ロザンヴァロン『連帯の新たなる哲学』レジュメ


苫野一徳Blog(哲学・教育学名著紹介・解説): ロザンヴァロン『連帯の新たなる哲学』

 

ロザンヴァロン『連帯の新たなる哲学』

 

はじめに


 福祉国家の積極的役割を再考することを目的とした本書。

 本書の内容を要約すれば、次のようになる。

 そもそもは、いつ起こるかわからない「リスク」を軽減するための保険システムだったが、現代、この「リスク」をかなり予測することができるようになり、しかも社会的弱者になりうる人たちを同定できるようになった。

 

 

 

 それゆえ、社会的弱者への無条件の「給付」に対する、市民一般の合意が難しくなった。

 

 

 

 さらに受給者が負担者を上回るという事態も起きている。

 

 

 

 こうして、社会保険を財源とした「給付」はもはや困難になった。しかし福祉国家としては、社会的弱者を保障する必要がある。

 

 

 

 ならば、財源は「租税」に移すしかない。しかしこの「租税」による社会保障は、どうすれば正当化しうるのか、合意可能なのか。

 

 

 

 合意可能な方法は、「給付」ではなく「社会参入」を保障するという方法によるしかない。そのようにして、雇用を保障していくほかない。「社会権」を、無条件の権利からある条件付(つまり労働するという)の「手続的権利」として編みかえること。(受動的福祉国家から能動的福祉国家へ)

 

 もっともここにはパターナリスティックな国家による統制という危険がある。しかし概念としては、「手続的社会権」は決して道徳的矯正を目的としたもので はなく、あくまでも社会的効率の観点から構想されたものである。また、司法化をおしすすめることで、「異議申し立て」の可能性を広げる必要もあるだろう。



1.保険社会の衰退

 今日、相互主義に基づく保険というパラダイムが崩壊しつつある。ロザンヴァロンによれば、その理由は主として3つある。

 1つは、人々の関心が個人的リスクの回避から集合的リスクの回避へと移ったことにある。

 かつては、失業や病気などの個人的リスクを回避するために、相互扶助の保険というシステムが機能した。

 ところが今日問題となっているのは、

「自然のリスク(洪水、地震)やテクノロジーにかかわる大惨事、大規模な環境破壊などの、大災害のリスクである。」

 社会が大災害の運命共同体となってしまった今、個人間の相互扶助というパラダイムはもはや機能しなくなる。

 2つめの理由は、「自己責任」を強調する近年の動きである。

 助け合いではなく、自己責任を重視する動きが、近年強まりつつあるとロザンヴァロンは指摘する。(本書の原著は1995年出版。ちょうど新自由主義の「自己責任」論が盛んだった頃である。)

 3つめの理由は、遺伝学による予測可能性にある。

「遺伝学の進歩によって、健康にかんするリスクの分析が根本的に再検討され、社会的なものにかんして、より個人的であると同時に、より決定論的な見方をするようになるだろう。」

 未知のリスクに備えるためのものが保険だが、もし予測可能性が飛躍的に高まれば、保険というパラダイムそのものが成り立たなくなるとロザンヴァロンは指摘する。

2.正義の原理を再考する

 以上のような問題を踏まえて、ロザンヴァロンは次の2つの問題を提起する。

「ここで二つの困難な問題が生じる。一つは哲学的次元のものだ。つまり、社会リスクをたんに相互化することでは十分でないとすれば、いかなる正義原則のもとに福祉国家を基礎づ けるのかという問題である。二つ目は、一見したところ技術的な問題に見えるが、無視しがたい射程をもつものだ。つまり、より政治社会的な本質にかかわるシ ステムに移行する、あるいは回帰するとすれば、それは社会保険料を徴収する財源方式から、課税による財源方式に移ることを意味するのかという問題である。」

 ロザンヴァロンの戦略は、リスク回避のための保険システムのパラダイムから抜け出し、より緊密な相互連帯のあり方を正義の原則の中に取り込んでいくことにある。(1つ目の問題)

 ただしその場合、コミュニティの連帯から他者を排除しようとする力学が働くことを警戒しなければならないともいう。

「連帯の表現が狭量なナショナリズムの逸脱した痕跡を伴うことのないように、将来において配慮する必要があろう。」
 
3.社会保険から課税へ

 以上から、ロザンヴァロンは社会保険制度から課税への移行を主張する。(2つ目の問題)

「保険はつねに、社会紐帯を作り出す近代的形態のひとつを構成するだろう。しかしながら、その役割はそれほど中心的なものではなくなる。もはや保険的手法 によっては、連帯を管理するための主要な技術も、また社会凝集の表象を担う主要な哲学的様式も、体現することが不可能であろう。」

4.保障の社会から参入の社会へ

 これまでの福祉社会は、大量失業に対してただ面倒をみるという方策しかとってこなかった。

「以 前は生産システムのなかに散在していた社会保障のミクロな配置連関をすべて、大量失業の面倒を見るというかたちで一手に集中させてしまったのが、福祉国家 なのである。より効率性を欠いた非熟練の賃金労働者たちの多くは、かつては企業のなかに組み込まれていたが、今や補償金を受ける失業者となったのだ。」

 そこでこれからの福祉社会は、社会保障パラダイムから(だけでなく)社会参入のパラダイムへと移行していく必要がある。そうロザンヴァロンは主張する。そして言う。

「いかにして、補償の社会から参入の社会へと移行するのか。このようなかたちで問題を立ててみよう。〔中略〕労働の領域にふたたび個人を組み入れることによってのみである。」

 そうして彼は、次のように言う。

福祉国家は公正であるためには、もはやたんに手当の分配者かつ一律の規則の管理者にとどまることは不可能である。福祉国家はサービス国家でなければなら ない。その目的とは、各人に固有の手段を与え、生活の流れの方向を変えて、断絶を乗り越えて、破綻を予防することである。」

 

(苫野一徳)