「人民の友」とは何か--レーニンを読む(003)

■「人民の友」とは何か(003)----全集第一巻(125-349)
 この長い論文は、1894年の春から夏にかけて執筆したものであり、ナロードニキの文筆家の代表格であったミハイロフイキーの「人民の党」は、ナロードニキの「友」などではなく、自由主義的なブルジョワジーの代弁者であることを暴露することを目的としている。


 レーニンは、かつては革命的だったナロードニキ主義が変質していること、「ナロードニキ主義の広範な普及は、ナロードニキ主義の卑俗化によって、すなわちわが国の自由主義にするどく対抗する社会革命的ナロードニキ主義が、この自由主義に合流しつつあることによって、プルブルジョワの利益だけを表現する文化主義的日和見主義に転化したという代償によってのみ、達成された」(289)ことを指摘する。


 現在は工場労働者が革命の主体である。「資本主義的関係の一般的制度のなかでの工場労働者のこのような地位は、彼らを労働者階級の解放のための唯一の戦士にする」(318)のであり、「資本主義的発展のより低い形態のもとでは、こういう物質的な条件は存在しない」(同)のである。「労働者のあいだに、現在のばらばらに労働者の経済逃走を意識的な階級闘争に転化する恒久的な諸組織が作りだされさるとき、そのときロシアの労働者は、いっさいの民主主義的分子の先頭にたちあがって、絶対主義をうちたおし、ロシアのプロレタリアートを、万国のプロレタリアートと手を携えて、公然たる政治闘争のまっすぐな道に沿って、勝利する共産主義革命へ導くであろう」(318)というのがレーニンに結論である。そこから社会民主党への組織への道筋はまっすぐにつながっている。