Aufgabe einer mathematischen Naturerkenntnis und überhaupt einer Welterkenntnis aufgenommen. Die ungeheuren Erfolge der Naturerkenntnis sollen nun auch der Geisteserkenntnis zuteil werden. Die Vernunft hat ihre Kraft in der Natur erwiesen. «Wie die Sonne die eine allerleuchtende und wärmende Sonne ist, so ist auch die Vernunft die eine» (Descartes). Die naturwissenschaftliche Methode muß auch die Geistesgeheimnisse erschließen. Real ist der Geist, objektiv in der Welt, als solcher fundiert in der Leiblichkeit. Also nimmt die Weltauffassung sofort und allherrschend die Gestalt einer dualistischen, und zwar psychophysischen an. Dieselbe Kausalität, nur zweifach gespalten, umgreift die eine Welt, der Sinn rationaler Erklärung ist überall derselbe, aber doch so, daß alle Geisteserklärung, wenn sie einzig und damit universal philosophisch sein soll, ins Physische führt. Eine reine und in sich geschlossene.erklärende Geistesforschung, eine rein innengewandte, vom Ich, vom selbsterlebten Psychischen in die fremde Psyche hineinreichende Psychologie oder Geisteslehre, kann es nicht geben, es muß der Außenweg, der Weg der Phsyik und Chemie gegangen werden. Alle die beliebten Reden von Gemeingeist, Volkswillen, von idealen, von politischen Zielen der Nationen u.dgl. sind Romantik und Mythologie, entsprungen aus analogischer Übertragung von Begriffen, die einen eigentlichen Sinn nur in der einzelnen Personalsphäre haben. Geistiges Sein ist fragmentarisch. Auf die Frage nach der Quelle aller Nöte ist nun zu antworten: Dieser Objektivismus oder diese psychophysische Weltauffassung ist trotz ihrer scheinbaren Selbstverständlichkeit eine naive Einseitigkeit, die als solche unverstanden geblieben war. Die Realität des Geistes als vermeintlich realen Annexes an den Körpern, sein vermeintlich raumzeitliches Sein innerhalb der Natur ist ein Widersinn.

     Hier gilt es für unser Problem der Krisis aber, aufzuzeigen, wie es kommt, daß die jahrhundertelang auf ihre theoretischen und praktischen Erfolge so stolze «Neuzeit» schließlich selbst in eine wachsende Unbefriedigung hineingerät, ja ihre Lage als Notlage empfinden muß. In alle Wissenschaften kehrt die Not ein, letztlich als Not der Methode. Aber unsere europäische Not geht, wenn auch unverstanden, sehr viele an.

     Es sind durchaus Probleme, die aus der Naivität stammen, in der die objektivistische Wissenschaft das, was sie objektive Welt nennt, für das Universum alles Seienden hält, ohne darauf zu achten, daß die Wissenschaft leistende Subjektivität in keiner objektiven Wissenschaft zu ihrem Rechte kommen kann. Der naturwissenschaftlich Erzogene findet es selbstverständlich, daß alles bloß Subjektive ausgeschaltet werden muß und daß die naturwissenschaftliche Methode, sich in den subjektiven Vorstellungsweisen darstellend, objektiv bestimmt. So sucht er auch für das Psychische das objektiv Wahre. Dabei wird zugleich angenommen, daß das vom Physiker ausgeschaltete Subjektive eben als Psychisches in der Psychologie zu erforschen sei, dann natürlich in der psychophysischen Psychologie. Aber der Naturforscher macht sich nicht klar, daß das ständige Fundament seiner doch subjektiven Denkarbeit die Lebensumwelt ist, sie ist ständig vorausgesetzt als Boden, als Arbeitsfeld, auf dem seine Fragen, seine Denkmethoden allein Sinn haben. Wo wird nun das gewaltige Stück Methode, das von der anschaulichen Umwelt zu den Idealisierungen der Mathematik und zu ihrer Interpretation als objektives.Sein führt, der Kritik und Klärung unterworfen? Einsteins Umwälzungen betreffen die Formeln, in denen die idealisierte und naiv objektivierte Physis behandelt wird. Aber wie Formeln überhaupt, wie mathematische Objektivierung überhaupt auf dem Untergrund des Lebens und der anschaulichen Umwelt Sinn bekommt, davon erfahren wir nichts, und so reformiert Einstein nicht den Raum und die Zeit, in der sich unser lebendiges Leben abspielt.

     Die mathematische Naturwissenschaft ist eine wundervolle Technik, um Induktionen von einer Leistungsfähigkeit, von einer Wahrscheinlichkeit, Genauigkeit, Berechenbarkeit zu machen, die früher nicht einmal geahnt werden konnten. Sie ist als Leistung ein Triumph des menschlichen Geistes. Was aber die Rationalität ihrer Methoden und Theorien anlangt, so ist sie eine durchaus relative. Sie setzt schon den Grundlagenansatz voraus, der selbst einer wirklichen Rationalität völlig entbehrt. Indem die anschauliche Umwelt, dieses bloß Subjektive, in der wissenschaftlichen Thematik vergessen wurde, ist auch das arbeitende Subjekt selbst vergessen, und der Wissenschaftler wird nicht zum Thema. (Somit steht, von diesem Gesichtspunkte aus, die Rationalität der exakten Wissenschaften in einer Reihe mit der Rationalität der ägyptischen Pyramiden.)

     Freilich, seit Kant haben wir eine eigene Erkenntnistheorie, und andererseits ist doch die Psychologie da, die mit ihren Ansprüchen auf naturwissenschaftliche Exaktheit die allgemeine Grundwissenschaft vom Geiste sein will. Aber unsere Hoffnung auf wirkliche Rationalität, d.i. auf wirkliche Einsicht, wird hier wie überall enttäuscht. Die Psychologen merken gar nicht, daß auch sie an sich selbst als die leistenden Wissenschaftler und ihre Lebensumwelt in ihrem Thema nicht herankommen. Sie merken nicht, daß sie sich im voraus notwendig als vergemeinschaftete Menschen ihrer Umwelt und historischen Zeit voraussetzen, auch schon damit, daß sie Wahrheit an sich, als für jedermann überhaupt gültig, erzielen wollen. Durch ihren Objektivismus kann die Psychologie gar nicht die Seele, das ist doch das Ich, das tut und leidet, in seinem eigenwesentlichen Sinn ins Thema bekommen. Sie mag wertendes Erlebnis, Willenserlebnis auf körperliches Leben verteilt objektivieren und induktiv behandeln, kann sie das auch für Zwecke, Werte, Normen, kann sie Vernunft zum Thema machen, etwa als «Disposition»? Es wird völlig übersehen, daß der Objektivismus als echte Leistung des sich auf wahrhafte Normen richtenden Forschers eben diese Normen voraussetzt, daß er also nicht aus Tatsachen abgeleitet sein will, denn Tatsachen sind dabei schon gemeint als Wahrheiten, und nicht als Einbildungen. Allerdings, man empfindet die hier vorliegenden Schwierigkeiten; so entbrennt der Streit um den Psychologismus. Aber mit der Ablehnung einer psychologischen Begründung von Normen, vor allem von Normen für Wahrheit an sich, ist nichts getan. Immer fühlbarer wird allgemein die Reformbedürftigkeit der ganzen neuzeitlichen Psychologie, aber noch versteht man nicht, daß sie durch ihren Objektivismus versagt hat, daß sie überhaupt an das eigene Wesen des Geistes nicht herankommt, daß ihre Isolierung der objektiv gedachten Seele und ihre psychophysische Umdeutung des In-Gemeinschaft-seins eine Verkehrtheit ist. Gewiß hat sie nicht vergeblich gearbeitet und viele auch praktisch wertvolle empirische Regeln aufgewiesen. Aber sie ist so wenig eine wirkliche Psychologie als die Moralstatistik mit ihren nicht minder wertvollen Erkenntnissen eine Moralwissenschaft ist.

     Überall in unserer Zeit meldet sich aber das brennende Bedürfnis nach einem Verständnis des Geistes, und fast unerträglich geworden ist die Unklarheit der methodischen und sachlichen Beziehung zwischen den Naturwissenschaften und Geisteswissenschaften. Dilthey, einer der größten Geisteswissenschaftler, hat seine ganze Lebensenergie an eine Klärung der Beziehung von Natur und Geist gesetzt, an eine Klärung der Leistung der psychophysischen Psychologie, die, wie er meinte, zu ergänzen sei durch eine neue, beschreibende, zergliedernde Psychologie. Bemühungen von Windelband und Rickert haben leider nicht die ersehnte Einsicht gebracht. Auch sie wie alle bleiben dem Objektivismus verhaftet; und erst recht die neuen reformierenden Psychologen, die da glauben, alle Schuld liege an dem lang vorherrschenden Vorurteil des Atomismus und eine neue Zeit käme mit der Ganzheitspsychologie Nie kann es aber besser werden, solange der aus einer natürlichen Einstellung auf Umweltlichkeit entsprungene Objektivismus in seiner Naivität nicht durchschaut ist und die Erkenntnis durchgebrochen, daß die dualistische Weltauffassung, in welcher Natur und Geist als Realitäten gleichartigen Sinnes zu gelten haben, obschon kausal aufeinandergebaut, eine Verkehrtheit ist. Allen Ernstes meine ich: Eine objektive Wissenschaft vom Geiste, eine objektive Seelenlehre, objektiv in dem Sinne, daß sie den Seelen, den personalen Gemeinschaften Inexistenz in den Formen der Raumzeitlichkeit zukommen läßt, hat es nie gegeben und wird es nie geben.

     Der Geist und sogar nur der Geist ist in sich selbst und für sich selbst seiend, ist eigenständig und kann in diesem Eigenstande, und nur indiesem, wahrhaft rational, wahrhaft und von Grund auf wissenschaftlich behandelt werden. Was aber die Natur anlangt in ihrer naturwissenschaftlichen Wahrheit, so ist sie nur scheinbar eigenständig und nur scheinbar sich zu rationaler Erkenntnis gebracht in den Naturwissenschaften. Denn wahre Natur in ihrem, in naturwissenschaftlichem Sinne ist Erzeugnis des naturforschenden Geistes, setzt also die Wissenschaft vom Geiste voraus. Der Geist ist wesensmäßig dazu befähigt, Selbsterkenntnis zu üben,und als wissenschaftlicher Geist wissenschaftliche Selbsterkenntnis, und das iterativ. Nur in der reinen geisteswissenschaftlichen Erkenntnis von dem Einwand der Selbstverhülltheit seines Leistens nicht betroffen. Demnach ist es verkehrt von den Geisteswissenschaften, mit den Naturwissenschaften um Gleichberechtigung zu ringen. Sowie sie den letzteren ihre Objektivität als Eigenständigkeit zubilligen, sind sie selbst dem Objektivismus verfallen. Aber so wie sie jetzt mit ihren mannigfaltigen Disziplinen ausgebildet sind, entbehren sie der letzten, wirklichen, durch die geistige Weltanschauung ermöglichten Rationalität. Eben dieser Mangel an einer echten Rationalität auf allen Seiten ist die Quelle der unerträglich gewordenen Unklarheit des Menschen über seine eigene Existenz und seine unendlichen Aufgaben. Sie sind untrennbar einig in einer Aufgabe: Nur wenn der Geist aus der naiven Außenwendung zu sich selbst zurückkehrt und bei sich selbst und rein bei sich selbst bleibt, kann er sich genügen.

     Wie aber kam es zu einem Anfang solcher Selbstbesinnung? Ein Anfang war so lange nicht möglich, als der Sensualismus, oder besser der Datenpsychologismus, die Psychologie der tabula rasa, das Feld beherrschte. Erst als Brentano die Psychologie als eine Wissenschaft von den intentionalen Erlebnissen forderte, war ein Anstoß gegeben, der weiterführen konnte, obschon Brentano selbst noch nicht den Objektivismus und psychologischen Naturalismus überwand. Die Ausbildung einer wirklichen Methode, das Grundwesen des Geistes in seinen Intentionalitäten zu erfassen und von da aus eine ins Unendliche konsequente Geistesanalytik aufzubauen, führte zur transzendentalen Phänomenologie. Den naturalistischen Objektivismus und jeden Objektivismus überhaupt überwindet sie in der einzig möglichen Weise, nämlich dadurch, daß der Philosophierende von seinem Ich ausgeht, und zwar rein als dem Vollzieher aller seiner Geltungen, zu deren rein theoretischem Zuschauer er wird. In dieser Einstellung gelingt es, eine absolut eigenständige Geisteswissenschaft aufzubauen, in Form einer konsequenten Selbstverständigung und Verständigung der Welt als geistiger Leistung. Der Geist ist darin nicht Geist in oder neben der Natur, sondern diese rückt selbst in die Geistessphäre. Das Ich ist dann auch nicht mehr ein isoliertes Ding neben anderen solchen Dingen in einer vorgegebenen Welt, es hört überhaupt das ernstliche Außer- und Nebeneinander der Ichpersonen auf zugunsten eines innerlichen Ineinander- und Füreinanderseins.

     Doch darüber kann hier nicht gesprochen werden, kein Vortrag könnte es erschöpfen. Aber gezeigt hoffe ich zu haben, daß nicht der alte Rationalismus, der ein sinnwidriger Naturalismus war und unfähig, überhaupt die uns nächst angehenden Geistesprobleme zu erfassen, hier erneuert wird. Die ratio, die jetzt in Frage ist, ist nichts anderes als die wirklich universale und wirklich radikale Selbstverständigung des Geistes in Form universaler verantwortlicher Wissenschaft, in welcher ein völlig neuer Modus von Wissenschaftlichkeit in den Gang gebracht wird, in dem alle erdenklichen Fragen, Fragen des Seins und Fragen der Norm, Fragen der sogenannten Existenz, ihre Stelle finden. Es ist meine Überzeugung, daß die intentionale Phänomenologie zum ersten Male den Geist als Geist zum Feld systematischer Erfahrung und Wissenschaft gemacht und dadurch die totale Umstellung der Erkenntnisaufgabe erwirkt hat. Die Universalität des absoluten Geistes umspannt alles Seiende in einer absoluten Historizität, welcher sich die Natur als Geistesgebilde einordnet. Erst die intentionale, und zwar transzendentale Phänomenologie schaffte durch ihren Ausgangspunkt und ihre Methoden Licht. Erst von ihr aus versteht sich, und aus tiefsten Gründen, was der naturalistische Objektivismus ist, und insbesondere, daß die Psychologie durch ihren Naturalismus überhaupt das Leisten, das radikale und eigentliche Problem des geistigen Lebens, verfehlen mußte.


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     Drängen wir den Grundgedanken unserer Ausführungen zusammen: Die heute so viel beredete, sich in unzähligen Symptomen des Lebenszerfalls dokumentierende «Krise des europäischen Daseins» ist kein dunkles Schicksal, kein undurchdringliches Verhängnis, sondern wird verständlich und durchschaubar auf dem Hintergrund der philosophisch aufdeckbaren Teleologie der europäischen Geschichte. Voraussetzung dieses Verständnisses aber ist, daß zuvor das Phänomen «Europa» in seinem zentralen Wesenskern erfaßt wird. Um das Unwesen der gegenwärtigen «Krise» begreifen zu können, mußte der Begriff Europa herausgearbeitet werden als die historische Teleologie unendlicher Vernunftziele; es mußte gezeigt werden, wie die europäische «Welt» aus Vernunftideen, d..h. aus dem Geiste der Philosophie geboren wurde. Die «Krise» konnte dann deutlich werden als das scheinbare Scheitern des Rationalismus. Der Grund des Versagens einer rationalen Kultur liegt aber - wie gesagt - nicht im Wesen des Rationalismus selbst sondern allein in seiner Veräußerlichung, in seiner Versponnenheit in «Naturalismus» und «Objektivismus».

     Die Krise des europäischen Daseins hat nur zwei Auswege: Den Untergang Europas in der Entfremdung gegen seinen eigenen rationalen Lebenssinn, den Verfall in Geistfeindschaft und Barbarei, oder die Wiedergeburt Europas aus dem Geiste der Philosophie durch einen den Naturalismus endgültig überwindenden Heroismus der Vernunft. Europas größte Gefahr ist die Müdigkeit. Kämpfen wir gegen diese Gefahr der Gefahren als «gute Europäer» in jener Tapferkeit, die auch einen unendlichen Kampf nicht scheut, dann wird aus dem Vernichtungsbrand des Unglaubens, dem schwelenden Feuer der Verzweiflung an der menschheitlichen Sendung des Abendlandes, aus der Asche der großen Müdigkeit der Phoenix einer neuen Lebensinnerlichkeit und Vergeistigung auferstehen, als Unterpfand einer großen und fernen Menschenzukunft: Denn der Geist allein ist unsterblich.

フッサール「デカルト的省察」その一

 

bibliotheca Augustana


D i e   P a r i s e r
V o r t r ä g e


E r s t e   D o p p e l v o r l e s u n g
a m   2 3 .  F e b r u a r   1 9 2 9


[Die Cartesianischen Meditationen
und ihre kritische Umbildung
zur meditierenden Erschließung
des transzendentalen ego]


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1. Teil

An dieser ehrwürdigsten Stätte französischer Wissenschaft über die neue Phänomenologie sprechen zu dürfen, erfüllt mich aus besonderen Gründen mit Freudigkeit. Denn kein Philosoph der Vergangenheit hat auf den Sinn der Phänomenologie so entscheidend gewirkt wie Frankreichs größter Denker René Descartes. Ihn muß sie als ihren eigentlichen Erzvater verehren. Ganz direkt, ausdrücklich sei es gesagt, hat das Studium der Cartesianischen Meditationen in die Neugestaltung der werdenden Phänomenologie eingegriffen und ihr diejenige Sinnesform gegeben, die sie jetzt hat und die es fast gestattet, sie einen neuen Cartesianismus zu nennen, einen Cartesianismus vom 20. Jahrhundert

     Bei dieser Sachlage darf ich wohl im Voraus Ihres Anteils sicher sein, wenn ich an diejenigen Motive der Meditationes de prima philosophia anknüpfe, denen, wie ich glaube, eine Ewigkeitsbedeutung zukommt, und wenn ich daran anschließend die Umbildung und Neubildung kennzeichne, in welchen das Eigentümliche der phänomenologischen Methode und Problematik entspringt.

     Jeder Anfänger der Philosophie kennt den merkwürdigen Gedankenzug der Meditationen. Ihr Ziel ist, wie wir uns erinnern, eine völlige Reform der Philosophie, darin beschlossen die aller Wissenschaften. Denn sie sind nur unselbständige Glieder der einen universalen Wissenschaft, der Philosophie. Nur in ihrer systematischen Einheit können sie zu echter Rationalität gebracht werden - die ihnen, so wie sie bisher erwachsen sind, fehlt. Es bedarf eines radikalen Neubaues, der der Idee der Philosophie als universaler Einheit der Wissenschaften in der Einheit einer absolut rationalen Begründung genugtut. Diese Forderung des Neubaues wirkt sich bei Descartes in einer subjektiv gewendeten Philosophie aus. Diese subjektive Wendung vollzieht sich in zwei Stufen.

     Fürs erste: Jeder, der ernstlich Philosoph werden will, muß sich einmal im Leben auf sich selbst zurückziehen und in sich den Umsturz aller vorgegebenen Wissenschaften und ihren Neubau versuchen. Philosophie ist eine ganz persönliche Angelegenheit des Philosophierenden. Es handelt sich um seine sapientia universalis, das ist um sein ins Universale fortstrebendes Wissen - aber um ein echt wissenschaftliches, das er von Anfang an und in jedem Schritte absolut verantworten kann aus seinen absolut einsichtigen Gründen. Ich kann zum echten Philosophen nur werden durch meinen freien Entschluß, diesem Ziel entgegenleben zu wollen. Habe ich mich dazu entschlossen, somit den Anfang erwählt aus absoluter Armut und den Umsturz, so ist natürlich ein Erstes, mich zu besinnen, wie ich den absolut sicheren Anfang und die Methode des Fortgangs finden könnte, wo mir jede Stütze vorgegebener Wissenschaft fehlt. Die Cartesianischen Meditationen wollen also nicht eine Privatangelegenheit des Philosophen Descartes sein, sondern das Urbild der notwendigen Meditationen jedes neuanfangenden Philosophen überhaupt.

     Wenden wir uns nun dem uns Heutigen so befremdlichen Inhalt der Meditationen zu, so vollzieht sich darin alsbald ein Rückgang auf das philosophierende ego in einem zweiten und tieferen Sinne. Es ist der bekannte epochemachende Rückgang auf das ego der reinen cogitationes. Es ist das ego, das sich als das einzig apodiktisch gewiß Seiende vorfindet, während es das Dasein der Welt, als nicht gegen möglichen Zweifel gesichert, außer Geltung setzt.

     Dieses ego vollzieht nun zunächst ein ernstlich solipsistisches Philosophieren. Es sucht apodiktisch gewisse Wege, durch die sich in der reinen Innerlichkeit eine objektive Äußerlichkeit erschließen läßt. Das geschieht bei Descartes in der bekannten Weise, daß zunächst Gottes Existenz und veracitas erschlossen werden und dann mittels ihrer die objektive Natur, der Dualismus der Substanzen, kurz der objektive Boden der positiven Wissenschaften und diese selbst. Alle Schlußweisen erfolgen am Leitfaden von Prinzipien, die immanent, die dem ego eingeboren sind.

     Soweit Descartes. Wir fragen nun: Lohnt es sich eigentlich, einer Ewigkeitsbedeutung dieser Gedanken kritisch nachzuspüren? Sind sie geeignet, unserer Zeit lebendige Kräfte einzuflößen?

     Bedenklich ist jedenfalls, daß die positiven Wissenschaften, die doch durch diese Meditationen eine absolut rationale Begründung erfahren sollten, sich um sie so wenig gekümmert haben. Allerdings in unserer Zeit fühlen sie sich trotz der glänzenden Entwicklung der drei Jahrhunderte durch die Unklarheit ihrer Grundlagen sehr gehemmt. Aber es fällt ihnen doch nicht ein bei der Neugestaltung der Grundbegrifflichkeit auf die Cartesianischen Meditationen zurückzugreifen.

     Andererseits wiegt es doch schwer, daß die Meditationen in der Philosophie in einem ganz einzigen Sinn Epoche gemacht haben, und zwar gerade durch ihren Rückgang auf das ego cogito. Descartes inauguriert in der Tat eine völlig neuartige Philosophie. Diese nimmt, ihren gesamten Stil verändernd, eine radikale Wendung vom naiven Objektivismus in einen transzendentalen Subjektivismus, der in immer neuen und doch immer ungenügenden Versuchen zu einer reinen Endgestalt hinstrebt. Sollte also diese fortgehende Tendenz nicht einen Ewigkeitssinn in sich tragen, für uns eine große, von der Geschichte selbst uns auferlegte Aufgabe, an der mitzuarbeiten wir alle berufen sind?

     Die Zersplitterung der gegenwärtigen Philosophie in ihrer rastlosen Betriebsamkeit gibt uns zu denken. Ist sie nicht darauf zurückzuführen, daß in ihr die von Descartes' Meditationen ausstrahlenden Triebkräfte ihre ursprüngliche Lebendigkeit eingebüßt haben? Sollte das nicht die einzig fruchtbare Renaissance sein, die diese Meditationen wiedererweckt, nicht sie zu übernehmen, sondern den tiefsten Sinn ihres Radikalismus im Rückgang auf das ego cogito allererst zu enthüllen und die von da entsprießenden Ewigkeitswerte?

     Jedenfalls bezeichnet sich damit der Weg, der zur transzendentalen Phänomenologie geführt hat.

     Diesen Weg wollen wir nun gemeinsam beschreiten. Cartesianisch wollen wir als radikal anfangende Philosophen Meditationen vollziehen, natürlich in steter kritischer Umbildung der altcartesianischen. Was in diesen bloß Keimanlage war, soll zu freier Entfaltung gebracht werden.

     Wir fangen also an, jeder für sich und in sich, mit dem Entschluß alle uns vorgegebenen Wissenschaften außer Geltung zu setzen. Das Descartes leitende Ziel absoluter Wissenschaftsbegründung lassen wir nicht fahren, aber zunächst soll nicht einmal seine Möglichkeit als Präjudiz vorausgesetzt werden. Wir begnügen uns damit, uns in das Tun der Wissenschaften hineinzuversetzen und daraus ihr Ideal der Wissenschaftlichkeit als das zu entnehmen, worauf sie, worauf Wissenschaft hinauswill. Ihrem Absehen nach soll nichts als wirklich wissenschaftlich gelten, was nicht durch vollkommene Evidenz begründet ist, d. h. auszuweisen ist durch Rückgang auf die Sachen oder Sachverhalte selbst in ursprünglicher Erfahrung und Einsicht. Davon geleitet machen wir anfangende Philosophen uns zum Prinzip, nur in Evidenz zu urteilen und die Evidenz selbst kritisch nachzuprüfen, auch das selbstverständlich wieder in der Evidenz. Haben wir am Anfang die Wissenschaften außer Geltung gesetzt, so stehen wir im vorwissenschaftlichen Leben, und darin fehlt es ja auch nicht an Evidenzen, an unmittelbaren und mittelbaren. Das und nichts anderes haben wir zunächst.

     Von da aus ergibt sich für uns die erste Frage: Können wir nicht unmittelbare und apodiktische Evidenzen aufweisen, und zwar an sich erste, d. h. solche, die allen sonstigen Evidenzen notwendig vorangehen müssen?

     Indem wir meditierend dieser Frage nachgehen, scheint sich zunächst als in der Tat an sich erste aller Evidenzen und als apodiktische die von der Existenz der Welt darzubieten. Auf die Welt beziehen sich alle Wissenschaften und vor ihnen schon das handelnde Leben. Allem voran ist das Dasein der Welt selbstverständlich - sosehr, daß niemand daran denken kann, es ausdrücklich in einem Satze auszusprechen. Haben wir doch die kontinuierliche Welterfahrung, in der uns diese Welt immerfort und fraglos seiend vor Augen steht. Aber ist diese Erfahrungsevidenz wirklich apodiktisch trotz ihrer Selbstverständlichkeit und ist sie wirklich die an sich erste, allen anderen vorangehende? Beides werden wir verneinen müssen. Erweist sich nicht im Einzelnen manches als Sinnenschein? Kommt es nicht vor, daß selbst der ganze, einheitlich überschaubare Erfahrungszusammenhang als bloßer Traum entwertet wird? Descartes' Versuch <eines> durch eine allzu flüchtige Kritik der sinnlichen Erfahrung geführten Beweises für die Denkbarkeit des Nicht-seins der Welt, trotzdem sie beständig erfahren sei, wollen wir nicht in Anspruch nehmen. Wir behalten nur soviel, daß die Evidenz der Erfahrung zu Zwecken einer radikalen Wissenschaftsbegründung jedenfalls erst einer Kritik ihrer Giltigkeit und Tragweite bedürfte, daß wir sie also nicht als fraglos und unmittelbar apodiktisch in Anspruch nehmen dürfen. Es genügt demgemäß nicht, alle uns vorgegebenen Wissenschaften außer Geltung zu setzen, sie als Vorurteile zu behandeln, auch ihren universalen Boden, den der Welterfahrung müssen wir der naiven Geltung berauben. Das Sein der Welt darf nicht mehr für uns selbstverständliche Tatsache sein, sondern selbst nur ein Geltungsproblem.

     Bleibt uns jetzt überhaupt noch ein Seinsboden übrig, noch ein Boden für irgendwelche Urteile, Evidenzen, um darauf - und apodiktisch - eine universale Philosophie begründen zu können? Ist nicht die Welt der Titel für das Universum des überhaupt Seienden? Sollte sie am Ende gar nicht der an sich erste Urteilsboden sein, vielmehr mit ihrer Existenz schon ein an sich früherer Seinsboden vorausgesetzt sein?

     Hier machen wir nun, ganz Descartes folgend, die große Wendung, die, recht vollzogen, zur transzendentalen Subjektivität führt: die Wendung zum ego cogito als dem apodiktisch gewissen und letzten Urteilsboden, auf den jede radikale Philosophie zu gründen ist.

     Überlegen wir: Als radikal meditierende Philosophen haben wir jetzt weder eine für uns geltende Wissenschaft noch eine für uns seiende Welt. Statt schlechthin seiend, das ist uns in natürlicher Weise im Seinsglauben der Erfahrung geltend, ist sie uns nur noch ein bloßer Seinsanspruch. Das betrifft auch alle anderen Ich, so daß wir rechtmäßig nicht eigentlich im kommunikativen Plural sprechen dürfen. Die anderen Menschen und Tiere sind für mich ja nur gegeben vermöge der sinnlichen Erfahrung, deren Giltigkeit als mit in Frage stehend ich mich nicht bedienen darf. Mit den Anderen verliere ich natürlich auch die ganzen Gebilde der Sozialität und der Kultur, kurzum die ganze konkrete Welt ist für mich statt seiend nur Seinsphänomen. Aber wie immer es sich mit dem Wirklichkeitsanspruch dieses Seinsphänomens verhalten mag, ob Sein oder Schein, es selbst als mein Phänomen ist doch nicht nichts, sondern eben das, was für mich Sein und Schein überall möglich macht. Und wieder: Enthalte ich mich, wie ich es in Freiheit tun könnte und tat, jedes Erfahrungsglaubens, so daß für mich das Sein der Erfahrungswelt außer Geltung bleibt, so ist doch dieses Mich-enthalten, was es in sich ist mitsamt dem ganzen Strom des erfahrenden Lebens und all seinen Einzelphänomenen, den erscheinenden Dingen, den erscheinenden Nebenmenschen, Kulturobjekten usw. Alles bleibt, wie es war, nur daß ich es nicht einfach als seiend hinnehme, sondern mich aller Stellungnahme zu Sein und Schein enthalte. Auch meiner sonstigen Meinungen, Urteile, meiner wertenden Stellungnahmen in Bezug auf die Welt muß ich mich enthalten als das Sein der Welt voraussetzend, und auch für sie bedeutet das Mich-enthalten nicht ihr Verschwinden, nämlich als bloße Phänomene.

     Also dieses universale Inhibieren aller Stellungnahmen zur objektiven Welt, das wir die phänomenologische Epoché nennen, wird gerade zum methodischen Mittel, wodurch ich mich als dasjenige Ich rein erfasse und dasjenige Bewußtseinsleben, in dem und durch das die gesamte objektive Welt für mich ist und ist, wie sie eben für mich ist. Alles Weltliche, alles raum-zeitliche Sein ist für mich dadurch, daß ich es erfahre, wahrnehme, mich seiner erinnere, daran irgendwie denke, es beurteile, es werte, begehre usw. Das alles bezeichnet Descartes bekanntlich unter dem Titel cogito. Die Welt ist für mich überhaupt gar nichts anderes als die in solchen cogitationes bewußt seiende und mir geltende. Ihren ganzen Sinn und ihre Seinsgeltung hat sie ausschließlich aus solchen cogitationes. In ihnen verläuft mein ganzes Weltleben. Ich kann in keine andere Welt hineinleben, hineinerfahren, hineindenken, hineinwerten und -handeln, die nicht in mir und aus mir selbst Sinn und Geltung hat. Stelle ich mich über dieses ganze Leben und enthalte ich mich jedes Vollzuges irgendeines Seinsglaubens, der geradehin Welt als seiend nimmt - richte ich ausschließlich meinen Blick auf dieses Leben selbst als Bewußtsein von der Welt, so gewinne ich mich als das reine ego mit dem reinen Strom meiner cogitationes.

     Ich gewinne mich nicht etwa als ein Stück der Welt, da ich doch universal die Welt außer Geltung gesetzt hatte, nicht als den vereinzelten Menschen Ich, sondern als das Ich, in dessen Bewußtseinsleben eben die ganze Welt und ich selbst als Weltobjekt, als in der Welt seiender Mensch erst seinen Sinn und seine Seinsgeltung erhält.

     Hier stehen wir an einem gefährlichen Punkt. Es scheint so leicht, Descartes folgend das reine ego und seine cogitationes zu erfassen. Und doch ist es, als wären wir auf einem steilen Felsgrat, auf dem ruhig und sicher fortzuschreiten über philosophisches Leben und philosophischen Tod entscheidet. Descartes hatte den reinsten Willen zu radikaler Vorurteilslosigkeit. Aber wir wissen durch neuere Forschungen und insbesondere die schönen und tiefgründigen der Herrn Gilson und Koyré, wie viel Scholastik im Verborgenen und als ungeklärtes Vorurteil in Descartes' Meditationen steckt. Aber nicht das allein, zunächst schon die aus der Blickrichtung auf die mathematische Naturwissenscllaft stammenden, für uns selbst kaum merklichen Vorurteile müssen wir uns vom Leibe halten, als ob es sich unter dem Titel ego cogito um ein apodiktisches Grundaxiom handle, das im Verein mit anderen (davon her abzuleitenden) das Fundament für eine deduktive Weltwissenschaft abzugeben habe, eine Wissenschaft ordine geometrico. Im Zusammenhang damit darf es keineswegs als selbstverständlich gelten, als ob wir in unserem apodiktisch reinen ego ein kleines Endchen der Welt gerettet hätten als das für das philosophierende Ich einzig Unfragliche von der Welt, und daß es nun darauf ankomme, durch recht geleitete Schlußfolgerungen nach den dem ego angeborenen Prinzipien die übrige Welt hinzuzuerschließen.

     Leider so geht es bei Descartes mit der unscheinbaren, aber verhängnisvollen Wendung, die das ego zur substantia cogitans, zum abgetrennten menschlichen animus macht, zum Ausgangsglied für Schlüsse nach dem Kausalprinzip, kurzum der Wendung, durch die er zum Vater des widersinnigen transzendentalen Realismus geworden ist. All das bleibt uns fern, wenn wir dem Radikalismus der Selbstbesinnung und somit dem Prinzip reiner Intuition getreu bleiben, also nichts gelten lassen, als was wir auf dem uns durch die Epoché eröffneten Feld des ego cogito wirklich und zunächst ganz unmittelbar gegeben haben, also nichts zur Aussage bringen, was wir nicht selbst sehen. Darin hat Descartes gefehlt, und so kommt es, daß er vor der größten aller Entdeckungen steht, sie in gewisser Weise schon gemacht hat und doch ihren eigentlichen Sinn nicht erfaßt, den Sinn der transzendentalen Subjektivität, und so das Eingangstor nicht überschreitet, das in die echte transzendentale Philosophie hineinleitet.

     Die freie Epoché hinsichtlich des Seins der erscheinenden und überhaupt für mich als wirklich geltenden Welt - als wirklich in der früheren natürlichen Einstellung - zeigt ja diese größte und wunderbarste aller Tatsachen, nämlich daß ich und mein Leben in meiner Seinsgeltung unberührt bleibt, ob nun die Welt ist oder nicht ist oder wie immer darüber entschieden werden mag. Sage ich im natürlichen Leben: «Ich bin, ich denke, ich lebe», so sagt das: Ich, diese menschliche Person unter andern Menschen in der Welt, durch meinen körperlichen Leib im realen Zusammenhang der Natur stehend, in den nun auch meine cogitationes, meine Wahrnehmungen, Erinnerungen, Urteile usw. als psychophysische Tatsachen eingegliedert sind. So gefaßt, bin ich und sind wir, Menschen und Tiere, Themen objektiver Wissenschaften, der Biologie, Anthropologie und Zoologie, auch der Psychologie. Das Seelenleben, von dem alle Psychologie spricht, ist gemeint als Seelenleben in der Welt. Die phänomenologische Epoché, die der Gang der gereinigten Cartesianischen Meditationen von mir, dem Philosophierenden fordert, schaltet wie die Seinsgeltung der objektiven Welt überhaupt so auch die Weltwissenschaften und selbst schon als Welttatsachen aus meinem Urteilsfeld aus. Für mich gibt es also kein Ich und keine psychischen Akte, psychischen Phänomene im Sinne der Psychologie, für mich gibt es also auch nicht mich als Menschen, <nicht> meine eigenen cogitationes als Bestandstücke einer psychophysischen Welt. Aber dafür habe ich mich gewonnen und jetzt mich allein als dasjenige reine Ich mit dem reinen Leben und den reinen Vermögen (z.B. dem evidenten Vermögen: ich kann mich urteilend enthalten), durch das für mich Sein dieser Welt und jeweiliges So-sein überhaupt Sinn und mögliche Geltung hat. Heißt die Welt, da ihr eventuelles Nicht-sein mein reines Sein nicht aufhebt, ja es voraussetzt, transzendent, so heißt dann dieses mein reines Sein oder mein reines Ich transzendental. Mittels der phänomenologischen Epoché reduziert sich das natürliche menschliche Ich, und zwar das meine, auf das transzendentale, und so versteht sich die Rede von der phänomenologischen Reduktion.


2. Teil

Doch hier bedarf es weiterer Schritte, durch die, was hier herausgestellt worden ist, erst den rechten Nutzen gewinnen kann. Was ist mit dem transzendentalen ego philosophisch anzufangen? Gewiß, sein Sein geht evidentermaßen - für mich, den Philosophierenden - erkenntnismäßig allem objektiven Sein vorher. In gewissem Sinne ist es wohl der Grund und Boden, auf dem sich alle objektive Erkenntnis, gute und schlechte, abspielt. Aber besagt darum dieses Vorhergehen und in aller objektiven Erkenntnis Vorausgesetztsein, daß es Erkenntnisgrund im gewöhnlichen Sinne ist für diese objektive Erkenntnis? Der Gedanke, die Versuchung liegt nahe, es ist eben die aller realistischen Theorie. Aber die Versuchung verschwindet, in der transzendentalen Subjektivität Prämissen zu suchen für die Existenzsetzung der subjektiven Welt, wenn wir daran denken, daß alle Schlüsse, die wir vollziehen rein gefaßt, selbst in der transzendentalen Subjektivität verlaufen und alle auf die Welt zu beziehenden Bewährungen an der Welt selbst, als wie sie in der Erfahrung sich selbst gebend und bewährend ist, ihr Maß haben. Nicht als ob wir den großen Cartesianischen Gedanken, die tiefste Begründung objektiver Wissenschaften und des Seins objektiver Welt selbst in der transzendentalen Subjektivität zu suchen, für falsch erklären wollten. Wir würden ja sonst seinen meditierenden Wegen, sei es auch unter Kritik, nicht nachfolgen. Aber vielleicht eröffnet sich mit der Cartesianischen Entdeckung des ego auch eine neue Idee von Begründung, nämlich transzendentaler Begründung.

     In der Tat, anstatt das ego cogito als einen bloßen apodiktischen Satz zu verwerten und als absolut fundierende Prämisse, lenken wir unser Augenmerk darauf, daß die phänomenologische Epoché uns (oder mir, dem Philosophierenden) mit dem allerdings apodiktischen Ich bin eine neuartige unendliche Seinssphäre freigelegt hat, und zwar als eine Sphäre einer neuartigen, einer transzendentalen Erfahrung. Eben damit aber auch die Möglichkeit einer transzendentalen Erfahrungserkenntnis, ja einer transzendentalen Wissenschaft.

     Hier tut sich ein höchst merkwürdiger Erkenntnishorizont auf. Die phänomenologische Epoché reduziert mich auf mein transzendentales reines Ich, und zunächst wenigstens bin ich also in gewissem Sinne solus ipse: nicht im gewöhnlichen, etwa in dem <eines> bei einem Zusammensturz aller Gestirne ührig gebliebenen Menschen in der noch immer seienden Welt. Habe ich die Welt als die aus mir und in mir Seinssinn empfangende aus meinem Urteilsfeld verbannt, so bin ich, das ihr vorangehende transzendentale Ich, das einzig urteilsmäßig Setzbare und Gesetzte. Und nun soll ich eine Wissenschaft gewinnen, eine unerhört eigenartige, da sie, ausschließlich von meiner und in meiner transzendentalen Subjektivität geschaffen, auch nur für sie - zunächst wenigstens - gelten soll, eine transzendental-solipsistische Wissenschaft. Also nicht das ego cogito, sondern eine Wissenschaft vom ego, eine reine Egologie müßte das unterste Fundament der Philosophie im Cartesianischen Sinne der universalen Wissenschaft sein und müßte mindestens das Grundstück für deren absolute Begründung leisten. In der Tat ist diese Wissenschaft schon da als die unterste transzendentale Phänomenologie; die unterste, also nicht die volle, zu der ja selbstverständlich der weitere Weg vom transzendentalen Solipsismus zur transzendentalen Intersubjektivität gehört.

     Um dies alles verständlich zu machen, bedarf es zunächst der von Descartes versäumten Freilegung des unendlichen Feldes der transzendentalen Selbsterfahrung des ego. Die Selbsterfahrung, und sogar in der Bewertung als apodiktische, spielt bekanntlich bei ihm selbst eine Rolle, aber das ego in der ganzen Konkretion seines transzendentalen Daseins und Lebens zu erschließen und als ein systematisch in seine Unendlichkeiten zu verfolgendes Arbeitsfeld anzusehen, das lag ihm ferne. Für den Philosophen muß es als eine fundamentale Einsicht in den Mittelpunkt gestellt werden, daß er in der Einstellung transzendentaler Reduktion konsequent auf seine cogitationes und auf ihren rein phänomenologischen Gehalt reflektieren und dabei allseitig sein transzendentales Sein in seinem transzendental-zeitlichen Leben und in seinen Vermögen enthüllen kann. Es handelt sich hier offenbar um Parallelen zu dem, was der Psychologe in seiner Weltlichkeit innere oder Selbsterfahrung nennt.

     Von größter, ja entscheidender Wichtigkeit ist dann zu beachten, daß man nicht flüchtig daran vorbeigehen kann - was gelegentlich auch Descartes bemerkt hat - daß z. B. die Epoché hinsichtlich des Weltlichen nichts daran ändert, daß die Erfahrung Erfahrung von ihm ist, und so das jeweilige Bewußtsein Bewußtsein von ihm ist. Der Titel ego cogito muß um ein Glied erweitert werden: jedes cogito hat in sich als Vermeintes sein cogitatum. Die Hauswahrnehmung, auch wenn ich mich der Betätigung des Wahrnehmungsglaubens enthalte, ist, genommen wie ich sie erlebe, eben Wahrnehmung von diesem und gerade diesem, so und so erscheinenden, sich mit gerade den Bestimmungen, von der Seite, in der Nähe oder Ferne zeigenden Haus. Ebenso die klare oder vage Erinnerung Erinnerung von dem vage oder klar vorstelligen Haus, das noch so falsche Urteil Urteilsmeinung von dem und dem vermeinten Sachverhalt usw. Die Grundeigenschaft der Bewußtseinsweisen, in denen ich als Ich lebe, ist die sogenannte Intentionalität, ist jeweiliges Bewußthaben von etwas. Zu diesem Was des Bewußtseins gehören auch die Seinsmodi wie daseiend, vermutlich seiend, nichtig seiend, aber auch die Modi des Schein-seiend, gut-, wert- seiend usw. Phänomenologische Erfahrung als Reflexion muß von allen konstruktiven Erfindungen ferngehalten und muß als echte genau so konkret, genau mit dem Sinnes- und Seinsgehalt genommen werden, in dem sie eben auftritt.

     Es ist eine konstruktive Erfindung des Sensualismus, wenn man das Bewußtsein als Komplex von Sinnesdaten deutet und eventuell dann hinterher Gestaltqualitäten heranzieht und sie für die Ganzheit sorgen läßt. Das ist schon in der weltlich-psychologischen Einstellung grundfalsch und erst recht in der transzendentalen. Wenn phänomenologische Analyse in ihrem Fortgang unter dem Titel Empfindungsdaten auch etwas aufzuweisen hat, so ist es jedenfalls nicht ein Erstes in allen Fällen <äußerer Wahrnehmung>, sondern bei ehrlicher rein anschaulicher Beschreibung ist das erste, das cogito, etwa die Hauswahrnehmung als solche näher zu beschreiben nach gegenständlichem Sinn und nach Erscheinungsmodis. Und so für jede Bewußtseinsart.

     Geradehin auf das Bewußtseinsobjekt gerichtet finde ich es als etwas, das mit den und den Bestimmungen erfahren oder gemeint ist, im Urteilen als Träger von Urteilsprädikaten, im Werten als Träger von Wertprädikaten. Nach der anderen Seite blickend finde ich die wechselnden Weisen des Bewußtseins, das Wahrnehmungsmäßige, Erinnerungsmäßige, alles was nicht Gegenstand und gegenständliche Bestimmung selbst, aber subjektiver Gegebenheitsmodus, subjektive Erscheinungsweise ist wie Perspektive oder Unterschiede der Vagheit und Deutlichkeit, der Aufmerksamkeit und Unaufmerksamkeit etc.

     Sich als der meditierende Philosoph, der dabei selbst zum transzendentalen ego geworden ist, fortgehend über sich selbst besinnen, das heißt also, in die offen endlose transzendentale Erfahrung eintreten, sich nicht mit dem vagen ego cogito begnügen, sondern dem beständigen Fluß des cogitierenden Seins und Lebens nachgehen, es sich nach allem, was daran zu schauen ist, ansehen, explizierend eindringen, es beschreibend in Begriffe und Urteile fassen, und rein in solche, die aus diesen anschaulichen Bestanden ganz ursprünglich geschöpft sind.

     Es ist dann sogar ein dreifacher Titel als Schema der Auslegungen und Beschreibungen leitend, wie schon gesagt: ego cogito cogitatum. Sehen wir zunächst vom identischen Ich ab obwohl es gewissermaßen in jedem cogito steckt, so hebt sich doch leichter in der Reflexion das Unterschiedliche des cogito selbst ab, und sofort scheiden sich deskriptive Typen, in der Sprache sehr vage angedeutet <als> Wahrnehmen, Sich-erinnern, nach dem Wahrnehmen Eben-noch-im-Bewußtsein-haben, Vorerwarten, Wünschen, Wollen, prädikativ Aussagen usw. Aber nehmen wir es, wie es die transzendentale Reflexion konkret bietet, so kommt sofort der schon berührte Grundunterschied zwischen gegenständlichem Sinn und Bewußtseinsweise, eventuell Erscheinungsweise, in Betracht: also die - im Typischen betrachtet - Zweiseitigkeit, die eben die Intentionalität, das Bewußtsein als Bewußtsein von dem und dem macht. Das gibt immer doppelte Beschreibungsrichtungen.

     Hiebei ist also zu beachten, daß die transzendentale Epoché hinsichtlich der seienden Welt mit allen jeweils erfahrenen, wahrgenommenen, erinnerten, gedachten, urteilsmäßig geglaubten Objekten nichts daran ändert, daß die Welt, daß all diese Objekte als Erfahrungsphänomene, aber auch rein als solche, rein als cogitata der jeweiligen cogitationes, ein Hauptthema der phänomenologischen Deskription sein müssen. Aber was macht dann den abgrundtiefen Unterschied zwischen phänomenologischen Urteilen über die Erfahrungswelt und den natürlich-objektiven? Die Antwort kann so gegeben werden: Als phänomenologisches ego bin ich zum reinen Zuschauer meiner selbst geworden und nichts habe ich in Geltung als was ich als von mir selbst unabtrennbar, als mein reines Leben und als von diesem selbst Unabtrennbares finde, und zwar genau so wie ursprüngliche, anschauliche Reflexion mich für mich selbst enthüllt. Als natürlich eingestellter Mensch, wie ich vor der Epoché war, lebte ich naiv in die Welt hinein; erfahrend galt mir ohne weiteres das Erfahrene und daraufhin vollzog ich meine weiteren Stellungnahmen. Das alles aber verlief in mir, ohne daß ich daraufhin gerichtet war; mein Erfahrenes, die Dinge, die Werte, die Zwecke, das war mein Interesse, nicht aber mein erfahrendes Leben, mein Interessiertsein, Stellung-nehmen, mein Subjektives. Auch als natürlich lebendes Ich war ich transzendentales, aber ich wußte davon nichts. Um meines absoluten Eigenseins inne zu werden, mußte ich eben phänomenologische Epoché üben. Durch sie will ich nicht wie Descartes eine Giltigkeitskritik üben, ob ich der Erfahrung, also dem Sein der Welt apodiktisch trauen dürfte, sondern ich will lernen, daß Welt für mich, aber auch wie Welt für mich cogitatum meiner cogitationes ist. Ich will nicht nur überhaupt feststellen, daß das ego cogito apodiktisch dem Für-mich-sein der Welt vorhergeht, sondern mein konkretes Sein als ego voll umfassend kennen lernen und dabei sehen: Mein Sein als natürlich in die Welt Hineinerfahrender und Hineinlebender besteht in einem besonderen transzendentalen Leben, in dem ich das Erfahren naiv gläubig vollziehe, meine naiv erworbene Weltüberzeugung weiterbetätige usw. So besteht die phänomenologische Einstellung mit ihrer Epoché darin, daß ich den denkbar letzten Erfahrungs- und Erkenntnisstandpunkt gewinne, auf dem ich zum unbeteiligten Zuschauer meines natürlich-weltlichen Ich und Ich-Lebens werde, das dabei nur ein besonderes Stück oder eine besondere Schichte meines enthüllten transzendentalen Lebens ist. Unbeteiligt bin ich insoferne, als ich aller weltlichen Interessen, die ich darum doch habe, insoferne mich «enthalte», als Ich - der Philosophierende - mich über sie stelle und ihnen zuschaue, sie als Themen der Beschreibung nehme wie überhaupt mein transzendentales ego.

     So vollzieht sich mit der phänomenologischen Reduktion eine Art Ich-Spaltung: Der transzendentale Zuschauer stellt sich über sich selbst, sieht sich zu und sieht sich auch als dem vordem welthingegebenen Ich zu, findet also in sich als cogitatum sich als Menschen und findet an den zugehörigen cogitationes das <das> gesamte Weltliche ausmachende transzendentale Leben und Sein. Hat der natürliche Mensch (darin das Ich, das letztlich zwar transzendental ist, aber davon nichts weiß) eine in naiver Absolutheit seiende Welt und Weltwissenschaft, so hat der seiner als transzendentales Ich bewußt gewordene transzendentale Zuschauer die Welt nur als Phänomen, das sagt als cogitatum der jeweiligen cogitatio, als Erscheinendes der jeweiligen Erscheinungen, als bloßes Korrelat.

     Wenn die Phänomenologie Bewußtseinsgegenstände thematisch hat und welcher Art immer, ob reale oder ideale, so hat sie diese nur als Gegenstände der jeweiligen Bewußtseinsweisen; die Beschreibung, die die konkret-vollen Phänomene der cogitationes erfassen will, muß beständig von der gegenständlichen Seite auf die Bewußtseinsseite zurückblicken und die hier durchgängig bestehenden Zusammengehörigkeiten verfolgen. Habe ich z.B. das Wahrnehmen eines Hexaeders als Thema, so merke ich in der reinen Reflexion, daß das Hexaeder kontinuierlich als gegenständliche Einhelt gegeben ist in einer vielgestaltigen und bestimmt zugehörigen Mannigfaltigkeit von Erscheinungsweisen. Dasselbe Hexaeder - dasselbe Erscheinende, bald von dieser oder jener Seite, bald in diesen, bald in jenen Perspektiven, bald in Naherscheinungen, bald in Fernerscheinungen, bald in großer Klarheit und Bestimmtheit, bald in geringer. Doch fassen wir irgendeine gesehene Hexaederfläche ins Auge, irgendeine Kante oder Ecke, irgendeinen Farbfleck, kurz irgendwelches Moment des gegenständlichen Sinnes, so merken wir für ein jedes dasselbe: Es ist Einheit einer Mannigfaltigkeit immer wieder abzuwechselnder Erscheinungsweisen, ihrer besonderen Perspektiven besonderen Unterschiede des subjektiven Hier und Dort. Geradehin gesehen finden wir die beständig identische unveränderte Farbe aber auf die Erscheinungsweisen reflektierend erkennen wir, daß sie nichts anderes ist, anders gar nicht denkbar ist, denn als sich bald in den, bald in jenen Farbenabschattungen darstellend. Immer haben wir Einheit nur als Einheit aus Darstellung, die die Darstellung ist der Sich-selbst-Darstellung von Farbe oder Darstellung von Kante.

     Das cogitatum ist nur in der besonderen Weise des cogito möglich. Fangen wir nämlich an, das Bewußtseinsleben ganz konkret zu nehmen und beständig nach beiden Seiten und ihren intentionalen Zusammengehörigkeiten beschreibend zu blicken, so eröffnen sich wahre Unendlichkeiten und immer neue, nie geahnte Tatsachen treten hervor. Dahin gehören die Strukturen der phänomenologischen Zeitlichkeit. Schon wenn wir innerhalb des Bewußtseinstypus, der da Dingwahrnehmung heißt, verbleiben, verhält es sich so. Jeweils ist sie lebendig als ein Dahindauern, ein zeitliches Dahinströmen des Wahrnehmens und Wahrgenommenen. Dieses strömende Sich-fort-erstrecken, diese Zeitlichkeit ist etwas zum transzendentalen Phänomen selbst wesentlich Gehöriges. Jede Teilung, die wir hineindenken, ergibt wieder Wahrnehmung desselben Typus, von jeder Strecke, von jeder Phase sagen wir dasselbe: das Hexaeder sei wahrgenommen. Aber diese Identität ist ein immanenter deskriptiver Zug eines solchen intentionalen Erlebnisses und seiner Phasen, es ist ein Zug im Bewußtsein selbst. Die Stücke und Phasen der Wahrnehmung sind nicht äußerlich aneinandergeklebt, sie sind einig, wie eben Bewußtsein und wieder Bewußtsein einig ist, und zwar einig im Bewußtsein von demselben. Nicht sind erst Dinge und werden dann in das Bewußtsein hineingesteckt, so daß dasselbe da und dort hineingesteckt ist, sondern Bewußtsein und Bewußtsein, ein cogito und ein anderes verbinden sich zu einem beide einigenden cogito, das als ein neues Bewußtsein wieder Bewußtsein von etwas ist, und zwar ist es die Leistung dieses synthetischen Bewußtseins, daß in ihm bewußt wird <dasselbe>, das Eine als Eines.

     Wir stoßen hier an einem Beispiel auf das Einzigartige der Synthesis als Grundeigentümlichkeit des Bewußtseins, und mit ihr tritt zugleich der Unterschied zwischen reellen, und ideellen, bloß intentionalen Gehalten des Bewußtseins hervor. Der Wahrnehmungsgegenstand ist, phänomenologisch betrachtet, nicht ein reelles Stück im Wahrnehmen und dessen dahinströmenden synthetisch sich einigenden Perspektiven und sonstigen Erscheinungsmannigfaltigkeiten. Zwei Erscheinungen, die sich mir vermöge einer Synthesis geben als Erscheinungen von demselben, sind reell getrennt, haben als getrennte reell kein Datum gemein, sie haben höchstens ähnliche und gleiche Momente. Dasselbe gesehene Haxaeder ist intentional dasselbe; das, was sich als Räumlich-Reales gibt, ist im mannigfaltigen Wahrnehmen ein Idealidentisches, Identisches der Intention, den Bewußtseinsweisen den Ich-Akten immanent, nicht als reelles Datum, sondern als gegenständlicher Sinn. Dasselbe Hexaeder mag mir dann auch in verschiedenen Wiedererinnerungen, Erwartungen, klaren oder leeren Vorstellungen als dasselbe Intentionale sein, identisches Substrat für Prädikationen, für Wertungen usw. Immer liegt diese Selbigkeit im Bewußtseinsleben selbst und wird erschaut durch Synthesis. So geht durch das ganze Bewußtseinsleben hindurch die Bewußtseinsbeziehung auf Gegenständlichkeit, und diese enthüllt sich als eine Wesenseigenheit jedes Bewußtseins, in immer neue Bewußtseinsweisen und sehr verschiedenartige synthetisch übergehen zu können zum Einheitsbewußtsein von demselben.

     Im Zusammenhang damit steht, daß kein einzelnes cogito im ego isoliert ist, sosehr, daß sich schließlich zeigt, daß das ganze universale Leben in seinem Fluktuieren, seinem Heraklitischen Fluß eine universale synthetische Einheit ist. Ihr ist es zutiefst zu danken, daß das transzendentale ego nicht nur ist, sondern für sich selbst ist, eine überschaubare konkrete Einheit, einheitlich lebend in immer neuen Modi des Bewußtseins und doch einheitlich und in der Form der immanenten Zeit sich beständig objektivierend.

     Aber nicht nur das. Ebenso wesentlich als Aktualität des Lebens ist auch Potentialität, und diese Potentialität ist nicht eine leere Möglichkeit. Jedes cogito, z. B. eine äußere Wahrnehmung oder eine Wiedererinnerung usw. trägt in sich selbst und enthüllbar eine ihm immanente Potentialität möglicher und auf denselben intentionalen Gegenstand beziehbarer und vom Ich her zu verwirklichender Erlebnisse. In jedem finden wir, wie die Phänomenologie sagt, Horizonte, und in verschiedenem Sinn. Die Wahrnehmung schreitet fort und zeichnet einen Erwartungshorizont vor als einen Horixont der Intentionalität, vorweisend auf Kommendes als Wahrgenommenes, also auf künftige Wahrnehmungsreihen. Aber jede führt auch Potentialitäten mit sich, wie das «Ich könnte statt dahin dorthin blicken», könnte den Wahrnehmungsverlauf von demselben statt so anders dirigieren. Jede Wiedererinnerung verweist mich auf eine ganze Kette von möglichen Wiedererinnerungen bis zum aktuellen Jetzt und an jeder Stelle der immanenten Zeit auf zu enthüllende Mitgegenwärtigkeiten usw.

     Das alles sind intentionale und von Gesetzen der Synthesis beherrschte Strukturen. Jedes intentionale Erlebnis kann ich befragen und das sagt, ich kann in seine Horizonte eindringen, sie auslegen und damit enthülle ich einerseits Potentialitäten meines Lebens, andererseits kläre ich in gegenständlicher Hinsicht den gemeinten Sinn.

     So ist intentionale Analyse etwas total anderes als Analyse im gewöhnlichen Sinne. Das Bewußtseinsleben - und das gilt schon für die reine Innenpsychologie als Parallele zur transzendentalen Phänomenologie - ist nicht ein bloßer Zusammenhang von Daten, weder ein Haufen psychischer Atome, noch ein Ganzes von Elementen, die durch Gestaltqualitäten einig sind. Intentionale Analyse ist Enthüllung der Aktualitäten und Potentialitäten, in denen sich Gegenstände als Sinneseinheiten konstituieren, und alle Sinnesanalyse selbst vollzieht sich im Übergang von den reellen Erlebnissen in die in ihnen vorgezeichneten intentionalen Horizonte.

     Diese späte Einsicht schreibt der phänomenologischen Analyse und Deskription eine total neue Methodik vor, eine Methodik, die überall in Aktion tritt, wo Gegenstand und Sinn, wo Seinsfragen, Möglichkeitsfragen, Ursprungsfragen, Rechtsfragen ernstlich angegriffen werden sollen. Jede intentionale Analyse greift über das momentan und reell gegebene Erlebnis der immanenten Sphäre hinaus, und zwar so, daß sie Potentialitäten enthüllend, die jetzt reell und horizontmäßig angezeigt sind, Mannigfaltigkeiten neuer Erlebnisse herausstellt, in denen klar wird, was nur implizite gemeint und in dieser Weise schon intentional war. Sehe ich ein Hexaeder, so sage ich gleich: Ich sehe es wirklich und eigentlich nur von einer Seite. Und es ist doch evident, daß, was ich jetzt wahrnehme, mehr ist, daß die Wahrnehmung eine Meinung, obschon eine unanschanliche, in sich schließt, durch die die gesehene Seite als bloße Seite ihren Sinn hat. Aber wie enthüllt sich diese Mehrmeinung, wie wird es eigentlich erst evident, daß ich mehr meine? Doch durch Übergang in eine synthetische Folge von möglichen Wahrnehmungen, wie ich sie haben würde, wenn ich, wie ich kann, um das Ding herumgehen würde. Die Phänomenologie legt beständig das Meinen, die jeweilige Intentionalität auseinander, indem sie solche sinnerfüllende Synthesen herstellt. Die universale Struktur des transzendentalen Bewußtseinslebens in seiner Sinnbezogenheit und Sinnbildung auslegen, das ist die ungeheure Aufgabe, die der Deskription gestellt ist.

     Natürlich bewegt sich die Forschung in verschiedenen Stufen. Sie wird nicht etwa dadurch gehindert, daß hier das Reich des subjektiven Flusses ist, und daß es ein Wahn wäre, hier in einer Methodik der Begriffs- und Urteilsbildung verfahren zu wollen, die für die objektiven, exakten Wissenschaften die maßgebende ist. Gewiß das Bewußtseinsleben ist im Fluß, und jedes cogito ist fließend, ohne fixierbare letzte Elemente und letzte Relationen. Aber im Fluß herrscht eine sehr wohl ausgeprägte Typik. Wahrnehmung ist ein allgemeiner Typus, Wiedererinnerung ein anderer Typus, Leerbewußtsein und zwar retentionales, wie ich es von einem Stück der Melodie habe, das ich nicht mehr höre, aber noch im Bewußtseinsfeld habe, in Unanschaulichkeit und doch dieses Melodie-Stück - dergleichen sind allgemeine, scharf ausgeprägte Typen, die sich wieder ebenso besondern zum Typus Raumding-Wahrnehmung und Typus Wahrnehmung eines Menschen, des psychophysischen Wesens.

     Jeden solchen Typus kann ich, allgemein beschreibend, nach seiner Struktur befragen, und zwar seiner intentionalen Struktur da es eben ein intentionaler Typus ist. Ich kann fragen, wie der eine in einen anderen übergeht, wie er sich bildet, sich abwandelt, welche Formen intentionaler Synthese in ihm notwendig liegen, welche Formen von Horizonten er notwendig in sich schließt, welche Enthüllungsformen und Erfüllungsformen zu ihm gehören. Das ergibt also transzendentale Theorie der Wahrnehmung, das ist intentionale Analyse der Wahrnehmung, transzendentale Theorie der Erinnerung und des Zusammenhangs der Anschauungen überhaupt, aber auch transzendentale Urteilstheorie, Willenstheorie usw. Immer kommt es darauf an, nicht wie objektive Tatsachenwissenschaften bloße Erfahrung <zu> betätigen und das Erfahrungsdatum reell zu analysieren, sondern den Linien intentionaler Synthese nachzugehen, wie sie intentional und horizontmäßig vorgezeichnet sind, wobei die Horizonte selbst aufgewiesen, dann aber auch enthüllt werden müssen.

     Da schon jedes einzelne cogitatum vermöge seiner transzendental-immanenten Zeiterstreckung eine Identitätssynthese ist, ein Bewußtsein vom kontinuierlich selben, spielt der eine Gegenstand schon einige Rolle als transzendentaler Leitfaden für die subjektiven Mannigfaltigkeiten, die ihn konstituieren. Aber bei der Überschau über die allgemeinsten Typen von cogitata und ihre allgemeine intentionale Deskription ist es doch wieder gleichgültig, ob dabei diese oder jene Gegenstände die wahrgenommenen oder erinnerten und dergl. sind.

     Nehmen wir aber das Phänomen der Welt, die im synthetisch-einheitlich dahinfließenden Strom der Wahrnehmungen auch als Einheit bewußt ist, als Thema, bzw. diesen wundersamen Typus universale Weltwahrnehmung, und fragen wir, wie es intentional zu verstehen ist, daß eine Welt für uns da ist, da halten wir konsequent den synthetischen Gegenstandstypus Welt, natürlich als cogitatum, fest und als Leitfaden für die Entfaltung der Unendlichkeitsstruktur der Erfahrungsintentionalität von der Welt. Dabei haben wir einzugehen auf die Einzeltypik. Die Erfahrungswelt rein als erfahrene, immer in der phänomenologischen Reduktion, gliedert sich in identisch verharrende Objekte. Wie sieht die besondere Unendlichkeit wirklicher und möglicher Wahrnehmungen aus, die zu einem Objekt gehören? Und so für jeden allgemeinen Objekttypus. Wie sieht die Horizontintentionalität aus, ohne die ein Objekt nicht Objekt sein könnte - verweisend auf den Weltzusammenhang, von dem, wie die Analyse der Intentionalität selbst aufweist, kein Objekt wegdenkbar ist usw. Und so für jeden besonderen Objekt-Typus, der möglicherweise der Welt zugehört.

     Die ideelle Festhaltung eines intentionalen Gegenstandstypus bedeutet, wie man bald sieht, eine Organisation oder Ordnung in den intentionalen Untersuchungen. Mit anderen Worten: Die transzendentale Subjektivität ist nicht ein Chaos von intentionalen Erlebnissen, sondern eine Einheit der Synthese, und einer vielstufigen Synthese in der immer neue Objekttypen und Einzelobjekte konstituiert sind. Jedes Objekt aber bezeichnet eine Regelstruktur für die transzendentale Subjektivität.

フッサール「デカルト的省察」その二

bibliotheca Augustana

 


D i e   P a r i s e r
V o r t r ä g e


Z w e i t e   D o p p e l v o r l e s u n g
a m   2 5 .  F e b r u a r   1 9 2 9


[Die konstitutiven Probleme
der eidetischen Phänomenologie und
die Idee einer Theorie der Erkenntnis.
Die Zurückweisung des
transzendentalen Solipsismus.
Die Lösung des Cartesischen Problems
einer absoluten Philosophie]


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1. Teil

Mit der Frage nach dem transzendentalen System der Intentionalität, durch das für das ego eine Natur, eine Welt beständig da ist - zunächst in Erfahrung als direkt sichtbare, greifbare usw. und dann durch jederlei sonst auf Welt gerichtete Intentionalität - mit dieser Frage stehen wir eigentlich schon in der Phänomenologie der Vernunft. Vernunft und Unvernunft, im weitesten Sinn verstanden, bezeichnen keine zufällig-faktischen Vermögen und Tatsachen, sondern gehören zur allgemeinsten Strukturform der transzendentalen Subjektivität überhaupt.

     Evidenz im weitesten Sinne der Selbsterscheinung, des Als-es-selbst-dastehens, als eines Inne-seins eines Sachverhaltes selbst, eines Wertes selbst und dgl., das ist kein zufälliges Vorkommnis im transzendentalen Leben. Vielmehr alle Intentionalität ist entweder selbst ein Evidenzbewußtsein, das ist das cogitatum als es selbst habend, oder wesentlich und horizontmäßig auf Selbstgebung angelegt, darauf gerichtet. Schon jede Klärung ist eine Evidentmachung. Jedes vage, leere, unklare Bewußtsein ist von vornherein nur Bewußtsein von dem und dem, sofern es auf einen Weg der Klärung verweist, in dem das Vermeinte als Wirklichkeit oder als Möglichkeit gegeben wäre. Jedes vage Bewußtsein kann ich befragen, wie sein Gegenstand aussehen müßte. Freilich gehört es auch zur Struktur der transzendentalen Subjektivität, daß sich Meinungen bilden, die im Übergang zur möglichen Evidenz, bzw. der klaren Vorstelligmachung, ebenso in wirklich fortgehender Erfahrung im wirklichen Übergang von einer Meinung zu der evidenten Sachlage selbst, nicht das Gemeinte als ein mögliches Selbst herausstellen sondern ein anderes. Statt Bestätigung, Erfüllung tritt dann oft Enttäuschung Aufhebung, Negation ein. Aber das alles gehört als typische Art von gegensätzlichen Vorkommnissen der Erfüllung und Enttäuschung zum gesamten Bereich des Bewußtseinslebens. Immer und notwendig ist das ego lebend in cogitationes und immer ist der jeweilige Gegenstand entweder anschaulich (sei es im Bewußtsein, er sei, sei es im Phantasiebewußtsein, als ob er sei) oder auch unanschaulich, sachferne. Und immer kann von ihm aus gefragt werden nach den möglichen Wegen, zu ihm selbst als Wirklichkeit oder als Phantasiemöglichkeit zu kommen, und nach den Wegen, in denen er konsequent sich als seiend ausweisen, in einstimmiger Kontinuität von Evidenzen erreichbar wäre oder in denen er sein Nicht-sein herausstellen würde.

     Ein Gegenstand existiert für mich, das ist, er gilt mir bewußtseinsmäßig. Aber diese Geltung ist für mich nur so lange Geltung, als ich präsumiere, daß ich sie bestätigen könnte, daß ich für mich gangbare Wege, das ist frei tätig zu durchlaufende Erfahrungen und sonstige Evidenzen, herstellen könnte, in denen ich bei ihm selbst wäre, ihn als wirklich da verwirklicht hätte. Das bleibt auch bestehen, wenn mein Bewußtsein von ihm Erfahrung ist, Bewußtsein, daß er schon selbst da, selbst gesehen ist. Denn auch dieses Sehen weist fort auf weiteres Sehen, auf die Möglichkeit zu bewähren, und immer wieder das schon als seiend Erworbene wieder zurückversetzen zu können in den Modus fortschreitender Bewährung.

     Bedenken Sie die ungeheure Bedeutung dieser Bemerkung, nachdem wir uns auf den egologischen Boden gestellt haben. Wir sehen auf diesem letzten Standpunkt, daß für uns Dasein und So-sein in Wirklichkeit und Wahrheit keinen anderen Sinn hat als Sein aus der Möglichkeit sich ausweisender Bewährung; aber auch, daß diese Bewährungswege und ihre Zugänglichkeit zu mir als transzendentaler Subjektivität selbst gehören und nur als das einen Sinn haben.

     Wahrhaft Seiendes, ob Reales oder Ideales, hat also Bedeutung nur als ein besonderes Korrelat meiner eigenen Intentionalität, der aktuellen und der als potentiell vorgezeichneten. Freilich nicht eines vereinzelten cogito; z. B. Sein eines realen Dinges nicht als bloßes cogito der vereinzelten Wahrnehmung, die ich jetzt habe. Aber sie selbst und ihr Gegenstand im Wie der intentionalen Gegebenheit verweist mich vermöge des präsumptiven Horizontes auf ein endlos offenes System möglicher Wahrnehmungen als solcher, die nicht erfunden, sondern in meinem intentionalen Leben motiviert sind, und ihre präsumptive Geltung erst verlieren können, wenn widerstreitende Erfahrung sie aufhebt, und notwendig mit vorausgesetzt sind als meine Möglichkeiten, die ich, wenn ich nicht gehemmt bin, im Hingehen, Herumschauen etc. herstellen könnte.

     Aber freilich, das ist alles sehr roh gesprochen. Höchst weitreichende und komplizierte intentionale Analysen sind notwendig, um die Möglichkeitsstrukturen in Bezug auf die jeder Gegenstandsart spezifisch zugehörigen Horizonte auszulegen und damit den Sinn des jeweiligen Seins verständlich zu machen. Von vornherein evident ist nur das eine und Leitende: Was ich als Seiendes habe, gilt mir als Seiendes, und alle erdenkliche Ausweisung liegt in mir selbst, in meiner unmittelbaren und mittelbaren Intentionalität beschlossen, in der also aller Seinssinn mitbeschlossen sein muß.

     Damit stehen wir schon in den großen, ja überwältigend großen Problemen von Vernunft und Wirklichkeit, von Bewußtsein und wahrem Sein, wie die Phänomenologie sie allgemein nennt, den konstitutiven Problemen. Zunächst erscheinen sie als begrenzte phänomenologische Probleme, da man unter Wirklichkeit, unter Sein nur an das weltliche Sein denken wird und somit an die phänomenologische Parallele der gewöhnlich so genannten Erkenntnistheorie oder Kritik der Vernunft, die ja üblicherweise auf objektive, auf die Realitätenerkenntnis bezogen wird. Aber in Wahrheit umspannen die konstitutiven Probleme die gesamte transzendentale Phänomenologie und bezeichnen einen ganz allgemeinen systematischen Aspekt, unter den alle phänomenologischen Probleme sich ordnen. Phänomenologische Konstitution eines Gegenstandes, das besagt: Betrachtung der Universalität des ego unter dem Gesichtspunkt der Identität dieses Gegenstandes, nämlich in der Frage nach der systematischen Allheit von wirklichen und möglichen Bewußtseinserlebnissen, die als auf ihn beziehbare in meinem ego vorgezeichnet sind und für mein ego eine feste Regel möglicher Synthesen bedeuten.

     Das Problem der phänomenologischen Konstitution irgend eines Typus von Gegenständen ist zunächst das Problem seiner ideal vollkommen evidenten Gegebenheit. Zu jedem Gegenstandstypus gehört seine typische Art möglicher Erfahrung. Wie sieht solche Erfahrung aus nach ihren wesentlichen Strukturen, und zwar wenn wir sie als den Gegenstand ideal vollkommen allseitig herausstellend denken? Daran anschließend die weitere Frage: Wie kommt das ego dazu, ein solches System als verfügbaren Besitz zu haben, auch wenn keine Erfahrung von ihm aktuell ist? Schließlich, was bedeutet es für mich, daß Gegenstände für mich sind, was sie sind, ohne daß ich von ihnen weiß und wußte?

     Jeder seiende Gegenstand ist Gegenstand eines Universums möglicher Erfahrungen, wobei wir nur den Erfahrungsbegriff weiten müssen zum breitesten Begriff, dem der richtig verstandenen Evidenz. Jedem möglichen Gegenstand entspricht ein mögliches solches System. Transzendental ist, wie schon gesagt, fortschreitender Gegenstandsindex einer ganz bestimmt zugehörigen universalen Struktur des ego nach wirklichen cogitata desselben und nach Potentialitäten, nach Vermögen. Nun ist <es> aber das Wesen des ego, zu sein in Form wirklichen und möglichen Bewußtseins, und des möglichen nach seinen in ihm selbst liegenden subjektiven Formen des Ich kann, des Vermögens. Das ego ist, was es ist, in Bezug auf intentionale Gegenständlichkeiten, es hat immer Seiendes und möglicherweise Seiendes, und so ist seine Wesenseigenheit die, immerfort Systeme der Intentionalität zu bilden und gebildete schon zu haben, deren Index, die von ihm gemeinten, gedachten, gewerteten, behandelten, phantasierten und zu phantasierenden Gegenstände sind usw.

     Aber das ego selbst ist, und sein Sein ist Sein für sich selbst, auch sein Sein mit allem ihm zugehörigen Sonder-seienden ist in ihm konstituiert und konstituiert sich weiter für es. Das Für-sich-selbst-sein des ego ist Sein in beständiger Selbstkonstitution, die ihrerseits das Fundament ist für alle Konstitution von sogenanntem Transzendenten, von weltlichen Gegenständlichkeiten. So ist es das Fundament der konstitutiven Phänomenologie, in der Lehre von der Konstitution der immanenten Zeitlichkeit und der ihr eingeordneten immanenten Erlebnisse eine egologische Theorie zu schaffen, durch die schrittweise verständlich wird, wie das Für-sich-selbst-sein des ego konkret möglich und verständlich ist.

     Hierbei tritt eine Vieldeutigkeit des Themas ego hervor: es ist in verschiedenen Schichten der phänomenologischen Problematik ein verschiedenes. In den ersten allgemeinsten Strukturbetrachtungen finden wir als Erfolg der phänomenologischen Reduktion das ego cogito cogitata, und zwar tritt uns entgegen die Mannigfaltigkeit der cogitata, des Ich nehme wahr, Ich erinnere mich Ich begehre usw. und das erste ist, was dabei beachtet wird, daß die vielerlei Modi des cogito einen Identitätspunkt, eine Zentrierung darin haben, daß ich, dasselbe Ich, es bin, das da einmal den Actus Ich denke und dann den Actus Ich bewerte als Schein usw. vollzieht. Eine doppelte Synthese wird merklich, eine doppelte Polarisierung. Viele, nicht alle Bewußtseinsmodi, die da ablaufen, sind synthetisch einig als Bewußtseinsweisen von demselben Gegenstand. Andererseits aber alle cogitationes und zunächst alle meine Stellungnahmen haben die strukturelle Form (ego) cogito, sie haben die Ich-polarisierung.

     Aber nun ist zu bemerken, daß das zentrierende ego nicht ein leerer Punkt oder Pol ist, sondern vermöge einer Gesetzmäßigkeit der Genesis mit jedem der von ihm ausstrahlenden Akte eine bleibende Bestimmung erfährt. Habe ich mich z.B. in einem Urteilsakt für ein So-sein entschieden, so vergeht dieser flüchtige Akt, aber ich bin nun weiter das Ich, das so entschieden ist, ich finde mich selbst und bleibend als das Ich meiner mir bleibenden Überzeugungen. So für jede Art Entscheidungen, z.B. Wert- und Willensentscheidungen.

     So haben wir also das ego nicht als bloßen leeren Pol, sondern jeweils als das stehende und bleibende Ich der verharrenden Überzeugungen, der Habitualitäten, in deren Veränderung sich allererst Einheit des personalen Ich und seines personalen Charakters konstituiert. Aber davon wieder zu scheiden ist das ego in voller Konkretion, das konkret nur ist in der strömenden Vielfältigkeit seines intentionalen Lebens und mit den darin vermeinten und für es sich konstituierenden Gegenständen. Dafür sagen wir auch ego als konkrete Monade.

     Da Ich als transzendentales ego es bin, der ich mich selbst als ego in dem einen und anderen Sinn vorfinden und meines wirklichen und wahren Seins inne werden kann, so ist also auch das <ein konstitutives> und sogar das radikalste konstitutive Problem.

     In Wahrheit umspannt also die konstitutive Phänomenologie die gesamte Phänomenologie, obschon sie nicht als solche anfangen kann, sondern mit einer Aufweisung der Bewußtseinstypik und ihrer intentionalen Entfaltung, die erst später den Sinn der konstitutiven Problematik sichtlich macht.

     Immerhin, die phänomenologischen Probleme einer Wesensanalyse der Konstitution von realen Objektivitäten für das ego und damit die einer phänomenologischen objektiven Erkenntnistheorie bilden ein großes Reich für sich.

     Doch ehe wir diese Erkenntnistheorie mit der gewöhnlichen konfrontieren, bedarf es eines ungeheueren methodischen Fortschrittes mit dem ich so spät komme, um zunächst die Konkretionen unbeschwerter zu Ihnen sprechen zu lassen. Jeder von uns durch phänomenologische Reduktion auf sein absolutes ego zurückgeführt, fand sich in apodiktischer Gewißheit als faktisch Seiender. Umschau haltend fand das ego mannigfache deskriptiv faßbare, intentional zu entfaltende Typen und konnte bald selbst in der intentionalen Enthüllung seines ego fortschreiten. Aber nicht zufällig entschlüpfte mir wiederholt der Ausdruck Wesen und wesensmäßig, was einem bestimmten, von der Phänomenologie erst geklärten Begriff des Apriori gleichkommt. Es ist ja klar: Wenn wir einen cogitativen Typus wie Wahrnehmung - Wahrgenommenes, Retention und Retentioniertes, Wiedererinnerung und Wiedererinnertes, Aussagen und Ausgesagtes, Streben und Erstrebtes usw. als Typus auslegen und beschreiben, so führt das zu Ergebnissen, die bestehen bleiben, wie immer wir vom Faktum abstrahieren. Für den Typus ist die Individualität des exemplarischen Faktums, z. B. der jetzt momentan dahinströmenden Tisch-Wahrnehmung, ganz irrelevant; und selbst das Allgemeine, daß ich, dieses faktische ego, unter meinen faktischen Erlebnissen solche dieses Typus überhaupt habe, ist irrelevant, und die Beschreibung hängt gar nicht von einer Feststellung der individuellen Fakta und ihrer Existenz ab. Und so für alle egologischen Strukturen.

     Vollziehe ich z.B. eine Analyse des Typus sinnliche, raumdingliche Erfahrung; gehe ich systematisch weiter in die konstitutive Betrachtung, wie solche Erfahrung einstimmig weiterlaufen könnte und müßte, wenn überhaupt ein- und dasselbe Ding sich nach allem, was ihm als Ding zugemeint sein muß, vollkommen zeigen würde; dann springt die große Erkenntnis hervor, daß apriori in Wesensnotwendigkeit, was für mich als ein ego überhaupt soll wahrhaft seiendes Ding sein können, unter der Wesensform eines bestimmt zugehörigen Struktursystems möglicher Erfahrung steht mit einer apriorischen Mannigfaltigkeit speziflsch zugehöriger Strukturen.

     Evidenterweise kann ich mein ego ganz frei umfingieren, kann die Typen als rein ideale Möglichkeiten des nunmehr bloß möglichen ego und eines möglichen ego überhaupt (als freie Abwandlung meines faktischen) betrachten, und erhalte so Wesenstypen, apriorische Möglichkeiten und zugehörige Wesensgesetze, ebenso allgemeine Wesensstrukturen meines ego als eines erdenklichen überhaupt, ohne die ich mich überhaupt oder apriori nicht denken kann, weil sie für jede freie Abwandlung meines ego evident notwendig ebenso bestehen müßten.

     So erheben wir uns zu einer methodischen Einsicht, die neben der echten Methode phänomenologischer Reduktion die wichtigste methodische der Phänomenologie ist: nämlich daß das ego, mit den Altvordern zu reden, ein ungeheures eingeborenes Apriori hat und daß die gesamte Phänomenologie oder die methodisch fortgeführte reine Selbstbesinnung des Philosophen Enthüllung dieses eingeborenen Apriori ist in seiner unendlichen Vielgestaltigkeit. Das ist der echte Sinn der Eingeborenheit, den der alte naive Begriff gleichsam durchspürte, aber nicht zu fassen vermochte.

     Zu diesem eingeborenen Apriori des konkreten ego, mit Leibniz zu sprechen: meiner Monade, gehört freilich sehr viel mehr als wir besprechen konnten. Es gehört dazu, was nur mit einem Worte angedeutet werden kann, auch das Apriori des Ich in dem besonderen Sinne, der die allgemeine Dreifaltigkeit des Titels cogito bestimmt: das Ich als Pol aller spezifischen Stellungnahmen oder Ich-Akte und als Pol der Affektionen, die auf das Ich von schon konstituierten Gegenständen hingehend es zur aufmerkenden Hinwendung und zu jeder Stellungnahme motivieren. Das ego hat also eine doppelte Polarisierung: die Polarisierung nach mannigfaltigen gegenständlichen Einheiten und die Ich-Polarisierung, eine Zentrierung, vermöge der alle Intentionalitäten auf den identischen Ich-Pol bezogen sind.

     Doch in gewisser Weise vervielfältigt sich auch die Ich-Polarisierung im ego indirekt durch seine Einfühlungen als in ihm vergegenwärtigungsmäßig auftretende <Spiegelung> fremder Monaden mit fremden Ich-Polen. Das Ich ist nicht bloß Pol auftretender und verschwindender Stellungnahmen; jede Stellungnahme begründet im Ich etwas Verharrendes, seine bis auf weiteres bleibende Überzeugung.

     Die systematische Erschließung der transzendentalen Sphäre als der absoluten Seins- und Konstitutionssphäre, auf die alles Erdenkliche zurückbezogen ist, macht ungeheure Schwierigkeiten, und erst im letzten Jahrzehnt haben sich die Methoden und Problemhöhenstufen klar geordnet.

     Sehr spät hat sich insbesondere der Zugang zu den Problemen der universalen Wesensgesetzmäßigkeit der phänomenologischen Genesis erschlossen zu unterst der passiven Genesis in der Bildung von immer neuen Intentionalitäten und von Apperzeptionen ohne jede aktive Beteiligung des Ich. Hier erwächst eine Phänomenologie der Assoziation deren Begriff und Ursprung ein wesentlich neues Gesicht empfängt, vor allem schon durch die zunächst befremdliche Erkenntnis, daß Assoziation ein ungeheurer Titel für eine Wesensgesetzlichkeit ist, ein eingeborenes Apriori, ohne das <das> ego als solches undenkbar ist. Andererseits die Problematik der höherstufigen Genesis, in der durch Ich-Akte Geltungsgebilde erwachsen, und in eins damit das zentrale Ich spezifische Ich-Eigenheiten, z. B. habituelle Überzeugungen, erworbene Charaktere annimmt.

     Erst durch die Phänomenologie der Genesis wird das ego als ein unendlicher Zusammenhang von synthetisch zusammengehörigen Leistungen verständlich, und zwar von konstitutiven, welche immer neue Stufen von seienden Gegenständen in Stufen von Relativitäten zur Geltung bringen. Es wird verständlich. wie das ego nur ist, was es ist, in einer Genesis, durch die ihm intentional immerfort, vorläufig oder dauernd, seiende Welten, reale und ideale Welten zueigen werden; zueigen werden aus eigenen Sinnesschöpfungen, zueigen unter apriori möglichen und eingreifenden Korrekturen, Ausstreichungen von Nichtigkeiten, Scheinen usw., die nicht minder als typische Sinnesvorkommnisse immanent erwachsen. Von all dem ist das Faktum irrational, aber die Form, das ungeheure Formensystem der konstituierten Gegenstände und das korrelative Formensystem ihrer intentionalen Konstitution apriori, eine unerschöpfliche Unendlichkeit des Apriori, das unter dem Titel Phänomenologie enthüllt wird und das nichts anderes ist als die Wesensform des ego als eines ego überhaupt, durch meine Selbstbesinnung enthüllt und jeweils zu enthüllen.

     Zu den sinn- und seinkonstituierenden Leistungen gehören alle Stufen der Realität wie Idealität, also wenn wir zählen und rechnen, wenn wir Natur und Welt beschreiben, theoretisch behandeln, Sätze bilden, Schlüsse, Beweise, Theorien, sie als Wahrheiten ausbilden usw., so schaffen wir uns damit immer neue Gebilde von Gegenständen, diesmal von idealen, die für uns sind in bleibender Geltung. Vollziehen wir radikale Selbstbesinnung, also Rückgang auf unser, jeder für sich auf sein absolutes ego, so sind all das Bildungen der frei tätigen Ich-Aktivität, eingeordnet in der Stufe der egologischen Konstitutionen, und jedes derartige ideal Seiende ist, was es ist, als Index seiner konstitutiven Systeme. Da stehen also auch alle Wissenschaften, die ich im eigenen Denken und Erkennen in mir zur Geltung bringe. Ihre naive Geltung habe ich als ego inhibiert, aber im Zusammenhang meiner transzendentalen Selbstenthüllung als unbeteiligter Zuschauer meines leistenden Lebens treten sie wie schon die Erfahrungswelt wieder in Geltung, aber rein als konstitutives Korrelat.

     Wir gehen jetzt dazu über, diese egologisch-transzendentale Theorie der Seinskonstitution, die alles für das ego je Seiende als in den synthetischen Motivationen seines eigenen intentionalen Lebens entsprungenes Gebilde passiver und aktiver Leistung herausstellt, in Beziehung zu setzen zu der gewöhnlichen Erkenntnistheorie oder Theorie der Vernunft. Allerdings das Fehlen eines Grundstückes der phänomenologischen Theorie, das den Schein des Solipsismus überwindet, wird erst im weiteren Zusammenhang voll empfindlich werden und seine passende Ergänzung wird den Anstoß beseitigen.

     Das Problem der traditionellen Erkenntnistheorie ist das der Transzendenz. Sie will, auch wenn sie als empiristische auf der gewöhnlichen Psychologie fußt, nicht bloße Psychologie der Erkenntnis sein, sondern die prinzipielle Möglichkeit der Erkenntnis aufklären. Das Problem erwächst in der natürlichen Einstellung und wird auch weiter in ihr behandelt. Ich finde mich vor als Mensch in der Welt und zugleich als sie erfahrend und sie, mich eingeschlossen, wissenschaftlich erkennend. Nun sage ich mir: Alles, was für mich ist, ist es dank meinem erkennenden Bewußtsein, es ist für mich Erfahrenes meines Erfahrens, Gedachtes meines Denkens, Theoretisiertes meines Theoretisierens, Eingesehenes meines Einsehens. Es ist für mich nur als intentionale Gegenständlichkeit meiner cogitationes. Intentionalität als Grundeigenheit meines psychischen Lebens bezeichnet eine real zu mir als Menschen wie zu jedem Menschen hinsichtlich seiner rein psychischen Innerlichkeit gehörige Eigenheit, und schon Brentano hat sie in den Mittelpunkt der empirischen Psychologie des Menschen gerückt. Wir brauchen also dazu keine phänomenologische Reduktion, wir sind und bleiben auf dem Boden der gegebenen Welt. Und so sagen wir auch verständlich: Alles, was für den Menschen, was für mich ist und gilt, tut das im eigenen Bewußtseinsleben, das in allem Bewußt-haben einer Welt und in allem wissenschaftlichen Leisten bei sich selbst verbleibt. Alle Scheidungen, die ich mache zwischen echter und trügender Erfahrung und in ihr zwischen Sein und Schein, verlaufen in meiner Bewußtseinssphäre selbst, ebenso wenn ich in höherer Stufe zwischen einsichtigem und nicht einsichtigem Denken, auch zwischen apriori Notwendigem und Widersinnigem, zwischen empirisch Richtigem und empirisch Falschem unterscheide. Evident wirklich, denknotwendig, widersinnig, denkmöglich, wahrscheinlich usw., all das sind in meinem Bewußtseinsbereich selbst auftretende Charaktere am jeweiligen intentionalen Gegenstand. Jede Ausweisung, Begründung für Wahrheit und Sein verläuft ganz und gar in mir, und ihr Ende ist ein Charakter im cogitatum meines cogito.

     Darin sieht man nun das große Problem. Daß ich in meinem Bewußtseinsbereich, im Zusammenhang der mich bestimmenden Motivation zu Gewißheiten, ja zu zwingenden Evidenzen komme, das ist verständlich. Aber wie kann dieses ganz in der Immanenz des Bewußtseinslebens verlaufende Spiel objektive Bedeutung gewinnen? Wie kann die Evidenz (die clara et distincta perceptio) mehr beanspruchen, als ein Bewußtseinscharakter in mir zu sein? Es ist das Cartesianische Problem, das durch die göttliche veracitas gelöst werden sollte.

     Was hat die transzendentale Selbstbesinnung der Phänomenologie dazu zu sagen? Nichts anderes, als daß dieses ganze Problem widersinnig ist, ein Widersinn, in den Descartes nur darum verfallen mußte, weil er den echten Sinn der transzendentalen Epoché und der Reduktion auf das reine ego verfehlte. Aber noch viel gröber ist die gewöhnliche nachcartesianische Einstellung. Wir fragen: Wer ist denn das Ich, das transzendentale Fragen rechtmäßig stellen kann? Kann ich das als natürlicher Mensch und kann ich als das ernstlich fragen, und zwar transzendental: «Wie komme ich aus meiner Bewußtseinsinsel heraus, wie kann, was in meinem Bewußtsein als Evidenzerlebnis auftritt, objektive Bedeutung gewinnen?» So wie ich mich als natürlicher Mensch apperzipiere, habe ich ja schon im voraus die Raumwelt apperzipiert, mich im Raum gefaßt, in dem ich also ein Außer-mir habe! Ist nicht die Giltigkeit der Weltapperzeption schon vorausgesetzt für den Sinn der Frage, während doch ihre Beantwortung erst die objektive Geltung überhaupt ergeben sollte? Es bedarf also der bewußten Ausführung der phänomenologischen Reduktion, um dasjenige Ich und Bewußtseinsleben zu gewinnen, an das transzendentale Fragen als Fragen der Möglichkeit transzendenter Erkenntnis zu stellen sind. Sowie man aber, statt flüchtig eine phänomenologische Epoché zu vollziehen, vielmehr daran geht, in systematischer Selbstbesinnung und als reines ego sein gesamtes Bewußtseinsfeld, also sich selbst enthüllen zu wollen, erkenne man, daß alles je für es Seiende sich in ihm selbst Konstituierendes ist; ferner, daß jede Seinsart, darunter jede als transzendent charakterisierte, ihre besondere Konstitution hat.

     Transzendenz ist ein immanenter, innerhalb des ego sich konstituierender Seinscharakter. Jeder erdenkliche Sinn, jedes erdenkliche Sein, ob es immanent oder transzendent heißt, fällt in den Bereich der transzendentalen Subjektivität. Ein Außerhalb derselben ist ein Widersinn, sie ist die universale, absolute Konkretion. Das Universum wahren Seins als etwas außerhalb des Universums möglichen Bewußtseins, möglicher Erkenntnis, möglicher Evidenz fassen zu wollen, beides bloß äußerlich durch ein starres Gesetz aufeinander bezogen, ist ein Nonsens. Wesensmäßig gehört beides zusammen und wesensmäßig Zusammengehöriges ist auch konkret eins, eins in der absoluten Konkretion: der transzendentalen Subjektivität. - Sie ist das Universum möglichen Sinnes, ein Außerhalb ist dann eben Unsinn. Aber selbst jeder Unsinn ist ein Modus des Sinnes und hat seine Unsinnigkeit in der Einsehbarkeit. Das aber gilt nicht für das bloß faktische ego und was ihm faktisch zugänglich ist als für es Seiendes. Die phänomenologische Selbstauslegung ist eine apriorische, und so gilt alles für jedes mögliche, erdenkliche ego und jedes erdenkliche Seiende, also für alle erdenklichen Welten.

     Echte Erkenntnistheorie ist danach allein sinnvoll als transzendental-phänomenologische, die es statt mit unsinnigen Schlüssen von einer vermeinten Immanenz auf eine vermeinte Transzendenz, die irgendwelcher Dinge an sich, vielmehr ausschließlich zu tun hat mit der systematischen Aufklärung der Erkenntnisleistung, in der sie durch und durch verständlich wird als intentionale Leistung. Eben damit aber wird jede Art Seiendes, reales und ideales, verständlich als eben in dieser Leistung konstituiertes Gebilde der transzendentalen Subjektivität. Diese Art Verständlichkeit ist die höchste erdenkliche Form der Rationalität. Alle verkehrten Seinsinterpretationen stammen aus der naiven Blindheit für die den Seinsinn mitbestimmenden Horizonte. So führt die pure, in reiner Evidenz durchgeführte und dabei in Konkretion durchgeführte Selbstauslegung des ego zu einem transzendentalen Idealismus, aber einem solchen grundwesentlich neuen Sinnes; nicht eines psychologischen Idealismus, nicht eines Idealismus, der aus sinnlosen sinnlichen Daten eine sinnvolle Welt ableiten will, nicht ein Kantischer Idealismus, der mindestens als Grenzbegriff die Möglichkeit einer Welt von Dingen an sich glaubt offen halten zu können - sondern ein Idealismus, der nichts weiter ist als in Form systematischer egologischer Wissenschaft konsequent durchgeführte Selbstauslegung jedweden Seinssinnes, der für mich, das ego, eben soll Sinn haben können. Dieser Idealismus ist aber nicht ein Gebilde spielerischer Argumentationen, im dialektischen Streit mit Realismen als Siegespreis zu gewinnen. Es ist die an der (dem ego durch Erfahrung vorgegebene) Transzendenz der Natur, der Kultur, der Welt überhaupt in wirklicher Arbeit durchgeführte Sinnesauslegung und das ist systematische Enthüllung der konstituierenden Intentionalität selbst. Der Erweis dieses Idealismus ist die Durchführung der Phänomenologie selbst.


2. Teil

Doch nun muß das einzige wirklich beunruhigende Bedenken zu Worte kommen. Wenn ich, das meditierende Ich, mich durch Epoché auf mein absolutes ego reduziere und auf das darin sich Konstituierende, bin ich dann nicht zum solus ipse geworden, und ist so diese ganze Philosophie der Selbstbesinnung nicht ein purer, wenn auch transzendental-phänomenologischer Solipsismus?

     Indessen, ehe man sich hier entscheidet und nun gar durch nutzlose dialektische Argumentationen sich zu helfen sucht, gilt es, die konkrete phänomenologische Arbeit hinreichend weit und hinreichend systematisch durchzuführen, um zuzusehen, wie sich im ego das alter ego als Erfahrungsgegebenheit bekundet und bewährt, welche Art Konstitution für sein Dasein als Dasein in meinem Bewußtseinskreis und meiner Welt aufzukommen hat. Denn ich erfahre ja die Anderen wirklich und erfahre sie nicht nur neben der Natur, sondern in eins verflochten mit der Natur. Ich erfahre dabei die anderen doch in besonderer Weise, ich erfahre sie als nicht nur im Raum im Naturzusammenhang psychologisch verflochten auftretend, sondern erfahre sie als diese selbe Welt, die ich erfahre, auch erfahrend, desgleichen als mich erfahrend wie ich sie erfahre usw. Ich erfahre in mir selbst, im Rahmen meines transzendentalen Bewußtseinslebens alles und jedes und erfahre die Welt als nicht bloß meine private sondern als intersubjektive, für jedermann gegebene und in ihren Objekten zugängliche Welt und darin die Anderen als Andere und zugleich als für einander, für jedermann da. Wie klärt sich das auf, da doch unangreifbar bleibt, daß alles, was für mich ist, in meinem intentionalen Leben Sinn und Bewährung gewinnen kann?

     Hier bedarf es einer echt phänomenologischen Auslequng der transzendentalen Leistung der Einfühlung und dazu, solange sie in Frage ist, einer abstraktiven Außer-Geltung-Setzung der Anderen und aller der Sinnesschichten meiner Umwelt, die mir aus der Erfahrungsgeltung der Anderen zuwachsen. Eben damit scheidet sich im Bereich des transzendentalen ego, das ist in seinem Bewußtseinsbereich, eben das spezifisch private egologische Sein ab, meine konkrete Eigenheit als diejenige, deren Analogon ich dann aus Motivationen meines ego her einfühle. Alles eigene Bewußtseinsleben kann ich direkt und eigentlich erfahren als es selbst, nicht aber das fremde: fremdes Empfinden, Wahrnehmen, Denken, Fühlen, Wollen. Aber in mir selbst wird es in einem sekundären Sinn, in der Weise einer eigentümlichen Ähnlichkeitsapperzeption miterfahren, konsequent indiziert, sich dabei einstimmig bewährend. Mit Leibniz zu reden: In meiner Originalität als mir apodiktisch gegebenen Monade spiegeln sich fremde Monaden, und diese Spiegelung ist eine sich konsequent bewährende Indikation. Was da aber indiziert ist, das ist, wenn ich phänomenologische Selbstauslegung vollziehe und darin Auslegung des rechtmäßig Indizierten, eine fremde transzendentale Subjektivität; das transzendentale ego setzt in sich nicht willkürlich, sondern notwendig ein transzendentales alter ego.

     Eben damit erweitert sich die transzendentale Subjektivität zur Intersubjektivität, zur intersubjektiv-transzendentalen Sozialität, die der transzendentale Boden ist für die intersubjektive Natur und Welt überhaupt und nicht minder für das intersubjektive Sein aller idealen Gegenständlichkeiten. Das erste ego, auf das die transzendentale Reduktion führt, entbehrt noch der Unterscheidungen zwischen dem Intentionalen, das ihm ursprünglich eigen ist, und dem, was in ihm Spiegelung des alter ego ist. Es bedarf erst einer weitgeführten konkreten Phänomenologie, um die Intersubjektivität als transzendentale zu erreichen. Aber es zeigt sich dabei doch, daß für den philosophierend Meditierenden sein ego das ursprüngliche ego ist, und daß die Intersubjektivität dann in weiterer Folge für jedes erdenkliche ego als alter ego wieder nur denkbar ist als in ihm sich spiegelnde. In dieser Aufklärung der Einfühlung zeigt es sich auch, daß ein abgrundtiefer Unterschied besteht in der Konstitution der Natur, die schon für das abstraktiv isolierte ego einen Seinssinn hat, aber noch keinen intersubjektiven, und der Konstitution der Geisteswelt.

     So enthüllt sich der phänomenologische Idealismus als eine transzendental-phänomenologische Monadologie, die nur keine metaphysische Konstruktion ist, sondern eine systematische Auslegung des Sinnes, den für uns alle vor allem Philosophieren die Welt hat, ein Sinn, der nur philosophisch entstellt, aber nicht geändert werden kann.

     Der ganze Weg, den wir durchlaufen haben, sollte ein Weg sein mit dem von uns festgehaltenen Cartesianischen Ziel einer universalen Philosophie, das ist universalen Wissenschaft aus absoluter Begründung. Wir dürfen sagen, diese Absicht hat er wirklich innehalten können, und wir sehen schon, daß sie wirklich durchführbar ist.

     Das tägliche praktische Leben ist naiv, es ist ein in die vorgegebene Welt Hineinerfahren, Hineindenken, Hineinwerten, Hineinhandeln. Dabei vollziehen sich alle die intentionalen Leistungen des Erfahrens, wodurch die Dinge schlechthin da sind, anonym, der Erfahrende weiß von ihnen nichts; ebenso nichts vom leistenden Denken die Zahlen, die prädikativen Sachverhalte die Werte, die Zwecke, die Werke treten dank den verborgenen Leistungen auf, Glied für Glied sich aufbauend, sie sind allein im Blick. Nicht anders in den positiven Wissenschaften. Sie sind Naivitäten höherer Stufe, Werkgebilde einer klugen theoretischen Technik, ohne daß die intentionalen Leistungen, aus denen alles letztlich entspringt, ausgelegt worden wären.

     Wissenschaft beansprucht zwar, ihre theoretischen Schritte rechtfertigen zu können, und beruht überall auf Kritik. Aber ihre Kritik ist nicht letzte Erkenntniskritik, das ist Studium und Kritik der ursprünglichen Leistungen, Enthüllung aller ihrer intentionalen Horizonte, durch die allein die Tragweite der Evidenzen letztlich erfaßt und korrelativ der Seinssinn der Gegenstände, der theoretischen Gebilde, der Werte und Zwecke ausgewertet werden kann. Daher haben wir, und gerade auf der hohen Stufe der modernen positiven Wissenschaften Grundlagenprobleme, Paradoxien, Unverständlichkeiten. Die Urbegriffe, die, durch die ganze Wissenschaft hindurchgehend, den Sinn ihrer Gegenstandssphäre und ihrer Theorie bestimmen, sind naiv entsprungen, sie haben unbestimmte intentionale Horizonte, sie sind Gebilde unbekannter, nur in roher Naivität geübter intentionaler Leistungen. Das gilt nicht nur für die positiven Spezialwissenschaften, sondern auch für die traditionelle Logik mit all ihren formalen Normen. Jeder Versuch, von den historisch gewordenen Wissenschaften her zu besserer Begründung, zu einem besseren Sich- selbst-verstehen nach Sinn und Leistung zu kommen, ist ein Stück Selbstbesinnung des Wissenschaftlers. Es gibt aber nur eine radikale Selbstbesinnung, das ist die phänomenologische. Radikale und völlig universale Selbstbesinnung ist aber untrennbar und zugleich untrennbar von der echten phänomenologischen Methode der Selbstbesinnung in Form der Wesensallgemeinheit. Universale und wesensmäßige Selbstauslegung besagt aber Herrschaft über alle dem ego und einer transzendentalen Intersubjektivität eingeborenen idealen Möglichkeiten.

     Eine konsequent fortgeführte Phänomenologie konstruiert also apriori, aber in streng intnitiver Wesensnotwendigkeit und -allgemeinheit die Formen erdenklicher Welten und diese wieder im Rahmen aller erdenklichen Seinsform überhaupt und ihres Stufensystems. Das aber ursprünglich, das ist in Korrelation mit dem konstitutiven Apriori, dem der sie konstituierenden intentionalen Leistungen.

     Da sie in ihrem Vorgehen keine vorgegebenen Wirklichkeiten und Wirklichkeitsbegriffe hat, sondern ihre Begriffe von vornherein aus der Ursprünglichkeit der Leistung, der selbst in ursprünglichen Begriffen gefaßten, schöpft und durch die Notwendigkeit, alle Horizonte zu enthüllen, auch alle Unterschiede der Tragweite, alle abstrakten Relativitäten beherrscht, so muß sie zu den Begriffssystemen von sich aus kommen, die den Grundsinn aller wissenschaftlichen Gebilde bestimmen. Es sind die Begriffe, welche alle formalen Demarkationen der Formidee einer möglichen Welt überhaupt vorzeichnen und demnach die echten Grundbegriffe aller Wissenschaften sein müssen. Für solche Begriffe kann es keine Paradoxien geben.

     Dasselbe gilt für alle Grundbegriffe, welche den Aufbau und die gesamte Aufbauform der auf die verschiedenen Seinsregionen bezogenen und zu beziehenden Wissenschaften betreffen.

     Wir können nun auch sagen: In der apriorischen und transzendentalen Phänomenologie entspringen in letzter Begründung vermöge ihrer Korrelationsforschung alle apriorischen Wissenschaften überhaupt, und, in diesem Ursprung genommen, gehören sie in eine universale apriorische Phänomenologie selbst mit hinein als ihre systematischen Verzweigungen. Dieses System des universalen Apriori ist also auch zu bezeichnen als systematische Entfaltung des universalen, dem Wesen einer transzendentalen Subjektivität also auch Intersubjektivität eingeborenen Apriori oder des universalen Logos alles erdenklichen Seins. Wieder dasselbe besagt: Die systematisch voll entwickelte transzendentale Phänomenologie wäre eo ipso die wahre und echte universale Ontologie, aber nicht bloß eine leere, formale sondern zugleich eine solche, die alle regionalen Seinsmöglichkeiten in sich schlösse, und nach allen zu ihnen gehörigen Korrelationen.

     Diese universale konkrete Ontologie (oder auch universale Logik des Seins) wäre also das an sich erste Wissenschaftsuniversum aus absoluter Begründung. Der Ordnung nach wäre die an sich erste der philosophischen Disziplinen die solipsistisch beschränkte Egologie, dann erst in Erweiterung die intersubjektive Phänomenologie, und zwar in einer Allgemeinheit, die zunächst die universalen Fragen behandelt, um sich dann erst in die apriorischen Wissenschaften zu verzweigen.

     Dieses universale Apriori wäre dann das Fundament für echte Tatsachenwissenschaften und für eine echte universale Philosophie im Cartesianischen Sinne, eine universale Wissenschaft aus absoluter Begründung. Alle Rationalität des Faktums liegt ja im Apriori. Apriorische Wissenschaft ist Wissenschaft von dem Prinzipiellen, auf das Tatsachenwissenschaft rekurrieren muß, um letztlich, eben prinzipiell begründet zu werden - nur daß die apriorische Wissenschaft keine naive sein darf, sondern aus letzten transzendental-phänomenologischen Quellen entsprungen sein muß.

     Schließlich möchte ich, um kein Mißverständnis aufkommen zu lassen, darauf hinweisen, daß durch die Phänomenologie nur jede naive und mit widersinnigen Dingen an sich operierende Metaphysik ausgeschlossen wird, nicht aber Metaphysik überhaupt. Das an sich erste Sein, das jeder weltlichen Objektivität vorangehende und sie tragende, ist die transzendentale Intersubjektivität, das in verschiedenen Formen sich vergemeinschaftende All der Monaden. Aber innerhalb der faktischen monadischen Sphäre, und als ideale Wesensmöglichkeit in jeder erdenklichen, treten alle die Probleme der zufälligen Faktizität, des Todes, des Schicksals, der in einem besonderen Sinne als sinnvoll geforderten Möglichkeit einzelsubjektiven und gemeinschaftlichen Lebens auf, also auch die Probleme des Sinnes der Geschichte usw. Wir können auch sagen: es sind die ethisch-religiösen Probleme, aber gestellt auf den Boden, in dem alles, was für uns soll möglichen Sinn haben können, eben gestellt sein muß.

     So verwirklicht sich die Idee einer universalen Philosophie - ganz anders als Descartes und sein Zeitalter es sich, geleitet von der neuen Naturwissenschaft, dachte - nicht als ein universales System deduktiver Theorie, als ob alles Seiende in der Einheit einer Rechnung stünde, sondern als ein System von phänomenologischen korrelativen Disziplinen auf dem untersten Grund nicht des Axioms ego cogito, sondern einer universalen Selbstbesinnung.

     Mit anderen Worten, der notwendige Weg zu einer im höchsten Sinne letztbegründeten Erkenntnis, oder, was einerlei ist, einer philosophischen, ist der einer universalen Selbsterkenntnis, zunächst einer monadischen und dann einer intermonadischen. Das delphische Wort: gnwqi seauton hat eine neue Bedeutung gewonnen. Positive Wissenschaft ist Wissenschaft in der Weltverlorenheit. Man muß erst die Welt durch Epoché verlieren, um sie in universaler Selbstbesinnung wiederzugewinnen. Noli foras ire, sagt Augustinus, in te redi, in interiore homine habitat veritas.

フッサール全集の概要

 

 

Husserl Page: Gesammelte Werke & Dokumente

Husserliana 1
Cartesianische Meditationen und Pariser Vorträge. Cartesian meditations and the Paris lectures.] Edited by S. Strasser. The Hague, Netherlands: Martinus Nijhoff, 1973.  [ISBN:  978-90-247-0214-5]
Husserliana 2
Die Idee der Phänomenologie. Fünf Vorlesungen. The idea of phenomenology. Five lectures] Edited by Walter Biemel. The Hague, Netherlands: Martinus Nijhoff, 1973.  [ISBN:   978-90-247-5139-6]

Husserliana 3
Ideen zu einer reinen Phänomenlogie und phänomenlogischen Philosophie. Erstes Buch: Allgemeine Einf・rung in die reine Ph舅omenologie. [Ideas: general introduction to pure phenomenology and to a phenomenological philosophy. First book.] Edited by Walter Biemel. The Hague, Netherlands: Martinus Nijhoff Publishers, 1950.

Husserliana 3-1
Ideen zu einer reinen Phänomenologie und phänomenologischen Philosophie. Erstes Buch: Allgemeine Einführungin die reine Phänomenologie 1. Halbband: Text der 1.-3. Auflage - Nachdruck. [Ideas pertaining to a pure phenomenology and to a phenomenological philosophy, first book: general introduction to a pure phenomenology. First half binding. Text of the 1-3 editions. Reprint.] Edited by Karl Schuhmann. The Hague, Netherlands: Martinus Nijhoff, 1977.   [ISBN:   978-90-247-1913-6]
Husserliana 3-2
Ideen zu einer reinen Phänomenologie und phänomenologischen Philosophie. Erstes Buch: Allgemeine Einfuhrung in die reine Phänomenologie, 2. Halbband: Ergänzende Texte, (1912--1929). [Ideas pertaining to a pure phenomenology and to a phenomenological philosophy, first book: general introduction to a pure phenomenology. Second half binding. Complementary texts, (1912--1929).] Edited by Karl Schuhmann. The Hague, Netherlands: Martinus Nijhoff, 1988.   [ISBN:   978-90-247-1914-3]
Husserliana 4
Ideen zur einer reinen Phänomenologie und phänomenologischen Philosophie. Zweites Buch: Phänomenologische Untersuchungen zur Konstitution. [Ideas pertaining to a pure phenomenology and to a phenomenological philosophy. Phenomenological investigations of constitution.] Edited by Marly Biemel. The Hague, Netherlands: Martinus Nijhoff, 1952.   [ISBN:   978-90-247-0218-3]
Husserliana 5
Ideen zur einer reinen Phänomenologie und phänomenologischen Philosophie. Drittes Buch: Die Phänomenologie und die Fundamente der Wissenschaften. [Ideas pertaining to a pure phenomenology and to a phenomenological philosophy, third book: phenomenology and the foundations of the sciences.] Edited by Marly Biemel. The Hague, Netherlands: Martinus Nijhoff, 1971.   [ISBN:   978-90-247-0219-0]
Husserliana 6
Die Krisis der europäischen Wissenschaften und die transzendentale Phänomenologie. Eine Einleitung in die phänomenologische Philosophie. [The crisis of European sciences and transcendental philosophy. An introduction to phenomenology.] Edited by Walter Biemel. The Hague, Netherlands: Martinus Nijhoff, 1976.   [ISBN:   978-90-247-0221-3]
Husserliana 7
Erste Philosophie (1923/4). Erste Teil: Kritische Ideengeschichte. [First philosophy (1923/24). First part: the critical history of ideas.] Edited by Rudolf Boehm. The Hague, Netherlands: Martinus Nijhoff, 1956.   [ISBN:   978-90-247-0223-7]
Husserliana 8
Erste Philosophie (1923/4). Zweiter Teil: Theorie der phänomenologischen Reduktion. [First philosophy (1923/24). Second part: theory of phenomenological reduction.] Edited by Rudolf Boehm. The Hague, Netherlands: Martinus Nijhoff, 1959.   [ISBN:   SBN 978-90-247-0225-1]
Husserliana 9
Phänomenologische Psychologie. Vorlesungen Sommersemester. 1925. [Phenomenological psychology. Lectures from the summer semester. 1925.] Edited by Walter Biemel. The Hague, Netherlands: Martinus Nijhoff, 1968.   [ISBN:   978-90-247-0226-8]
Husserliana 10
Zur Phänomenologie des inneren Zeitbewusstesens (1893-1917). [The Phenomenology of internal time-consciousness (1893-1917).] Edited by Rudolf Boehm. The Hague, Netherlands: Martinus Nijhoff, 1969.   [ISBN:   978-90-247-0227-5]
Husserliana 11
Analysen zur passiven Synthesis. Aus Vorlesungs- und Forschungsmanuskripten, 1918-1926. [Analyses of passive synthesis. From lectures and research manuscripts, 1918-1926.] Edited by Margot Fleischer. The Hague, Netherlands: Martinus Nijhoff, 1966.   [ISBN:   978-90-247-0229-9]
Husserliana 12
Philosophie der Arithmetik. Mit ergänzenden Texten (1890-1901). [Philosophy of arithmetic. With complementary texts. (1890-1901.] Edited by Lothar Eley. The Hague, Netherlands: Martinus Nijhoff, 1970.   [ISBN:   978-90-247-0230-5]
Husserliana 13
Zur Phänomenologie der Intersubjektivität. Texte aus dem Nachlass. Erster Teil. 1905-1920. [On the phenomenology of intersubjectivity. Texts from the estate. Part 1. 1905-1920.] Edited by Iso Kern. The Hague, Netherlands: Martinus Nijhoff, 1973.   [ISBN:   978-90-247-5028-3]
Husserliana 14
Zur Phänomenologie der Intersubjektivität. Texte aus dem Nachlass. Zweiter Teil. 1921-28. [On the phenomenology of intersubjectivity. Texts from the estate. Second part. 1921-28.] Edited by Iso Kern. The Hague, Netherlands: Martinus Nijhoff, 1973.   [ISBN:   978-90-247-5029-0]
Husserliana 15
Zur Phänomenologie der Intersubjektivität. Texte aus dem Nachlass. Dritter Teil. 1929-35. [On the phenomenology of intersubjectivity. Texts from the estate. Third part. 1929-35.] Edited by Iso Kern. The Hague, Netherlands: Martinus Nijhoff, 1973.   [ISBN:   978-90-247-5030-6]
Husserliana 16
Ding und Raum. Vorlesungen 1907. [Thing and space. Lectures 1907.] Edited by Ulrich Claesges. The Hague, Netherlands: Martinus Nijhoff, 1973.   [ISBN:   978-90-247-5049-8]
Husserliana 17
Formale and transzendentale Logik. Versuch einer Kritik der logischen Vernunft." [Formal and transcendental logic. Attempt at a critique of logical reason.] Edited by Paul Janssen. The Hague, Netherlands: Martinus Nijhoff, 1974.   [ISBN:   978-90-247-5115-0]
Husserliana 18
Logische Untersuchungen. Erster Teil. Prolegomena zur reinen Logik. Text der 1. und der 2. Auflage. [Logical investigations: first part. Prolegomena to pure logic. Text of the first and second edition.] Halle: 1900, rev. ed. 1913. Edited by Elmar Holenstein. The Hague, Netherlands: Martinus Nijhoff, 1975.   [ISBN:   978-90-247-1722-4]
Husserliana 19
Logische Untersuchungen. Zweiter Teil. Untersuchungen zur Phänomenologie und Theorie der Erkenntnis. In zwei Bänden. [Logical investigations. Second part. Investigations concerning phenomenology and the theory of knowledge. In two volumes.] Edited by Ursula Panzer. Halle: 1901; rev. ed. 1922. The Hague, Netherlands: Martinus Nijhoff, 1984.   [ISBN:   978-90-247-2517-5]
Husserliana 20/1
Logische Untersuchungen. Ergänzungsband. Erster Teil. Entwürfe zur Umarbeitung der VI. Untersuchung und zur Vorrede f・ die Neuauflage der Logischen Untersuchungen (Sommer 1913). [Logical investigations. Supplementary volume. First part. Draft plan for the revision of the 6th Logical Investigation and the foreword of the Logical Investigations (Summer 1913).] Edited by Ulrich Melle. The Hague, Netherlands: Kluwer Academic Publishers, 2002.   [ISBN:   978-1-4020-0084-3]
Husserliana 20/2
Logische Untersuchungen. Ergänzungsband. Zweiter Teil. Texte für die Neufassung der VI. Untersuchung. Zur Phänomenologie des Ausdrucks und der Erkenntnis (1893/94-1921). [Logical investigations. Supplementary volume. Second part. Texts for the new edition of the Sixth Investigation. On the phenomenology of expression and cognition (1893/94-1921).] Edited by Ulrich Melle. The Hague, Netherlands: Kluwer Academie Publishers, 2005.   [ISBN:   978-1-4020-3573-9]
Husserliana 21
Studien zur Arithmetik und Geometrie. Texte aus dem Nachlass (1886-1901). [Studies on arithmetic and geometry. Texts from the estate (1886-1901). Edited by Ingeborg Strohmeyer. The Hague, Netherlands: Martinus Nijhoff, 1983.   [ISBN:   978-90-247-2497-0]
Husserliana 22
Aufsätze und Rezensionen (1890-1910). [Articles/essays and reviews (1890-1910).] Edited by B. Rang. The Hague, Netherlands: Martinus Nijhoff, 1979.   [ISBN:   978-90-247-2035-4]
Husserliana 23
Phäntasie, Bildbewusstsein, Erinnerung. Zur Phänomenologie der anschaulichen Vergegenwartigungen. Texte aus dem Nachlass (1898-1925). [Imagination, picture/image consciousness, memory: on the phenomenology of intuitive presentiations. Texts from the estate (1898-1925).] Edited by Eduard Marbach. The Hague, Netherlands: Martinus Nijhoff, 1980.   [ISBN:   978-90-247-2119-1]
Husserliana 24
Einleitung in die Logik und Erkenntnistheorie. Vorlesungen 1906/07. [Introduction to logic and the theory of knowledge. Lectures 1906/07]. Edited by Ullrich Melle. The Hague, Netherlands: Martinus Nijhoff, 1985.   [ISBN:   978-90-247-2947-0]
Husserliana 25
Aufsätze und Vorträge. 1911-1921. Mit ergänzenden Texten. [Articles/essays and lectures. 1911-1922. With Complementary Texts.] Edited by Thomas Nenon and Hans Rainer Sepp. The Hague, Netherlands: Martinus Nijhoff, 1986.   [ISBN:   978-90-247-3216-6]
Husserliana 26
Vorlesungen über Bedeutungslehre. Sommersemester 1908. [Lectures on the doctrine of meaning: summer semester 1908.] Edited by Ursula Panzer. The Hague, Netherlands: Martinus Nijhoff, 1987.   [ISBN:   978-90-247-3383-5]
Husserliana 27
Aufsätze und Vorträge. 1922-1937. [Articles/essays and lectures. 1922-1937.] Edited by T. Nenon H.R. Sepp. The Hague, Netherlands: Kluwer Academic Publishers, 1988.   [ISBN:   978-90-247-3620-1]
Husserliana 28
Vorlesungen über Ethik und Wertlehre. 1908-1914. [Lectures on ethics and value theory, 1908-1914.] Edited by Ullrich Melle. The Hague, Netherlands: Kluwer Academic Publishers, 1988.   [ISBN:   978-90-247-3708-6]
Husserliana 29
Die Krisis der europaischen Wissenschaften und die transzendentale Phänomenologie. Ergänzungsband. Texte aus dem Nachlass 1934-1937. [The crisis of the European sciences and transcendental phenomenology. Texts from the estate 1934-1937.] Edited by Reinhold N. Smid. The Hague, Netherlands: Kluwer Academic Publishers, 1992.   [ISBN:   978-0-7923-1307-6]
Husserliana 30
Logik und allgemeine Wissenschaftstheorie. Vorlesungen 1917/18. Mit ergänzenden Texten aus der ersten Fassung 1910/11. [Logic and general theory of science. Lectures 1917/18, with complementary texts from the first version 1910/11.] Edited by Ursula Panzer. The Hague, Netherlands: Kluwer Academic Publishers, 1995.   [ISBN:   978-0-7923-3731-7]
Husserliana 31
Aktive Synthesen: Aus der Vorlesung 'Transzendentale Logik' 1920/21. Ergänzungsband zu 'Analysen zur passiven Synthesis' [Active syntheses: from the lecture 'transcendental logic' 1920/21'. Complementary text to 'Analysis of passive synthesis'.] Edited by Roland Breeur. The Hague, Netherlands: Kluwer Academic Publishers, 2000.   [ISBN:   978-0-7923-6342-2]
Husserliana 32
Natur und Geist: Vorlesungen Sommersemester 1927 [Nature and spirit: lectures from the summer semester 1927.] Edited by Michael Weiler. Dordrecht, Netherlands: Kluwer Academic Publishers, 2001.   [ISBN:   978-0-7923-6714-7]
Husserliana 33
Die 'Bernauer Manuskripte' über das Zeitbewußtsein (1917/18) [The 'Bernauer Manuscripts' on Time-Consciousness.] Edited by Rudolf Bernet & Dieter Lohmar. Dordrecht, Netherlands: Kluwer Academic Publishers, 2001.   [ISBN:   978-0-7923-6956-1]
Husserliana 34
Zur phänomenologischen Reduktion. Texte aus dem Nachlass (1926-1935). [On the phenomenological reduction. Texts from the literary estate (1926-1935).] Edited by Sebastian Luft. Dordrecht, Netherlands: Kluwer Academic Publishers, 2002.   [ISBN:   978-1-4020-0744-6]
Husserliana 35
Einleitung in die Philosophie. Vorlesungen 1922/23. [Introduction to Philosophy. Lectures 1922/23.] Edited by Berndt Goossens. Dordrecht, Netherlands: Kluwer Academic Publishers, 2002.   [ISBN:   978-1-4020-0080-5]
Husserliana 36
Transzendentaler Idealismus. Texte aus dem Nachlass (1908-1921). [Transcendental idealism. Texts from the estate (1908-1921).] Edited by Robin D. Rollinger in cooperation with Rochus Sowa. Dordrecht, Netherlands: Kluwer Academic Publishers, 2003.   [ISBN:   978-1-4020-1816-9]
Husserliana 37
Einleitung in die Ethik. Vorlesungen Sommersemester 1920 und 1924. [Introduction to Ethics. Lectures of the Sommersemester 1920 and 1924.] Edited by Henning Peucker. Dordrecht, Netherlands: Kluwer Academic Publishers, 2004.   [ISBN:   978-1-4020-1994-4]
Husserliana 38
Wahrnehmung und Aufmerksamkeit. Texte aus dem Nachlass (1893-1912). [Perception and attentiveness. Texts from the estate (1893-1912).] Edited by Thomas Vongehr and Regula Giuliani. New York: Springer, 2005.   [ISBN:   978-1-4020-3117-5]
Husserliana 39
Die Lebenswelt. Auslegungen der vorgegebenen Welt und ihrer Konstitution. Texte aus dem Nachlass (1916-1937). [The Life-world. Explications of the pre-given world and its consititution. Texts from the estate (1916-1937).] Edited by Rochus Sowa. New York: Springer, 2008. [ISBN:   978-1-4020-6476-0]
Husserliana 40
Untersuchungen zur Urteilstheorie. Texte aus dem Nachlass (1893-1918).[Investigations pertaining to the theory of judgment. Texts from the estate (1893-1918).] Edited by Robin Rollinger. New York: Springer, 2009. [ISBN:   978-1-4020-6896-6]
Husserliana 41
Zur Lehre vom Wesen und zur Methode der eidetischen Variation. Texte aus dem Nachlass (1891-1935). [On the doctrine of essence and the method of eidetic variation. Texts from the estate (1891-1935).] Edited by Dirk Fonfara. New York: Springer, 2012. [ISBN:   978-94-007-2624-6]

In Vorbereitung (in preparation)

  • Grenzprobleme der Ph舅omenologie [Limit problems of phenomenology], edited by Rochus Sowa und Thomas Vongehr.
  • Verstand, Gem・ und Wille. Studien zur Struktur des Bewusstseins [Intellect, Mind and Will. Studies on the structure of consciousness], edited by Ullrich Melle und Thomas Vongehr.
  • Urfassung von Ideen II und Ideen III [Original version of Ideas II and III], edited by Dirk Fonfara (Husserl-Archiv Kn)
  • Späte Texte zur Raumkonstitution (D-Manuskripte) [Late texts on the consitution of space (D-manuscripts)], edited by Dieter Lohmar (Husserl-Archiv Kn)

Dokumente

Husserliana: Edmund Husserl Dokumente 1
Schuhmann, Karl. Husserl-Chronik. Denk-und Lebensweg Edmund Husserls. [Husserl chronical. The life and thought of Edmund Husserl.] The Hague, Netherlands: Martinus Nijhoff Publishers, Dordrecht, 1981.   [ISBN:  978-90-247-1972-3]

Husserliana: Edmund Husserl Dokumente 2/1
Fink, Eugen. Cartesianische Meditation. Teil I: Die Idee einer transzendentalen Methodelehre. [Cartesian meditations. First part: the idea of transcendental doctrine of method] Edited by G. van Kerckhoven, H. Ebeling & J. Holl. The Hague, Netherlands: Kluwer Academic Publishers, 1988.   [ISBN:  978-90-247-3436-8]

Husserliana: Edmund Husserl Dokumente 2/2
Fink, Eugen. Cartesianische Meditation. Teil II: Ergänzungsband. [Cartesian meditations. Second part: Supplementary Volume] Edited by G. van Kerckhoven. The Hague, Netherlands: Kluwer Academic Publishers, 1988.   [see Dokumente 2/1]

 

Husserliana: Edmund Husserl Dokumente 3/1-10.
Husserl, Edmund. 1994. Briefwechsel. [Correspondence.] Edited by Karl Schuhmann. The Hague, Netherlands: Kluwer Academic Publishers.   [ISBN:  978-0-7923-1925-2]
Band I: Die Brentanoschule [The Brentano school] - ISBN: 0-7923-2173-1
Band II: Die Münchener Phänomenologen [The Munich school] - ISBN: 0-7923-2174-x
Band III: Die Göttinger Schule [The Göttingen school] - ISBN: 0-7923-2175-8
Band IV: Die Freiburger Schüler [The Freiburg school] - ISBN: 0-7923-2176-6
Band V: Die Neukantianer [The neo-Kantians] - ISBN: 0-7923-2177-4
Band VI: Philosophenbriefe [Philosophical letters] - ISBN: 0-7923-2178-2
Band VII: Wissenschaftkorrespondenz [Scientific papers] - ISBN: 0-7923-2179-0
Band VIII: Institutionelle Schreiben [Institutional writing] - ISBN 0-7923-2180-4
Band IX: Familienbriefe [Family letters] - ISBN: 0-7923-2181-2
Band X: Einf・rung und Register [Introduction and table of contents] - ISBN: 0-7923-2182-x

 

Husserliana: Edmund Husserl Dokumente 4.
Spileers, Steven. 1999. Husserl Bibliography. The Hague, Netherlands: Kluwer Academic Publishers.   [ISBN:  978-0-7923-5181-8]


Materialien

Husserliana: Edmund Husserl Materialienband 1
Logik. Vorlesung 1896. [Logic. Lecture 1896.] Edited by Elisabeth Schuhmann. Dordrecht, Netherlands: Kluwer Academic Publishers, 2001.   [ISBN:   978-0-7923-6911-0]

Husserliana: Edmund Husserl Materialienband 2
Logik. Vorlesung 1902/03. [Logic. Lecture 1902/03.] Edited by Elisabeth Schuhmann. Dordrecht, Netherlands: Kluwer Academic Publishers, 2001.   [ISBN:   978-0-7923-6912-7]

Husserliana: Edmund Husserl Materialienband 3
Allgemeine Erkenntnistheorie. Vorlesung 1902/03. [General theory of knowledge. Lecture 1902/03.] Edited by Elisabeth Schuhmann. Dordrecht, Netherlands: Kluwer Academic Publishers, 2001.   [ISBN:   978-0-7923-6913-4]

Husserliana: Edmund Husserl Materialienband 4
Natur und Geist. Vorlesungen Sommersemester 1919. [Nature and spirit. Summer semester lectures 1919.] Edited by Michael Weiler. Dordrecht, Netherlands: Kluwer Academic Publishers, 2002.   [ISBN:   978-1-4020-0404-9]

Husserliana: Edmund Husserl Materialienband 5
Urteilstheorie. Vorlesung 1905. [Theory of Judgment. Lecture 1905.] Edited by Elisabeth Schuhmann. Dordrecht, Netherlands: Kluwer Academic Publishers, 2002.   [ISBN:   978-1-4020-0928-0]

Husserliana: Edmund Husserl Materialienband 6
Alte und neue Logik. Vorlesung 1908/09. [Old and new logic. Lecture 1908/09.] Edited by Elisabeth Schuhmann. Dordrecht, Netherlands: Kluwer Academic Publishers, 2003.   [ISBN:   978-1-4020-1397-3]

Husserliana: Edmund Husserl Materialienband 7
Einf・rung in die Phänomenologie der Erkenntnis. Vorlesung 1909. [Introduction to the phenomenology of cognition. Lecture 1909.] Edited by Elisabeth Schuhmann. Dordrecht, Netherlands: Kluwer Academic Publishers, 2005.   [ISBN:   978-1-4020-3306-3]

Husserliana: Edmund Husserl Materialienband 8
Späte Texte über Zeitkonstitution (1929-1934). Die C-Manuskripte. [Late texts on time-constitution (1929-1934). The C-manuscripts] Edited by Dieter Lohmar. New York: Springer, 2006.   [ISBN:   978-1-4020-4121-1]

Husserliana: Edmund Husserl Materialienband 9
Einleitung in die Philosophie. Vorlesungen 1916-1919. [Introduction to philosophy. Lectures 1916-1919.] Edited by Hanne Jacobs. Dordrecht: Springer, 2012.   [ISBN:   HB: 978-94-007-4657-2, eBook: 978-94 07-4659-6.]


Studienausgabe

Husserliana: Edmund Husserl Studienausgabe 1
Formale und Transzendentale Logik. Band I: Versuch einer Kritik der Logischen Vernunft. [Formal and Transcendental Logic. Volume 1: Attempt at a critique of logical reason.] Edited by Paul Janssen. Dordrecht, Netherlands: Kluwer Academic Publishers, 1977.   [ISBN:   90-247-1975-5]

Husserliana: Edmund Husserl Studienausgabe 2
Formale und Transzendentale Logik. Band II: Versuch einer Kritik der Logischen Vernunft. [Formal and Transcendental Logic. Volume 2: Attempt at a critique of logical reason.] Edited by Paul Janssen. Dordrecht, Netherlands: Kluwer Academic Publishers, 1977.   [ISBN:   978-90-247-1976-1]


Collected Works

Volume I
Husserl, Edmund. 1980. Ideas Pertaining to a Pure Phenomenology and to a Phenomenological Philosophy, Third Book. Phenomenology and the Foundation of the Sciences. Translated by Ted Klein and William Pohl.
[ISBN: HB 978-90-247-2093-4, PB 978-1-4020-0256-4]

Volume 2
Husserl, Edmund. 1982. Ideas Pertaining to a Pure Phenomenology and to a Phenomenological Philosophy, First Book. General Introduction to a Pure Phenomenology. Translated by Fred Kersten.
[ISBN: HB 978-90-247-2503-8, PB 978-90-247-2852-7]

Volume 3
Husserl, Edmund. 1989. Ideas Pertaining to a Pure Phenomenology and to a Phenomenological Philosophy, Second Book. Studies in the Phenomenology of Constitution. Translated by R. Rojcewicz and A. Schuwer.
[ISBN: HB 978-0-7923-0011-3, PB 978-0-7923-0713-6]

Volume 4
Husserl, Edmund. 1991. On the Phenomenology of the Consciousness of Internal Time (1893 - 1917). Translated by John Barnett Brough.
[ISBN: HB 978-0-7923-0891-1, PB 978-0-7923-1536-0]

Volume 5
Husserl, Edmund. 1994. Early Writings in the Philosophy of Logic and Mathematics. Translated by D. Willard.
[ISBN: HB 978-0-7923-2262-7, PB 978-90-481-4266-8]

Volume 6
Husserl, Edmund. 1997. Psychological and Transcendental Phenomenology and the Confrontation with Heidegger (1927-1931). The Encylopaedia Britannica Article, the Amsterdam Lectures, "Phenomenology and Anthropology", and Husserl's Marginal Notes in Being and Time and Kant and the Problem of Metaphysics. Translated by Thomas Sheehan and Richard E. Palmer.
[ISBN: HB 978-0-7923-4481-0, PB 978-90-481-9922-8]

Volume 7
Husserl, Edmund. 1997. Thing and Space: Lectures of 1907. Translated by Richard Rojcewicz.
[ISBN: HB 978-0-7923-4749-1, PB 978-90-481-4913-1]

Volume 8
Husserl, Edmund. 1999. The Idea of Phenomenology. Translation and Introduction by Lee Hardy.
[ISBN: HB 978-0-7923-5691-2, PB 978-90-481-5212-4]

Volume 9
Husserl, Edmund. 2001. Analyses Concerning Passive and Active Synthesis: Lectures on Transcendental Logic. Translation by Anthony J. Steinbock.
[ISBN: HB 978-0-7923-7065-9, PB 978-0-7923-7066-6]

Volume 10
Husserl, Edmund. 2003. Philosophy of Arithmetic. Psychological and Logical Investigations - with Supplementary Texts from 1887-1901. Translation by Dallas Willard.
[ISBN: HB 978-1-4020-1546-5, PB 978-1-4020-1603-5]

Volume 11
Husserl, Edmund. 2005. Phantasy, Image Consciousness, and Memory (1898-1925). Translation by John Brough.
[ISBN: HB 978-1-4020-2641-6, PB 978-1-4020-3215-8]

Volume 12
Husserl, Edmund. 2006. The Basic Problems of Phenomenology. From the Lectures, Winter Semester, 1910-11. Translation by Ingo Farin and James G. Hart.
[ISBN: HB 978-1-4020-3787-0, PB 978-1-4020-3788-7, eBook]

Volume 13
Husserl, Edmund. 2008. Introduction to Logic and Theory of Knowledge. Lectures 1906/07. Translation by Claire Ortiz Hill.
[ISBN: HB 978-1-4020-6725-9, PB 978-1-4020-6726-6, eBook]

In Vorbereitung [In preparation]

  • Essays on Culture (Kaizo) (Husserliana XXVII), translation by Philip Buckley.
  • First Philosophy (Husserliana VII-VIII), translation by Sebastian Luft & Thane M. Naberhaus.
  • Die Bernauer Manuskripte über das Zeitbewusstsein (Husserliana XXXIII), translation by Gina Zavota.
  • Transcendental Idealism (Husserliana XXXVI), translation by Hanne Jacobs und Trevor Perri.
  • C-Manuscripts (Husserliana Materialien VIII), translation by John Brough.

フッサール著作目録

Husserl Page: Chronology of Husserl's Writings

Husserl, Edmund 1859-1938
Chronology of Writings

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All works, including those published after Husserl's death, are or will be listed under their original date of writing. Entries in red typeface indicate items written and published or publicly presented during Husserl's lifetime. Please contact Bob Sandmeyer with any suggestions or notification of errors. (1)

Overview of Husserl's Publishing History
Internal Links - Click link to a jump directly to a particular period or important source information.
  University Periodization
  Berlin, Vienna, Halle, Göttingen, Freiburg, Emeritus
  Decade of Writing
  1880s -- 1890s -- 1900s -- 1910s -- 1920s -- 1930s -- Death -- 1940s -- 1950s -- 1960s
  Publication Source
  Jahrbuch, Husserliana etc., Other Publications, Notes, References

 


 

1878-1880/1: Husserl at University of Berlin

No writings.

 

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1881-1883: Husserl at University of Vienna

1882, October 8
"Beiträge zur Theorie der Variationsrechnung" (Contributions towards a theory of variation calculus.) Wien.
<Ph.D. dissertation at the University of Vienna under Leo Königsberger.>

 

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1886/87, Winter - 1901: Husserl at University of Halle

1886-1901
Husserliana 21
Studien zur Arithmetik und Geometrie. Texte aus dem Nachlass (1886-1901). [Studies on arithmetic and geometry. Texts from the estate (Louvain Archives)] Edited by Ingeborg Strohmeyer. The Hague, Netherlands: Martinus Nijhoff, 1983.

1887, July 9
"Lebenslauf". In Osborn, A.D. The Philosophy of Edmund Husserl: in its Development from his Mathematical Interests to his First Conception of Phenomenology in Logical Investigations. New York, NY: International press, 1934, 110.

 

1887, Fall
Über den Begriff der Zahl: pyschologische Analysen. Habilitationsschrift. [Ph.D. dissertation.] Halle a. S.: Heynemann'sche Buchdruckerei (F. Beyer), 1987.
Translation:
  • "On the Concept of Number. Psychological Analyses." Translated by Dallas Willard. Philosophia Mathematica 9. (1972): 44-52; 10 (1973): 37-87.
  • "On the Concept of Number. Psychological Analyses." Translated by Dallas Willard. McCormick, Peter and Elliston, Frederick A. eds. Husserl: Shorter Works. Notre Dame, IN: University of Notre Dame Press, 1981, 92-119.

 

1887, October 24
"Die Ziele und Aufgaben der Metaphysik" (Goals and tasks of metaphysics.)
<Inaugural lecture as Privatdozent at Halle.>

1890-1910
Husserliana 22
Aufsätze und Rezensionen (1890-1910). (Essays and reviews.) Edited by B. Rang. The Hague, Netherlands: Martinus Nijhoff, 1979.

 

1891
Philosophie der Arithmetik. Pyschologische und logische Untersuchungen. [Philosophy of arithmetic. Psychological and logical investigations.] Erster Band. Halle-Saale: C.E. M. Pfeffer (Robert Stricker), 1891.
see also:
  • Husserliana 12
    Philosophie der Arithmetik. Mit ergänzenden Texten (1890-1901). [Philosophy of arithmetic. With complementary texts. 1890-1901.] Edited by Lothar Eley. The Hague, Netherlands: Martinus Nijhoff, 1970.
  • Studies in the Theory of Formal Mathematical Disciplines.   (2)
Translation:
  • Philosophy of Arithmetic. Psychological and Logical Investigations - with Supplementary Texts from 1887-1901. Husserliana Collected Works 10. Translation by Dallas Willard. Kluwer Academic Publishers, 2003.

Selbstanzeige. [Notice.] Philosophie der Arithmetik. Halle a. S., C.E.M. Pfeffer (R. Stricker), 1891. In Vierteljahrschrift für wissenschafliche Philosophie. Leipzig. 15 (1891): 360-61.

 

1891, July 18
"Brief an Frege"
Translation:
  • "Letter to Frege: July 18, 1898." Translated by J. N. Mohanty. In "The Frege-Husserl Correspondence." Southwestern Journal of Philosophy. Vol. V (1974), 88-87.

 

"Der Folgerungscalcul und die Inhaltslogik." Vierteljahrschrift für wissenschafliche Philosophie. Leipzig. 15 (1891): 168-89.
Translation:
  • "The Deductive Calculus and the Logic of Contents." Translated by Dallas Willard. The Personalist. 60 (1979): 7-25.

"Der Folgerungscalcul und die Inhaltslogik. Nachträge zur gleichnamigen Abhandlung S. 168 ff. dieses Bandes." Vierteljahrschrift für wissenschafliche Philosophie. Leipzig. 15 (1891): 351-56.

 

Besprechung. Schröder, Ernst, Vorlesungen über die Algebra der Logik. (Exakte Logik). I Band. Leipzig, B. G. Teubner. 1890. [Review. Schröder, Ernst, lectures on algebra and logic.] In Göttingische gelehrte Anzeigen. Göttingen. (1891): 243-78.
Translation:
  • "A Review of Volume I of Ernst Schröder's Vorlesungen über die Algebra der Logik." Translated by Dallas Willard. The Personalist. 59 (1978): 115-43.

 

1893
"A Voigt's 'elementare Logik' und meine Darlegungen zur Logik des logischen Calculs." Vierteljahrschrift für wissenschafliche Philosophie. Leipzig. 17 (1893): 111-20.
Translation:
  • "A. Voigt's 'Elementary Logic' in Relation to My Statements on the Logic of the Logical Calculus." Translated by Dallas Willard. The Personalist. 60 (1979): 26-35.

 

"Antwort auf die vorstehende 'Erwiderung' des Herrn Voigt." Vierteljahrschrift für wissenschafliche Philosophie. Leipzig. 17 (1893): 508-11.
see also:
  • Vgl. A. Voigt, Zum Calcul der Inhaltslogik. Erwiderung auf Herrn Husserl Artikel. Vierteljahrschrift für wissenschafliche Philosophie. Leipzig. 17 (1893): 504-507.

 

1894
"Psychologische Studien zur elementaren Logik." Philosophische Monatschefte. Berlin. 30. (1894): 159-91.
see also:
  • "Psychologische Studien zur elementaren Logik." Philosophia mathematica. Happage, NY. 30 (1894): 159-91.   (3)
Translation:
  • "Psychological Studies in the Elements of Logic." Translated by Dallas Willard. The Personalist. 58 (1977): 297-320.
  • "Psychological Studies for Elementary Logic." Translated by P. McCormick and R. Hudson. McCormick, Peter and Elliston, Frederick A. eds. Husserl: Shorter Works. Notre Dame, IN: University of Notre Dame Press, 1981, 126-42.

1897
"Bericht über deutsche Schriften zur Logik as dem Jahre 1894." Archiv für systematische Philosophie. Berlin. 3 (1897): 216-44.

1898-1925
Husserliana 23
Phäntasie, Bildbewusstsein, Erinnerung. Zur Phänomenologie der anschaulichen Vergegenwartigungen. Texte aus dem Nachlass (1898-1925). [Imagination, image consciousness, memory: on the phenomenology of intuitive presentiations. Texts from the estate (Louvain archives)] Edited by Eduard Marbach. The Hague, Netherlands: Martinus Nijhoff, 1980.

 

1900, May 2
"Über psychologische Begründung der Logik. Zeitschrift für Philosphische Forschung. Postfach, West Germany: Meisenheim/Glan. 13 (1959): 346-48.
Translation:
"On the Pyschological Grounding of Logic." Translated by Thomas Sheehan. McCormick, Peter and Elliston, Frederick A. eds. Husserl: Shorter Works. Notre Dame, IN: University of Notre Dame Press, 1981, 146-47.

 

Logische Untersuchungen. Erster Teil: Prolegomena zur reinen Logik. Halle a.d.S.: Max Niemeyer. 1900.
see also:
  • Logitscheskija Izledowanija. Tschastj perwaja. Prolegomeny k tschistoi Logike. [Logical investigations, I]. Translated into Russian by E. A. Berstein and S. L Frank. St. Petersburg, Obrazovanije, 1909.

 

Selbstanzeige. Logische Untersuchungen. Erster Teil: Prolegomena zur reinen Logik. [Notice. Logical investigations. First part: prolegomena to pure logic.] Halle a.S. In Vierteljahrschrift für wissenschafliche Philosophie. Leipzig. 24 (1900): 511-12.
Translation (partial):
  • "'Selbstanzeige' of 1900." In Farber, Marvin. The Foundation of Phenomenological Philosophy: Edmund Husserl and the Quest for a Rigorous Science of Philosophy. Albany, NY: The Research Foundation of State University of New York, 1943, 101-102.

1901
Logische Untersuchungen. Zweiter Teil: Untersuchungen zur Phänomenologie und Theorie der Erkenntnis. [Logical investigations. Two volumes: studies in phenomenology and the theory of knowledge.] Halle a.S.: Max Niemeyer, 1901. [see L.I., 1913]

Selbstanzeige. [Notice.] Logische Untersuchungen. Zweiter Teil: Untersuchungen zur Phänomenologie und Theorie der Erkenntnis. Halle a.S.: Max Niemeyer, 1901. In Vierteljahrschrift für wissenschafliche Philosophie und Soziologie. Leipzig. 25 (1901): 260-63.   (4)

 

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1901, September - 1916: University of Göttingen

1903
Literaturebericht. Melchior Palàgyi. Der Streit der Psychologisten und Formalisten in der modernen Logik. Leipzig. W. Engelmann, 1902. In Zeitschrift für Psychologie und Physiologie der Sinnesorgane. Leipzig. 31: 287-94.
Translation:
  • "A Reply to a Critic of My Refutation of Logical Psychologism." Translated by Dallas Willard. The Personalist. 53 (1972): 5-13.
  • "A Reply to a Critic of My Refutation of Logical Psychologism." Translated by Dallas Willard. McCormick, Peter and Elliston, Frederick A. eds. Husserl: Shorter Works. Notre Dame, IN: University of Notre Dame Press, 1981, 152-58.

1903-4
"Bericht über deutsche Schriften zur Logik in den Jahren 1895-1899." In Archiv für systematische Philosophie. Berlin. 9 (1903): 113-32, 237-59, 393-408, 523-43; & 10: (1904): 101-25.

1905-20
Husserliana 13
Zur Phänomenologie der Intersubjektivität. Texte aus dem Nachlass. Erster Teil. 1905-1920. [On the phenomenology of intersubjectivity. Texts from the estate (Louvain archives). Part 1. 1905-20.] Edited by Iso Kern. The Hague, Netherlands: Martinus Nijhoff, 1973.

 

1906
"'Faculté', 'Fait', 'Fantaisie'." Bemerkungen in A. Lalande, Vocabulaire philosophique, fascicule no. 9, F et G. In Bulletin de la Société francaise de philosophie. Paris. 6 (1906): 293, 296, 299.
 
"Persönliche Aufzeichnungen vom 25. September 1906." Philosophischen Studien II, Heft 3-4. Berlin. (1951): 306-312.
1906-07
Husserliana 24
Einleitung in die Logik und Erkenntnistheorie. Vorlesungen 1906/07. [Introduction to logic and the theory of knowledge: lectures 1906/07]. Edited by Ullrich Melle. The Hague, Netherlands: Martinus Nijhoff, 1985.
Translation:
  • Early Writings in the Philosophy of Logic and Mathematics. Translated by Dallas Willard. Collected Works: Voume 5. The Hague, Netherlands: Kluwer Academic Publishers, 1994.
1906-08
"Persönliche Aufzeichnungen." Edited by Walter Biemel. In Philosophy and Phenomenological Research 16, no. 3. (March 1956): 293-302.
1907
Husserliana 2
Die Idee der Phänomenologie. Fünf Vorlesungen. [The idea of phenomenology. Five lectures. ] Edited by Walter Biemel. The Hague, Netherlands: Martinus Nijhoff, 1973.
Translation:
  • The Idea of Phenomenology. Translated by W.P. Alston and G. Nakhnikian. The Hague, Netherlands: Martinus Nijhoff, 1966.

 

Husserliana 16
Ding und Raum. Vorlesungen 1907. [Thing and space. Lectures 1907.] Edited by Ulrich Claesges. The Hague, Netherlands: Martinus Nijhoff, 1973.
Translation:
  • Thing and Space: Lectures of 1907. Translated and edited by Richard Rojceicz. Collected Works: Volume 7. Dordrecht, Netherlands: Kluwer Academic Publishers, 1998.

1908-14
Husserliana 28
Vorlesungen über Ethik und Wertlehre. 1908-1914. [Lectures on ethics and value theory, 1908-1914.] Edited by Ullrich Melle. The Hague, Netherlands: Kluwer Academic Publishers, 1988.

1908
Husserliana 26
Vorlesungen über Bedeutungslehre. Sommersemester 1908. [Lectures on the doctrine of meaning: summer semester 1908.] Edited by Ursula Panzer. The Hague, Netherlands: Martinus Nijhoff, 1987.

1909
"'Individu' and 'Intention'." Bemerkungen in A. Lalande, Vocabulaire philosophique, fascicule no. 12. In the Bulletin de la Société francaise de philosophie. Paris. 9 (1909): 235, 263.

1910
Referat. [Review.] "Anton Marty, Untersuchungen zur Grundlegung der allgemeinen Grammatik und Sprachphilosophie." I Bd. Halle, Max Niemeyer, 1908. Deutsche Literatur-zeitung. Berlin. 31 (1910): 1106-10.

 

1910-11
"Philosophie als strenge Wissenschaft." Logos 1. Tübingen. (1910-11): 289-341.
Translation:
  • "Philosophy as Rigorous Science." Translated by Quentin Lauer. In Phenomenology and the Crisis of Philosophy. New York, NY: Harper Torchbooks, 1965, 69-147.
  • "Philosophy as Rigorous Science." Translated by Quentin Lauer. McCormick, Peter and Elliston, Frederick A. eds. Husserl: Shorter Works. Notre Dame, IN: University of Notre Dame Press, 1981, 166-97.
  • "Philosophy as Rigorous Science." Translated by Marcus Brainard.  In The New Yearbook for Phenomenology and Phenomenological Research II (2002): 249-295.
    see also:
  • Filossofija, kak stogaja nauka. In Russian Translation. Logos 1. Moskau. (1911): 1-56.

Grundprobleme der Phänomenologie 1910/11. [Basic problems of phenomenology 1910/11.] Herausgegeben von Iso Kern. Hamburg: F. Meiner Verlag, 1992.   (5)

1911-17
Husserliana 20
Logische Untersuchungen. Ergänzungsband. Entwürfe zur Umarbeitung der VI. Untersuchung. Texte aus dem Nachlaß (1911-1917). [Logical investigations. Complementary volume. Draft plan for the sixth investigation. Texts from the estate (1911-1917).] Edited by Felix Belussi. The Hague, Netherlands: Kluwer Academic Publishers.
  In Vorbereitung.

 

1911-21
Husserliana 25
Aufsätze und Vorträge. 1911-1921. Mit ergänzenden Texten. (Essays and lectures. 1911-22. With complementary texts.) Edited by Thomas Nenon and Hans Rainer Sepp. The Hague, Netherlands: Martinus Nijhoff, 1986.
see also:
  • "Fichte's Ideal of Humanity (Three Lectures)." Translated by James G. Hart. In Husserl Studies. The Hague, Netherlands, 12 (1995): 111-33.   (6)

 

1911, June - July
"Correspondencia entre Dilthey y Husserl." Revista de filosofia de la universidad de Costa Rica. San José de Costa Rica. 1 (1957): 101-24.
see also:
  • "Der Briefwechsel Dilthey-Husserl." Man and World. 1 (1968): 428-46.
    Translation:
  • "The Dilthey-Husserl Correspondence." Translated by Jeffner Marie Allen and edited by Walter Biemel. McCormick, Peter and Elliston, Frederick A. eds. Husserl: Shorter Works. Notre Dame, IN: University of Notre Dame Press, 1981, 203-9.

 

1913-30
Jahrbuch für Philosophie und phänomenologische Forschung. [Yearbook for philosophy and phenomenological research.] In Gemeinschaft mit M. Geiger (München), A. Pfänder (München), A. Reinach (Göttingen), M. Scheler (Berlin). Herausgegeben von Edmund Husserl. Halle a.d.S.: Max Niemeyer, 1913-1930. [11 volumes]
1913
Ideen zu einer reinen Phänomenologie und phänomenologischen Philosophie. In Jahrbuch für Philosophie und phänomenologische Forschung, 1 Halle a.d.S. (1913), 1-323.
see also:
  • Husserliana 3
    Ideen zu einer reinen Phänomenologie und phänomenologischen Philosophie. Erstes Buch: Allgemeine Einführung in die reine Phänomenologie. Edited by Walter Biemel. The Hague, Netherlands: Martinus Nijhoff Publishers, 1950.
  • Husserliana 3-1
    Ideen zu einer reinen Phänomenologie und phänomenologischen Philosophie. Erstes Buch: Allgemeine Einführungin die reine Phänomenologie 1. Halbband: Text der 1.-3. Auflage - Nachdruck. [Ideas pertaining to a pure phenomenology and to a phenomenological philosophy, first book: general introduction to a pure phenomenology. First half binding. Text of the 1-3 editions. Reprint.] Edited by Karl Schuhmann. The Hague, Netherlands: Martinus Nijhoff, 1977.
  • Husserliana 3-2
    Ideen zu einer reinen Phänomenologie und phänomenologischen Philosophie. Erstes Buch: Allgemeine Einfuhrung in die reine Phänomenologie, 2. Halbband: Ergänzende Texte, (1912--1929). [Ideas pertaining to a pure phenomenology and to a phenomenological philosophy, first book: general introduction to a pure phenomenology. Second half binding.] Edited by Karl Schuhmann. The Hague, Netherlands: Martinus Nijhoff, 1988.
    Translation:
  • Ideas: General Introduction to Pure Phenomenology. (Library of philosophy, edited by J.H. Muirhead.) Translated by W.R. Boyce Gibson. London, Eng.: George Allen & Unwin Ltd. New York: The Macmillan Company. 1931.
  • Ideas Pertaining to a Pure Phenomenology and to a Phenomenological Philosophy, First Book: General Introduction to a Pure Phenomenology. Translated by Fred Kersten. Collected Works: Volume 2. The Hague, Netherlands: Martinus Nijhoff, 1982.   (7)

 

Logische Untersuchungen. Erster Band: Prolegomena zur reinen Logik. Zweiter Band: Untersuchungen zur Phänomenologie und Theorie der Erkenntniss, I. Teil. Zweite, umgearbeitete Auflage Halle a.d.S.: Max Niemeyer, 1913.
see also:
  • Husserliana 18
    Logische Untersuchungen. Erster Teil. Prolegomena zur reinen Logik. Text der 1. und der 2. Auflage. [Logical Investigations. First part. Prolegomena to pure logic. Text of the first and second edition.] Halle: 1900, rev. ed. 1913. Edited by Elmar Holenstein. The Hague, Netherlands: Martinus Nijhoff, 1975.
    Interpolation:
  • Farber, Marvin. The Foundation of Phenomenology: Edmund Husserl and the Quest for a Rigorous Science of Philosophy. 3rd edition. Albany, NY: State University of New York Press, 1943.
    Translation:
  • Logical Investigations. Translated by J.N. Findlay. New York, NY: Humanities Press, 1970. (2 vols. Based on revised Halle editions.)
  • Investigaciones lógicas. Traducción del Alemán por Manuel G. Morente y José y Gaos. Tomo primero: Prolegómenos a la Lógika pura. Tomo segundo: Investigaciones para la Fenomenología y Teoría del Conocimiento. Introducción e Investigaciones I y II. Tomo tercero: Investigaciones para la Fenomenología y Teoría Conocimeiento. Ivestigaciones III, IV y V. Tomo cuarto y ultimo: Investigación V. Elementos de un Esclarecimiento fenomenológico del Conocimiento. Madrid: Revista de Occidente, 1929.

 

1913, Summer
Husserliana 20/1
Logische Untersuchungen. Ergänzungsband. Erster Teil. Entwürfe zur Umarbeitung der VI. Untersuchung und zur Vorrede f・ die Neuauflage der Logischen Untersuchungen (Sommer 1913). [Logical investigations. Supplementary volume. Draft plan for the revision of the 6th Logical Investigation and the foreword of the Logical Investigations (Summer 1913).] Edited by Ulrich Melle. The Hague, Netherlands: Kluwer Academic Publishers, 2002.
1913
"Entwurf einer 'Vorrede' zu den Logischen Untersuchungen." Herausgegeben von Eugen Fink. Tijdschrift voor Filosophie. Leuven. 1 (1939): 106-33; 319-39.
Translation:
  • Introduction to the "Logical Investigations": a draft of a preface to the Logical Investigations (1913). Translated by P.J. Bossert and C.H. Peters. Edited by Eugen Fink. Dordrecht, Netherlands: Martinus Nijhoff Publishers, 1975.

"Vorwort." In Jahrbuch für Philosophie und phänomenologische Forschung, 1. Halle a.d.S. (1913), v-vi.

1914
Beitrag zur Diskussion zum Vortrag von [Heinrich] Maier: Philosophie und Psychologie. [Contribution to discussion of lecture from (Heinrich) Maier: philosophy and psychology.] In Bericht über den VI. Kongress für experiementelle Pyschologie vom 15. bix 18. April 1914, im Auftrage des Vorstandes herausgegeben von Prof. Dr. F. Schumann, II Teil. Leipzig: J.A. Barth, 1914, 144-145.

 

1915
"Brief an Hugo Münsterberg." In Münsterberg, Hugo. The Peace and America. New York: Appleton, 1915, 222-24.
see also:
  • "Letter to Hugo Munsterberg." (Translated into English by Hugo Münsterberg.) McCormick, Peter and Elliston, Frederick A. eds. Husserl: Shorter Works. Notre Dame, IN: University of Notre Dame Press, 1981, 352-53.

 

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1916, April 1 - 1928: University of Freiburg (successor of H. Rickert)

1916
"Vorwort." In Jahrbuch für Philosophie und phänomenologische Forschung, 2. Halle a.d.S. (1916), v-vi.

1917-18
Husserliana 30
Logik und allgemeine Wissenschaftstheorie. Vorlesungen 1917/18. Mit ergänzenden Texten aus der ersten Fassung 1910/11. [Logic and general theory of science. Lectures 1917/18, with complementary texts and extra texts from the first version 1910/11.] Edited by Ursula Panzer. The Hague, Netherlands: Kluwer Academic Publishers, 1995.

 

1917, May 3
"Die reine Phänomenologie ihr Forschungsgebiet und ihre Methode." [Pure phenomenology, its method and its field of investigation.]
<Inaugural lecture as Ordinarius Professor at the University of Freiburg.>
see also:

 

"Adolf Reinach." Frankfurter Zeitung vom 6. Dezember 1917.
see also:
  • "Adolf Reinach: Ein Nachruf. Kantstudien. Berlin. 23 (1918): 147-49.
    Translation:
  • "Communication: Adolf Reinach." In Philosophy and Phenomenological Research. Volume 35, no. 4 (June 1975): 571-574.
    see also:
  • "Adolf Reinach: In Memorian." Translated by Frederick Elliston and Theodore Plantinga. McCormick, Peter and Elliston, Frederick A. eds. Husserl: Shorter Works. Notre Dame, IN: University of Notre Dame Press, 1981, 354-56.

1918-1926
Husserliana 11
Analysen zur passiven Synthesis. Aus Vorlesungs- und Forschungsmanuskripten, 1918-1926. (Analyses of passive synthesis. From lectures and research manuscripts.) Edited by Margot Fleischer. The Hague, Netherlands: Martinus Nijhoff, 1966.

 

1919
"Erinnerungen an Franz Brentano." In Oskar Kraus, Franz Brentano. Zur Kenntnis seines Lebens und seiner Lehre, München. C.H. Beck, 1919, Anhang II, 153-67.
Translation:
  • "Recollections of Franz Brentano." Translated by P. McCormick and R. Hudson. McCormick, Peter and Elliston, Frederick A. eds. Husserl: Shorter Works. Notre Dame, IN: University of Notre Dame Press, 1981, 342-48.

 

1919, September 4
"Ein Brief Edmund Husserls von 1919." (an Arnold Metzger.) Philosophisches Jahrbuch der Görres-Gesellschaft, München. Vol. 62, no. 1 (April 1953): 195-200.
see also:
  • "A Letter to Arnold Metzger." [German version with English translation.] Philosophische Forschung [Philosophical Forum]. 21 (1963): 48-68.
  • "To Arnold Metzger." Translated by Erazim Kohák. McCormick, Peter and Elliston, Frederick A. eds. Husserl: Shorter Works. Notre Dame, IN: University of Notre Dame Press, 1981, 360-64.
    see also:
  • "E. Husserl Letter." Translated by P. Senft. Human Context. 4 (1972): 244-63.

1921-28
Husserliana 14
Zur Phänomenologie der Intersubjektivität. Texte aus dem Nachlass. Zweiter Teil. 1921-28. [On the phenomenology of intersubjectivity. Texts from the estate (Louvain archives). Second part. 1921-28.] Edited by Iso Kern. The Hague, Netherlands: Martinus Nijhoff, 1973.

1921
Logische Untersuchungen. Zweiter Band: Elemente einer phänomenologischen Aufklärung der Erkenntnis. II. Teil. Zweite, teilweise umgearbeitete Auflage. Halle a.d.S.: Max Niemeyer, 1921.

"Vorwort." In Jahrbuch für Philosophie und phänomenologische Forschung, 4 Halle a.d.S. (1921), v.

1922-37
Husserliana 27
Aufsätze und Vorträge. 1922-1937. (Essays and lectures.) Edited by T. Nenon H.R. Sepp. The Hague, Netherlands: Kluwer Academic Publishers, 1988.

 

1922
Logische Untersuchungen. Erster Band: Prolegomena zur reinen Logik. Zweiter Bank: Untersuchungen zur Phänomenologie und Theorie der Erkenntnis, I. Teil. Elemente einer phänomenologischen Aufklärung der Erkenntnis, II. Teil. Dritte, unveränderte Auflage. Halle a.d.S.: Max Niemeyer, 1922.
see also:
  • Husserliana 19
    Logische Untersuchungen. Zweiter Teil. Untersuchungen zur Phänomenologie und Theorie der Erkenntnis. In zwei banden. [Logical investigations. Second part. Investigations concerning phenomenology and the theory of knowledge. In two volumes.] Edited by Ursula Panzer. Halle: 1901; rev. ed. 1922. The Hague, Netherlands: Martinus Nijhoff, 1984.

Ideen zu einer reinen Phänomenologie und phänomenologischen Philosophie. Erstes Buch: Allgemeine Einführung in die reine Phänomenologie. Zweiter unveränderter Abdruck. Sonderdruck aus: Jahrbuch für Philosophie und phänomenologische Forschung, 1. Halle a.d.S.: Max Niemeyer, 1922. [see Ideen, 1913]

 

1922, June
"Phänomenologische Methode und Phänomenologische Philosophie."
<Public Lectures at the University College in London.>
Translation (partial):
  • "Syllabus of a Course of Four Lectures on 'Phenomenological Method and Phenomenological Philosophy (London Lectures). Translated by Hebert Speigelberg. Journal of the British Society for Phenomenology. 1 (1970): 18-23.
    see also:
  • "Syllabus of a Course of Four Lectures on 'Phenomenological Method and Phenomenological Philosophy (London Lectures). Translated by Hebert Speigelberg. McCormick, Peter and Elliston, Frederick A. eds. Husserl: Shorter Works. Notre Dame, IN: University of Notre Dame Press, 1981, 67-74.

 

1923-4
Husserliana 7
Erste Philosophie (1923/4). Erste Teil: Kritische Ideengeschichte. [First philosophy (1923-24). First part: the critical history of ideas.] Edited by Rudolf Boehm. The Hague, Netherlands: Martinus Nijhoff, 1956.
see also:
"Kant and the Idea of Transcendental Philosophy." Translated by Ted Klein and William E. Pohl. The Southwestern Journal of Philosophy. Fall 5 (1974): 9-56.   (8)

Husserliana 8
Erste Philosophie (1923/4). Zweiter Teil: Theorie der phänomenologischen Reduktion. [First philosophy (1923-24). Second part: theory of phenomenological reduction.] Edited by Rudolf Boehm. The Hague, Netherlands: Martinus Nijhoff, 1959.

1923
"Die Idee einer philosophischen Kultur: Ihr erstes Aufkeimen in der grieschen Philosophie." [The idea of a philosophical culture: its first flowerings in Greek philosophy.] In Japanisch-deutsche Zeitschrift für Wissenschaft und Technik.beck. 1 (1923): 45-51.

 

"Erneuerung, Ihr Problem and ihre Methode." In The Kaizo- La rekonstuyo. Tokyo. (1923) 3: 84-92.
Translation:
  • "Renewal. Its Problem and Its Method." Translated by Jeffner Marie Allen. McCormick, Peter and Elliston, Frederick A. eds. Husserl: Shorter Works. Notre Dame, IN: University of Notre Dame Press, 1981, 326-331.

1924
"Die Methode der Wesensforschung" [The method of eidetic inquiry.] In The Kaizo-La rekonstuyo. Tokyo. (1924) 2: 107-16.

"Erneuerung als individualethisches Problem" [Renewal as an individual ethical problem.] In The Kaizo-La rekonstuyo. Tokyo. Special Edition (April): 2-31.

1925
Meditation upon Karl Eugen Neumann's translation "Über die Reden Gotamo Buddhos" [On Buddha's teaching.] Der Piperbote für Kunst und Literatur 2 (1925): 18f.   (9)

 

Husserliana 9
Phänomenologische Psychologie. Vorlesungen Sommersemester. 1925. [Phenomenological psychology. Lectures from the summer semester. 1925.] Edited by Walter Biemel. The Hague, Netherlands: Martinus Nijhoff, 1968.
Translation:
  • Phenomenological Pyschology. Translated by John Scanlon. The Hague, Netherlands: Martinus Nijhoff, 1977.

1927-31
Psychological and Transcendental Phenomenology and the Confrontation with Heidegger (1927 1931): The Encyclopaedia Britannica Article, the Amsterdam Lectures, 'Phenomenology and Anthropology', and Husserl's Marginal Notes in Being and Time and Kant and the Problem of Metaphysics. Translated and edited by Thomas Sheehan and Richard E. Palmer. Collected Works: Volume 6. Dordrecht, Netherlands: Kluwer Academic Publishers, 1997.

 

1927
"Die Phänomenologie und Rudolf Eucken." Die Tatwelt (Jena) 3 (1927): 10-11.
see also:
  • "Phenomenology and Rudolf Eucken." Translated by Frederick Elliston and Theodore Plantinga. McCormick, Peter and Elliston, Frederick A. eds. Husserl: Shorter Works. Notre Dame, IN: University of Notre Dame Press, 1981, 353-54.

 

1927, November 19
"Drei unveröffentlichte Briefe von Husserl an Ingarden." [Three unpublished letters of Husserl to Ingarden.] Zeitschrift für Philosophische Forschung. Postfach, West Germany: Meisenheim/Glan. 13 (1959): 349-51.
see also:
  • Briefe an Roman Ingarden. Mit Erlauterungen und Erinnerungen an Husserl. (Letters to Roman Ingarden. With commentary and memories of Husserl.) Herausgegeben von Roman Ingarden. The Hague, Netherlands: Martinus Nijhoff, 1968.
    Translation (partial):
  • "On the Dimensions of a Phenomenology of Science in Husserl and the Young Dr. Heidegger." by Theodore Kisiel. The Journal of the British Society for Phenomenology. 4 (1973), 217-238 (see especially 228).

 

"Phenomenology." Translated by C. V. Salmon. The Encyclopaedia Britannica, 14th ed. vol. 17 (1929), 699-702.
see also:
  • "Phenomenology." Translated by C.V. Salmon. Chisholm, Roderick M. ed. Realism and the Background of Phenomenology. IL: The Free Press of Glencoe, 1960, 118-128.   (10)
  • "'Phenomenology,' Edmund Husserl's Article for the Encyclopaedia Britannica." Translated by R. Palmer. The Journal of the British Society for Phenomenology. Manchester. 2 (1971): 77-90.
  • "'Phenomenology,' Edmund Husserl's Article for the Encyclopaedia Britannica." Translated by R. Palmer. McCormick, Peter and Elliston, Frederick A. eds. Husserl: Shorter Works. Notre Dame, IN: University of Notre Dame Press, 1981, 21-35.
  • Kockelman, Joselph J. Edmund Husserl's Phenomenology. West Lafayette, IN: Purdue University Press, 1994.

 

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1928, March 31--Emeritus professor.

1928, April
"Phänomenologie und Pyschologie. Transzendentale Phänomenologie." [Phenomenology and psychology. Transcendental phenomenology.]
<Public Lectures in Amsterdam.>
see also:
  • "Amsterdamer Vorträge: Phänomenologische Pyschologie" [Amsterdam lectures: phenomenological psychology.] In Phänomenologische Psychologie, Vorlesungen Sommersemester. 1925. Edited by Walter Biemel. The Hague, Netherlands: Martinus Nijhoff, 1968, 302-349.

1928
Logische Untersuchungen. Erster Band: Prolegomena zur reinen Logik. Zweiter Band: Untersuchungen zer Phänomenologie und Theorie der Erkenntnis, I. Teil. Vierte Auflage (unveränderter Abdruck der 2. umgearbeiteten Auflage). Halle a.d.S.: Max Niemeyer, 1928.

Ideen zu einer reinen Phänomenologie und phänomenologischen Philosophie. Erstes Buch: Allgemeine Einführung in die reine Phänomenologie. 3. unveränderter Abdruck. Sonderdruck aus: Jahrbuch für Philosophie und phänomenologische Forschung, 1. Halle a.d.S: Max Niemeyer, 1928.

"Excerpts from a 1928 Diary by W. R. Boyce Gibson." Edited by Herbert Spiegelberg. In The Journal of the British Society for Phenomenology. 2. (1971), 63-81.

 

"Vorlesungen zur Phänomenologie des inneren Zeitbewussteins." Herausgegeben von Martin Heidegger. Jahrbuch für Philosophie und phänomenologische Forschung, 9. Halle a.d.S: Max Niemeyer, 1928, 367-498.
see also:
  • Husserliana 10
    Zur Phänomenologie des inneren Zeitbewusstseins (1893-1917). [The phenomenology of internal time-consciousness (1893-1917).] Edited by Rudolf Boehm. The Hague, Netherlands: Martinus Nijhoff, 1969.
    Translation:
  • On the Phenomenology of the Consciousness of Internal Time (1893-1917). Translated by John Barnett Brough and edited by Martin Heidegger. Collected Works: Volume 4. The Hague, Netherlands: Kluwer Academic Publishers, 1991.
  • On the Phenomenology of the Consciousness of Internal Time (1893-1917). Translated by J.S. Churchill and edited by Martin Heidegger. Bloomington, IN: Indiana University Press, 1964.
    see also:
  • "The Lectures on Internal Time Consciousness from the Year 1905." Translated by James. S. Churchill. McCormick, Peter and Elliston, Frederick A. eds. Husserl: Shorter Works. Notre Dame, IN: University of Notre Dame Press, 1981, 277-88.

1929-35
Husserliana 15
Zur Phänomenologie der Intersubjektivität. Texte aus dem Nachlass. Dritter Teil. 1929-35. [On the phenomenology of intersubjectivity. Texts from the estate (Louvain archives). Third part. 1929-35.] Edited by Iso Kern. The Hague, Netherlands: Martinus Nijhoff, 1973.

 

1929, February 23 & 24
Paris Lectures at invitation of the Institut d'Études germaniques and the Société française.
see also:
  • Husserliana 1
    Cartesianische Meditationen und Pariser Vorträge. [Cartesian meditations and the Paris lectures.] Edited by S. Strasser. The Hague, Netherlands: Martinus Nijhoff, 1973.
    Translation:
  • The Paris Lectures. Translated by P. Koestenbaum. 2d ed. The Hague, Netherlands: Martinus Nijhoff, 1967.
    see also:
  • "Husserl's Syllabus for the Paris Lectures an 'Introduction to Transcendental Phenomenology.'" Translated by Herbert Speigelberg. Journal of the British Society for Phenomenology. (1976): 18-23.
  • "Husserl's Syllabus for the Paris Lectures an 'Introduction to Transcendental Phenomenology.'" Translated by Hebert Spiegelberg. McCormick, Peter and Elliston, Frederick A. eds. Husserl: Shorter Works. Notre Dame, IN: University of Notre Dame Press, 1981, 78-81.

 

1929, July
Formale and transzendentale Logik: Versuch einer Kritik der logischen Vernunft. [Formal and transcendental logic: an attempt at a critique of logical reason.] Jahrbuch für Philosophie und phänomenologische Forschung, 10. Halle a.d.S. v-xiii; 1-298.
see also:
  • Husserliana 17
    Formale and transzendentale Logik. Versuch einer Kritik der logischen Vernunft. Edited by Paul Janssen. The Hague, Netherlands: Martinus Nijhoff, 1974.
  • Formale und transzendentale Logik. Band I: Versuch einer Kritik der Logischen Vernunft. Herausgegeben von Paul Janssen. Husserliana Studienausgabe. Volume 1. Dordrecht, Netherlands: Martinus Nijhoff Publishers, 1977.
  • Formale und transzendentale Logik. Band II: Versuch einer Kritik der Logischen Vernunft. Herausgegeben von Paul Janssen. Husserliana Studienausgabe. Volume 2. Dordrecht, Netherlands: Martinus Nijhoff Publishers, 1977.
    Translation:
  • Formal and Transcendental Logic. Translated by Dorion Cairns. The Hague, Netherlands: Martinus Nijhoff, 1969.

 

1930
"Nachwort zu meinen 'Ideen zu einer reinen Phänomenologie und phänomenologischen Philosophie." Jahrbuch für Philosophie und phänomenologische Forschung, 11. Halle a.d.S. (1930), 549-570.
see also:
  • Husserliana 5: "Nachwort," 138-162.
Translation:
  • "Author's Preface to the English Edition of My Ideas Pertaining to a Pure Phenomenology and to a Phenomenological Philosophy. Translated by W.R. Boyce Gibson. New York, NY: Collier Books, 1931, 5-22.
  • "Author's Preface to the English Edition of Ideas." Translated by W.R. Boyce Gibson. McCormick, Peter and Elliston, Frederick A. eds. Husserl: Shorter Works. Notre Dame, IN: University of Notre Dame Press, 1981, 43-53.
  • "Epilogue." In Ideas Pertaining to a Pure Phenomenology and to a Phenomenological Philosophy, Second Book: Studies in the Phenomenology of Constitution. Translated by Richard Rojcewicz and André Schuwer. Collected Works: Volume 3. The Hague, Netherlands: Kluwer Academic, 1989, 407-430.
    see also:
  • Gurwitsch, Aron. "Critical Study of Husserl's Nachwort." in Studies in Phenomenology and Psychology. Evanston, IL: Nortwestern University Press, 1966, 107-115.

 

Husserliana 4
Ideen zur einer reinen Phänomenologie und phänomenologischen Philosophie. Zweites Buch: Phänomenologische Untersuchungen zur Konstitution. [Ideas pertaining to a pure phenomenology and to a phenomenological philosophy. Phenomenological investigations of constitution.] Edited by Marly Biemel. The Hague, Netherlands: Martinus Nijhoff, 1952.
Translation:
  • Ideas Pertaining to a Pure Phenomenology and to a Phenomenological Philosophy, Second Book: Studies in the Phenomenology of Constitution. Translated by Richard Rojcewicz and André Schuwer. Collected Works: Volume 3. The Hague, Netherlands: Kluwer Academic, 1989.

 

Husserliana 5
Ideen ze einer reinen Phänomenologie und phänomenologischen Philosophie. Drittes Buch: Die Phänomenologie und die Fundamente der Wissenschaften. [Ideas pertaining to a pure phenomenology and to a phenomenological philosophy. Third book: phenomenology and the foundations of the sciences.] Edited by Marly Biemel. The Hague, Netherlands: Martinus Nijhoff, 1971.
Translation:
  • Ideas Pertaining to a Pure Phenomenology and to a Phenomenological Philosophy, Third Book: Phenomenology and the Foundations of the Sciences. Translated by Ted E. Klein and William E. Pohl. Collected Works: Volume 1. The Hague, Netherlands: Martinus Nijhoff, 1980.
    see also:
  • "The Method of Clarification." Translated by T. Klein and W. Pohl. The Southwestern Journal of Philosophy. Norman. 5 (1974): 57-67.

 

1930, March 15
"Brief an G. Dawes Hicks."
Translation:
  • "Letter to G. Dawes Hicks: March 15, 1930." In Mays, Wolfe. "Husserl on Ryle's Review of 'Sein und Zeit.'" The Journal of the British Society for Phenomenology. 1 (1970), 14-15.

"Brief an Dorion Cairns." In Van Breda, H.L. and Taminiaux, J. eds. Edmund Husserl 1859-1959: Recueil Commémoratif Publié a l'Occasion du centenaire de la Naissance du philosophe. Dordrecht, Netherlands: Martinus Nijhoff Publishers, 1959, 283-285.

 

1931, June
"Phänomenologie und Anthropologie."
<Lecture before the Kant Society in Frankfurt, Berlin and Halle.>
see also:
  • "Phänomenologie und Anthropologie." Philosophy and Phenomenolgial Research. 2 (1941): 1-14.
  • "Phänomenologie und Anthroplogie." In Tijdschrift voor Filosophie. Leuven. (1941): 481-98.
  • "Phänomenologie und Anthroplogie." In Aufsätze und Vorträge. 1922-1937. (Essays and lectures.) Edited by T. Nenon H.R. Sepp. Husserliana 27. The Hague, Netherlands: Kluwer Academic Publishers, 1988, 164-81.
    Translation:
  • "Phenomenology and Anthropology." Translated by R. Schmitt. Chisolm, Roderick M. ed. Realism and the Background of Phenomenology. Glencoe: Free Press, 1960, 129-142.
  • "Phenomenology and Anthropology." Translated by R. Schmitt. McCormick, Peter and Elliston, Frederick A. eds. Husserl: Shorter Works. Notre Dame, IN: University of Notre Dame Press, 1981, 315-323.
  • "Phenomenology and Anthropology." Translated by Thomas Sheehan. Psychological and Transcendental Phenomenology and the Confrontation with Heidegger (1927 1931): The Encyclopaedia Britannica Article, the Amsterdam Lectures, 'Phenomenology and Anthropology', and Husserl's Marginal Notes in Being and Time and Kant and the Problem of Metaphysics. Translated and edited by Thomas Sheehan and Richard E. Palmer. Dordrecht, Netherlands: Kluwer Academic Publishers, 1997, 485-500.

 

Méditations cartésiennes. Introduction à la phénoménologie. Traduit de l'allemand par Gabrielle Peiffer and Emmanuel Levinas. (Bibliothèque de la Société française de Philosophie). Paris: A. Colin, 1931.
see also:
  • Husserliana 1.
    Cartesianische Meditationen und Pariser Vorträge. Edited by S. Strasser. The Hague, Netherlands: Martinus Nijhoff, 1973.
    Translation:
  • Cartesian Meditations. Translated by Dorion Cairns. The Hague, Netherlands: Martinus Nijhoff, 1960.

 

"Die Welt der lebendigen Gegenwart und die Konstitution der ausserleiblichen Umwelt." Philosophy and Phenomenological Research (1945): 323-43.
Translation:
  • "The World of the Living Present and the Constitution of the Surrounding World External to the Organism." Translated by Frederick A. Elliston and Lenore Langsdorf. McCormick, Peter and Elliston, Frederick A. eds. Husserl: Shorter Works. Notre Dame, IN: University of Notre Dame Press, 1981, 238-50.

 

1932, April 15
"Brief an Aron Gurwitsch"
Translation:
  • "A Letter for Aron Gurwitsch." Translated and edited by Lester E. Embree, Life-World and Consciousness: Essays for Aron Gurwitsch. Evanston, IL: Northwestern University Press, 1972, xv.

1933, June
"Vorwort von Edmund Husserl," zu Eugen Fink, Die phänomenologische Philosophie Edmund Husserls in der gegenwärtigen Kritik. von Dr. Eugen Fink. Mit einen Vorwort von Edmund Husserl. Kantstudien. Berlin. 38 (1933): 319-20.

 

1933, June 17-21
"Brief an E. Parl Welch."
Translation:
  • "Letter to E. Parl Welch: June 17-21, 1933." In "Husserl's Way into Phenomenology for Americans: A Letter and its Sequel." by Herbert Spiegelberg. Kersten, Fred and Zaner, Richard. Phenomenology: Continuations and Criticism. The Hague, Martinus Nijhoff, 1973, 171-81.

1934-37
Husserliana 29
Die Krisis der europaischen Wissenschaften und die transzendentale Phänomenologie. Erganzungsband. Texte aus dem Nachlass 1934-1937. [The crisis of the European sciences and transcendental phenomenology. Text from the estate (Louvian archives).] Edited by Reinhold N. Smid. The Hague, Netherlands: Kluwer Academic Publishers, 1992.

1934
"Vorwort," in Eugen Fink, Die phänomenologische Philosophie Edmund Husserls in der gegenwärtigen Kritik. (Pan-Bücherei, Gruppe: Philosophie Number 18), Berlin: Pan-Verlagsgesellschaft, 1934.

 

1934, May 7 & 9
"Grundlegende Untersuchungen zum phänomenologischen Ursprung der Räumlichkeit der Natur." In Philosophical Essays in Memory of Edmund Husserl. Edited by Marvin Farber. Cambridge, MA: Pub. for the University of Buffalo by the Harvard University Press, 1940, 307-25.
Translation:
  • "Foundational Investigations of the Phenomenological Origin of the Spatiality of Nature." Translated by Frederick Kersten. McCormick, Peter and Elliston, Frederick A. eds. Husserl: Shorter Works. Notre Dame, IN: University of Notre Dame Press, 1981, 213-221.

1934, August 30
Lettre de M. le professeur Husserl: An den Präsidenten des VIII. internationalen Philosophen-Kongresses Herrn Professor Dr. Rádl in Prag, in Actes du huitième Congrès international de Philosophie à Prague 2-7 septembre 1934. Prague: Comité d'organisation du Congrès, 1936, xli-xlv.

 

1935, May 7 & 10
"Die Philosophie in der Krisis europäischen Menschheit."
<Public Lecture in Vienna before the Kulturbund.>
Translation:
  • "Philosophy and the Crisis of European Man." Translated by Quentin Lauer. Phenomenology and the Crisis of Philosophy. New York, NY: Harper Torchbooks, 1965, 149-192.
  • "The Vienna Lecture." Translated by David Carr. The Crisis of European Sciences and Transcendental Phenomenology. An Introduction to Phenomenology. Evanston, IL: Northwestern University Press, 1970, 269-99.

 

1935, November
"Die Krisis der europäischen Wissenschaften und die Psychologie."
<Public Lecture before the "Cercle philosophique de Prague pour les recherches sur l'entendement humain" in Prague.>

 

1936, January 24
"Die Krisis der europäischen Wissenschaften und die transzendentale Phänomenologie. Eine Einleitung in die phänomenologische Philosophie." [The crisis of European sciences and transcendental philosophy. An introduction to phenomenology.] Philosophia. Belgrad. 1 (1936): 77-176.   (11)
see also:
  • Husserliana 6
    Die Krisis der europäischen Wissenschaften und die transzendentale Phänomenologie. Eine Einleitung in die phänomenologische Philosophie. Edited by Walter Biemel. The Hague, Netherlands: Martinus Nijhoff, 1976.
    Translation:
  • The Crisis of European Sciences and Transcendental Phenomenology. An Introduction to Phenomenology. Translated by David Carr. Evanston, IL: Northwestern University Press, 1970.
    goto:
    §22-§27 or §57-§64 of The Crisis, Carr translation.

 

1936
"Die Frage nach dem Ursprung der Geometrie als intentional-historisches Problem. [The question of the origin of geometry considered as a problem of intentional history.] Revue internationale de philosophie. Bruxelles. 1. (1939): 203-225.
see also:
  • "Die Frage nach dem Ursprung der Geometrie als intentional-historisches Problem." Research in Phenomenology 1 (1939): 203-25.
    Translation:
  • "The Origin of Geometry." In The Crisis of European Sciences and Transcendental Phenomenology. An Introduction to Phenomenology. Translated by David Carr. Evanston, IL: Northwestern University Press, 1970, 353-378.
  • "The Origin of Geometry." McCormick, Peter and Elliston, Frederick A. eds. Husserl: Shorter Works. Notre Dame, IN: University of Notre Dame Press, 1981, 255-70.
    see also:
  • Cairns, Dorion. Review of: "Die Frage nach dem ursprung der Geometrie als intentional historisches Problem." In Philosophy and Phenomenological Research. 1: 98-109.

 

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1938, April 27--Husserl dies

1939
Erfahrung und Urteil. Untersuchungen zur Genealogie der Logik. [Experience and judgment. Investigations in a genealogy of logic.] Redigiert und heruasgegeben von Ludwig Landgrebe. Prag: Academia/Verlagsbuchhandlung, 1939.
see also:
  • Erfahrung und Urteil. Untersuchungen zur Genealogie der Logik. Redigiert und heruasgegeben von Ludwig Landgrebe. London, Eng.: Allen and Unwin, 1939.   (12)
    Translation:
  • Experience and Judgment. Translated by J. Churchill and K. Ameriks. Evanston, IL: Northwestern University Press, 1973.
  • "Experience and Judgment." Translated by J. S. Churchill and Karl Ameriks. McCormick, Peter and Elliston, Frederick A. eds. Husserl: Shorter Works. Notre Dame, IN: University of Notre Dame Press, 1981, 294-307.

1940
"Letter to Marvin Farber." In Farber, Marvin. "Edmund Husserl and the Background of Phenomenology." Philosophy and Phenomenological Research 1 1940): 1-20, see especially 13.

"Notizen zur Raumkonsitution." Edited by Alfred Schutz. In Philosophy and Phenomenological Research 1 (1940): 21-37, 217-16.

1949
Rapport entre la Phènoménologie et les sciences." Les etudes philosophiques. Paris. 4 (1949): 3-7.

 

1950
"Shaw und die Lebenskraft des Abendlandes." Hamburger akademische Rundschau. Hamburg. 3 (1950): 743-744.
Translation:
  • "Shaw and the Vitality of the West. Translated by Frederick Elliston and Theodore Plantinga. McCormick, Peter and Elliston, Frederick A. eds. Husserl: Shorter Works. Notre Dame, IN: University of Notre Dame Press, 1981, 356-57.

1952
"Das bewusstlose Ich--Schlaf--Ohnmacht." Tijdschrift voor Filosophie. [The unconscious ego--sleep--unconsciousness.] Leuven. (1952): 261-63.

1956
"Drei Briefe an Georg Misch." [Three letters to Georg Misch.] In Alwin Diemer, Edmund Husserl: Versuch einer systematischen Darstellung siener Phänomenologie. Meisenheim am Glan: Anton Hain, 1956, 393-94.

1959
"Ein Briefe von Husserl und Stoltenberg." [A letter of Husserl and Stoltenberg.] Zeitschrift für Philosphische Forschung. Postfach, West Germany: Meisenheim/Glan. 13 (1959): 179-80.

1965
"Ein Brief Edmund Husserls an Ernst Mach," [A letter of Edmund Husserl to Ernst Mach.] Joachim Thiele, Zeitschrift für Philosphische Forschung. Postfach, West Germany: Meisenheim/Glan. 19 (1965): 134-38.

 

1969
"Universal Teleology." Telos 4 (1969): 176-80.
see also:
  • Paci, Enzo. "Appendix." In Tempo e Verita nella Fenomenologie di Husserl. Bari, 1961, 256-69.
  • "Universal Teleology." Translated by Marly Biemel. McCormick, Peter and Elliston, Frederick A. eds. Husserl: Shorter Works. Notre Dame, IN: University of Notre Dame Press, 1981, 335-37.

 

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Other Publications

Brand, Gerd. 1955. Welt, Ich und Zeit: nach unveröffentlichten Mansukripten Edmund Husserls. [World, ego and time: from the unpulished manuscripts of Edmund Husserl.] The Hague, Netherlands: Martinus Nijhoff.

Cairns, Dorion. 1973. Guide for Translating Husserl. The Hague, Martinus Nijhoff Publishers.

Cairns, Dorion. 1976. Conversations with Husserl and Fink. Edited by the Husserl-Archives in Louvain. With a Foreword by R.M. Zaner. The Hague, Netherlands: Martinus Nijhoff Publishers.

Held, Klaus. 1966. Lebendige Gegenwart. The Hague, Netherlands: Martinus Nijhofff.

Ijsseling, S. 1989. Husserl-Ausgabe und Husserl-Forschung. [Husserl-editions and Husserl-research.] The Hague, Netherlands: Kluwer Academic Publishers.

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Notes

(1)   For help with translations and proof reading at the early stages of this work, I give many thanks to Fred Clark For additional help with translations, I wish to thank William Peck.

(2)   See note on page 50 of Marvin Farber's The Foundation of Phenomenology: Edmund Husserl and the Quest for a Rigorous Science of Philosophy, 3rd ed. Here Farber makes oblique reference to Studies in the Theory of Formal Mathematical Disciplines as an intended sequel to the Philosophie der Arithmetik.

(3)   McCormick and Elliston 1981, 126, n*.

(4)   The title of this journal was changed to Vierteljahrsschrift für wissenschaftliche Philosophie und Soziologie in 1901 [underlining my own.]

(5)   Contains Husserl's preparatory notes to the course "Grundprobleme der Phänomenologie" given in Göttingen during 1910/11, the manuscript text of the course, and appended related texts by Husserl.

(6)   The dates of Husserl's three lectures on Fichte were: November 8-17, 1917, January 14-16 1918, and November 8, 1918. These lectures were held at the University of Freiburg.

(7)   According to Professor Kersten, "[e]very effort has been made to conform the present translation <of Ideen I> to the text as published by Dr. Schuhmann" i.e., Husserliana III, 1 and Husserliana III, 2 [Husserl 1982, xiv].

(8)   This article, "Kant and the Idea of Transcendental Philosophy", is derived in large part from a lecture for the May 1, 1924 Kant Celebration, University of Freiburg.

(9)   Schuhmann, Karl. "Husserl and Masaryk." In On Masaryk: Texts in English and German. Edited by Josef Novák. Amserdam, Netherlands: Rodopi, 1988, 150 n50.

(10)   Translator of the Encyclopaedia Britannica article as listed in Realism and the Background of Phenomenology mistakingly reads "C. V. Solomon."

(11)   Only sections 1 through 27 were published in the original Philosophia article of "Die Krisis." Hence these sections of the "Krisis" represent the last writings published during Husserl's lifetime, that is to say, the last writings published with his manifest consent.

(12)   200 copies of Erfahrung und Urteil were shipped to Allen and Unwin Publishers in 1939. The entire release of the Prague edition of Erfahrung und Urteil was destroyed by the Germans during the war. See editor's foreword to the 1948 edition of Erfahrung und Urteil for more details.

 

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References:

Allen, Jeffner. 1975. "Husserl Bibliography of English Translations." The Monist 59: 133-37.

Bernet, Rudolf, Kern, Iso, and Marbach, Eduard. 1993. Introduction to Husserlian Phenomenology. Evanston, IL: Northwestern University Press, 235-244.

 

Husserl, Edmund. 1982. Ideas Pertaining to a Pure Phenomenology and to a Phenomenological Philosophy, First Book: General Introduction to a Pure Phenomenology. Translated by Fred Kersten. The Hague, Netherlands: Martinus Nijhoff.

McCormick, Peter and Elliston, Frederick. A. eds. 1981. Husserl: Shorter Works. Notre Dame, IN: University of Notre Dame Press.

Lapointe, François. 1980. Edmund Husserl and His Critics: An International Bibliography. Bowling Green, OH: Philosophy Documentation Center, 3-21.

Patocka, Jan. 1939. "Husserl-Bibliographie."  In Revue internationale de Philosophie 1.  (Bruxelles), nr. 2: 374-397.

Van Breda, H.L. and Taminiaux, J. eds. 1959. "Appendix: Bibiographie der bis zum 30. Juni 1959 Veröffentlichten Schriften Edmund Husserls, Zusammengestellt von H. L. Van Breda." Edmund Husserl 1859-1959: Recueil Commémoratif Publié a l'Occasion du centenaire de la Naissance du philosophe. Dordrecht, Netherlands: Martinus Nijhoff Publishers, 289-306.

see also:
Elliston, Frederick. A. and McCormick, Peter eds. 1977. Husserl: Expositions and Appraisals. Notre Dame, IN: University of Notre Dame Press, xv-xvii.

Farber, Marvin. 1943. The Foundation of Phenomenology: Edmund Husserl and the Quest for a Rigorous Science of Philosophy. 3rd ed. Albany, NY: State University of New York Press.

Kockelmans, Joseph J. 1994. Edmund Husserl's Phenomenology. West Lafayette, IN: Purdue University Press, 349-351.

Spiegelberg, Herbert. 1982. The Phenomenological Movement: A Historical Introduction. 3rd ed. The Hague, Netherlands: Martinus Nijhoff Publishers.

 

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デカルト全集

 

Œuvres
publiées par Charles Adam et Paul Tannery
1897-1913

Textes entiers : 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12


Tome I


Tome II


Tome III

  • janvier 1640 à juin 1643 (181 à 310)


Tome IV


Tome V

  • mai 1647 à février 1650 (477 à 586)
  • Appendice à la Correspondance de Descartes (tables de concordance, index des noms propres)


Tome VI


Tome VII

  • Meditationes de prima philosophia


Tome VIII

  • Principia philosophiæ


Tome IX

  • Méditations et Principes


Tome X

  • Compendium musicæ
  • Regulæ ad directionem ingenii
  • Recherche de la vérité
  • Supplément à la correspondance
  • Calcul de Monsieur Descartes. (Introduction à la Géométrie) Texte incomplet


Tome XI

  • Le Monde
  • Description du corps humain
  • Passions de l'âme
  • Anatomica
  • Varia


Tome XII

  • Vie et Œuvres de Descartes par Charles Adam (1910)
  • Index général

スピノザのラテン語テクスト

Spinoza: Works in Latin

 

This site contains the Latin texts of three works by Benedictus de Spinoza: Ethica ordine geometrico demonstrata, Tractatus de Intellectus Emendatione (TIE), and Tractatus Politicus (Tract. Pol. or TP), together with a selection of the relevant correspondence (Epistolae). For an introduction to this project, see the Editor’s preface. For updates consult the revision history. The works can also be read in parallel with an English or French translation.