熊野純彦『メルロ=ポンティ-哲学者は詩人でありうるか?』(12/8)

 

 

 

 


書名 メルロ=ポンティ-哲学者は詩人でありうるか?-
著者名 熊野純彦/著
出版社 東京 日本放送出版協会
出版年月 2005.9
価格 1000円
ページ数 118p
大きさ 19cm
シリーズ名 シリーズ・哲学のエッセンス
ISBN 4-14-009325-0
件名 Merleau‐Ponty,Maurice
NDC9 135.55
NDC8 135.5
注記 メルロ=ポンティ小伝:p108~109 読書案内:p110~115
抄録 「知覚の現象学」をもとに、世界をめぐる詩的な言語が可能となるのは、経験のどのようななりたちとかかわっているのかを問う。

【寸評】★

これはあまりにひどいのではないか。『知覚の現象学』の薄めたレジュメのような本。金返せといいたくなる。

モーリス・ブランショ『終わりなき対話 1 ─複数性の言葉』(12/6)

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終わりなき対話 1 ─複数性の言葉(エクリチュールの言葉)

モーリス・ブランショ 著 , 湯浅 博雄 翻訳 , 上田 和彦 翻訳 , 郷原 佳以 翻訳
定価:本体4,500円+税
Cコード:0098
判型:A5判
ページ数:248
ISBN:9784480775511
JANコード:9784480775511

 

【寸評】★★★★★

やっと邦訳が出たブランショの「終わりなき対話」。まだ第一篇だけだが、必読。

 

郷原佳以『文学のミニマル・イメージ : モーリス・ブランショ論』(12/4)

 

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文学のミニマル・イメージ : モーリス・ブランショ論 / 郷原佳以
東京 : 左右社 , 2011.2. - (流動する人文学 )
大きさ 313, 56p ; 22cm
原タイトル:Il y a de l'image : Maurice Blanchot et l'image minimale de la litterature
一般注記 2007年にパリ第7大学に提出し博士号を授与された博士論文"Il y a de l'image : Maurice Blanchot et l'image minimale de la litterature"に基づいて、翻訳のうえ適宜修正を施したもの
著者標目 郷原, 佳以(1975-)
分 類 NDC9:950.27

 

20世紀、文学という芸術の本質について、最も徹底的な思索を重ねたモーリス・ブランショ。その最深部にはいかなる逆説が潜んでいるのか?
デリダ、ディディ=ユベルマンらのイメージをめぐる哲学を視野に、詳細にブランショの文学概念をたどり、現代文学研究の到達点を示す。
フランス文学研究の新たな才能・郷原佳以の誕生を告げる1冊!

なるほど、ブランショの文学論は文学に視角的な喚起力を強く求めるものではないだろう。しかし、「エクリチュール」をめぐる彼の思考はけっして一枚岩ではなく、それは、視角的喚起力とは別の次元にありながら、にもかかわらず「イメージ」と呼ばれるしかないような何ものかをめぐる独特な思考に支えられているのである。
––––本文より

ブランショの試行を照らす、この比類ない光が読むことの快感さえもたらすだろう    
––––帯文・湯浅博雄


[目次]
序論——文学にイメージは「ある」か
1.「語ることは見ることではない」
2.見ることではなく、イメージに触れること
3.本書の意義
4.本書の構成

第一部 遺骸としてのイメージ
第一章 イメージの不気味さ——「遺骸的類似」と「美術館病」
0.はじめに
1.「遺骸的類似」
1—1.イメージによる創造と解体
1—2.魔術的なもの——夢のなかで
1—3.『ロンドンの夜』——群衆、日常的なもの
1—4.美術館の病
2.〈美術館〉としての芸術作品——ブランショのマルロー論をめぐって
2—1.ブランショの〈美術館〉論
2—2.アナクロニスム(1)マルロー——反美術史としての「想像の美術館」
2—3.〈美術館〉批判者たち—「美術館病」に罹った人々
2—4.アナクロニスム(2)ブランショ—〈美術館〉としての芸術作品
2—5.結論——「芸術の自律」とアナクロニスム
第二章 イメージの「イリヤ」——サルトルレヴィナスブランショ
0.はじめに
1.「現実とその影」をどう読むか
2.感覚のなかでの踏み迷い
3.此岸への離脱
4.根源的な受動性——音楽としてのイメージ
5.ブランショの「イリヤ」——サルトルレヴィナスの後に
6.根源的ミメーシス—絵画としてのイメージ
7.盲目的視覚の魅惑
8.偶像の時間——彫像としてのイメージとイメージの禁止
9.イメージの両義性と離脱という介入
第三章 イメージの「イリヤ」あるいはカトリーヌ・レスコーの足
1.原光景?
2.フレンホーフェル=オルフェウス
3.作品の運命
4.何もないのではなく何ものかがある
5.カトリーヌ・レスコーの足

第二部 言語の不可能な形象としてのイメージ
第一章 プロソポンとしての形象——物語とイメージ
0.はじめに—プロソポン
1.『望みのときに』
2.「回帰」
3.不可能な形象
4.「彼女[elle]」たち
4—1.具体物
4—2.抽象物
5.立っていること
6.演劇性と貧しさ
7.「際立った雲」—撞着語法としての形象
8.疲労の語り/語りの疲労——「終わりなき対話」
9.なぜ疲れているのか=何があったのか
10.間にある対話(entretien)——二でなく三であること
11.「彼女たち」との奇妙な関係
12.友愛——疲労の共有
13.疲労/語り
第二章 彼女の名、この不気味な驚異——命名行為とイメージ
0.はじめに
1.不可能な形象、「ジュディット」
2.花から女へ、女から花へ——ヘーゲルからマラルメ
2—1.言葉による殺害——花から女へ
2—2.言葉による深淵——猫から「猫」へ
2—3.弔いの花
3.名前、形象、「ジュディット」
4.文学言語と神の形象——『至高者』
4—1.最後の「小説」、『至高者』
4—2.名前の不安
4—3.神の謙虚さ=神の名前
4—4.タイトルの不安
4—5.引用としての語り
4—6.文学言語としての「至高者」アンリ・ソルジュ
5.神、あるいは、言語の不治の治癒
6.幻の女の回帰(revenante)
第三章 「詩的イメージ」に抗して——バシュラールブランショ
0.はじめに
1.「詩的イメージ」?
2.バシュラールの読者、ブランショ
3.「夜のように広々とした」(1)——「単純な読書」とは?
4.「夜のように広々とした」(2)——詩の「構成=共置(composition)」
5.「夜のように広々とした」(3)——「comme」としての詩
6.「かのように(comme si)」としての詩
第四章 「言語のショート・サーキット」としての詩のイメージ——ブランショにおけるマラルメヴァレリー・ポーラン
0.はじめに
1.マラルメとポーラン、分割と橋
2.言語の「虚構」あるいは「マラルメの神話」——「近道で」垣間見られる潜在的言語
3.「詩が存在するとすれば、それは、言語が理解の道具だからである」——言語二分割の問い直し
4.〈貨幣=言葉〉の解釈をめぐって
4—1.詩的言語と日常言語の対立——ヴァレリー
4—2.「詩が存在するとすれば、それは、言語が理解の道具だからである」——ブランショ 
5.マラルメとポーランが出会う場所——「言語のショート・サーキット」
第五章 形象化のパッション—ブランショにおけるアブラハム
0.はじめに
1.「雄羊になること」
2.「雄羊のイメージ」あるいは「ジュディット」
3.カフカアブラハム、あるいは「召されずにやって来るアブラハム!」
4.「永遠のアブラハムの問題」
5.形象化への焦燥
6.結論——形象化のパッション

結論 文学にイメージが「ある」というこの「驚異」
1.アルス・ノヴァ
2.驚異的なもの

あとがき
人名索引/註/参考文献

郷原佳以(ごうはら・かい)
1975年生。東京大学教養学科フランス科卒業。同大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程単位取得満期退学。フランス政府給費留学生としてパリ第7大学大学院に留学。文学博士。現在、関東学院大学准教授。フランス文学。訳書にデリダ『滞留』、『ブランショ政治論集 1958-1993』(いずれも共訳)など。

【寸評】★★★★

遺骸のイメージという観点から、ブランショのイメージ論とエクリチュール論を展開する。力作である。

 

 

 

 

 

ムフの著作リスト

 

ムフの著作リスト

 

単著[編集]

  • The Return of the Political, (Verso, 1993).
千葉眞土井美徳田中智彦山田竜作訳『政治的なるものの再興』(日本経済評論社, 1998年)
  • The Democratic Paradox, (Verso, 2000).
葛西弘隆訳『民主主義の逆説』(以文社, 2006年)
  • On The Political, (Routledge, 2005).
篠原雅武訳『政治的なものについて――闘技的民主主義と多元主義的グローバル秩序の構築』(明石書店, 2008年)

共著[編集]

  • Hegemony & Socialist Strategy: Towards a Radical Democratic Politics, with Ernesto Laclau, (Verso, 1985).
エルネスト・ラクラウシャンタル・ムフ/山崎カヲル石澤武訳『ポスト・マルクス主義と政治――根源的民主主義のために』(大村書店, 1992年)
『民主主義の革命――ヘゲモニーとポスト・マルクス主義』、西永亮・千葉眞訳、筑摩書房(ちくま学芸文庫)、2012年

編著[編集]

  • Gramsci and Marxist theory, (Routledge & Kegan Paul, 1979).
  • Dimensions of Radical Democracy: Pluralism, Citizenship, Community, (Verso, 1992).
  • Deconstruction and Pragmatism, (Routledge, 1996).
青木隆嘉訳『脱構築プラグマティズム――来たるべき民主主義』(法政大学出版局, 2002年)
  • The Challenge of Carl Schmitt, (Verso, 1999).
古賀敬太佐野誠編訳『カール・シュミットの挑戦』(風行社, 2006年)

共編著[編集]

  • The Legacy of Wittgenstein: Pragmatism or Deconstruction, co-edited with Ludwig Nagl, (Peter Lang, 2001).

 

Publications[edit]

  • (ed.) Gramsci and Marxist Theory. London – Boston: Routledge / Kegan Paul, 1979.
  • (with Ernesto Laclau) Hegemony and Socialist Strategy: Towards a Radical Democratic Politics. London – New York: Verso, 1985.
  • (ed.) Dimensions of Radical Democracy: Pluralism, Citizenship, Community. London – New York: Verso, 1992.
  • The Return of the Political. London – New York: Verso, 1993.
  • Le politique et ses enjeux. Pour une démocratie plurielle. Paris: La Découverte/MAUSS, 1994.
  • (ed.) Deconstruction and Pragmatism. London – New York: Routledge, 1996.
  • (ed.) The Challenge of Carl Schmitt. London – New York: Verso, 1999.
  • The Democratic Paradox. London – New York: Verso, 2000.
  • (ed.) Feministische Perspektiven. Wien: Turia + Kant, 2001.
  • (ed.) The legacy of Wittgenstein: Pragmatism or Deconstruction. Frankfurt am Main – New York: Peter Lang, 2001.
  • On the Political. Abingdon – New York: Routledge, 2005.
  • Hegemony, Radical Democracy, and the Political, edited by James Martin, London: Routledge, 2013.
  • Agonistics: Thinking The World Politically. London – New York: Verso, 2013.
  • Mouffe C, 1995 ‘Post-marxism: democracy and identity’, Environment and Planning D vol.13 pp. 259–266 ML: P305 E30.
  • (in conversation with Inigo Errejon) Podemos: In the Name of the People (trans. Sirio Canos), London: Lawrence & Wishart, 2016.

シャンタル・ムフ『民主主義の逆説』(12/2)

 

書名 民主主義の逆説
著者名 シャンタル・ムフ/著 葛西弘隆/訳
出版社 東京 以文社
出版年月 2006.7
価格 2500円
ページ数 224p
大きさ 20cm
原書名 The democratic parado
ISBN 4-7531-0248-3
件名 民主主義
NDC9 311.7
NDC8 311.7
抄録 ロールズ、ハーバマス、ギデンズなどの「合意形成」の政治学を批判的に検討し、シュミットの政治論、ウィトゲンシュタインの哲学から「抗争性」の政治を提唱する。民主主義を鍛え直す政治思想。
著者紹介 〈シャンタル・ムフ〉ベルギー生まれ。ウェストミンスター大学民主主義研究所教授(政治理論)。ラディカル・デモクラシー論を展開。著書に「ポスト・マルクス主義と政治」「政治的なるものの再興」など。

 

【寸評】★★★

「闘技の政治学」というアイデアは、いいと思う。論集なので少し物足りないところはあるが、ムフの論点はストレートに示されている。

 

モーリス・ブランショ『焔の文学 火の部分1』(12/1)

 

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書名 焔の文学 火の部分1
著者名 モーリス・ブランショ/著者
出版社 紀伊国屋書店
出版年月 1964
価格 460円
ページ数 244P
大きさ 20
シリーズ名 現代文芸評論叢書 重信常喜/訳者
件名 フランス文学-作家
NDC9 950.4

 

【寸評】★★★★

文学と死の権利を含む「焔の文学」の部分訳。どれも深い思考が紡ぎだされる。

後に「虚構の言語」と合わせて、完本が刊行された。

入不二基義『ウィトゲンシュタイン-「私」は消去できるか』(11/30)

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書名 ウィトゲンシュタイン-「私」は消去できるか-
著者名 入不二基義/著
出版社 東京 日本放送出版協会
出版年月 2006.5
価格 1000円
ページ数 126p
大きさ 19cm
シリーズ名 シリーズ・哲学のエッセンス
ISBN 4-14-009332-3
件名 Wittgenstein,Ludwig
NDC9 134.97
NDC8 134.9
注記 ウィトゲンシュタイン小伝:p120~121 読書案内:p122~124
抄録 「すべて」と「無」は一致する。私は強力で特異だからこそ、無と化していく…。独我論から私的言語論まで、正反対のものが折り重なる不思議な世界。ウィトゲンシュタインの「私」をめぐる独創的思考に迫る一冊。
著者紹介 〈入不二基義〉1958年生まれ。東京大学大学院博士課程単位取得。山口大学助教授を経て、青山学院大学文学部助教授。専攻は哲学(自我論・相対主義論・時間論など)。著書に「時間は実在するか」など。

 

内容説明

「すべて」と「無」は一致する。私は強力で特異だからこそ、無と化していく。独我論から私的言語論まで、正反対のものが折り重なる不思議な世界に分け入る。

目次

序章 不二の法門に入る―補助線として(この本のテーマ;正反対の一致 ほか)
第1章 独我論―「限界」としての「私」とは何か(『論理哲学論考』―自らを消し去るべき本;いわゆる独我論 ほか)
第2章 無主体論―独我と無我は一致する(いわゆる無主体論;ウィトゲンシュタインの無主体論 ほか)
第3章 私的言語論―「ない」ままで「あり」続ける「私」(私的言語とわれわれの言語;私的言語への接近とその不全 ほか)

【寸評】★★★

ウィトゲンシュタインという人物が、いかに奇想天外なことを考えるかが、しみじみと伝わってくる一冊。中身は独我論の可能性と意味という一つの話なのだが。