サラマンカ学派の政治理論--岩波『政治哲学』第一巻(3)

 

サラマンカ学派(松森奈津子

 サラマンカ学派は、スペインのサラマンカ大学を中心として活躍した神学者・法学者のグループであり、スコラ哲学を再構築した学派である。当時のスペインの新大陸の「発見」と征服を通じて、現地民の法的な扱い方など、国際的な問題に直面することになった。

 第一世代は一五二六年から六〇年まで、ビトリアからメルチョル・カノを含み、第二世代は一五六一年から七五年まで、ソトマヨルからコルプス・クリスティを含む。これらを前期サラマンカ学派と総称する。この世代の学者たちは主としてドミニコ会のメンバーだった。第三世代は一五七六年から一六一五年まで、メディナからスアレスを含み、後期サラマンカ派と呼ばれる。この世代の学者たちはイエズス会のメンバーを中心とするようになる。

 ビトリアが直面したのは新大陸における「野蛮人」問題である。アリストテレスの伝統によって、野蛮人は人間以下の動物に近い存在とみなされた。そして所有権も統治権も欠如した者とみなされていた。

 しかしビトリアはこうした野蛮人にも、固有の政治権力があると考えたのであり、「すべての人間は神の像であるかぎり、生来理性と所有権をもち、キリスト者と出会った後も、それらを無効にされることはない」(57)と主張して、衝撃を与えのだった。インディオに固有の社会と権利があり、秩序形成能力があるとみるこの考え方は、サラマンカ学派の特徴となった。そしてビトリアは「権力が正当に行使されない場合には人民は服従を拒否しうると主張した」(58)のである。

 後期サラマンカ学派は、すでに学会の権威となっていたドミニコ会に挑戦する形で、イエズス会を中心として登場した。コインブラ学派とも呼ばれる。野蛮人については彼らも前期サリマンカ学派の理論をうけついで、固有の政治権力を認める。ただし前期のサラマンカ学派が考察したのは、インカ帝国のように明確に権力構造を確立していたインディオたちだったが、後期のイエズス会の理論家たちが直面したのは、国家を構築することを避けたブラジルのインディオたちだった。それだけに問題が複雑になるのである。

 彼らは、インディオたちが共同体を形成としていないとしても「国家、統治の権力に相当する権力が存在しないわけではないと主張した」(61)。国家を構築することを拒む人々にも固有の政治権力を承認したのである。これは前期サラマンカ学派の理論をさらに発展させたものと言えるだろう。

 しかし抵抗権についてはイエズス会は国家の権力と統治者の権力を切り離して考えることで、明確に異なる理論を展開した。そして「国家野権力が神に由来するより広範囲の普遍的なものであるのに対し、統治者の権力は国家の構成員の同意と選挙に基づく部分的かつ一時的なものだとするのである」(62)。そのため国家の権力は統治者の権力に抵抗することができることになり、「マリアナが提示した〈いかなる私人によっても行使されうる〉急進的な暴君放伐論にゆきついた」(63)。

 またキリスト教世界と野蛮人の世界の間の秩序の形成の可能性については、サラマンカ学は「すべての人間によって構築される普遍社会」(64)の理念によって、世界を分断することを拒んだのである。共通の法が世界に適用されるべきだと考えるのである。ホッブズやグロティウスなどの近代の自然法論者は、社会を構築せず自然状態にある人々には法が適用されないと考えたが、サラマンカ学派は全世界に適用される自然法を考えたことになる。

 参考文献では何よりも『野蛮から秩序へ-インディオ問題とサラマンカ学派』を読まざるをえまい。

 


■参考文献

-ホセ・ヨンパルト『人民主権思想の原点とその展開-スアレスの契約論を中心として』成文社、一九八五年
-伊藤不二男『ビトリア国際法理論』有斐閣、一九六五年
-松森奈津子『野蛮から秩序へ-インディオ問題とサラマンカ学派』名古屋大学出版会、二〇〇九年

野蛮から秩序へ - インディアス問題とサラマンカ学派

野蛮から秩序へ / 松森 奈津子【著】 - 紀伊國屋書店ウェブストア

内容説明

大航海時代を拓いたスペインにおいて、非ヨーロッパ地域の「野蛮」な人々とのあるべき関係をめぐり、新たな政治秩序を模索したサラマンカ学派。ラス・カサスにいたるその思想の展開を丹念に跡づけ、主権国家論に連なる近代の政治思想を問い直す。

目次

序章 「もう一つの国家論」の生成
第1章 近代政治秩序とインディアス問題
第2章 理性と賢慮―インディオの本性
第3章 政治権力の本質―インディアス支配の正当性
第4章 正戦の要件―インディアス征服戦争の是非
終章 「もう一つの国家論」の意義と課題