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レーニン、社会民主労働党の機関紙として「イスクラ」を発刊(1900)--20世紀の思想と芸術

初期の「イスクラ」はレーニンが主筆として、プレハーノフとの協力のもとで刊行される。ロシア国内では刊行できないために、外国で出した。レーニンは1903年まで多くの論文をこの新聞で発表する。やがてプレハーノフがメンシェヴィキのスタッフを編集部にいれたために、レーニンは主筆をやめる。

 

最初の発刊は1900年12月1日シュトゥットガルトで行われた。その後、ミュンヘンロンドンジュネーヴで発行された。 当初、イスクラはレーニンによって編集された。1903年7月、ロシア社会民主労働党代位1回党大会(ブリュッセル大会)のあと、党がレーニンのボリシェヴィキユーリー・マルトフメンシェヴィキに分裂する。レーニンはイスクラの編集部からも離れ、その後はメンシェヴィキの手によって編集が行われ、1905年までゲオルギー・プレハーノフが責任者を勤めた。イスクラの平均発行部数は約8000部であった。

イスクラのタイトルは、シベリア流刑となったデカブリスト(十二月党)を称えたアレクサンドル・プーシキンの詩 [1] に応える形でアレクサンドル・オドエフスキーが作った詩[2]の一節「火花から炎が燃え上がるだろう」 "Из искры возгорится пламя"から採られた。

1917年ロシア革命十月革命)が勃発すると、編集部員の多くはボリシェヴィキに入党した。