「いわゆる市場問題について」---レーニンを読む(002)

 

 レーニンは1893年にペテルブルクのマルクス主義サークルに参加し、ここでこの論文を発表した。やがてこの町でレーニンはマルクス主義の指導者として認められることになる。レーニンはロシアの農村を調査し、ロシアにおける資本主義の将来について、ナロトージニキの立場を鋭く批判することになる。

■「いわゆる市場問題について」(002)--全集第一巻(73-122)
 この論文ではレーニンは、生産手段の生産と消費手段の生産についてのマルクスの『資本論』の図式を説明しながら、ロシアには市場が存在しないというナロードニキの主張に反論する。ナロードニキたちは、生産手段の生産というプロセスをまったく考慮にいれず、富裕階級による消費の拡大は、一般大衆の貧困につながり、人民はますます貧困ななると考えていた。


 これにたいしてレーニンは、三つの論点からこれを批判する。第一は、社会的な分業が行われる場合には、必ず市場が成立するということである。そして技術の発展が、さらに労働の社会化を推進する。そして資本主義はかならず外国市場を必要とし、生産を拡大させる「市場は商品経済のもとでの社会分業のたんなる表現であり、したがってそれはまた、分業と同じように限りなく成長しうる」(98)のである。


 第二に、資本主義は自由な労働者を必要とする。そのためには農民が貧困化して、市場に登場する必要がある。「農民の大量な収奪は、国の総生産能力の減少ではなく、その増大をもたらし、国内市場の拡大をもたらす」(100)のである。


 第三に、資本の蓄積によって生産手段が拡大し、鉄鉱石や石炭など、生産のための生産手段の生産を増加させるのである。それにともなって、伝統的な手工業の代わりに機会生産が発達する。「ここにこそ、人間の技術のあらゆる進歩的な働きがある」(102)のである。