政治経済学--連帯の哲学(013)
□一八世紀後半の政治経済学の用語
政治経済学という用語が最初に使われたのは、一六一五年のモンクレティアンの著書『政治経済学概論』とされている(田中拓道『貧困と共和国』前掲書99-100ページ)。近代以降は家政を意味していたエコノミーが「国家の統治行為一般を指す語として使われるようになる」(100)。
一七五五年の『百科全書』のプーランジェの「政治経済学」の項目では、「社会内の人間を維持し、幸福にする技術と科学」と定義されていた。ルソーはこれを公共経済と言い換える。ルソーはその目的を人民の幸福と規定し、その対象は食料価格維持、公教育、財政、不平等を是正する税制などにあると主張した。
この時期のこの語は、一)「統治の学」を意味していた、二)その対象範囲は、生産、人口、交易、貨幣、治安、公衆衛生などの多様な領域へと拡張していった(同)。
□一九世紀の政治経済学の用語
一九世紀の初頭にこの語の意味が決定的に転換する。それはスミスの思想を受容してたジャン=バティスト・セイの影響による。彼は『政治経済学要綱』の冒頭で、これまで政治学と政治経済学が混同されてきたと指摘する。政治経済学は「社会の必要を満たす富の形成・分配・消費の在り方を教える」ものである。政治は体制の問題を扱う。政治経済学は、どのような政治形態のもとでも、社会をうまく管理する方法を扱うのである。
セイはこれまでの政治経済学に該当する統計学や政治算術は、過去の事実や現状を記述する「記述的な」学であったことを指摘する。政治経済学は、事実を分類するだけではなく、それらの間の因果関係、すなわち「一般法則」を明らかにする実験的な科学である(101)という。
セイは政府は非生産的な組織にすぎず、「公権力の介入は、こうした「法則」を阻害する例外的な現象と位置づける(同)。公権力は介入は最小限にすべきであり、こうした介入で不平等は増大すると主張する。
セイの政治経済学は一九世紀初頭のフランスに広範に影響し、「イデオローグの代表者デステュット・ド・トラシの政治経済学は、セイの議論をほぼ踏襲したもの」(102)というう。
□シュルル・デュノワイエ
シュルル・デュノワイエは『自由との関係から考察された産業とモラル』(一八二五年)では、この思想をさらに進め、「政治の役割を社会の中に解消しようとする」(同)。社会とは「産業の発展を基礎として、文明化へと事故運動る集合である」(同)。そして「産業の進歩のためには、学者、資本家、労働者という社会階層の区別が必要である」(103)と主張する。
□文献
-木崎喜代治『フランス政治経済学の生成』(未来社)