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「ロシア社会民主主義者の任務」--レーニンを読む(009)

■「ロシア社会民主主義者の任務」(013)--大月版全集第二巻(p.322-345)
 この綱領文書でレーニンは党の任務を改めて二つの戦線で要約する。党の任務は「プロレタリアート階級闘争を指導すること」(323)にある。そのためには、党の社会民主党という党名が示すように、社会主義と民主主義という二つの側面での「現れ」での闘いが要請される。すなわち党の任務と活動は、「社会主義的な現れ(階級的体制を打破して、社会主義社会を組織することを目標とする反資本主義の闘争)と民主主義的な現れ(ロシアで政治的な自由を闘いとり、ロシアの政治体制と社会体制を民主化するこを目標とする反絶対主義の闘争)」(同)に分かれるのである。
 第一の社会主義の側面では、党は活動を分散させずに、都市の工場労働者の組織に重点を置くべきである。ただし農村のプロレタリアートへの組織も重要であるが、その際にはそうした遅れたプロレタリアートの中に「階級闘争社会主義や、一般的にはロシア民衆の、特殊的にはロシア・プロレタリアートの政治的任務の思想をもちこむ」(325)ことが必要である。
 第二の民主主義の側面では、民主化運動において「労働者の意識を目覚めさせ、彼らを組織し、訓練し、彼らを連帯行動や社会民主主義の理想のための闘争に向かって教育する」(327)ことを任務とする。
 レーニンは、「革命的活動はこの二つの領域で完全に並行して行われる」(328)ことを指摘する。ただし違いもある。第一の経済闘争ではプロレタリアートは孤立しいてるが、第二の政治闘争ではブルジョワジーのうちの不満分子と協力して活動するのである。そして「ロシアの真正の一貫した民主主義者はすべて社会民主主義者となるべきである」(331)ことを納得させる必要があるのである。
 ナロードニキの「人民の意志」派は、政治的な活動というと陰謀を考えるが、それは彼らにとっては「政治闘争という概念は、政治的陰謀という概念と同一」(335)だからである。社会民主党は、そのような陰謀を信じない。党は「わが国の諸条件に適合した労働者党の組織であると同時に、絶対主義に反対する強力な革命党であるだろう」(337)。

■「ベルミ県における一八九四~九五年のクスターリ調査と『クスターリ』工業の一般的諸問題」(014)--大月版全集第二巻(p.347-454)
□ロシアにおける手工業調査の歪み
 この論文も1897年に流刑地で執筆された。レーニンはこの調査には二つの重要な欠陥があることを指摘している。手工業者たちを示すクスターリの概念において、市場のために営業する手工業者と、消費者のために営業する手工業者と、工場主のために営業する手工業者が区別されていないこと、そしてもう一つは手工業者のために賃労働者を供給する貧しい都市や農村の家族が、調査から除外されていることである。
 第一の欠陥は手工業者の分類にかんする混乱を招き、第二の欠陥は手工業者の全体の活動における欠落をもたらすのである。とくに第一の欠陥は、生産者のための市場と消費者のための市場を明確に区別できないナロードニキの伝統に由来するものである。そのためさまざまな「歪曲」(359)が発生する。
 ロシアの手工業には特殊な事情が存在する。たとえば一〇〇〇人以上の人々を雇用する工場では、その内部に家内工業を含めている。一般に家内工業は資本主義的な発展では低い段階にあると考えられるが、「賃金労働者をもつ小規模な仕事場と比較すると、資本主義的な単純協業にたいする資本主義的なマニュファクチュアに相当する地位を占めるのである」(358)。ロシアでは手工業の地位は低い。ナロードニキでさえ、手工業を理想的な仕事と考える人はいない。「手工業はそれほど古風な工業形態なのである」(359)。

□農業と手工業の結びつきのもたらす不利益
 この調査によると、農業労働者のうちでは賃金を受ける人の比率が低いことが示されている。ナロードニキは、これを「農業を行うものの優越性」(362)と主張するのだが、実際にはこれは「農業人口においては資本主義がずっと未発達である」ことを示すものであり、「この農業を行うものの優越性とは、低賃金をうけとることにある」(363)ことを示すものにほかならない。
 さらに手工業者における雇用人数の調査によると、「手工業者の間では、生産がもっとも分散的に行われ、個々の生産者の孤立性がもっとも著しく、生産における分業の適用がもっとも少ないという状態が支配的ななっている」(364)ことが明らかである。それを埋め合わせるために、手工業者は家族たちをできるだけ多く雇用しようとする。そして雇用する家族の数が多いほど、雇用する労働者の人数もふえる。「家族的な分業は資本主義的な分業を保証するものであり、分業の基礎である」(366)。大規模な家族経営はね「すでに工場主であり、資本主義的経営の所有者である」(368)。それを小規模な経営と「平均する」のは、手工業者における資本主義の発達を見逃す重要な間違いである。
 レーニンは、農村で手工業が誕生したことは、資本主義的な発展の段階を示すが、農村で同時に発生している大規模な経営による小規模な経営の基準は、資本主義の発展の高度な段階を示すものであることを指摘し、「これらの一見矛盾した二つの過程が、一刻に同時に存在していることには、何らの矛盾もない」(374)と指摘する。ロシアの資本主義の発展が地方的にずれていることを示すものにすぎないのである。ナロードニキは、こうした事実に目をふさいで、共同体的な勤労の原理などを誇らしげに語るにすぎないのである。

 ナロードニキでは伝統的に、農村における手工業者の発展は、農村を維持するための方策とみなして、「農業をいわゆるクスターリ工業の主要な基柱とみなしてきた」(384)が、実際には農村は分裂しているのであり、「農業を行わない手工業者は、数においては少ないが、生産額の点では農業を行う者に劣らない」(同)のである。農業をつづけると、土地との結びつきを維持することになるが、その場合には「クスターリの稼ぎ高を少なくする」(385)ことになる。
 農業と手工業者の結びつきは、いくつかの不利益をもたらす。第一に、「工業のもっとも遅れた形態を維持し、経済的発展を妨げる」(395)のである。第二に、手工業者の収入を低下させる。賃金労働者よりも収入が低くなることがある。第三に、「住民の文化的発展を阻止する。彼らは欲望の水準が低く、読み書き能力の点で、農業に従事しない者たちよりもはるかに遅れている」(同)のである。レーニンが資本主義の発展と欲望の大きさ、それと読み書き能力などの文化的な水準の結びつきを強調していることに注目しよう。
 この調査ではクスターリのうちに「共同体的な原理」(436)をみいだそうとしており、労働者が経営者に移行する可能性などに希望を抱いているが、実際には「小経営における賃金労働を美化し、小経営主のきわめて少数の一面的な結合を称賛する」(440)ものにすぎないのである。