「呪術からの解放」の概念--山本通「ヴェーバーの「儒教とピューリタニズム」論文に関する一考察」(4)

山本通「ヴェーバーの「儒教とピューリタニズム」論文に関する一考察」の四回目。今回はウェーバーの「呪術からの解放」の概念にまつわる問題が考察されます。

 

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□C.「合理化」と「呪術からの解放」
儒教とピューリタニズム」論文の冒頭においてヴェーバーは,ある宗教がどのような『合理化』の段階を示しているかを判断する上での二つの基準を挙げる。そのうちの一つは,その宗教が魔術Magie を払拭している程度である(19)。ヴェーバーによれば,「禁欲的プロテスタンティズム」は現世の「呪術からの完全な解放die gaenzliche Entzauberung」を実現したが,中国では,道教が「呪術の園」を作り出し,儒教はこれを放置した(20)。ヴェーバーのこのような比較論には,色々な意味で問題がある。


 第一に,ヴェーバーは魔術Magie と呪術Zauber を混同している。両者は同じものではなく,後者が前者に含まれるという関係にある。私なりの定義を下すならば,魔術とは,生得の,あるいは修練によって習得した超能力もつ人間が行ないうる(と信じられる)超自然的な技芸である。それは,人を幸せにするためにも,不幸にするためにも利用される。魔術の中には錬金術,失せ物発見のための土占い,運命鑑定のための手相占い,観相術,占星術,魔術的治療,「古来の予言」,そして呪術などが含まれる。魔術師の中には錬金術師,占星術師,占い師,賢者(カンニング・メン)そして呪術師などが含まれる。亡霊・妖精についての信仰は,魔術そのものではないが,魔術的な信仰である(21)。

 他方,魔術の一つのジャンルである呪術とは,『宗教社会学』におけるヴェーバーの定義によれば「カリスマの所有者である呪術師が呪的な力を発揮して,デーモンを呼び出し,自己に服従させて,超自然的な事柄を起こさせること」である。また,宗教と祭儀は,「神々を崇拝し,供え物をし,神々に祈願するというような関係の諸形式」であり,これを執り行うのが祭司である(22)。

 したがって,道教における風水術などの様々な占いや精霊・亡霊・妖怪信仰などは,魔術と魔術的信仰ではあっても,呪術ではない。またヨーロッパでも,魔術と魔術的信仰は17世紀末ごろまで民間で広く行われてきた。キリスト教界でも,カトリックは一般的に魔術に対して寛容だった,といわれる。しかしカトリック教会は,むしろ,いわば「免疫のために」魔術をある程度自らの内に取り込むことによって,民衆を魔術信仰から引き離したのである。聖像や聖遺物の崇拝,悪霊払い(エクソシズム)などは,その例である。

 しかしながら,ヴェーバーが「呪術的」だとみなすカトリックの「教会や聖礼典による救済」は,呪術的でも魔術的でもない。それは先ほどのヴェーバー自身の定義に則して考えてみても,まさに宗教的なものだといえる。事実,カトリックのミサにおいて司祭が唱える奉献文は,呪的な呪文ではなく,(福音書の中に記された)「最後の晩餐」におけるイエス自身の言葉なのだ。ミサにおいて司祭の祈りとともに,パンとぶどう酒が聖体に変化するのは,聖霊の働きによるものである(23)。この「聖体の神秘」には,信者たちも積極的に関与している。信者たちは共に教会に集って,ミサのあいだ「聖体の神秘」を引き起こす聖霊の豊かな働きを待望して祈るからである。もしこのような行為を「呪術的」というならば,聖霊の働きへのクリスチャンの待望はすべて呪術的ということになろう(24)。したがって,この「魔術(呪術)からの解放」について述べた『倫理』論文の中の次の有名な言説は,内容的に不適切である。

 「[ピューリタンが]教会や聖礼典による救済を完全に廃棄したということこそが,カトリシズムと比較して,無条件に異なる点だ。世界を呪術から解放するEntzauberung という宗教史上のあの偉大な過程……はここに完結を見たのだった(25)」。

 ピューリタンが「教会や聖礼典による救済を完全に廃棄した」ということは,「呪術からの解放」という意味をもつものではない。これは,むしろ,「恩寵のための施設Anstalt としての教会(26)」の概念の否定,という意味で重要なのである。これについては,後で詳しく論じる。ところで,「儒教とピューリタニズム」論文のなかで「ピューリタンの場合のみ,現世を残るくまなく呪術から解放するということが,徹底的に行われた」と述べた直後に,ヴェーバーは次のように述べる。

 「このことは必ずしも,そこでは今日われわれが『迷信』Abergrauben と評するものが全然存在しなかったことを意味するわけではない。魔女裁判はニュー・イングランドでも盛んに行われていた。ところが,儒教の場合には,魔術は現実に救済をもたらすものとして放置されたのに対して,ピューリタニズムの場合には,およそ魔術的なものはすべて悪魔的と考えられ,ただ合理的・倫理的なもののみが……宗教的に価値ありとされたのであった(27)」。

 ヴェーバーのこの言説において注目するべきは,「呪術からの解放」を徹底したピューリタンが,魔女についての迷信を抱いていたことを,ヴェーバーが認めている点である。魔術は歴史的に実在したものであるが,「魔女Hexe」はヨーロッパ中世末期の聖職者や法律家の妄想の中から生まれた存在である。呪術師が悪霊を呼び出して,自分に奉仕させようとしたのとは逆に,魔女は,魔王と悪霊に身も心も捧げ,彼らから与えられた超自然的な能力でもってキリスト教世界の安寧と平和を脅かす仕業を行なう存在として想定された(28)。

 このような魔女概念を確立したのは,ドイツのドミニコ修道会の修道士で異端審問官であったJ. シュプリンゲルとH. クレーメルの共著『魔女の鎚』(1486年)であったというのが通説であるが,「魔女狩り」はカトリックのみならず,プロテスタントによっても等しく遂行された。ヴェーバーも認めるとおり,それは特に17世紀のスコットランドやニュー・イングランドのように,カルヴィニズムの狂信が支配した社会的・政治的に不安定な時期と地域では,激しく行なわれた(29)。

 17世紀末ごろまでに,欧米において数十万ないし数百万人の罪なき人々が,マス・ヒステリーの犠牲となり,拷問を受け,自らが魔女であることを自白させられて,処刑された。魔女狩りは宗教戦争とともに,ヨーロッパ史・キリスト教史の中の最も恥ずべき暗部である。

 ピューリタンは魔女の実在を信じた。それでは,彼らはヴェーバーが言うように,魔術を否定して「合理的・倫理的なもののみを宗教的」とみなしたのだろうか。これについては,イングランドの魔術信仰に関するキース・トマスの貴重な研究成果を参照するべきである。彼によれば,中世のカトリック教会は民間の魔術的信仰を巧みに取り込んだので,魔術信仰が文化の表層に現われることはなかった。しかし,プロテスタントが魔術的要素を否定したために,宗教改革以後において,民間の魔術的信仰が力強く復活した。つまり,宗教と魔術の明確な分化が起こったのである(30)。キリスト教の信仰は生活全体に適する指導原理であるのに対して,魔術は多様な個別的苦難を克服する方法として民衆の要求にこたえたのであり,両者間には競合関係が生じた。イングランドでは国教会の聖職者が魔術を不倶戴天の敵とみなして抑圧したが,魔術信仰は17世紀末まで民間に広く存続した(31)。
 以上のように,キース・トマスの研究成果は,ヴェーバーの議論を基本的に支持するものである。しかし,見逃せないのは,17世紀中葉の分離主義ピューリタンが魔術に囚われてしまった,という事実である。ピューリタン革命の内乱期において,独立派などの分離派ピューリタンは,ウィリアム・リリーなどの占星術師を重用し,しばしば運勢占いを行なってもらった(32)。

 このことは,ピューリタニズムが魔術を抑え込む力を持たなかったことを意味する。魔術信仰や魔女の実在についての信仰は,18世紀の初めまでには,民間レベルでも消滅していくが,これは魔術に対するピューリタニズムの勝利ではなかった。キース・トマスは魔術の衰退の原因を,社会経済の発展による民衆生活の安定化,民衆のあいだでの「自助」の意識の浸透などに求めているが(33),わたしは,科学研究における機械論哲学の制覇が民衆に徐々に浸透したことの影響をも考慮に入れるべきだ,と考えている。
 以上の考察によって明らかなように,ヴェーバーの「呪術からの解放」という概念には,近代的合理主義の形成に対するピューリタンの貢献を一面的に評価する思想が表現されているのである。

(19)ヴェーバー儒教とピューリタニズム」『論選』167頁。
(20)同,『論選』168頁。
(21)Thomas, K., Religion and the Decline of Magic, London, 1971. 荒木正純訳『宗教と魔術の衰退』(上)(下),法政大学出版会,1993年を参照せよ。
(22)ヴェーバー『宗教社会学』,武藤一雄・薗田宗人・薗田坦訳,創文社,1976年,35~43頁。
(23)『カトリック教会の教え』カトリック中央協議会,2003年,192頁。
(24)「カトリックの司祭でさえ,ミサ秘蹟の執行や鍵の力を発揮させるに際して,多少なりともなお,この呪術的な力を行使している」(ヴェーバー『宗教社会学』,36頁)という理解は,したがって,誤っている。
(25)ヴェーバー『倫理』,157頁。
(26)ヴェーバー「中間考察」『論選』122頁。
(27)ヴェーバー儒教とピューリタニズム」『論選』168頁。この部分について,わたしの判断で,Abergraubenの訳語を「邪信」から「迷信」に,Magie の訳語を「呪術」から「魔術」に訂正した。
(28)「魔女」概念の生成については,Cohn, N., Europe’s Inner Demons, London, 1975. 山本通訳『魔女狩りの社会史』岩波書店,1983年。再版,1999年を参照せよ。
(29)浜林正夫・井上正美共著『魔女狩り』教育社,1983年。
(30)Thomas, K., op. cit., pp.638~639. 荒木訳,下巻,940~942頁。
(31)Ibid ., pp.636~640. 荒木訳,下巻,937~944頁。
(32)Ibid ., pp.371~376. 荒木訳,上巻,537~544頁。
(33)Ibid ., pp.641~668. 荒木訳,上巻,945~985頁。