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菊谷和宏『トクヴィルとデュルケーム』(10/2)

 

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トクヴィルデュルケーム社会学的人間観と生の意味

 

  • 価格 ¥3,291(本体¥3,048)
  • 東信堂(2005/03発売)

 

 

内容説明

社会学また社会科学は、自然科学が自然現象を扱う場合のように、「社会」という対象を客観的に分析することができるのか。個々に主観的存在である人間から成る社会を、なぜ客観的な全体性として認識することができるのか。この学の存立に関わる根源的問題を、二人の先駆者の人間、社会及び社会学への追究・理解の過程と到達点から検証するとともに、その限界を超えて、失われつつある生の意味の回復に至る方途を展望する。

目次

第1章 アレクシス・ドゥ・トクヴィル(生い立ち―家庭的背景から最初の懐疑へ;新大陸アメリカ―神の摂理、知的道徳的世界、権威;二月革命社会主義とその対決:人民と人間;二月革命以後―「人間」と「社会」の誕生;死、信仰、そして生の意味)
第2章 エミール・デュルケーム(第三共和制;客観的科学としての社会学;生の意味喪失―自己本位的自殺;ドレフュス事件;知的共通性あるいは論理的調和性;道徳的共通性あるいは道徳的調和性)
第3章 結論(トクヴィルデュルケームの到達点;社会学的人間観/社会観の拡張―「社会」から「世界」への回帰;社会学の次段階―超越への経験科学的アプローチ:「主観‐客観」から「経験の全体」へ、そして生の意味)

著者紹介

菊谷和宏[キクタニカズヒロ]
1969年愛知県名古屋市生まれ。1991年一橋大学社会学部卒業。1998年一橋大学大学院社会学研究科単位取得退学。2004年博士号取得(社会学)。和歌山大学経済学部助教

 

【寸評】★★★☆☆

2人の社会学者を手掛かりに、近代における「社会」の誕生を考察する。ベルクソンにつなげて展開しようとするのだが、結論が力みすぎかも。デュルケームの宗教論の位置づけが難物だ。