イギリス、ブーア戦争で勝利(1900)--20世紀の思想と芸術

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イギリスはブーア戦争を遂行し、南アフリカに拠点を築いた。この戦争で得たものは大きかったが、大英帝国の限界もまた露呈された。

第一の成果は「3月13日にはオレンジ自由国の首都ブルームフォンテーンが陥落し、6月5日にはトランスヴァール共和国の首都プレトリアが占領された」ことである。これにより英国はトランスヴァール共和国オレンジ自由国を併合した。イギリスのこの天然資源の豊富な地を確保したのである。

第二の成果は、国内の愛国主義の高まりにより、帝国主義政策の遂行が容易になったことである。フェビアン協会までもがこの政策に賛同したのである。

 

新たに問題となったのは、陸軍の脆弱さだった。「英国軍が大損害によって疲弊したことや非人道的ともいえる収容所戦略、焦土作戦などによって国際的な批判をあびるなど、払った犠牲は小さくなかった」のだった。

これに伴って、それまでの孤立政策を放棄する方針が確立された。「義和団の乱以降、満州に影響力を強めるロシア帝国に対抗する為、1902年1月に孤立政策(栄光ある孤立)を捨てて日英同盟を締結し、1904年に始まった日露戦争で日本勝利の遠因の一つとなった」のである。