フッサール『論理学研究』読解(003)

真理の国
 ところが学問とは「われわれの知識のために真理の国を、しかもできるだけ広範に征服する手段」(35)であろうとするものであると語るとき、フッサールは伝統的な知と事態の一致、真なる事態の表現という伝統的な真理論から離れる。個々の命題の真理ではなく、体系としての真理が問われるのである。

 フッサールは、この「真理の国は無秩序な混沌ではなく、そこでは法則性の統一が支配しているのである」と考えるからである。だから学問は真理の探求であり、学問を目指すのは、学問にふわさしい「体系的な構造」である。これは学問が捏造するものではなく、「事象のうちに伏在するものであり、われわれはただ諸事象のうちにそれをみつけだし、発見するのみである」(同)とされるのである。

 ここは重要なところなので、原文を引用しておこう。

Die Wissenschaft will und darf nicht das Feld eines architectonischen Spiels sein. Die Systematik, die der Wissenschaft eignet, natürlich der echten und rechten Wissenschaft, erfinden wir nicht, sondern sie liegt in den Sachen, wo wir sie einfach vorfinden, entdecken. Die Wissenschaft will das Mittel sein, unserem Wissen das Reich der Wahrheit und zwar in größt möglichem Umfange zu erobern; aber das Reich der Wahrheit ist kein ungeordnetes Chaos, es herrscht in ihm Einheit der Gesetzlichkeit; und so muß auch die Erforschung und Darlegung der Wahrheiten systematisch sein, sie muß deren systematische Zusamenhänge wiederspiegeln und sie zugleich als Stufenleiter des Fortschrittes benützen, um von dem uns gegebenen oder bereits gewonnenen Wissen aus in im er höhere Regionen des Wahrheitsreiches eindringen zu können(p.16).

論理学の役割
 だとすると、真理は知覚的な明証のうちだけに潜むのではない。こうした明証性は、基礎づけなどを必要としないからだ。「直接的覚知によって真理が獲得されるとすれば、基礎づけの関係を探求し、証明を組み立てる」(35)必要など、なくなってしまうだろう。「無数の真なる命題が真理として把握されるのは、それが何らかの方法によって基礎づけられる」(同)場合だけである。「確実な認識から出発して、志向された命題へ到達する何らかの思考の道筋をたどる」(同)ことが真理への道である。そしてこの思考の道筋を提供するのが、論理学なのである。論理学は、「間接的にのみ到達されうること」(36)に到達するための利用できる「階段」(35)なのである。

■第七節 基礎づけの最も重要な三つの特徴

基礎づけの三つの特徴
 それではフッサールにとって学問そのものよりも重要な課題であるこの基礎づけとは、どのようなものだろうか。この節ではその三つの特徴を考察する。

 第一の特徴は、「それらの基礎づけがそれぞれの内容について確固とした接合(feste Gefuge)の性格を所有することである」(36)。ピタゴラスの定理を認識しようとするならば、確固とした構造をそなえた幾何学の認識と推論の順序にしたがう必要があるのである。


 第二の特徴は、「基礎づけの諸関連を支配しているのは恣意と偶然ではなく、理性と秩序、すなわち規制法則(regendes Gesetz)である」(37)ということである。例としてはよくないが、「等辺三角形は等角である」という命題の背後には、「すべての等辺三角形は等角である、しかるに三角形ABCは等辺である。だからこれは等角である」(同)という論理的な推論に依拠しているのであり、これが基礎づけになっているのである。こうした基礎づけを「類型」としてとりだすときに、それは論理法則として表現されることになるだろう。

 第三の特徴は、「あらゆる種類の推論も、具体的に限定された一つの認識領域への本質的な関係からはまったく解放されるほどに、一般化され、純粋に把握される」(39)ということにある。数学と化学というまったく異なる認識領域について、それぞれの基礎づけと推論があるのではなく、一般化された形式が存在するのであり、それが学問論を可能にし、論理学を可能にするのである。

■第八節 学問および学問論の可能性に対するこれらの特徴の関係
基礎づける推論と学問の関係
 このようにしてすべての学に適用することのできる一般的な形式が存在すること、「あらゆるクラスの推論全体にとって典型的な、何らかの形式が内在する」(39)ことがなければ、そしてこの「クラス全体の推論の正しさが、この形式によって保証されている」(同)ことがなければ、学問は存在しないのである。

 熟練した学者が素人よりも巧みに推論することができるのは、こうした形式を熟知していて、それが見えないところにも、これまでの経験から見出だす術を知っているからである。幾何学の解法に親しんでくると、普通には思い付かないようなぼ補助線を引いて、問題を解決することができるようになるものである。その補助線を引くというまなざしこそが、それまでの経験によって蓄積された「証明の諸類型」(40)によって初めて可能になるものなのである。

 これは幾何学のような一つの学問分野だけに限定されるものではないとフッサールは考える。方法というものは、一つの形式として実るものであり、「知識領域からの形式の独立性は学問論の存立を可能にする」(41)のである。一般論が特殊理論を可能にし、特殊理論への習熟が一般論を可能にすると言えるだろう。

Ermöglicht nach all dem die geregelte Form den Bestand von Wissenschaften, so ermöglicht aufder anderen Seite die in weitem Umfang bestehende Unabhängigkeit der Form vom Wissensgebiet den Bestand einer Wissenschaftslehre. Gälte diese Unabhängigkeit nicht, so gäbe es nur einander beigeordnete und den einzelnen Wissenschaften einzeln entsprechende Logiken aber nicht die allgemeine Logik(P.21).

■第九節 諸学における方法的処理法。基礎づけと基礎づけのための補助作業
二種類の方法
 しかしすべての「方法」が学問においてこのように枢要な役割をはたすことができると
考えるべきではないだろう。実際には補助的な方法も多いものである。だから「本当の基礎づけの性格をもたぬ学問方法はすべて、基礎付けの思惟経済的な省略および代用物」(42)にすぎないだろう。こうした方法は基礎づけに貢献する補助的な作業としての意味しかもたないだろう。だから基礎づけを行う「方法」と、それに貢献する補助的な「方法」の二種類が存在すると考えるべきである。

定義の重要性と日常言語批判
 なおここでフッサールは、こうした方法を形式化する際の重要な注意点をあげている。基礎づけを確実に実行するためには「たがいにはっきりと区別される一義的な記号によって適切な仕方で思想を表現する」(42)ことが重要なのである。これはフレーゲ記号論理学に連なる人為的な言語への信奉を示すものである。

 日常の言語は「誰にとっても不可欠ではあるが、やはり厳密な研究の補助手段としては非常に不完全である」(同)。それは言葉は多義的なものであり「一義的な意味」をもつ
記号ではないからである。「意義が不明確である場合には、使用するそれらの術語を定義しておかねばならない」(同)のである。この日常言語批判は、フレーゲなどの記号論理学者に本質的にそなわる考え方であり、後にヴィトゲンシュタインに批判されることになるだろう。

■第一〇節 学問論の問題としての理論および学問の理念
学問の目的
 さらに学問が成立するためには、基礎づけ関連の統一、基礎づけの順位における統一が必要であり、「この統一形式そのものが、すべての学問が追求する最高の認識目標を達成するための高い目的論的意義を有している」(44)のであるこの目標とは、真理の探求において、「個々の真理ではなく、真理の国とその分肢たる自然の諸地域の探求において」(同)、できるかぎり進歩を助成することである。ここで目的論的な概念が突然登場することに注意しよう。

 学問論は、知識の方法だけでなく、学問と呼ばれる知識の方法も扱う。妥当する基礎づけと妥当しない基礎づけを区別し、妥当する学問と妥当しない学問を区別する。自己言及的な性質をもつのが学問論の特徴である。学問論には、「学問そのもについての学問という概念」(同)が含まれるからである(Jedenfalls liegen beide im Begriffe einer Wissenschaft von der Wissenschaft als solche, P.26)。