ラルフ・ダーレンドルフ、ウィキから

 

ラルフ・ダーレンドルフ

 
 
ラルフ・ダーレンドルフ(2003年)

ダーレンドルフ男爵、ラルフ・グスタフ・ダーレンドルフ(Ralph Gustav Dahrendorf, Baron Dahrendorf、1929年5月1日 - 2009年6月17日)は、ドイツ生まれのイギリス社会学者政治家である。壮年期以降はイギリスで活動した。

 

 

 

経歴

略歴

1929年ハンブルク生まれ。ナチ党政権期に反国家活動に参加した友人を持っていたことにより、政治犯強制収容所へ送致された経験をもつ。このことがきっかけで、彼は政治の世界と深くかかわりを持つようになった。

政治家としては、1967年バーデン・ヴュルテンベルク州選出の自由民主党議員として西ドイツ連邦議会議席を獲得して政界へ進出。西ドイツ政府の外務政務次官として活動し、ヨーロッパ共同体(EC)の外務・教育・科学等の分野における専門委員も歴任する。

1974年には研究生活へ戻り、ドイツだけではなくイギリスアメリカでも精力的に研究活動を行っている。イギリスのロンドンを拠点に活躍。1982年にSir(大英帝国勲爵士)の称号を授与される。1993年一代貴族のダーレンドルフ男爵に序され、イギリス貴族院議員となる。2009年6月17日、のためケルンで死去[1]

学問上の経歴

ハンブルク大学を卒業後、ハンブルク大学・コンスタンツ大学(自身が設立にかかわった)・テュービンゲン大学の教授を歴任。1974年から約10年間、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスLSE)の学長を務め、1987年~1997年にオックスフォード大学セント・アントニーズ・カレッジ英語版の教授・学長を務めた。

社会学者としてのダーレンドルフは、タルコット・パーソンズ社会システム論に代表される均衡理論を批判し、マルクス階級闘争論をマックス・ヴェーバー権力概念によって再構築した独自の紛争理論を提唱したことで知られている。また、人間は社会においてそれぞれ与えられた役割にしたがって行動する存在であるというホモ・ソシオロジクス社会学的人間)の概念を提起したことでも有名である。長年、ヨーロッパの社会学界に影響を与え続けた論客の一人である。

日本語訳著書

参考文献

  • 濱嶋朗・竹内郁郎・石川晃弘編『社会学小辞典・新版』(有斐閣
  • ダーレンドルフ(加藤秀治郎、檜山雅人訳)『現代の社会紛争』(世界思想社
  • ルーサ・A・ウォーレス、アリソン・ウルフ(濱屋正男、寺田篤弘、藤原孝、八幡康貞共訳)『現代社会学理論』(新泉社)、Rutha A. Wallace and Allison Wolf: Contenporary Sociological Theory(Copyright 1980 by Prentice Hall Inc.)ISBN 4-7877-8503-6

出典