長尾「『ハンス・ケルゼン』著作集の完結に寄せて」

無題

 

『ハンス・ケルゼン』著作集の完結に寄せて

長尾龍一

  ヒトが類人猿から 分離したのは二百万年前、ホモ・サピエンスが地上に登場したのが二十万年以上前だといわれるが、この人類精神史を一望のもとに眺望しようなどと考えるのは 大それた試みであろう。ハンス・ケルゼン(一八八一-一九七三)はそれをした人物である。そのためには単純な図式が必要だと思われるが、『応報律と因果 律』(一九四一年)という彼の著書は、そのような単純な図式で人類精神史の全体像を描いた作品である。

  彼によれば、「未開人」は、「万有は各々魂(アニマ)をもっており、その魂は規範的関係(応報律)に従って行動している」と考える。応 報律とは、加害には復讐、恩義には返礼、罪には罰、功には賞をもって報いるべし、という規範的原則であり、神話の世界では太陽や月、山や川が人格をもった 主体として、応報律に従って行動する。洪水や病気の流行は罪に対する神の罰で、贖罪の儀式が必要であり、建築工事の前の地鎮祭は、予め土地の神霊への礼を 尽くすことによって、罰としての事故を避けようとする行動である。

この応報律は、カ ントの範疇のような、人間のもつ思考形式であるが、人類はやがて、それと異なった第二の範疇である因果律をもった。それは紀元前五世紀という特定の時代 に、前ソクラテス哲学者群という特定の人々によって定式化された。「太陽が軌道を逸れないのは復讐女神の懲罰を避けるためだ」と述べたヘラクレイトスはな お応報律的世界観の中にあるが、原子論者デモクリトスによって、因果律的世界観が完結的な形で示された、と言う。ケルゼンは、この因果律が、ヒュームの懐 疑や量子に関する不確定性原理によって動揺した経緯について、二十世紀物理学の発展をフォローし、更には「規範的カテゴリーを棄てて、因果律のみで思考す る未来人」という展望を示唆してこの著書は終る。

  私は、「未開人」 も幼稚ではあれ因果律に従って道具を作り、使ってきたと考え、規範的カテゴリー「のみ」で思考する初期人類という発想には批判的であるが、神話や宗教の本 質が規範的思惟だ、という着眼は基本的に正しいと考えている。ケルゼンは、諸宗教の霊魂不滅・天国地獄信仰、ユダヤ教の終末論なども、応報律の要請が作り 出したものとする。

  規範的カテゴリー を純粋な形で捉える、というのが彼の法学の綱領で、彼の思想史学が神話や宗教的教義からそこに含まれる規範体系を析出させるように、彼の法学は法学者の言 説からその内容をなす法規範を析出させる。オッカムの後裔ともいうべき唯名論者である彼は、人格概念や実体概念を規範的思惟に付着する思考の病理として、 消去の対象とする。最初の主著『国法学の主要問題』は、人格概念である国家概念を消去し、法規範に還元しようとした。彼は自分の国家学を「国家なき国家 学」と名付けている。啓蒙主義者の彼にとって、神話の解体は生涯の主題であり、人間界の紛争を解決する打ち出の小槌のようなものと信じられている法学の脱 神話化も、彼の中心主題の一つであった。

  彼のマルクス主義批判も、マルクス主義における科学と神話の腑分け、神話解体の試みで、ドイツ社会民主主義の展開における神話の崩壊過程、レーニン、スターリンによる神話の復活という彼のマルクス主義史理解も、同時代知識人による冷徹な観察と評すべきものと考える。

  神話を解体した後 の彼の積極的政治論は自由主義的民主主義であり、ワイマール期の思想家の中で、民主主義の立場を終止貫徹したのは彼一人ではないか、という評者もいる。最 近発見された彼の『自伝』は、二十世紀前半における自由主義者の運命、そしてユダヤ人問題の渦中にあった生涯を描き出している。

   一世代前木鐸社よ り刊行した『ケルゼン選集』十巻を、『民主主義論』『マルクス主義批判』『自然法論と法実証主義』『法学論』『ギリシャ思想集』『神話と宗教』の六巻に再 編成し、各巻に各々新訳を加え、『自伝』を加えた企画を、二〇一一年九月末に完了した。これによって、広大な関心領域をもった一思想家について、全体像回 顧の機会を提供したつもりである。

   なお最終巻『神話 と宗教』に付け加えた「人名索引」は、この七巻の人名を集め、各人物に(知り得る限りで)簡単な解説を加えたものであるが、解説中に登場する人物をも項目 に加えるという新たな試みなどで、百頁に及ぶものとなった(このような長大な人名索引は、前例のないことではないか)。ここに登場する人々は、一思想家の 知的ユニヴァースを飾る星である。